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「この街では、大切なことは何を知っているかではなく、誰を知っているかである」

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今月、発行された「流星ひとつ」は沢木耕太郎による先日自死した藤圭子との長時間にわたるインタヴューの全容のみを本にまとめたものである。ホテルニューオータニのバーで1979年秋に行われた。とても、34年前のインタヴューとは思えない。藤圭子が生き返って話している感じさえする。そして、沢木の後記もまた素晴らしい。
 
この当時の沢木耕太郎についてはほとんど知らない。ただ、1985年に出された「バーボン・ストリート」を読んだ時は、内容はすっかり忘れてしまったが、凄烈なショックを受けたことを覚えている。
 
その5年前、沢木は引退を決意した藤圭子とのインタヴューを地の文を混ぜずにノンフィクションを作成することを試みようとしていた。
 
藤圭子は、八杯の火酒を飲みまったく乱れる様子もなく最後まで彼女の心の内を語りつくした。
 
デビュー曲「新宿の女」の出だしの2フレーズの歌詞は違っていたとか、翌年の「女のブルース」いい歌で「特に三番の歌詞がいいんだよね」。
 
二つの歌を殺してしまったんだ。石坂まさおの「恋仁義」を前川との婚約のタイミングが理由で、阿久悠の「京都から博多まで」に次ぐ二作目「別れの旅」も、この歌を出して一カ月後に前川との離婚が発表されたため、歌わなくなったが、好きな歌で「もっと歌っておきたかったなあ」。
 
デビューしてから5年目ごろ「喉を切ってしまった(手術)ときに、藤圭子は死んでしまったの」等々。
 
最後の八杯目の火酒を追加する会話はない。そして、沢木が分かれる前に、このインタビューの成功を祝して乾杯しようというと、「いや・・・このインタヴューは失敗するような気がする」と言う。当初は200ページぐらいで収まると思っていたが500ページ近い手書きの原稿になった。
 
そこに浮かび上がったのは、等身大の藤圭子と安倍純子の姿、精神であったのだろう。藤圭子が製本した本を読んで「自分は出版してもいいと思うが、沢木さんの判断に任せる」と同意していたが、沢木も当時の出版社の編集担当者も「いつか必ず発表する日が来る」と思いながら、藤圭子の人生に与える影響を考え断念した。沢木が今まで出版しなかった葛藤は彼の後記に詳しい。
 
今の週刊誌とは違う、よき昭和の精神がそこには存在した。

閉じる コメント(3)

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はじめまして。通りすがりのものです。
この本、34年前のインタビューと思えないほど新しくて、藤圭子が生き返ってきたように感じられましたね。
惜しい人を亡くしました。
TBさせて下さいね。

2013/10/22(火) 午前 8:56 usako

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映画と文芸のスクランブルさん

この本になった部分は、基本的に1回のインタヴューを(その後補完するためのものはあったとありますが)本にしたという方が・・・。

2013/10/22(火) 午前 10:54 [ tsukanof ]

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そうでしたか。もう一度読んでおきます。

2013/10/22(火) 午後 1:23 usako

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