音太小屋(ねたごや)・路地裏実験劇場

ちがうみんなが出会っていい、つながっていい、何ぞおもろい事をしよう元気になるよ

音太小屋通信

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音太小屋通信

さあ、芝居だよ76
盆に踊る
田口 哲
 
8月12日月曜日の朝、糸川燿史から電話。今日、阪神百貨店8階催し会場で「レモンセッケン」を上映するのですが、来られますかとのこと。私は、行きますと返事。夕方4時半開始のところ、10分前に会場へ着いた。中古のレコード・CDが並べられ、売られていた。ステージ前の客席には大方人が詰めていた。ステージ脇に古本のコーナーがあった。そこでは坂口三千代の『ひとりという幸福』という本に目が行った。タイトルが気に入り、買った。そのうち、糸川が私を見つけ、上映後ステージに上がってくださいねと。上映された作品は『川止め』。私は呼ばれて、ステージに上がった。津島哲治も呼ばれ、かま哲バンドの唄と演奏。2曲目が始まる前に、糸川が私に踊ってくださいと言う。私はバンドをバックにして、踊った。ノリのいいリズムだった。私は楽しんだ。イベントタイトルは〈糸川燿史 60―70歌風景 スライドトークショウ〉というものだった。
 
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さあ、芝居だよ77
これからが面白いぞ
田口 哲

8月30日から9月2日、楽市楽座『はだかの王様』(扇町公園)。初日と楽日を見た。
あれから幾日か経って、〈ギッタン バッタン 機を織る〉 、俺の頭のなかでキリコの歌声。
63歳だ。誕生日は8月31日、ジェーン台風が来た日。からだの衰えはある。が、これからが面白いぞ。からだはしんどい。歩く速度は落ちた。階段の昇り降りはヨッコラショ。眼は疲れやすい。先程までのものはどこへ行ったか、探し回る。ああ、こんなところにあったか。手からモノをよく落とす。足どりが軽快ではなく、ヨッコラショ。この先、どうなることやら。しかし、だからこれからが面白い。気には病むまい。なんとかなる。これからが面白い、未知の世界を歩いてゆく。ドッコラ、ヨッコラ、ドッコラ、ヨイショ!!これからが面白いぞ、〈ギッタン バッタン 腰伸ばし〉。
 
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さあ、芝居だよ78
駈けてゆく
田口 哲

10月3日木曜日、劇団どくんご『君の名は』(大阪城公園 太陽の広場 特設“犬小屋”テント劇場)を見た。芝居の始まりとおわりは全員の生演奏に唄。
登場人物はほとんど四人、舞台ではひとり語りや二人・四人の掛け合い。その彼らは舞台から降りれば、背景の幕の入れ替え・音楽デッキのセッティングなど休みなしで立ち働く。構成・演出者のどいのは照明オペについているが、やはり舞台に立ったり、他の仕掛けに動いている。上演時間2時間、見ごたえがあった。何の話だかよく分らないが、見ている間は舞台に引き込まれた。客席からは夜の大阪城公園に集い、駈けてゆく人々が劇中のシーンに映る。
「一人でも一人ぽっちじゃない」というセリフが俺の身に返ってくる。見ている俺は一人ぼっちじゃない、と。夢のように、幸せの芝居だった。
 
 
さあ、芝居だよ79
あたたかい
田口 哲
 
10月31日から11月3日、超人予備校『エリマキトカゲ心中』の芝居に出た。正確にはダブルキャストで、私は11月1日から3日までの1日1回の舞台だ。出番は後半2シーン。出てくるだけで、客席からの和やかな空気を受けた。それまでに作り上げられた展開の波に乗っかっているようで、私は大事に使ってもらっているんだなあ、と有り難かった。カーテンコールでは、出演者全員があいさつして、そのまま踊りとなる。私はその踊りの振りをケイコしていないので、踊りが始まると、私は袖へ引く段取りだった。本番中、楽屋にいた座長であり、作・演出者魔人ハンターミツルギに「私も皆と踊っていいですか」と言った。ミツルギは「袖で皆の踊りを見ていてください。私が呼びに行きますから」との返答。実際、皆が踊り終わって引っ込んだあと、ミツルギは私を呼び出し、彼の振りにくっついて舞台を駆け巡った。私はあたたかいものに包まれた。


音太小屋通信 第88号

音太小屋の予定
 
 
 
東北ツアー珍道中2013
 
李 知承
 
 事の始まりは、音太小屋で行なわれていた東日本大震災復興支援チャリティーライブに出てみないか、とスワンピータケシ君から電話を貰ってからだ。このライブは不定期ながらシリーズ化していて、三度、四度と出演しているうちに、まわりの仲間達が東北までボランティアに度々足を運んでいる事に気付いた。僕は鉄工所経営という本業を持っているため、旅に出る事はまず無いのだが、どうしても行ってみたくなり、情熱を持って東北ボランティアに通うK子さんに、一緒に連れて行ってくれないかと相談、快諾に至った。日程、人選、現地スケジュールなど、すべてK子さんにお任せした。四日間の日程だったが、一目見てタイトだった。四日間で八本のライブ、一日三本の日もあった。基本同行者はK子さん、その友人のIちゃん、奄美三線の栄篤志さん、僕の四人。女性二人とは仙台空港で落ち合う事になった。栄さんと僕は無事関空を飛び立ち仙台空港に降りた。空の色がいやに暗い。朝とはいえ何か肌寒い。出発日の大阪は30度を超える猛暑だった。東北はまだ、梅雨の真っ只中だったのだ。ギターとリュック、その中にはTシャツと半ズボンが数組詰まっているだけだった。午前九時、仙台空港でK子さん達と合流。K子さんは開口一番、「ここから石巻まで車で一時間、十時から蛇田仮設でライブやからね。」僕と栄さんは眠たい目をゴシゴシ擦った。
 道中女性二人の万歳張りの話を聞きながら現地に向かったが、旅慣れない僕は、一時間半で東北に来た事を少し後悔していた。頭も身体も東北に来ている事を、全く理解していないのだ。
 蛇田仮設に到着、まずK子さんとIちゃんは、ハンドアロママッサージを仮設の人達に施しながら、話を聞いたり、笑ったりと手慣れた感じで進んでいく。一息ついたら僕と栄さんのライブ、なんだか僕の脳ミソがウロウロしている。家族や故郷、家や財産を誰のせいでも無く失ってしまった人達の前で、何を唄えばいいのか、迷う。案の定、西岡恭蔵さんの「ホワッタワンダフルワールド」から唄い始めてしまった。その後も無難にこなすがピントがズレているのが分かる。アセる。僕の後、栄さんのライブ。三線の音色が心地よく響く。皆さん気分良く過ごす。少しホッとして最初のライブが終了。
 昼食に回転すし屋に入る。女子二人が店おすすめの金華ウニを全て食べ付くし、売り切れにしてしまった。食欲のない僕だったが少し元気になった。
 その後、一番谷地仮設にて二回目のライブ。Iちゃんが僕に「リクエストするから哀号唄ってくれへん」と言う。「哀号」は僕の生活や生きてきた想いを唄った新しい曲、唄ってみると仮設の空気が変わった。あちこちですすり泣く声が聞こえた。
 夜の反省会で、明日からのライブは哀号から唄い始めましょうという事になった。
 二年半たった今、復興というのはどういう事かと考えてしまう。今持っているものを失う悲しみ苦しみ、以降の仮設生活の有り方、見えない明日にどうしようも無いジレンマに落ちてる人達と過ごしたひととき。
 僕が哀号を唄った時、美しい夫人が「私は戦後38度線を歩いて日本に帰ってきたのよ」と話をしてくれた。「あの時は何も無かった。今はこうして仮設があるだけでも、幸せに想っているのよ」と言ってくれた。
 唄を唄うという事は、自分丸ごとぶつかって行くという事なんだな。教えてもらう事ばかりで、皆に感謝です。
 いい旅が出来て良かった。
                                      ----------------ありがとう。-----------
 
 
 
 
さあ、芝居だよ     わくわく
 
田口 哲
 
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7月6日土曜日、人形劇のねこじゃらし年1回の自主公演を見に行ってきた。会場は池田市民文化会館コンベンションルーム。客席前の桟敷は小学校へ上がるまでのお子さんたち。親に抱っこされている子もいる。後方にはパイプ椅子が3列並び、ここへは私のような大人たち。毎年、ここへ来るのが愉しみ。10年ぐらいは通っているだろう。
今回はわくわく人形劇と題して、『あわてんぼうかあちゃん』『だ・あ・れ』『りんごちゃんとみかんちゃん かくれんぼの巻』。『だ・あ・れ』で、「モ ォ ォ ォ ォ ォ」という文字と複数の牛の鳴き声が出てくる。愉快だった。『りんごちゃんとみかんちゃん かくれんぼの巻』ではボケとツッコミのコント風。見ながら、生身の人間が演じても面白いだろうなと思った。終演後、ねこじゃらしの吉田洋子さんにその話をすると、吉田さん1人でりんごちゃんとみかんちゃんを遣っていたとのこと。2mの間口であり遣い手が見えない形式であればと、よく納得したことだった。
13.7



 
 
 
 
音楽と詩 24  
 
ドクトルミキ
 
瞬間が生き方を決める事がある。
あれは中学生の頃、学校に丸刈り頭を強制させられていた頃、夕方銭湯へ行った。
高い位置に置いてあるテレビに、長い髪の若い男が決して美しくない声で
ギターを弾きながら椅子に座り、唄うのが映っていたのである。
「僕はあれをしよう。ギターを弾いて唄う人になろう。」僕は突如、そう決心した。
別に重い衝撃がある訳でもなく、ただそこにあった林檎か何かを
ポケットに静かにいれるかのようにそう思ったのである。
過剰な自意識に青い顔をしていたあの頃、自分が封じ込められた肉体に辟易して
自分以外の何かに成る事を夢見ていた自分は、その筋道を瞬間的に知った。
音楽は元々好きだったし、ギターの練習を初めていたのかいなかったか分からないが
銭湯から帰ってきた自分はその時から変化して羽化を始めたのだろう。
けどあのテレビの男が誰だったか、何を唄っていたかはさっぱり思い出せないのである。
ただ暗闇の中でライトを浴びた男の長い髪の輪郭が光っていたのを覚えている。
その後近所の高校の文化祭のフォークソング部の発表会などへあしげく通い、
同じように暗がりで光を浴び唄う、自分より少し年長の少年少女の姿を観るたびに
自分の確信は深まって行った。根拠は全くないというのに。
一つ言える事がある。自分は決して他人にはなれない。
その事をあの頃は全く理解してはいなかった。けれど林檎の芯のような自分の
周りの果肉を変化させる事は出来る。その魔法がギターを弾き、唄を作り唄う事だった。
多分、生まれる前から決まっていた決心のような気がするのだがどうなのだろう。
 
 
 
 
 
ライブホールの存在意義は何だろうか
人が楽しいと思うことを形にして喜んでいただくことですかねえ
最近1000円でワンドリンク・ワンフードのライブハウスに行ったんですが
司会者兼のおふたりのDJのおしゃべりに紹介され、大勢のお客さんの前での快適なライブと
たくさんのスタッフさんのおもてなしに脱帽でしたよ
くつろげる空間にただただなじんでましたなあ
今やレストンなど上手い食物がないともひとつい超えないのかも知れません
 

音太小屋通信No.87

田舎ごっこ
天満の哲
 
昨日6/23に総会を開催しました
例によってビール片手にたわいもないおしゃべりの中から次々とヒントが見つかりましたよ
出席者:おじゅっさん、西、馬場、田中、高細、津島、田中(RCO会長)委任状 7名
会員登録者(年会費1000円):田中(RCO会長)、おじゅっさん、西、馬場、田中、高細、津島 7名
会員募集しています、年会費1000円ですが何にも特典はございません
 
NPO法人田舎ごっこ倶楽部 2013年度事業計画
                                                    2013年6月23日 
今年も「出会いとつながり」を基本テーマに据え、田舎の良さと都会の良さ、お互いの価値をを見出し田舎と都会の文化交流事業を行っていきたいと思います
昨年度同様、音太小屋と曽爾村古民家などをお借りして、そこを拠点に活動して行きたいと思っています

1.曽爾村古民家を利用しての活動
従来の工作を主体にしたものから、グリーン・ツーリズムを主体にしたものに変更していく。
9/28・29? 曽爾村収穫祭・すすき
2月 耐寒お泊り(誰が行くねん)
4/12・13 又兵衛桜の桜見
6月中旬〜下旬 ホタルの鑑賞  ほたる祭(土)17:00〜21:00 場所:蛍公園前(曽爾郵便局横)
岩山ハイキング・滝めぐり(滝行?修業?)・写真撮影教室・サイクリング等通年事業可 などなど (カフ)
 
2.音太小屋を利用しての活動
音太小屋での田舎体験ごっこ、土15時〜日10時などに音太小屋の中にテントを張ってお泊りごっこ
食文化がやはり一番取り組みやすいので料理などを主体にしたカルチャー教室的なもの
そば打ち、田舎料理・伝承料理の勉強会、地酒、餅つき、玄関先でのバーベキュー などなど
お客様参加型イベントで文化交流会。かくし芸や落語、映画上映、歌合戦、 などなど (カフ)
 
3.曽爾村維持費の問題:基本料水道@1500電気@342×12月=25000 清掃組合費=5000 合計30000円
年間6人で5回利用できたとして 延6×5=30人 30000÷30=1000円利用料として分担いただく
日帰り利用の場合は500円

4.音太小屋文化祭の取り組み
 
などなど話し合いました

 
 
 
 
 
音楽と詩 23 ドクトルミキ

ちなみに自分が楽器巧者でどんなメロディも弾きこなせたとしたら、ピアノやバイオリンなども弾けたら、果たして人生の秘密を歌詞に込めて唄おうとしただろうか?と考える事がある。
フェデリコ・フェリーニの初期の映画に「青春群像」という作品がある。そのテーマ曲はニーノ・ロータが書いているのだが、素晴らしく美しい。映画はイタリアの地方都市で一歩を踏み出せないでいる若者がアホなことばかししている日常を描いているのだが、一つのエピソードが結実する時に流れる「ミレミドレシ」から始まる旋律は深く胸を打つ。様々の痛み、哀しみ、赦し、切なさ、が一挙に胸一杯になり心が震えるのであるが、自分が唄わない楽器演奏者ならばこのメロディだけを演奏できれば十分満足だろうと思う。そのメロディはまるで「愛」のようなのである。
けれど僕のギターは唄の伴奏でしかない。すると僕は素晴らしいメロディを知るたびに、そのメロディに歌詞をつけ唄いたくなる。そうしないと自分にとって音楽の「詩」を完遂できないからなのだ。その歌詞にはメロディに釣り合う深い「秘密」を持たせたい。自分の中にはまだ出来上がらない「秘密」のかけらがたくさん散らばっていて「はよせなあかんで」と僕をせかすのであるが、自分の才能の限界と向き合うのはかなり辛いことだと思う。ちなみにフェリー二監督の「青春群像」の次作があのジェルソミーナとザンパノの悲しい旅路の物語「道」であり、ジェルソミーナが劇中トランペットで吹いたのが有名な「ジェルソミーナ」のテーマである。若かった僕はそのメロディに歌詞をつけ唄ってみたりしたが、結局上手くはいかなかった。特別に美しいメロディはそれのみで女神のごとき「詩」であり、僕を陶然とさせると同時に孤独に落とすのだった。
 
 
 
 
 
 
さあ、芝居だよ
その日その時に
田口 哲
本棚の整理をしている。生きているうちにはこれら全部はとても読めない気がしてきた。読めそうにない、読むこともない本を本棚から降ろす。それらはブック・オフへ持って行ったり、引き取ってもらえそうにない本はゴミとして出す。こんな作業の果にガラーンとした光景を思い浮かべる。人が死ぬ際には、何も持っていけないことは当たり前のことだが、その通りだ。そして、何も残さない、残らないこともいいことだとも思える。
5月、長田神社で楽市楽座『はだかの王様』を見た。シンプルな話で分かりやすい。その展開のうちにいいセリフがいっぱい。ラスト、「役立たずの脳なし」と自らのことを指して繰り返し発する。王様も、仕立て職人も学者も皆生きているのだが、生きているだけのことでそれ以上のそれ以下でもないということか。その日その時に生きる姿をこの舞台から感じた。

音太小屋通信No.86

隠れた名盤シリーズ
〜おこめさんのググってなんぼ その4〜
 
 最近、ヨメはんが、リビング(という名の洋室。TVがおいてあるところを総称してリビングというのだらうか?設計者が『ここがリビングだ!』と言ったからリビングなんだらうか?さういふ細かいところが気になってゐる。)の模様替えをしたいと言い出したんですよ。4月くらいからかな?
 で、5月の連休の終わりかけ頃に、やったんです。模様替え。
 まぁ、引っ越しやら模様替え、大掃除などをやった人はわかるでしょうけど、住んでると、っていうか、生きてるだけでごみがでるんですよね。
 某巨漢氏のポ〜イポイじゃないけど、捨てるものの多さにちょっとびつくりしたりとか・・・あ、本題はもうちょっと待ってね。
 で、それほどの枚数もないんだけど、レコードがやっと陽の目をみることになって、ちっちゃいCDコンポにターンテーブルをつないで、とりあえず、キャロル・キングの「つづれおり」などを聞いていたわけで、さすがの名盤、1曲たりとも駄作がないなぁとか思ってたわけで、で、なんの脈絡もなくボブ・マーレイのCDを聴こうとしたら、CDが起動しなくて壊れてた。
 なんと、レコードしか聴けないうちのコンポ!
 そっちがそうくるなら、こっちはこっちでレコード聴いてやろうじゃないか!あ〜、そうとも、CDなんかぷ〜〜んだ!などと減らず口をたたきながら、何度も言うが、それほどの枚数もないので、でも、懐かしいなぁ、こんなやつもあったっけ?とか、よくある片づけが進まないパターンを繰り返していると、でてきました!!名盤!?
The Rising String Fawn Ensemble Norman Blake
A1 Devil Chased Me Around The Stump B1 Handsome Molly
A2 Charlie Gaither          B2 Jeff Davis
Medley: (4:04)            Medley: (4:58)
A3.a Over The Waterfall       B3.a Da Slockit Light
A3.b Opera Reel           B3.b Briarpicker Brown
A3.c Cherokee Shuffle        B3.c Stony Fork
A4 The Promise            B4 Old Ties
A5 Tin Foil And Stone        B5 Coming Down From Rising Fawn
A6 Three Raisins          
今回はジャケット写真付きだぜぇ。
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1979年の作品。(さうゐへば、この年は名盤の宝庫ともいえる年だなあ)
さて、ノーマン・ブレイクですが、アコギ界では名の知れた名手ですね。気の遠くなるようなヴィンテージギターもたくさん所持しているとのこと。
いいなぁ・・・。
このアルバムは、このあと数枚続けてこのユニットで発表している記念碑的存在ですが、一般的にはあまり評価されていないと思われます。海外のサイトにいってもこのジャケットの写真すらないところも多数ありました。レコード会社とのからみもあると思われますが・・・ようわからん。ヨメのナンシー・ブレイクとフィドル弾きのジェームズ・ブライアンとの3人ユニットです。当時としてはかなりの実験的作品だったと思う。
 さういふワシも、若いころはあまり聴いてないアルバムのひとつだな。
 内容について知りたい? 紙面の都合で、また機会があったらね。
 B4 Old Tiesが、Norman Blakeらしい、ストロークと単音弾きのごっちゃまぜギターでこれが、かっけーのだ。
 やはり、最後から2番目の曲って印象的なものが多い気がする。
 ジャ!また。
 
 
 
 
 
音楽と詩 22 ドクトルミキ

当たり前の話なのだが音楽は大概の人は音を聴いている。
メロディ、声、リズム、響き。あとはLIVEならば観た目の良し悪しによって
演者を見つめたり見つめなかったりもあるだろう。
では歌詞はどれぐらい聴いているだろう。僕が思うのは歌詞を書いた本人以上には聴かれている事は少ない気がする。
僕が惹かれたのは初めは洋楽のポップスやロックやフォークだったから、英語の歌詞の意味はほとんど分からなかった。
でも人の声で何かが唄われているということはいつも気になった。
僕が幼児の頃、父はが英語のポップスの意味を訳してよく教えてくれた。
ナット・キング・コールの「プリテンド」という唄が好きでよく父にレコード(SP)をかけてとせがんだが、
その歌詞の意味が子供の僕には衝撃的だった。
「もしもあなたががつらい気持ちなら/まるで幸せであるかのように/笑顔をうかべてごらんなさい
/そうすれば本当の幸せが/きっとあなたに訪れるでしょう」
子供の僕は(つらいのに笑顔でいるなんて僕にはようせんわ、何か生きるのてめっちゃつらいやん)と泣きそうになった。
でも唄の歌詞には秘密が込められている時がある、と思うようになった。
思春期が訪れると日本語のフォークに惹かれたのはその秘密が日本語ゆえにダイレクトに分かるからだった。
友部正人、井上陽水、高田渡、田中研二、朝比奈逸人、シバ そして友人の橋本裕。
下を向いて成長の痛みに耐えるしかなくても、自分が見つけた秘密をそっと唄いたい。
それが僕の昔からの変わらぬ願いだった。しかしそれはやはり中々難しい事なのであった。
 
 
 
さあ、芝居だよ
波立つ
田口 哲
5月3日、小倉遊亀展(香雪美術館)を見に行く。目にした途端、涙が出る。慈しむ気持ちとなる。この小倉遊亀展は新聞で知った。解説と何枚かの絵があった。その絵から「命」を感じ取った。見てみたいと思った。
この美術館は2階建てのこぢんまりとした造り。俺は、ここでぼうっとできる。絵と差し向かいになって、時を過ごす。
2日後の5月5日、舞道ダンスシアター&超人予備校 KIXプレゼンツ『たびたま SNAKY SPIRIT』(一心寺シアター俱楽)を見た。ここでも涙が出た。主役ニランジャンの無心が深く響く。小倉遊亀と同じく本物に出会うと、波立つ。

音太小屋通信No.83

来月の予定
 
投稿コーナー
 
「俺は今のこの現状に甘えてたらアカン」
トーマス
 
自分が井の中の蛙と悟ったケロケロは
6月の満月の夜に
井戸から飛び出しました。
そこには初めて見る広い世界が広がってました
自分より数倍も体の大きいウシガエル
真っ赤なハサミの腕を持つアメリカザリガニ
すばしっこく泳ぐゲンゴロウ
エイリアンみたいなヤゴ
沢山の生き物と出会いました。
しばらくは皆と楽しく暮らしました。
しかし、ここも小さな田んぼの中の世界だと悟ったケロケロは
新しい世界を目指して
6月の雨降る夜に
田んぼから飛び出しました
そしてペチャンコになりました。
 
 
 
音楽と詩 20
ドクトルミキ

高田渡の名曲「ブラザー軒」は詩人・菅原克己の詩にアメリカ民謡をあてたものであるが
はとばかり気づくと「鮪と鰯」と同じメロディだったりするのである。
なんだかなあとは思うものの、この場合民謡のメロディは料理を載せる皿になり
山之口獏の「鮪と鰯」のときのように実にいい仕事をすると分からされる。
「東一番丁ブラザー軒/硝子簾がキラキラ波うち/あたりいちめん氷を噛む音」
がらすのれんとはいかなものなのだろう。素敵な響き、かつなんとなく悲しい。
「死んだおやじが入ってくる/死んだ妹をつれて/氷水を食べに/ぼくのわきへ」
いきなり死者の幻影が現れる。ここで現実はぐらりと捩じれているのだが、
アメリカ民謡のおだやかなメロディは奇をてらわない落ち着きの効果を正しく示す。
「色あせたメリンスの着物/おできいっぱいつけた妹/ミルクセーキの音に/
びっくりしながら/細い脛だして/椅子にずり上る」
この死者は第二次大戦の空襲で亡くなった無辜の町民なのだろうか。
人は必ず死ぬが、声にならぬ叫びを叫ばず叫んでいるかのような描写だ。
そしてその時「外は濃藍色のたなばたの夜」なのである。
詩人・菅原克己と高田渡の仕事は味わい深い唄になり、この唄を聴くものを
束の間、東一番丁ブラザー軒に連れて行く。
東一番丁ブラザー軒へ行きたくなった人も、この唄を聴けばすぐに硝子簾の扉を開かれるのである。
唄は幻影である。しかし美しい幻影は人の心を慰める。慰めという行為は中々難しいのである。
硬質な叙情の詩に音楽は祝祭を与える可能性がある。なまなかでは出来ないことなのである。
高田渡は生涯それに没頭し、旅路の果てで日々を終えた。
友部正人の唄によると霊柩車が斎場へ走り出す時、葬儀に集まった人々から拍手が起こったそうである。
日だまりの中の最後のカーテンコールだった。
 
 

さあ、芝居だよ
始まる
田口 哲
3月10日、音太小屋での「かたり芝居」は14時と17時の2回公演。当日は朝から声が出ない状態で、苦しんだ。朝10時過ぎくらいに小屋へ入って、音になる声を出そうと調整した。演出者から「この芝居は海の神さんや山の霊(魂)が見守っていてくれている。大丈夫や」と声をかけてもらった。舞台に臨んだ。2回目の舞台もおえた。瞬間、ここには神さんがいると思った。海の神・山の霊とともに、俺を見守ってくれているスタッフや客席のすべての人が神さんだった。ここからこれから始まるんだという気持ちが湧き上がった。

 

 

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