|
【小谷城跡】 評価
別 名: 小谷館
所 在 地: 小山市上生井
築城年代: 保安元年(1120)
築 城 者: 小谷三郎俊景
区 分: 平 城
現 状: 神明社・宅地・耕地
保安元年(1120)、藤原秀郷の末裔である田原三郎俊景がこの地を領し、古屋の地名から小谷と姓を改めて館を築いたとされる。
久安4年(1148)、小山氏の祖である太田政光が小山の地にやって来ると、久寿元年(1154)、小谷に進出して支配下に置いている。
政光の小谷進出は、同族(藤原氏)の争いであり、小谷城の西に広がる大赤麻草原が当時有名な馬産地であったことから赤麻の地を手にしたかったからだとされる。
政光は小谷俊景との争いに勝利して、小谷城を手に入れて城主となり居住したという。
南北朝時代(1336〜1392)、網戸城主であった網戸重朝は奥州で南朝方として戦い討死。子の網戸村重は網戸より生井に移り、小谷城主となった。
永享12年(1440)、足利持氏の遺児を擁立した結城氏朝・結城持朝
村重は奥州に落ち延び、生井(生江)八郎と改姓したという。
小谷城がその後小山氏の支城として機能したのかは、小山氏の正統が没落し、結城泰朝が小山氏を継ぎ動乱の時代となったことから定かではない。しかし、小山南部の重要拠点であったことから何らかの形で機能はしていたのではないだろうか。
元亀2年(1571)、小山氏20代・小山秀綱が大橋左京亮を小谷城代とし、小谷城は再興されたという。(このことが正しいとすれば、結城合戦後は廃城状態であったということである。ということは、新たに築城されたことになる)
この時期、小田原北条氏の勢力は北関東にも及び、その結果、小山氏も北条氏の軍門に降ることとなり、小谷城も北条氏の支配下に置かれることとなる。
天正18年(1590)、豊臣秀吉による北条征伐によって北条氏・小山氏が滅亡すると廃城となっている。
偶然数年ぶりに通りがかったので訪れると真新しい案内板が設置されていました。
小山市はマニアックな城館跡にも石碑が建っていて嬉しい限りなんですが、案内板もあれば更に嬉しいですねぇ。
(参考資料)
現地案内板
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- ブログバトン



