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【東耀稲荷神社】
所在地: 横須賀市東浦賀2−6−6
天明2年(1782)、食保命(うけもちのかみ)を祀り創建された。名の由来が隣接する東耀山・顕正寺の山号によるものであることから、もともとこの地は顕正寺境内に建立され、明治元年(1868)、神仏分離令によって切り離されたものと推測される。
東耀稲荷神社は火防の神として崇拝されており、また、須賀神社も合祀され、この地区の鎮守としても祀られています。
左右隅棟の上には恵比須と大黒天の飾り瓦が乗り、干鰯で大いに栄えた東浦賀の繁栄ぶりが偲ばれるかと思います。
また、欄間や格天井には見事な彫刻が施され、浦賀随一と称されています。
散策でも通り過ぎてしまうかもしれない小さな祠にも地域の歴史が残されていることがわかる良い例だと思います。
史跡散策の際にはふとした場所に立ち寄るのも良いかもしれませんね。
(参考資料)
歴史のまち・浦賀 浦賀コミュニティセンター分館
現地配布パンフレット
現地案内板
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神奈川県の寺社仏閣
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【東叶神社】
所在地: 横須賀市東浦賀2−21−25
『新編相模国風土記稿』には、正保元年(1644)、西浦賀の本社を勧請したとされるが、縁起では、養和元年(1181)、京都神護寺の僧・文覚が石清水八幡を勧請し、文治2年(1186)、源頼朝が源氏再興の願いが叶ったことから、叶明神と改めたとされる。
別の伝えによれば、元禄5年(1692)、浦賀村が東西に分かれた際に、西浦賀村の叶神社を遷して祀り、西浦賀村の叶神社を本宮、東浦賀村の叶神社を若宮と呼んだともいわれています。
明治になるまでは、耀真山永神寺といい、古義真言宗・醍醐寺派三宝院に属し、横浜金沢区から三浦半島全域において、本山格の寺格をもった修験道の寺であった。
しかし、廃仏毀釈によって叶神社として現在に至る。
万延元年(1860)、咸臨丸艦長格・勝海舟は渡米する前に、叶神社の井戸で水垢離し、山頂で断食して身を清めたと伝わる。
東叶神社では、御守袋が授与され、西叶神社では、御守袋に入れる勾玉が授与される。東西叶神社で授与品を得ると願い事が成就するという。
(参考資料)
れきしのまち・浦賀 浦賀コミュニティセンター分館
現地案内板
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