日本史跡研究会 日々の徒然・改(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介致します。また、研究会活動についてもご紹介しております。

滋賀県の神社仏閣

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  【金剛輪寺】

    所在地: 愛知郡愛荘町松尾寺874
    拝観料:     ¥600


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 西明寺・百済寺とともに湖東三山の一つで天台宗寺院。別名を松尾寺。山号は松峯山で本尊は聖観音である。

 寺伝によれば聖武天皇の勅願によって行基の開創としたされ、天平9年(737)または天平13年(741)の創建とされる。昭和の市町村合併以前、この地は秦川村であったことから渡来系氏族・秦氏との関係も指摘されている。

 嘉承年間(848〜851)、円仁(慈覚太師)によって天台密教の道場として再興されたと伝わり、円仁は中興の祖とされている。

 平安時代から中世にかけて歴史が判然としていないが、境内に残る仏像などから天台宗寺院として栄えたのではないかと思われる。
 現存する本堂は文永・弘安の役の戦勝記念として近江守護・佐々木頼綱によって建立されていることから、この地の有力者に庇護されたことがうかがえる。

 その後、総本山の比叡山延暦寺が武装化していったように金剛輪寺も武装化していたのであろう。天正元年(1573)、織田信長の兵火によって被害を受けているが、延暦寺・百済寺のように全焼せず本堂・三重塔は焼失を免れている
 これは総門や本坊である地点から数百メートルの石段を上ったはるか奥に中心堂宇があったことから、見落とされたのではないかという説がある。


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 この「金剛輪寺」も城郭寺院の代表的存在ですね。御朱印巡りと城巡りが両方とも可能な素晴らしい場所でありますしか〜し、それ以上に素晴らしいのは…秋の紅葉例年物凄い人出であると聞き及んでおりますぞということで、そんな人込みは避けたい某。訪れたのは新緑の時期(5月)。

 人もまばらでゆっくり散策出来ましたよ。

 紅葉時期素晴らしい景色を見るも良し。閑散とした時期にのんびり訪れるも良し。お薦めの古刹ですね。と、某が薦めなくとも滋賀県がしっかりとPRしておりますけどね。


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 (参考資料)
  現地配布パンフレット
  現地案内板


  【百済寺】

   所在地: 東近江市百済寺町323
   拝観料: 大人600円 中学生300円 小学生200円


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 金剛輪寺・西明寺とともに「湖東三山」の一つ。山号は釈迦山。

 近江西国観音霊場第十六番札所、神仏霊場第141番札所、百寺巡礼第35番札所、湖国十一面観音霊場第十番札所、びわ湖百八霊場第64番札所である。

 寺伝によれば、推古天皇14年(606)、聖徳太子の建立とされる。聖徳太子は高句麗の僧・恵慈とともにこの地に至った際、山中に不思議な光を見たという。その光の元に行くと、それは霊木の杉であった。太子は根が付いた立木のまま刻んで十一面観音の像を作り、その像を取り囲むように堂を建てたとされる。これが百済寺の始まりとされ、百済の龍雲寺にならって百済寺と号したという。

 史料上の初見は、寛治3年(1089)であり、渡来系氏族である秦氏の氏寺として開基された可能性が高いと思われる。

 天養元年(1144)、比叡山延暦寺の勢力下に入り、天台宗の寺院となっている。

 以来、三百坊を擁し僧俗合わせて1200人が寺域内で生活する一大寺院となり隆盛を極めたという。

 明応7年(1498)、火災で全焼。文亀3年(1503)、兵火で焼失。この二度の火災によって創建以来の建物だけでなく、仏像・寺宝・記録等も大方焼失してしまっている。

 天正元年(1573)、織田信長の焼き討ちによって三度全焼

 慶安3年(1650)、本堂・仁王門などが再興されており、これが現在残されています。


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 百済寺は紅葉が見事な寺としても有名であり、境内の庭園散策などゆっくりしていると時の経つのを忘れてしまいます。
 
 
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 また、織田信長によって焼き討ちされたことから考えても、百済寺は城郭寺院であったことは間違いなく、石垣があります。

 比叡山延暦寺に呼応する形で僧兵が立てこもり、信長を苦しめたのではないでしょうか。


 寺院として散策するも良し、また城郭として訪れるも良し。いずれにしても滋賀県を代表する観光地の一つであることには違いがありません。


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 (参考資料)
   現地配布パンフレット
   現地案内板


  【多賀大社】

   所在地: 犬上郡多賀町多賀604


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 滋賀県民に「お多賀さん」として古くから親しまれ、伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)を祀っている。

 『古事記』には「故其伊邪那岐大神者座淡海之多賀也。」と記述されており、これが多賀大社であるとの説があることから、創建はそれ以前ということになるが年代は不明である。

 『古事記』以前の時代には、この地一帯を支配した豪族・犬上君の祖神を祀っていたとの説もある。

 犬上氏は第五次遣隋使・第一次遣唐使で知られる犬上御田鍬を輩出した名族です。

 延長5年(927)、藤原忠平らによって編纂された『延喜式神名帳』では「近江国犬上郡多何神社二座」と記載されています。

 明応3年(1494)、神仏習合が進み、この地には神宮寺として不動院が建立され、中世から近世にかけて伊勢・熊野と並び「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」と俗謡も流行るほど多くの参拝客で賑わった。

 天正16年(1588)、多賀大社への信仰厚かった豊臣秀吉は、母の延命を祈願。成就したために社殿改修を行い1万石という大名クラスの寄進を受けています。


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               (大僧正慈姓によって造営された太鼓橋 雅名は太閤橋)

 元和元年(1615)、社殿が焼失

 寛永10年(1633)、徳川家光が再建を命じ、五年の歳月をかけて完成しています。

 明和3年(1766)、屋根の葺き替え等の大改修が行われるが、安永2年(1773)、天明2年(1782)に火災

 さらに寛政3年(1791)、暴風で社殿が倒壊しています。

 しかしながら、その都度幕府や彦根藩から手厚い寄進・寄付が行われています。

 明治元年(1868)、神仏分離令によって廃仏毀釈の動きが高まり、神宮寺は廃絶した。


 時代を経ても多賀大社に対する滋賀県民の厚い信仰は変わらないようです。お正月の初詣には多くの参拝客でごった返すそうです。


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 (参考資料)
  現地配布パンフレット
  現地案内板


 

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