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NHKドラマの「坂の上の雲」再放送と、東映映画の「二百三高地」(1980年、舛田利雄・監督)の再映とを連続で観ました。
共通の問題は、「日露戦争」における陸軍第三軍司令官の乃木希典(まれすけ)中将⇒大将の評価についてです。
現在に受け継がれている評価としては、「坂の上の雲」原作者の司馬遼太郎説が根強く定着している感があります。
私にとっては、乃木将軍が愚将か? 軍神か? の争点よりも、
欧米敵国⇒日本列島侵略論を煽(あお)り、攻撃は最大の防御だとして朝鮮⇒満州へと海外派兵させた、山縣有朋を筆頭とした軍閥政治家達と彼らを支えた大手ジャーナリズムとの"元凶"論を重視したいと思います。
このことは、日本の将来を今日において考える上でも、重要な意味を持っています。
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もう一つ、私にとっての関心事は、我が故里の金沢を拠点としていた「陸軍第九師団/歩兵第七連隊」が、日露戦争派兵の主力部隊の一つだったことです。
少年の頃より、お盆の墓参りの度に、何と日露戦争の戦死者が多いこと(しかも下士官以下の伍長・兵長・上等兵ばかり)かと脳裏に強く残っていました。
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その悲惨で不幸な歴史を顧(かえり)みたいと思い、調べました。
日中戦争までの約65年間の歩みは次の通りです。-----
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1875年(明治8年)、北陸三県の兵士で構成される陸軍「歩兵第七連隊(聯隊)」は、名古屋鎮台⇒第三師団の分営として金沢城址に設けられた。
1877年(明治10年)、西南戦争に出兵を命じられ西郷隆盛軍を田原坂に追い詰める。戦死者390人。
1894年(明治27年)、日清戦争への動員令が下り、仁川港から上陸し赫々(かっかく)たる戦果を挙げる。戦死者236人。
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1898年(明治31年)、軍備増強策の一環として、陸軍の「第九師団」(初代師団長は大島久直中将)とその司令部、「歩兵第七連隊」(石川県人)が金沢城址に設けられ、新たに「歩兵第三十五連隊」(富山県人)が金沢郊外(現在の野田町・平和町)に設けられ「第六旅団」と称す。
「第十八旅団」(敦賀)と合わせた「第九師団」は、「第十八師団」(久留米)と共に双壁の陸軍精鋭部隊と評されていた。
1904年(明治37年)、日露戦争が勃発すると動員令が下る。 「第九師団」は、乃木希典大将を司令官とした「第三軍」に属し旅順攻囲戦に出撃し、戦死者5,000人を数えた。
二○三高地の攻略後の旅順港包囲戦においてもほぼ全滅ながら、ロシア兵に奪われた連隊旗を辛うじて奪還し
砲台守備に就いた。
1905年(明治38年)、旅順陥落後の奉天会戦では第三軍に属する第七師団(旭川)らと共に再び死力を尽くし、奉天陥落の原動力となった。
耐え抜く間に米国ルーズベルト大統領の勧告により漸(ようや)く講和が進められて行った。 ( Nichirojp.png より転載させて頂きました。)
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日露戦争の勝利後は、約2年間の朝鮮半島に駐留する。 1921年(大正10年)、ロシア革命の勃発〜ロマノフ王朝の崩壊に乗じたシベリア出兵令が下る。
1932年(昭和7年)、上海事変に動員され、1935年(昭和10年)から約2年間、満州に駐留した後、帰還する。 1937年(昭和12年)からの日華事変(日中戦争)では、増援軍として上海戦〜南京攻略戦〜徐州会戦〜武漢作戦に動員され、1938年(昭和14年)に復員する。 *
7年前に永眠した(享年86の)父は、「第九師団/第六旅団/歩兵第七連隊」(樋口季一郎中将)に1939年(昭和14年)〜1942年(昭和17年)の3年間、歩兵砲中隊として招集された。満21〜24歳の時だった。最終等級は陸軍伍長。
この当時の「第九師団」は、1940年(昭和15年)から満州守備の治安維持活動を主としていた。
1944年(昭和19年)、サイパン玉砕など戦局悪化により、「第三十二軍」に編入され沖縄防衛の精鋭師団として米軍に備えていたが、沖縄戦直前に台湾への前進命令が下された。
ところが、米軍は台湾を通り越して直接沖縄本島に上陸したため、武勲多き歴戦の師団が一度も戦うことなく終戦を迎えたのだった。
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「 幸いに 我が授かりし 命こそ 御霊に応え この国の行方 doranyanko」
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二百三高地は新宿東映で観ました。さだまさしの映画主題歌「防人の歌」はとてもいい曲だと思いました。今から31年前、社会人2年目のことです。坂の上の雲は学生の頃と3年前NHKドラマが始まるとき読みました。司馬遼太郎は単なる戦争映画に撮られることを恐れ最後まで映像化を許可しなかったと聞きました。先日二百三高地が陥落の放送を観ました。戦争は悲惨です。この後無敵艦隊を奇跡的に破り、勘違いした陸海軍は太平洋戦争に突入するのです。
2011/12/13(火) 午後 9:25 [ ヤッサン ]
さだまさし氏の曲と詩は、いつも心の琴線に触れてくれます。
信念を曲げてトーンダウンさせるような姿勢をとらないため、バッシングされることもありますが、アンチ「文明悪」を貫いているのでしょう。
2011/12/13(火) 午後 11:04 [ doranyankoドラにゃんこ ]
こんばんは、はじめまして。
先週、
NHK BSプレミアムの特集【シリーズ辛亥革命100年】
ずっと観てました。少し解り難いとこもありましたが
勉強になりました。
まぁ、その前に台湾に行ったから、、
蒋介石のことも気にはなっていたので。。ですがね。
どうして台湾に逃げてきたのに『台湾の父』
何でしょうか。。。
台湾も2.28事件あたりから激動だったと思います。
まだ、日本統治時代の方が住みやすかったとか…
そんなこと本で読みました。。
2011/12/15(木) 午後 6:20
対朝鮮と違って、戦前戦後を通してズーッと、日本は右派を中心に台湾を大切にして来ましたので、イメージは良いんでしょうね。
堕落した幹部は多かったものの、最終的には蒋介石将軍と米軍は、反共を貫いて資本家を守ったことを評価しているのでしょう。
2011/12/15(木) 午後 7:38 [ doranyankoドラにゃんこ ]
「韓国の歴史研究を行ううえで、中国の歴史を参考にしないわけにいかず、自国に対する強い独立感を持っていない。それゆえに焦りを持っているのである」とした。
自国の存在が中国なしには説明できないということに対して引け目を感じているということのようだ。
「韓国は古代より小さな属国だったため、自信がない。そして、歴史、資源、世界的な地位などあらゆるものが不足するなかで、手段を選ぶことなく他人の物を自分の物であることを主張する。小国は永遠に大国になる方法を理解できない」と論じた。
「韓国は歴史的にいじめられ続けてきたため、またいじめられるのではないかと常にビクビクしている」としている。
2017/4/9(日) 午後 10:57 [ 韓国に行くかも知れません ]