Tommy Christian

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Tommy Christian 新聞

以前主人がオクラホマでバイブルスタディをしていたときに書いておりました。今は書いておりませんが徐々にUPしていきたいと思います。
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Tommy Christian 新聞5号。

以前から載せるとお約束していながら遅くなってすみません。もうこれは1年前の新聞になってしまいました。

Tommy Christian 新聞 5号 2006年9月号
みなさん、お元気ですか。先月は、家の中にねずみが出ました。トラップで5匹もつかまえました。それを知った近所の方が家を調べに来てくれて、外からの侵入穴を接着剤のようなものでふさいでくれました。それ以後、ねずみはでなくなりました。やっぱり、「原因は元から絶つ」のが一番ですね。ところで、私は捕らえて5匹のねずみを「ハムスターのようにかわいがれたらいいな」と思い、愛情をもって見ようとしましたが、やっぱり気持ち悪いだけでした。「シンデレラのようにねずみと友達になれたらいいのにな」と思う今日この頃です。

今月のテーマ:神様の目
A男は電車で座っていた。そこに年配の御婦人がしんどそうに入ってきた。A男は言った。「ここの席に座ってください。」と。しかし、彼女は怒って答えた。「私を老人扱いしないでよ。失礼ね。」と。A男は、にこっと笑って言った。「もちろんです。私が言ったのは席を譲るのではなく共用しましょうということです。今まで私が使っていたので次はあなたの番です。どうぞ、お座りください。でも、しばらくしたらまた座らせてくださいよ」と。彼女は座れるうれしさを隠しながら、「仕方ないわね」とつぶやきながら座った。そして、しばらくして、A男に尋ねた。「さあ、あなたの番ですよ」と。A男は答えた。「私は若いからもっと立っていなければならないけど、せっかくのお言葉だから素直に座らせていただきます」と。それを聞いて彼女は言った。「ごめんなさいね。偉そうに言って。素直になることって大切よね。おばあさんはおばあさんらしくしないとね」と。A男は、にこっと笑って立ち続けた。 

みなさんは、A男のように親切な行為を踏みにじられたらどう対応しますか。多分、「せっかく席を譲ってあげようと思ったのに失礼だ」と言って怒るか「この人は、若く見てほしいと思っているのだから、そのようにふるまってあげよう」と思って自分の行為を謝るかのどちらかだと思います。
  私たちは、人と関係を持とうとするとき、たいていは自分の気持ちか相手の気持ちのどちらかを重視します。自分の気持ちを重視すると親切を踏みにじられると腹が立ちますし、相手の気持ちだけを重視すると自分が悪くもないのに謝ってしまったりします。しかし、クリスチャンは自分の気持ちでもなく、相手の気持ちでもなく、神様の気持ちを重視します。この場合、神様は、この御婦人にどうしてほしいと思っているのでしょうか。多分、「まずは、座って休息してほしい。そして、できれば、見栄っ張りな心のとげを取り除いてほしい」と考えているのではないでしょうか。A男は、神様の気持ちに従って行動したのです。
  この例のようにうまくいくことは稀かもしれませんが、常に「神様の目」をもって人と接することは、大切だと思いませんか。正しいことを主張し続けるのではなく、相手が変わるように導くことが必要なのです。イエス様は人を変える達人でした。魚を取れずに困っているペテロには「人間を取る漁師になりなさい」といって導きました。また、水を汲みに来たサマリアの女性には「わたしの水は、永遠のいのちの水」といって導きました。
  聖書は神様のことを教えてくれるだけでなく、「どうやって人と接したらよいのか」といった私たちにとって生きていく上で必要なことも教えてくれます。もっと、イエス様のことを知りたいと思いませんか。是非、教会に来てください。

Tommy Christian 新聞4号

これは昨年の8月号です。それではどうぞ。  

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/bd/38/punpkinrorojp/folder/1458557/img_1458557_45525630_3?20070213044805.jpg
みなさん、お元気ですか。うちの長男が最近、家の仕事を積極的に手伝ってくれます。毎朝、玉子焼きをみんなに焼いてくれたり、庭の水やり、芝刈りなど妹と一緒に一生懸命してくれます。お小遣いをくれるということもあるのですが、今までできなかったことができる喜びを感じているみたいです。新学期がはじまります。ちょっと気持ちはブルーですが、今までできなかったことができるんだと思って元気をだしていきましょう。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/bd/38/punpkinrorojp/folder/1458557/img_1458557_45525630_3?20070213044805.jpg
今月のテーマ:神様の愛
A子は落ち込んでいた。新しい学校で友達もできいし、授業もわからないし、誰も私のことをかまってくれないと。そのとき、B子がうれしそうに部屋に入ってくるのが見えた。A子は不思議だった。「B子も私と同じ状況なのに、どうして彼女はいつもにこにこしているのだろう」と。A子は思い切ってB子に尋ねて見た。B子は答えた。「私もいつも落ち込んでいるの。でも、神様以外に頼る人はいないと思ったとき、神様が私に語りかけてきたの。神様はいつも私のそばにいてくれると言ってくれたの。今まで家族といっしょだったときは一度も神様と話したことがなかったけれど、ここに来てもう5回も神様とお話したのよ。だから、淋しいけれどそれがとってもうれしいの」と。A子もなぜか涙がとまらなかった。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/bd/38/punpkinrorojp/folder/1458557/img_1458557_45525630_3?20070213044805.jpg
日本では年間3万人以上人が自殺をしています。自殺の原因なは色々ありますが、最も多いのが「誰からも期待され
ていない」と感じることにあるようです。人間は、誰かから期待されていないと生きていけない存在のようです。私も、日本にいた時は、会社や地域社会の一員として、それなりの期待を受けていました。しかし、この地では、家族以外誰も私のことを期待してくれません。時には言いようもない疎外感を感じることがあります。しかし、そのときです。神様の声が突然聞こえてくるのです。「私だけは、あなたを見捨てない」と。
  神様の声は、ラジオの電波のようなものです。普段は雑音しか聞こえません。しかし、思いが神様に集中して周波数がピタリと合ったとき、突然神様の声が聞こえてきます。B子のように落ち込むことがうれしく思えてきます。なぜなら、それが神様の声が聞こえる前兆だからです。
  それでは、A子にはなぜ神様の声が聞こえなかったのでしょうか。それは、A子が耳をふさいでいたからです。自分中心の思いが心にある間は、いくら神様に意識を集中させても神様からの声は届きません。
  聖書はこう言っています。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする(黙示録3:20)」と。神様は、なにがあっても我々に期待し続けてくれます。思い切って心の扉をあけて神様の声を聞きましょう。

なんだかとびとびになってすみません。新年号ができたので載せます。

Tommy Christian 新聞 17号 2007年1月号
明けましておめでとうございます。この前、ダラスで交通渋滞に巻き込まれました。しかし、いつもは怒ってぶつぶつ言っている息子は、そのときは、あまりおこりませんでした。理由を聞くと「渋滞で時間がかかったけれど、良い車線を選んだのでの隣の車よりも早く走れたから満足」ということでした。人間は、常に他人と比べるのが好きであり、ささいなことでも他人に勝っていれば満足してしまいます。「くだらないな」と思いつつも、それで「イライラが防げるのならいいか」と思ってしまった日でした。今年もよろしくお願いします。

今月のテーマ:希望
 A男もB男もよく働くクリスチャンのビジネスマンであった。しかし、二人の考え方は、違っていた。A男は、自分の将来に常に希望をもっていた。「俺は、一生懸命働いて必ず、全国各地に店舗をひろげてみせる。神様が必ず、守ってくれる」と。一方、B男は、いつもクールであった。「俺は、一生懸命働き続ける。でも、結果は気にしない。常に結果は、神様にゆだねる」と。しかしながら、ある日、突然、飛行機事故でA男もB男も両方とも若くして死んでしまいました。二人の葬式でそ彼らの友達は、話し合っていた。「希望をもって仕事をしても人生、何が起こるかわからない。B男のように、ただ、一生懸命することが大切ね」と。しかし、C男は、言い返した。「それは違うと思う。彼の希望は、僕達に引き継ぐことができるんだ。だから、たとえ、かなわなくても、常に希望を持つ事が必要なんだ」と。みんなは、納得してうなづいた。

私たちの人生は、ほとんど自分の思い通りになりません。いくらがんばっても達成することができないことが多いものです。したがって、我々は、失敗したときに落ち込まないように、「ベストを尽くすが、希望はもたない」という風に思い込もうとします。これは、本当にすばらしい考え方のように思われます。しかし、希望をもたずにがんばり続けることは、不可能です。希望をもたずにいると、やはり、大事なところで諦めがでて、粘りがなくなってしまいます。
  聖書も希望は、大変重要だと言っています。第一コリントの13章13節にいつまでも残るものとして「信仰、希望、愛」という3つが挙げられています。常に希望をもつことは、我々の人生にとって大事なことです。もちろん、クリスチャンにとっての最終の希望とは、天国に行くことにあります。しかしながら、今、人生の中の希望ももち続けることが必要です。いくら、絶望的な状況にあっても、希望を捨ててはいけません。
  ただ、どんな希望でももてば良いという訳ではありません。神様の計画に従った希望でなくてはいけません。神様が私たちに立てている計画は、わざわいをもたらすものではなく、私たちに平安を与える計画であり、将来と希望を与えてくれます(エレミア書29章11節)。
  しかしながら、クリスチャンでも希望をもちつづけている人は少ないようです。たとえば、日本は、なかなかクリスチャンの伝道が進みませんが、そのときに「私たちの仕事は一生懸命伝道するのみ。結果は、今、望んでもしか仕方がない。神様がいつか成就してくれる」と考えているクリスチャンが案外多いのです。「絶対に十年以内にクリスチャン人口を倍にしてみせる」というような大胆な希望をもって行動しないといけません。
  年のはじめです。みなさんも希望をもちつづけて一年を過ごしましょう。

Christian 新聞 3号

昨年2005年7月に発行した3号をお送りいたします。それではお読みください。

Tommy Christian 新聞 3号 2005年7月号

みなさん、お元気ですか。今、庭の畑にはたくさんの野菜がうれています。トマト、きゅうり、ピーマン、キャベツ、スクワッシュ等がたくさんできました。ほとんど妻が世話をしたので偉そうなことは言えませんが、自分で育てた野菜は特別においしいように思います。お店の野菜と違って新鮮だなあと感じます。神様の恵みを実感できるこのごろです。
今月のテーマ:大きな勘違い
金次郎は、みんなから尊敬され、憧れの的であった。単に大金持ちというだけでなく、社会に対しても多大な貢献をしていたからだ。彼は、私財を投げ出し、大学、図書館、高速道路、遊園地、老人ホームと次々に建設していった。ある時、彼は浮浪者に衣食の施しをしていた。彼は浮浪者を励まして次のように言った。「みなさん、人生をあきらめないでください。わたしも10年前は浮浪者でした。困ったときには銀行強盗もしました。しかし、今、私は金持ちになり、盗んだ金の100倍以上銀行に寄付しました。一生懸命生きれば、必ず報われます。前向きに生きましょう」と。次の日、警察が彼を逮捕しました。

金次郎は、なんとまぬけな人だと思いませんか。彼は、盗んだ金以上のお金を寄付したので銀行強盗の罪が消えたと勘違いしていたのです。しかし、人生をこのように勘違いしている人は意外に多いのです。一生懸命生きたら、罪が消えると勘違いしているのです。いくら良いことをたくさん積み重ねても犯した罪は消えません。罪は償わない限り消えません。
  クリスチャンでなくても優れた人格をもった人はたくさんいます。しかし、彼らの中には罪が依然として残っているのです。他の宗教や道徳では、自分を律して罪を犯さないようにしようと考えています。しかし、いくらモラルの高い人物になっても心の中の罪を消し去ることは不可能ですし、過去に犯した罪も残ったままです。
  でも、どうやったら罪を償うことができるのでしょうか。昔の人は、動物をいけにえにして神様にささげることにより、罪を取り除くことができると考えていました。しかし、そんな一時的なものでは罪は消えません。本当に罪を償う方法はただひとつ、イエスキリストの十字架を信じることです。イエス様は、私たちの代わりに罪を償ってくれました。信じることにより、わたしちの罪は償われるのです。
 クリスチャンになると聖霊様が神様から送られて心の中に一緒に住んでくれます。聖霊様はいつも私たちを励まし、導いてくれます。そんなこと思い込みに過ぎないという方もおられると思いますが、これが真実なのです。また、仮に思い込みであって、いつも安心して生きることができるとはなんとすばらしいことでしょう。是非、教会へおこしください。待っています。

Christian 新聞 2号

昨年2005年6月に発行した2号をお送りいたします。このころ家にのみが大発生し、みんな悲惨な状態でした。掃除は毎日してたのだけれど、友人にみてもらったところ自動的に回転するはずの掃除機のヘッドの部分が回転してないから掃除できてなかったそうです。それではつづきをお読みください。

Tommy Christian 新聞 2号 2005年6月号

みなさん、お元気ですか。今、私の体には蚤(のみ)にかまれた跡がいっぱいあります。本当にかゆいです。なんというところに住んでいると思う方も多いと思いますが、私たちの住んでいるMeekerは、蚤だけでなく、鹿、スカンク、牛、馬、亀、アルマジル等々なんでもあります。不思議なことに妻はほとんどかまれておらず、私だけがすごくかまれています。「私ってそんなにおいしいのかな」とちょっとうれしいような情けないようなこの頃です。

今月のテーマ:本当の年金問題
病院のベッドで、ひとりの老人が死を迎えていた。彼は、自分の人生を振り返って満足していた。なぜなら、彼は一生懸命働いて十分に貯金をし、裕福な老後を過ごすこともできたし、家族にも多くの財産を残すことができたからである。彼は安らかに死んでいった。気がつくと目の前に神様がいた。神様は彼に言った。「君は私の口座には全然貯金しなかった。それどころか大変な借金をしてくれた。残念ながら地獄に言ってもらうよ」と。彼は文句を言った。「僕は、少しも悪いことはしていない。一生懸命働いていたし、家族も幸せにした。誰かの間違っているのではありませんか」と。神様は、リストを彼に渡して言った。「これが君の生涯の記録だ。もし、間違いがあるならすぐに申し出なさい」と。彼は、リストを見てうなだれた。すべてが事実であったからである。

年金問題は、大変な問題ですね。これからの老齢化社会を考えると、この主人公みたいに裕福な老後を送るなんて本当に難しい話です。若い頃から準備が本当に必要です。しかし、それと同時に死後の準備も忘れないでください。本当に大事なことです。それに対して、「そんなこと今、とても考えられない。老後にゆっくり考えるわ」と考える人も多いと思います。でも、そうしている間にこの主人公みたいに神様の口座にとてつもない借金が溜まっていきます。神様は、行動だけではなく心の中を見て判断していますので、心に何か良くないことを思っただけで借金が膨れていきます。こんな莫大な借金、少々良い行いをしても少しも減りません。神様への借金をなくすには、ひとつしか方法はありません。それは、「イエスキリストの十字架」を信じることです。今までの罪を告白し、イエス様の十字架を信じて神様の従う決心をすることによって借金は帳消しにされるのです。
  これに対して、賢い人はこう考えるかもしれません。「いい話を聞かしてもらった。これからいっぱい悪いことをして、死ぬ前にイエス様を信じよう。それが最も効率的だ」と。しかし、考えてみてください。いつ、死ぬかは誰にもわかりません。突然死んでしまったらおしまいです。また、「信じる」ということは「理解する」ことではありません。イエス様の十字架を信じるということは、自分中心の考えを捨てて神様中心の考えに変えることです。死ぬ前は、「どうしても天国に行きたい」という自分中心の思いが強く、本当に信じることは難しいことです。また、早く神様と出会うことによって、神様に対する借金が帳消しになるだけでなく、たくさん神様の口座に貯金することもできるのです。この話を聞いて不安に思う方は、まずは、教会に来てください。待っています。

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