日本史跡研究会 日々の徒然・改(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介致します。また、研究会活動についてもご紹介しております。

大阪府の史跡

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  【八軒家船着場跡】

   所在地: 大阪市中央区天満橋京町2−10


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 上町台地北端の西麓のこの地に、平安時代までに渡辺津と呼ばれる外港が成立した。

 大江、国府津、窪津、楼津などとも呼ばれ、摂津国の政治の中心であったこの地はまた、四天王寺、住吉大社、高野山、そして熊野三山への参詣道である熊野街道の起点として駅楼が置かれ、海陸交通の要地として栄えることとなった。

 その後、河港へと姿を変えたこと、難波宮から平安京へと遷都するなどの要因もあって、その外港としての役割は縮小したが、寄港地としての機能は近世まで存続している。


 江戸時代に入ると、この地に船宿などが八軒並んでいたことから「八軒家浜」と呼ばれるようになり、京・伏見と大坂を結ぶ三十石船と呼ばれる過書船のターミナルとなるなど、淀川舟運の要衝として栄えている。

 八軒家浜の様子は多くの文芸・美術作品に描かれており、十返舎一九『東海道膝栗毛』の弥次さん・北さんが上陸する場面や、摂津名所図会「八軒屋」、波華百景「八軒屋夕景」などが知られる。


 明治に入ると、外輸船が登場し、所要時間は短縮したのだが、鉄道の出現によって船での旅客輸送は終わったが、昭和20年(1945)頃までは貨物輸送は続いています。


 大阪も文化の中心地であることから、多くの史跡で溢れている。しかし、大都市であることから石碑が建っているにも関わらず、通りがかった人もその存在には気付かずにいるのではないだろうか?

 文化財の活用が叫ばれている昨今、こういった史跡にも光をあてて街散策することも大切なことだと感じる

 これからも誰にも見向きもされない史跡にスポットをあてて紹介していきたいと思う。


 (参考資料)
   現地案内板


  【正覚廃寺】

   所在地: 大阪市平野区加美正覚寺2−8−5


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 天長2年(825)、弘法大師空海によって開創される。境内は四町四方にわたり、観音堂・金堂・講堂・六時堂をはじめ山門・廻廊などの伽藍、東之坊ほか五坊を有する大寺院であった。

 本尊は弘法大師空海作とされる十一面観音菩薩像であり、幅広い層の信仰を集めたという。

 南北朝時代には楠木正成もしばしば参詣したとも伝わります。


 そんな正覚寺でしたが、明応2年(1493)2月25日、明応の政変で勢いを得た細川政元は畠山義豊を援助するため、諸将併せて四万余騎が、正覚寺に陣取った畠山政長・足利義稙率いる二千の軍勢目指して進軍した。

 政長・義稙は寺内の大庭にて戦ったが、4月23日、もはやこれまでと政長は自刃。義稙は捕らえられて幽閉されている。

 兵火は三日三晩燃え続け、正覚寺の伽藍は灰燼に帰した。寺院内の高僧七名と多くの修行僧も寺院と運命を共にしている。


 その後、廃寺となり、東之坊のみが正覚寺遺跡として残されています。

 昭和27年(1952)、現在の真言宗成等山正覚寺(平野区加美正覚寺2−9−26)が再興されています。


 (参考資料)
  現地案内板
 

   【豊臣氏大坂城内武家屋敷跡】

   所在地: 大阪市中央区石町2−5−3


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 昭和62年(1987)8月から11月にかけて行われた発掘調査で、豊臣秀吉が大坂城を築いた際の惣構の内側に構えられ、元和元年(1615)、大坂夏の陣で焼失した武家屋敷址が検出しました。

 門の礎石と築地塀基部の石垣などが確認されています。

 その際に出土した鬼瓦には桔梗の家紋が使用されていたことから、加藤清正あるいはその関係者の屋敷址と考えられています。

 当時の地割を考える上で貴重な遺構であったことから、位置は建物との関係上若干移動しているものの、地上に移設し、保存活用されることとなった。


 エル・大阪(南館)が建つ地であり、発掘調査で出土した遺物などがロビーに展示されているとのことを後日知ったので、確認はしていないのが残念


 ここも偶然発見した遺跡何気なく歩いていたら、案内板らしきものを認識し、近づいてみたらBINGO

 しかも、秀吉時代の大坂城の遺構じゃないのさぁ

 やっぱり無駄でも歩いてみるものですねぇ。


 (参考資料)
  現地案内板


  【畠山政長の墓】

   所在地: 大阪市平野区加美正覚寺2−6


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 畠山氏は室町幕府三管領の一家であり代々尾張守に任じられ、山城・河内・紀伊・越中の守護を兼ねていた家柄である。

 政長は管領・畠山持国の甥にあたる人物であり、持国の実子である義就と家督を争い、それが応仁の乱の一因となったことは世に知られている。


 摩訶不思議な応仁の乱は、応仁元年(1467)〜文明9年(1477)の10年余続き、誰が勝者であるのかはっきりしないまま収束する。この収束という表現も東軍西軍という対立軸の解消という程度であり、実際は全国各地に戦乱は飛び火し、本格的な戦国乱世が幕を開けるのであった。
  
 ※戦国の始まりは、永享10年(1428)、永享の乱に始まるとするのが通説となりつつあります。


 さて、応仁の乱が収束したとはいえ、義就政長は機内で続いており、文明14年(1482)、政長は正覚寺に本陣を置き、譽田城の義就と対陣した。

 明応元年(1492)、義就が没した跡を継いだ畠山義豊(基家)と決戦をすべく、政長は室町幕府第10代将軍・足利義稙を正覚寺に親征を願い、義稙はそれに応じた。武衛斯波義寛、若狭武田氏、赤松氏、京極氏をはじめ幕府奉行衆、細川政元の被官人、さらには越前朝倉氏までその軍に加わっている。

 しかし、明応2年(1493)、義稙不在の京で世にいう明応の政変が勃発する明応の政変とは細川政元が義稙を廃して、新たな将軍として足利義澄を擁立した。

 そして、政元は畠山義豊に援軍を派遣。義稙に従っていた各地の武将は一斉に中立の立場をとったのである。


 閏4月26日、細川政元・畠山義豊連合軍は正覚寺を攻撃政長は自刃義稙は脱出したものの捕縛され、軟禁されるに至った。


イメージ 2


 さて、この「畠山政長の墓」なかなかわかりにくい場所にある。住宅街の一角にあるのだが、ウロウロしていると今のご時世不審者と思われる可能性もある。地番を頼りに、または近所の方に墓の位置を聞けば大概の方が知っているようであった。

 そして、この五輪塔が政長の墓と思われる。基本的に五輪塔は供養塔であることから、命日は刻まれていない。有紀年銘が刻まれている五輪塔も存在するが、ご覧の通り、後ろはブロック塀敷居をまたいで調査することも憚られることから、具体的な調査は行わなかった。

 
 戦国初期の有名人である畠山政長ではあるが、その墓は時代から忘れ去られたかのようにひっそりと佇んでいた。


 (参考資料)
  現地案内板


  【城中焼亡埋骨墳】

   所在地: 大阪市中央区大阪城2 大阪城公園内


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 慶応4年(1868)1月3日に始まった鳥羽伏見の戦いに敗北した旧幕府軍は続々と大阪城に退却することとなる。

 6日、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜は諸将兵に対して、徹底抗戦の檄をして兵の士気は高まったのであるが…その夜、あろうことか慶喜は大阪城を脱出する

 7日朝、この事態に城内は大混乱に陥り、会津・桑名・大垣などの諸藩や陸軍伝習隊・新選組などの幕府直轄軍は動揺することとなる。そんな状況下、何も知る由もない敗残兵は続々と大阪城に入城していたのであった。

 桑名藩は陸路紀伊国串本まで行き、そこから船で領国へと戻り、老中格の大河内正質も船で脱出。新選組の近藤勇・土方歳三は富士丸で江戸へと敗走することとなった。

 慶喜と入れ替わる状況で大阪へと来た榎本武揚は、18万両の御用金と軍事物資を積み込んだことからも、城内の混乱ぶりがうかがえるのではないだろうか。

 9日には、薩長軍が大阪城へと進軍したことから、幕府軍目付・妻木頼矩は長州藩兵隊長・佐々木四郎二郎と城の明け渡しについての交渉に当たった。

 
 その最中、城内の台所から火の手が…ついには翌10日、硝煙蔵へも火の手は移り大爆発

 引き渡しを潔しとせずとする幕臣たちが城内に火を放ち、自刃したのであった。


 薩長両軍の有志たちが、彼らの遺骨を丁重に埋葬し、武士の鑑であるとして石碑を建てたのが「城中焼亡埋骨墳」である。

 のちに「残念塚」、「残念さん」と称せられ、どんな願いも叶えてくれる神様として人々の信仰を集めたという。


 しかしながら現在、大阪城を訪れる人の多くは知らないのではないだろうか。ここも幕末維新の史跡として訪れた際にはお参りしてもらいたいものである。

 ちなみに、「城中焼亡埋骨墳」を大坂夏の陣で亡くなった豊臣家ゆかりの人々が埋葬されていると勘違いし、広く噂が流布したこともありましたとさ。
 そのためかは???ですが、淀殿を弔う石碑も傍にあります


 (参考資料)
   現地案内板

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