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これは昨年の8月号です。それではどうぞ。

みなさん、お元気ですか。うちの長男が最近、家の仕事を積極的に手伝ってくれます。毎朝、玉子焼きをみんなに焼いてくれたり、庭の水やり、芝刈りなど妹と一緒に一生懸命してくれます。お小遣いをくれるということもあるのですが、今までできなかったことができる喜びを感じているみたいです。新学期がはじまります。ちょっと気持ちはブルーですが、今までできなかったことができるんだと思って元気をだしていきましょう。

今月のテーマ:神様の愛
A子は落ち込んでいた。新しい学校で友達もできいし、授業もわからないし、誰も私のことをかまってくれないと。そのとき、B子がうれしそうに部屋に入ってくるのが見えた。A子は不思議だった。「B子も私と同じ状況なのに、どうして彼女はいつもにこにこしているのだろう」と。A子は思い切ってB子に尋ねて見た。B子は答えた。「私もいつも落ち込んでいるの。でも、神様以外に頼る人はいないと思ったとき、神様が私に語りかけてきたの。神様はいつも私のそばにいてくれると言ってくれたの。今まで家族といっしょだったときは一度も神様と話したことがなかったけれど、ここに来てもう5回も神様とお話したのよ。だから、淋しいけれどそれがとってもうれしいの」と。A子もなぜか涙がとまらなかった。

日本では年間3万人以上人が自殺をしています。自殺の原因なは色々ありますが、最も多いのが「誰からも期待され
ていない」と感じることにあるようです。人間は、誰かから期待されていないと生きていけない存在のようです。私も、日本にいた時は、会社や地域社会の一員として、それなりの期待を受けていました。しかし、この地では、家族以外誰も私のことを期待してくれません。時には言いようもない疎外感を感じることがあります。しかし、そのときです。神様の声が突然聞こえてくるのです。「私だけは、あなたを見捨てない」と。
神様の声は、ラジオの電波のようなものです。普段は雑音しか聞こえません。しかし、思いが神様に集中して周波数がピタリと合ったとき、突然神様の声が聞こえてきます。B子のように落ち込むことがうれしく思えてきます。なぜなら、それが神様の声が聞こえる前兆だからです。
それでは、A子にはなぜ神様の声が聞こえなかったのでしょうか。それは、A子が耳をふさいでいたからです。自分中心の思いが心にある間は、いくら神様に意識を集中させても神様からの声は届きません。
聖書はこう言っています。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする(黙示録3:20)」と。神様は、なにがあっても我々に期待し続けてくれます。思い切って心の扉をあけて神様の声を聞きましょう。
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