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【光厳寺】
所在地: 前橋市総社町総社1607
慶長6年(1601)、関ケ原の戦いの戦功によって総社6千石で入封した秋元長朝は徳蔵寺の亮應を開山として招き、創建されました。
寺名は秋元の姓、長朝の戒名である江月院殿巨岳元誉大居士、長朝の母である春の戒名光厳院殿心月等清大姉からそれぞれ取られ、秋元山江月院光厳寺と命名され、秋元氏の菩提寺とされました。
寛永10年(1633)、二代・秋元泰朝は幕命により甲斐国都留郡谷村18,000石で転封となる。
菩提寺であった光厳寺は当主であった秋元氏の意向がどうであったのかは定かではないのですが、転封に伴って移転せず、この地に留まっている。
秋元氏は宝永元年(1704)、武蔵国川越5万石、明和4年(1767)、出羽国山形6万石、弘化2年(1845)、上野国館林6万石に転封を重ねている。
この間も秋元氏は旧領である総社領民への支援を行っており、悪政から救ったり、飢饉の際に救済米を送ったりしている。また、歴代当主の供養も総社の光厳寺で執り行うなど総社との繋がりは変わることはなかった。
(秋元氏廟所)
光厳寺近くの宝塔山古墳墳丘上のは「秋元氏歴代墓地」があり、一緒に訪れると良いでしょう。
南北11.4m、東西10.8mの方形の墓域が形成されており、長朝から礼朝までの墓があります。
また、光厳寺境内には秋元氏と領民の強いきずなを表す「力田遺愛碑」、「光厳寺薬医門」など見どころは多い。
(「光厳寺薬医門」)
(参考資料)
前橋市の文化財 前橋市教育委員会
現地案内板
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群馬県の神社仏閣
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【倉賀野神社】
所在地: 高崎市倉賀野町1263
創建年代は不明ですが、崇神天皇48年、皇子の豊城入彦命が東国平定を命じられ、出立の際に御愛石(亀形の自然石)を授けられ、当地に至ると、御愛石を御魂代として祭祀を行ったのが始まりという。
また、大同2年(807)、坂上田村麻呂東征凱旋の際に、この地で舞楽を奏上し創建したともされる。
建長5年(1253)、武蔵七党の一つ・児玉党の余流である倉賀野三郎高俊が社殿を造営。倉賀野氏の氏神として厚く庇護され、永禄8年(1565)、武田氏による倉賀野城攻略まで修復・造営が重ねられました。
江戸時代になると、倉賀野は中山道の宿場町として、また利根川水運最上流の河岸として大いに賑わい、倉賀野神社は近隣七ヶ郷の総鎮守として広く崇敬を集めました。
旧社名は飯玉大明神であり、明治初年(1868)、大國魂神社と改称。明治42〜43年(1909〜1910)、近隣神社の合祀を経て、倉賀野神社と改称されています。
最近、御朱印ブームということもあって、多くの寺社仏閣で御朱印頂けるようになりましたね。御朱印というと、坂東三十三ヶ所観音霊場など霊場巡りが主流ですが、近くの神社や古刹でも頂けるものは頂きたくなるのが人情ではないでしょうか。
皆さんも是非近くの神社や古刹にお参りに行ってみては如何でしょうか。思わぬ発見もあるかもしれませんよ。
(参考資料)
現地配布パンフレット
現地案内板
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