日本史跡研究会 日々の徒然・改(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介致します。また、研究会活動についてもご紹介しております。

千葉県の博物館・資料館

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  【千葉市立加曽利貝塚博物館】

    所在地:       千葉市若葉区桜木8−33−1
    休館日:  月曜日 祝日の翌日 年末年始(12/29〜1/3)
    入館料:              無 料

       公式HP はこちら   http://www.city.chiba.jp/kasori/index.html


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 昭和41年(1966)、加曽利貝塚の中に開館。

 加曽利貝塚から出土した縄文土器(考古学上、加曽利式と呼ばれる)、石器、動物・魚・人の骨等を中心に展示され、東京湾周辺に居住していた縄文時代の人々の生活について解説されている施設です。


 加曽利貝塚は、昭和37年(1962)から現在に至るまで度重なる発掘調査が行われ、発掘調査で出土した遺物の数々や、縄文時代の貝塚の特徴や貝塚研究史という、加曽利貝塚が考古学にもたらした影響が博物館を見学することで学べることと思います。

 また、歴史講座の開催や土器・骨角器・石器づくり講座も行われており、生涯学習の面からも訪れてもらいたい博物館でもあります。

 訪れる前に、公式HPをご確認していただき、イベントや企画をチェックしてから加曽利貝塚を訪れるのがお薦めですよ


  【関宿城博物館】

    所在地:              野田市関宿三軒家143−4
    休館日:    月曜日(祝日の場合、その翌日)、年末(12/28〜12/31)
    入館料:  一般 ¥200 大学・高校生 ¥100 中学生以下、65歳以上無料


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 平成7年(1995)、利根川・江戸川の歴史と文化を紹介する博物館として開館。かつての関宿城を模した天守閣を再現した博物館であり、ここが「関宿城跡」ではありません。しかし、この模擬天守を見てここが歴史上名高い「関宿城跡」であると勘違いしている城ファンも多い(実際の「関宿城跡」は博物館の南側です)

 近世関宿藩に関する展示は勿論のこと、河川交通の観点からの常設展示は十分見応えあります。


 中世から近世の関宿は交通・軍事の要衝であったことから、深い歴史が育まれた地です。

 関東の争乱において関宿は後北条氏との争いが絶えず行われ、江戸時代にはその重要性から幕府要職を歴任する譜代大名が入封しています。(この辺りは「関宿城跡」で述べたいと思いますが、その歴史が深いことから少々お時間下さいませ)

 河川交通・経済などの分野でも関宿は考えさせられる要衝であり、関宿のことを大まかに知るためには先ずこの博物館に立ち寄るのがベストと思います。駐車スペースも多いので、ここから関宿散策に行くことをお勧め致します。

 関宿城跡(城下町)や鈴木貫太郎関連の史跡などゆっくり一日散策することも出来る街だと思いますよ。


 (参考資料)
  現地配布パンフレット


  【野田市鈴木貫太郎記念館】

   所在地:       野田市関宿町1273
   入館料:          無 料
   休館日: 月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始


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 昭和38年(1963)、終戦時の内閣総理大臣として活躍した鈴木貫太郎の業績を広く紹介するために、鈴木貫太郎旧宅の隣に開館しました。

 館内には、書簡類や戦後の日記、貫太郎愛用の品々が展示されています。


 鈴木貫太郎は慶応3年(1867)、和泉国久世村(現在の大阪府堺市)に生まれます。

 その後、関宿に移住し(前橋にも移住)、海軍へ入隊。

 明治27年(1894)、日清戦争の際には、旅順・威海衛攻略に水雷艇長として参加。明治38年(1905)、日露戦争の際には、日本海海戦に第四駆逐艦隊司令として参加するなど海軍内で次第に頭角を現しています。

 大正時代には、第二艦隊・第三艦隊司令長官、呉鎮守府司令長官を歴任し、大正12年(1923)、海軍大将に任命され、翌年には第一艦隊司令長官兼連合艦隊司令長官に補せられています。


 昭和4年(1929)、侍従長となり、枢密院顧問官も兼任するなど昭和天皇の信頼も厚かった。

 そして、昭和11年(1936)2月26日、2・26事件では安藤輝三陸軍大尉ら青年将校に侍従長官邸が襲撃される銃撃されるも一命をとりとめています。

 昭和20年(1945)4月、小磯国昭内閣は前月の硫黄島玉砕、そして沖縄への米軍上陸を受けて総辞職したことによって重臣会議が行われ、鈴木貫太郎に組閣の大命が降下するのである。

 鈴木貫太郎内閣は7月、ソ連に終戦斡旋依頼をするが拒否され、8月6日には広島、次いで9日には長崎に原子爆弾が投下。さらに8日には突如としてソ連が対日宣戦布告するなど難局続きであった

 14日、御前会議によってポツダム宣言受諾が決定されると、鈴木貫太郎内閣は総辞職。


 鈴木貫太郎内閣は終戦のための内閣であり、その期間は陸・海軍の意地(つまりが国体の保持)との内部の戦いの日々であった。
 敗戦必死の状況であったにもかかわらず、本土決戦を主張する軍部との争いには目を見張るものがある。竹やりや風船爆弾という『大和魂』…精神論での戦争続行を主張した軍部を抑えることが如何に困難であったか窺い知ることは出来ない。

 
 昭和23年(1948)、関宿の自宅で81歳の生涯を閉じています。


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 野田市関宿台町にある「実相寺」境内の「鈴木貫太郎墓」。

 内閣総理大臣を務めた人物の墓とは思えないほど質素な墓である(我々一般市民と同様のお墓っす)。


 平成の現在、大戦前夜のような状況と同じような社会情勢となっており、現内閣も戦争へと向かっているようにも感じる。
 軍備(防衛費)の増大、テロ防止法案など昭和と似たような状況になってはいないか?また、自由民主党に対抗しうる政党がないことは、軍部に対抗できなかった政党と似てはいないだろうか?
 平和ボケしている現代の我々を見て、先の大戦で命を奪われた人々はどのように感じるであろうか?

 今、この時に戦争というものを経験していない我々が悲惨な戦争というものを再び考えなければならないと通説に思う。
 幸いにも昭和遺産(戦争遺産)として各地で様々な遺跡が存在している

 広島・長崎が代表的であろうが、ロタコ(山梨県南アルプス市)、爆弾池(大分県宇佐市)といったものも知られるようになった。また、日出町の回天練習場や鹿児島県の知覧航空基地跡なども良い例であろう。

 今後も本ブログで戦争遺跡を訪れた際には積極的にしたいと思う。

 (参考資料)
  昭和天皇側近たちの戦争           茶谷誠一        吉川弘文館
  現地配布パンフレット

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