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◆初めてお越しの方はトップページよりお入りください。 翌朝、空は澄み渡り、穏やかな天気に銀の森は包まれていた。 銀の森の王国では王女アデリースが供の者たちと一緒に生まれ育った城を出発しようとしていた。王妃クラウディスや兄のシェラ・ドーネやシェリークが次々にアデリースと最後の挨拶と抱擁を交わした。アデリースは気丈にも涙を見せずに笑顔で応えた。 「お母様・・・いつまでもお父様と一緒に仲良くしていらしてね。」 「アデリース・・・あなたも体にはくれぐれも気をつけて・・・決して無理をしてはなりませんよ。あなたは体が強い方ではないのだから・・・」 クラウディスが心配そうにアデリースを見つめて何度も両手を握り締めた。美しく成長した我が娘を見て、クラウディスは複雑な想いを抱かずにはいられなかった。 「お兄様たちも喧嘩ばかりしないで・・・ずっと仲良くしてね。」 「そんな心配はいらないよ。アデリース・・・幸せにおなり・・・」 長兄のシェラ・ドーネがアデリースの背中をやさしく抱き寄せた。シェラ・ドーネの更々と流れ落ちる銀色の髪が風に揺らめいて太陽の光に煌いていた。父のテリドレアーネ王に似たシェラ・ドーネの面差しをアデリースはもう見ることが出来なくなるのかと思うと、寂しいものを感じずにいられなかった。 「ありがとう。シェラ・ドーネお兄さま・・・お元気で・・・」 シェラ・ドーネとの挨拶が済むと、シェリークが代わってアデリースの躯を抱き締めた 「元気でいろよ。アデリース・・・ラジールが嫌になっても逃げ帰って来るなよ。」 「シェリークお兄様ったら・・・」 次兄のシェリークの冗談めいた言葉にアデリースは思わず笑った。いつもは喧嘩ばかりしていたシェリークともいざ別れるとなると、この日ばかりはなんだか寂しく感じられた。アデリースは兄たちのことが心配でならなかったが、もうそんな思いもしなくてもいいのかと思うと少し複雑な気分だった。 アデリースは傍に弟のマテアスの姿が見えないことに気付いて辺りを見渡した。するとマテアスは遠くから隠れるようにアデリースを見ていた。 「マテアス・・・」 アデリースはマテアスを見つけると急いで駆け寄った。マテアスは恥ずかしそうに顔を背けた。アデリースと目を合わそうとしないマテアスに、アデリースは困ったように溜息を吐いた。 「マテアス・・・あなたは何も言ってくれないの?」 マテアスはそっとアデリースを見た。堪えきれなくなったのかマテアスの目には涙が浮かんでいた。黙ったままマテアスはアデリースに抱きついていた。 「マテアス・・・?」 「幸せになって・・・絶対だよ。」 「わかっているわ。マテアス・・・あなたも幸せにね。」 「僕・・・姉上が本当に幸せかどうか確かめにラジールに行くよ。」 「まあ・・・マテアス・・・そんなに心配しないで・・・」 「嘘じゃないよ。必ず行くから・・・」 「そうね。あなたが元服して立派に成人したらラジールに遊びに来なさい。きっとラジールもあなたのことを歓迎してくれるわ。」 「本当に?約束だよ。必ず行くから・・・」 アデリースは胸が熱くなった。涙がこみ上げてくるのを必死で堪えていた。マテアスとの別れを惜しむと、アデリースは待っている供の者たちの下に戻った。 父のテリドレアーネがいないことに気付いたアデリースに、クラウディスがそっと視線を上の方にやった。城の高台にテリドレアーネの姿が見えた。長い銀色の髪が陽に透けてきらきらと煌きながら美しく風に靡いていた。 「王はあそこからあなたを見送るそうよ。王にご挨拶なさい。」 クラウディスに言われてアデリースはテリドレアーネに向かって笑顔でお辞儀をした。きっとテリドレアーネは最後の別れをするのが恥ずかしいのだろうとアデリースにはわかっていた。 お父様・・・アデリースは銀の森を出てラジールにお嫁に行きます。ラザの王妃となって立派に務めを果してまいります。 アデリースは心の中でそう呟くと城を後にした。 アデリースの一行を乗せた馬車や騎兵隊の行列を城の人々は晴れやかに見送っていた。 そのラジールに向かう長い行列を高台から眺めていたテリドレアーネにエメリア伯爵は声をかけた。 「よろしかったのですか?アデリースさまにお会いにならなくて・・・」 「別れの挨拶は昨夜済ませた。それで十分であろう。」 テリドレアーネのどこか寂しげな横顔が一層美しく深い翳りを帯びていた。 何故に愛しい者たちは皆私の下から去っていくのだろう。 ふとそんなことをテリドレアーネは想っていた。かつて娘のライナがラジールのノアーレ公ルカスの下に嫁いだときもテリドレアーネは絶望の淵に立たされていた。愛してやまなかった異母妹のレティシアがライナを産んで突然亡くなり、テリドレアーネは残された娘のライナに異常なまでの愛を盲目的に注ぎ込んでいた。だがそのライナもテリドレアーネから離れラジールに嫁いでしまい、今度はアデリースもラジールに行ってしまったのだ。 「父親とはこのようなとき、一体どのような顔をすればいいのだ・・・?」 「・・・?」 独り言のように呟くテリドレアーネの言葉にエメリア伯爵もなんと答えていいのかわからなかった。 テリドレアーネは九歳の頃父王を病で亡くした為に、父親のことをよく知らなかった。父とはどういう存在なのかもわからぬまま育った。 ただ空しく切ない想いだけがテリドレアーネの胸を埋めていた。 『外伝 銀の森 第八章 混沌』 完 皆様、いつもご愛読いただきましてありがとうございます。 この続きは『外伝 銀の森 第九章 降臨』でお楽しみくださいませ。 |
第八章 混沌
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◆初めてお越しの方はトップページよりお入りください。 銀の森の城では王女アデリースの婚礼の準備が整えられていた。セラフィス王の急死によってラザ王となるラセスの下に王妃としてアデリースは迎えられることになった。 アデリースが嫁ぐ前の晩に父であるテリドレアーネ王に呼ばれて、アデリースは緊張した面持ちで王の部屋を訪れていた。父と娘とはいえアデリースがテリドレアーネ王に呼ばれて会うことはほとんどなかった。二人は顔を合わしても挨拶をするくらいで会話を交わすことなどあまりなかった。アデリースはそれが普通だと思っていたので特に疑問には思わずにいた。だがさすがに生まれ育った銀の森を離れてラジールに輿入れするとなると、アデリースも寂しい気持ちを抑えることが出来ず、父に会うのもなんだか辛いものがあった。 部屋で待っていたテリドレアーネはいつもと変わらぬ美しくも冷たい表情のままであった。 「アデリース・・・いよいよだな。準備は出来ているか?」 「はい・・・お父様・・・」 テリドレアーネは黙ったままアデリースの顔を見つめた。沈黙が流れる中でアデリースの緊張は高まった。その沈黙を解くかのようにテリドレアーネが口を開いた。 「おいで・・・アデリース・・・そなたに渡したいものがある。」 アデリースは何のことかわからず恐る恐るテリドレアーネに近付いた。テリドレアーネはエメリア伯爵を呼ぶと、手に木箱を持ったエメリア伯爵が恭しくアデリースの前に跪いた。差し出された木箱の中には懐剣が納められていた。アデリースは不思議そうにそれを眺めると、テリドレアーネの方に目を遣った。 「アデリース・・・それを受け取るがいい。」 テリドレアーネに言われるがままアデリースは懐剣を手に取った。それは見たこともないような美しい剣であった。見事な文様が彫られた銀細工の懐剣には王家の紋章も刻み込まれていた。 「これは・・・?」 「我が銀の森の王家に代々伝わる懐剣だ。王女として生まれし者は嫁ぐときに王が授けるのが古来よりの習わしだ。」 「・・・」 「その剣の意味はわかるな?その剣はそなたを護ってくれる大事なものだ。肌身離さず身に着けておくがいい。いざという時には役に立つであろう。」 「お父様・・・」 アデリースは思わず涙がこみ上げてきた。懐剣を握る手が震えているのが自分でもわかった。そんなアデリースを見てテリドレアーネは目を細めた。 「アデリース・・・」 テリドレアーネは静かにアデリースの前に立つと背中に腕を廻して抱き寄せた。突然テリドレアーネに抱き締められてアデリースは驚いてテリドレアーネの顔を見上げた。テリドレアーネの美しい銀色の髪が更々と流れてアデリースの頬を掠めた。 「まだ子供だとばかり思っていたのにいつのまにか美しく成長して・・・クラウディスそっくりになって・・・」 「あっ・・・」 テリドレアーネの唇がアデリースの額に触れた。アデリースの躯は熱くなった。こんなふうにテリドレアーネに抱き締められて口づけされたのはどれだけぶりだっただろうか。幼い頃の遠い日の感触をアデリースは思い起こしていた。まだ何も知らない小さな頃にはよくテリドレアーネは抱擁と口づけをしてくれたのだ。テリドレアーネはやさしく笑って自分を見てくれていた。アデリースはそれが嬉しくてよく抱っこをおねだりしていたのだ。アデリースはそんな昔のことをずっと忘れていたのを突然思い出していた。 一体いつからだろう。お父様が自分に触れなくなったのは・・・いつのまにか会話をすることもなくなっていた。何故ずっと忘れていたのだろう・・・ アデリースの銀色の瞳からは涙が零れ落ちていた。テリドレアーネはアデリースの頬を伝う涙をそっと指で拭っていた。 「そんなふうに泣かれるとそなたを何処へもやりたくなくなるではないか。」 「お父様・・・私もお父様がそんなふうにやさしくなさると・・・お嫁に行きたくなくなります。」 テリドレアーネはアデリースを抱き締めたまま離すことが出来なくなった。更にテリドレアーネはアデリースの両頬に口づけを繰り返した。アデリースは困ったようにテリドレアーネの胸を押し返した。 「お父様・・・苦しい・・・腕を離して・・・」 アデリースの言葉にテリドレアーネはようやく抱き締めていた腕を緩めて躯を離した。アデリースはほっと息を吐いた。アデリースの頬は紅く染まっていた。 「すまない・・・私はそなたに何もしてやれなかった。父として何も・・・」 テリドレアーネのいつになく気弱な声にアデリースも困惑した。 「いいえ・・・そんなことはありませぬ。お父様は立派な王として私はいつでも誇りに思っておりました。お父様のおかげで私はこうしてラザ王に嫁ぐことが出来るのです。私は感謝しております。」 テリドレアーネはそんなアデリースを見て静かに微笑んだ。 「そなたは強いな。そんなところもクラウディスによく似ている。そなたなら誰からも愛されるラザの王妃になることだろう。」 「ありがとうございます。お父様もお体に気をつけて・・・いつまでもお元気で・・・」 アデリースも笑ってみせた。それは悲しくも美しい笑顔であった。 アデリースは深々とテリドレアーネにお辞儀をすると、銀色の懐剣を大事そうに胸に抱いて部屋から立ち去った。テリドレアーネは名残惜しそうにアデリースの後姿をいつまでも見送っていた。 アデリースの姿が完全に部屋から消えてしまうと、テリドレアーネは椅子に深くもたれて大きな溜息を吐いた。部屋に控えていたエメリア伯爵が傍に来てテリドレアーネに声をかけた。 「我が君・・・お疲れのようです。お休みになられますか?」 「・・・」 テリドレアーネはしばらく黙り込んだかと思うと徐に口を開いた。 「いや・・・酒を・・・酒を持ってきてくれ・・・」 「はい・・・いつものでよろしいですか?」 テリドレアーネは静かに頷いた。エメリア伯爵はいつもと様子が違うテリドレアーネに違和感を覚えながらも黙って従った。さすがに娘のアデリース王女との別れが寂しくて酒を飲まずにはいられない気持ちなのだろうと思うと、テリドレアーネもやはり王である前に一人の父親なのだと感じずにはいられなかった。 テリドレアーネに酌をするエメリア伯爵にテリドレアーネは珍しいことを漏らした。 「エメリア伯爵、そなたも付き合え。」 「・・・?」 「酒の相手をしろと言っている。一人で飲んでいてもつまらぬ。」 「私でよろしいのですか?」 「他に誰がいるというのだ?」 エメリアは伯爵は意外なテリドレアーネの言葉に驚いた。今まで長い間王に仕えていたが、こうして差し向かいで王の酒の相手をしたことはなかったのだ。エメリア伯爵は複雑な思いであったが、テリドレアーネが自分を選んでくれたことが嬉しかった。テリドレアーネは何かを話すというわけではなく、ただ黙々と酒を飲んでいたに過ぎなかったが、エメリア伯爵はそれでもこうして一緒に酒を酌み交わすことが出来るだけで満足だった。 静かな夜はテリドレアーネの想いを鎮めるようにそうしてゆっくりと更けていった。 |
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◆初めてお越しの方はトップページよりお入りください。 セラフィス王の葬儀がようやく終わって、ラザの城は静かな夜を迎えていた。慌しかった昼間の喧騒がまるで嘘だったかのように城内は静かな空気に包まれていた。 すっかり疲れ果てて長椅子にもたれて休んでいたエテ・ファーレの傍にラセスが近付いてきた。 「疲れただろう?エテ・ファーレ・・・もう部屋に戻って休むがいい。」 「いいえ・・・大丈夫です。あなたこそお疲れなのではありませんか?大勢のお客人のお相手をなさって・・・どうか私のことよりご自分のことを・・・あなたはラザ王となる大事な御体なのですから・・・」 自分を気遣うエテ・ファーレにラセスはどこか余所余所しさを感じた。 「きみだって大事な体だろうに・・・」 エテ・ファーレの躯がびくっとなった。途端にエテ・ファーレの躯が震えだした。 「私は・・・自分で望んだわけではありませぬ。私は王になりたかったわけでは・・・」 「エテ・ファーレ・・・これは父上が望んだことだ。きみが西王として西の地を治めることを心から祝福するよ。新たなる西王に私も出来る限りの援助をさせてもらう。たとえ離れることになっても、きみは私の義弟なのだから・・・」 ラセスの言葉にエテ・ファーレは嬉しさよりも深い悲しみを覚えた。嘘でもいいからラジールに残って自分の傍にいてほしいと言ってほしかった。何処へも行くなと一言でいいから言ってほしかった。だがそんな言葉を期待するのは無駄だとわかっていたことだった。自分はラセスに必要とされていないのだ。今更ラセスを頼ることなど出来るはずもなかった。ラセスはラザ王となって銀の森の王女と結婚するのだ。そんなラセスの傍に自分のような者がいては邪魔なのだと十分わかっていることだった。 「義兄上は本当にそう思っているのですか?臣下たちと同じように私を厄介払い出来て嬉しいのですか?」 「エテ・ファーレ・・・?何を言っている?私がいつそんなことを・・・?」 ラセスは驚いて目を見開いた。エテ・ファーレが悲しそうな目で自分を見ていることに気付いて言葉を失った。 「すみませぬ。余計なことを・・・義兄上のお心遣いを無駄にするようなことを言って・・・」 ラセスは黙ったままエテ・ファーレの隣に腰を下ろすと、腕を伸ばしてそっとエテ・ファーレの背中を抱き締めた。突然ラセスの腕の中に閉じ込められて驚いたのはエテ・ファーレの方だった。 「そんな顔をしないでくれ。私だってきみのことが心配だ。でも私には父のようにきみを守ることは出来ない。許してほしい。私はきみに何もしてあげられない。ただ父上の遺志を継いできみを西王にすることしか・・・」 ラセスの温かでやさしい胸に抱かれてエテ・ファーレは思わず顔を埋めた。泣いている顔をラセスに見られたくなかった。 「わかっています。あなたのやさしさは十分過ぎるくらいに・・・」 エテ・ファーレは嬉しかった。ラセスが自分を抱き締めてくれたことを心から嬉しいと思った。言葉など何も要らなかった。ただこうして温もりを感じていられるだけでエテ・ファーレは全てを忘れることが出来た。 「エテ・ファーレ・・・」 エテ・ファーレの躯を抱き締めたラセスは何か不思議なかんじを覚えた。最初に出会った頃よりは背も伸びてはいたが少女のような華奢な印象はまだ残ったままだった。エテ・ファーレは両性体から完全体に変化をして元服を迎えたはずだった。だがラセスの腕の中で躯を微かに震わせているエテ・ファーレは同じ男性には到底思えなかった。 これが父上が心から愛したエテ・ファーレなのか・・・父上が最期まで愛してやまなかった最愛の・・・ ラセスは自分でも無意識のうちにエテ・ファーレの白金の髪を指で撫でていた。エテ・ファーレの柔らかな美しい髪からは仄かなよい香りがした。ラセスはそんなエテ・ファーレを思わず強く抱き締めていた。何故だか自分でもよくわからなかった。ただエテ・ファーレから離れがたい衝動に襲われていた。 「あっ・・・」 ラセスの腕に力が込められたことに気が付いたエテ・ファーレは一瞬戸惑った。エテ・ファーレの胸の鼓動は熱く高まった。 「すまない。エテ・ファーレ・・・暫く・・・このままでいてくれないか・・・」 それは何処か頼りなげな寂しい声だった。エテ・ファーレは黙ってラセスの胸に顔を埋めていた。 偉大な父王を失ってラセスも気弱になっているのだ。セラフィスがいなくなって不安なのは自分だけではないのだ。 そう思うと何故かエテ・ファーレの気持ちも少し落ち着いた。 今だけでいい・・・あなたとこうしていられることを感謝します。 エテ・ファーレの中で何かが変わった瞬間だった。エテ・ファーレの心の奥底にあった迷いは消えようとしていた。これでラセスがラザ王になれば自分は心置きなくこの城を離れることが出来ると・・・ その夜はいつもより強い風が吹き荒れて、ラザの城も風に包まれていた。まるでフロネ・シスの神がセラフィス王の死を嘆き悲しんでいるかのように一晩中風の音が鳴り響いていた。それは闇さえも飲み込んでしまうような美しくも切ない声でフロネ・シスが歌っているかのようだった。 |
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◆初めてお越しの方はトップページよりお入りください。 銀の森の王城にもラザ王セラフィスが逝去したとの知らせが届いていた。ラザ王が病で臥せっていると噂には聞いていたが、まさか突然この世を去るとはテリドレアーネ王も予期せぬことであった。セラフィス王の妹であるクラウディス王妃も急な訃報に驚きを隠せなかった。 「まさか兄上が・・・そのように重い病であったとは・・・アデリースの輿入れまではせめてお元気でいらっしゃるものと・・・」 気丈なクラウディスもこのときばかりは動揺せずにはいられなかった。クラウディスはラジールから銀の森に輿入れしてから長い間セラフィスに会うことはなかったが、それでも兄妹として生まれ育った血の絆は消えるものではなかった。 昨夜見た夢は虫の知らせだったのだ。兄のセラフィスが夢に現れたのはきっと・・・ クラウディスは夢に見たセラフィスのことを思い出して、思わず涙を零した。 「あの男が病に倒れるなど・・・殺しても死なぬような男であったというのに・・・」 テリドレアーネは若かりし頃に会ったセラフィスのことを思い出していた。 初めて二人が出会ったのはテリドレアーネが十五でセラフィスが十七の頃であった。そのときセラフィスはまだラザ王に就任する前の王子であった。銀の森の大鹿狩りに訪れたラザの王子セラフィスは太陽の如く眩しい存在感を放っていた。輝かしいばかりの明るい黄金色の髪を風に靡かせ、神の子の象徴である美しい金色の瞳を煌かせた精悍な美貌のセラフィスは、テリドレアーネにとっても脅威であり忘れることの出来ない存在であった。昔から華美で派手なことを好み、豪胆な性格と激しい気性で常に人々を従え、王になる為に生まれてきたかのような天賦の才能を持った男であった。そんな男と大鹿狩りを競い合っていたのがつい昨日のことのように思われた。 あれからどれだけの歳月が過ぎたというのだろう。テリドレアーネは遠い日の記憶をただ懐かしむことしか出来なかった。 「アデリースの結婚はどうなるのでしょうか?婚礼は間近に迫っていたというのに・・・」 クラウディスの不安そうな言葉を聞いて、テリドレアーネは突然クスクスと笑い出した。 「王・・・?」 「クラウディス・・・何を心配している?セラフィス王が亡くなってラセス王子がラザ王として即位する。アデリースは待つこともなくすぐに王妃として迎えられる。これほどめでたいことはなかろう。あの男はアデリースに最高の置き土産を遺してくれた。感謝せねばなるまい。」 テリドレアーネが楽しそうに笑っているのを見て、クラウディスは恐怖のようなものを感じた。テリドレアーネがセラフィスのことをよく思っていないことは以前から知っていることであった。だがセラフィスの死を悼むこともなく悲しみを微塵も見せないテリドレアーネに、クラウディスは怯えずにはいられなかった。 ラジールでは偉大なる神の子としてその名を諸国にまで轟かしたラザ王セラフィスの葬儀が盛大に執り行われていた。 ラジールも風の季節を迎えていたが、この日は珍しく朝から空は晴れ渡り、風も緩やかに大地を覆っていた。人々は口々にラザ王セラフィスの偉業を称え、眩しく降り注ぐ太陽の光さえも神の子セラフィスの為にあるのだと信じていた。各地から大勢の参列者が集まり、ラザの城下は人や物で溢れかえった。ラザ王の突然の死に人々はまだ信じられずに路頭で泣き出す者まで現れた。 無謀とも言える大胆過ぎる政策で諸国を平定し多くの属国を支配したことで他国からは恐王と恐れられていたが、セラフィスはラジールの民からは絶大な人気を誇っていた。神の子としての象徴でもある美しく煌く金色の瞳、太陽のように輝く眩いばかりの黄金色の髪、加えて男も女も魅了してやまない精悍な美貌と均整のとれた美しい体躯はそれだけで人々の羨望の的であった。その豪胆すぎる性格には臣下たちもほとほと手を焼いていたが、そんなことすらも今となっては懐かしい思い出に過ぎなかった。 だがそんなセラフィス王も晩年は病に蝕まれ、若かりし頃の生気に満ち溢れた精悍さも失われて、すっかり別人のように穏やかな王と成り果ててしまった。せめて王が健在なうちにと進められていたラセス王子の結婚も王の病を理由に延期され、結局人々の願いも空しく王は病を克服することもなく急な最期を遂げた。 王の急激な死にラセスは戸惑うばかりだった。政治家としても軍事の統率者としても若き頃より類稀な才能を発揮した父王セラフィスと較べても、息子のセラフィスは十八歳になったばかりとはいえ王となる存在感が希薄であった。真面目すぎる性格が災いしてラセスは何よりも大人しく王としての風格に欠けていた。臣下たちはラセスが王となることに少なからず不安を隠せなかった。 「どうにもラセスさまでは見劣りいたしますな。せめて瞳の色が金色であれば神の子として民からも崇拝されようものを・・・」 「仕方あるまい。ラセスさまは誰から見ても正統なラザの後継者。文句を言う者がおれば私が代わって斬り捨てよう。」 「物騒なことを申すでない。それでなくともエテ・ファーレ殿下を王にと企む急進派の連中がまだ残っておるのだ。」 「そのことなら王の遺言で解決したのではなかったか?」 「ラジールの西の領地の統治権をエテ・ファーレさまに譲られて西王として国を治めろとの遺言か?」 セラフィス王のいなくなったラジールの先行きを懸念する臣下たちの不安は広がっていた。ラセスは正妃の産んだ第一王子であり血統から言ってもラザ王となるのが当然ではあったが、セラフィスが寵愛した養子のエテ・ファーレの存在は城の中でも大きなものとなっていた。 「王も大胆なことをなさる。確かにセラフィス王のおかげでラジールの領土はかつてないほど拡大したが、その増えた分だけエテ・ファーレさまに贈られるとは・・・」 「ラセスさまに全てお譲りになるには荷が重いとお考えになられたのではないか?国を分け与えるといってもあの西の地は我らラジールの支配下。何も問題はあるまい。」 「甘いな・・・かつてのラザ王もそうやって東の地を弟君に与えて、あの強大な国家を創り上げた東龍王を育てることになったのだ。」 「まさかエテ・ファーレさまがそんな野望をお持ちだとでも・・・?」 「あの殿下はラザ王家の養子とはいえ元は東龍王の王子だ。何も起こらぬとは言い切れまい。」 セラフィス王の葬儀の中、臣下たちはラセスたちの知らないところでそんな噂話をしていた。 生前のセラフィスはラセスを支持する旧王妃派の勢力とエテ・ファーレを支持する新勢力の争いを失くす為にと秘策を講じていた。それはエテ・ファーレをラセスから引き離して西の王として即位させることであった。セラフィスはそうすることで王家の内紛を避けようとしていた。 だがエテ・ファーレもまた困惑していた。セラフィスの寵愛を欲しいままにしていたとはいえ、エテ・ファーレに王位を得るつもりなど微塵もなかったのだ。ラザ王となる義兄のラセスの邪魔にならぬよう日陰の身でラセスの傍にいられればそれ以上何も望まなかった。だがそんなエテ・ファーレの気持ちをセラフィスが許すはずなどなかった。今までセラフィスの為にだけ生きてきたエテ・ファーレにとって、それは過酷な選択であった。 |
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◆初めてお越しの方はトップページよりお入りください。 ラザ王セラフィスの最期を看取ったのは実の息子であるラセス王子や弟のノアーレ公ルカスでもなく、意外にも養子であるエテ・ファーレ王子であった。王の臨終に居合わせた者たちの間に深い悲しみと共に不穏な空気が一斉に流れ出した。 「エテ・ファーレさま。陛下は最期に何と・・・何を言い残されたのですか?」 「エテ・ファーレ殿下、陛下のご遺言は・・・」 臣下たちが口々に言葉を投げかけた。だがエテ・ファーレの耳には人々の声も届いてはいなかった。エテ・ファーレはセラフィスの亡骸の傍で泣き崩れたまま動くことすら出来ない有様だった。 「お止めください。どうかお引取りを・・・出て行ってください。ここから出て行って!」 そのとき突然臣下たちを怒鳴りつけたのはラセスであった。ラセスはエテ・ファーレの肩を抱いて庇うようにエテ・ファーレを隠すと、部屋にいた臣下たちを睨み付けた。いつも静かで大人しかったラセスの意外な様子に驚きながらも、一同は王の寝所から半ば追い出されるかのように出て行った。 ラセスもどうしていいのかわからず、ただ黙って泣いているエテ・ファーレを見つめていた。 王付きの侍従や小姓たちも皆遠慮して王の寝所から姿を消していた。ただ一人ルカスだけは部屋に留まっていた。 「私も出て行かねばならぬか?」 ルカスがそう言葉を漏らすと、ラセスは悲しそうな顔をしてルカスを見つめた。 「いいえ・・・あなたはいてください。ノアーレ公。」 ルカスは小さく溜息を吐いた。 部屋の中がしんと静まり返って、集まっていた人々がいなくなっていたことにエテ・ファーレはようやく気付いて顔を上げた。 「大丈夫か?エテ・ファーレ・・・」 ラセスのやさしい声で、エテ・ファーレは自分がラセスにしがみついていたことに気付いて恥ずかしそうに目を伏せた。 「すみません・・・大丈夫ですから・・・」 そう言ってエテ・ファーレはラセスから躯を離した。ラセスはまだエテ・ファーレを心配そうに見つめていた。エテ・ファーレはラセスのやさしさが嬉しかったが、やさしくされるほどに胸が苦しくなるのを感じた。 お願いだから私にやさしくしないで・・・そんな目で私を見ないで・・・そのやさしさに私はつい甘えてしまう。 エテ・ファーレはそんな想いを口に出すことも出来ず、ラセスの腕を払い除けた。そのときふと痛いような視線を背中に感じてエテ・ファーレは振り返った。ルカスが自分を見ていたことに気付いて、エテ・ファーレは怯えるような目でルカスを見た。そんなエテ・ファーレをルカスは怪訝そうに見据えた。 「そんなに陛下のことが好きだったのか?よほどそなたは愛されていたのだな。エテ・ファーレどの。」 「私にとって陛下は・・・かけがえのない方でした。私の命の全てを捧げても足りないほどに・・・」 「命の全て・・・?そんな言葉を軽々しく口にするなど・・・」 眉を顰めたルカスにエテ・ファーレは悲しそうな目で訴えた。 「嘘ではありませぬ。私は・・・陛下となら何処までも・・・陛下と一緒に死にたいとさえ思っていました。」 「馬鹿なことを言うな。エテ・ファーレ・・・そんなことをして父上が喜ぶとでも?」 驚いて声を張り上げたのはラセスだった。ラセスはエテ・ファーレの肩を強く掴むと、エテ・ファーレを叱りつけた。 「きみは生きなければならない。君の中に父上がいる限り・・・きみは死にたいなどと言ってはいけない。」 ラセスの言葉を聞いてエテ・ファーレは苦しそうに顔を歪ませた。 「あなたは陛下と同じことをおっしゃる。」 「エテ・ファーレ・・・?」 「あなたは陛下によく似ている。まるで陛下がそこにいるかのよう・・・」 ラセスはエテ・ファーレを掴んでいた手を緩めた。 「私は父とは違う。あの王に似てなどいない。きみは幻を見ているだけだ。」 「そう・・・あの方はもういない。あなたは陛下とは違う。だから・・・もう私にかまわないでください。」 悲痛な顔をするエテ・ファーレにラセスはそれ以上何も言えなかった。王の眠る前で言い争うようなこともしたくなかった。 「わかったよ。エテ・ファーレ・・・もう外に出よう。侍従たちが部屋の外で待っている。」 「いやだ・・・もう少し陛下の傍にいさせて・・・陛下の傍に・・・」 泣いてすがるエテ・ファーレの姿は見ていられないほど痛々しかった。 「ラセスどの。今だけエテ・ファーレどのの好きにさせてやるがいい。泣きたいのなら思い切り泣けばいい。ただしそんな女々しい姿は臣下たちの前では二度と見せぬことだ。」 ルカスはそう言うと部屋から出て行こうとした。エテ・ファーレは慌ててルカスを呼び止めた。 「待って・・・待ってください。」 ルカスは扉の前で足を止めて、エテ・ファーレの方に振り返った。 「私はずっと不思議でなりませんでした。何故あなたは陛下を置いて出て行かれたのですか?陛下は誰よりもあなたのことを愛していたはずなのに・・・私はあなたのことがずっと妬ましくて・・・羨ましくて・・・なのにあなたは・・・」 ルカスはふっと鼻で笑った。 「愚かなことを・・・人を愛することがどれだけ苦しいことかそなたにはわからぬであろうな。私は愚かにも王から逃げたのだ。愛が何たるかも気付かぬまま・・・ただ呪縛から逃れたかった。自由になって初めて私は己の愚かさに気付いたのだ。」 自嘲的に笑うルカスにエテ・ファーレは何て応えていいのかわからなかった。ただルカスの言っている言葉の意味はなんとなくわかるような気がした。エテ・ファーレも愛するがゆえの苦しさは身に沁みて感じていた。 「私から訊ねてもよいか?」 黙りこんだエテ・ファーレにルカスが声をかけた。 「陛下は・・・最期に何て言って息を引き取ったのだ?エテ・ファーレどのに何か話したであろう?」 エテ・ファーレは目を丸くした。まさかルカスがそんなことを言うとは思わなかった。 「いいえ・・・何も・・・何か言いたそうでしたが私には聞き取れませんでした。」 エテ・ファーレの答えにルカスはしばらく黙ったままだった。しかしそれ以上問い詰めることもしなかった。 「そうか・・・あの王のことゆえ、てっきりそなたに愛の言葉でも囁いて逝ったのかと思っていたが・・・」 エテ・ファーレは驚愕に躯を硬直させた。ルカスはそのままそっと扉を開けると振り向くこともせずに寝所を後にした。エテ・ファーレは途端に足元から崩れ落ちた。 「エテ・ファーレ!?」 ラセスが倒れ込んだエテ・ファーレの傍に急いで駆け寄った。 「どうした?しっかりしろ・・・」 「あっ・・・あっ・・・」 エテ・ファーレは思い出していた。セラフィスが息を引き取る寸前に途切れ途切れに紡いだ言葉を・・・ あ・・・い・・・し・・・て・・・る・・・ セラフィスは確かにそう呟いたのだ。愛していると・・・ エテ・ファーレの目からは溢れるように涙が零れ落ちていた。セラフィスが最期に残した言葉が突き刺さるかのようにエテ・ファーレの胸を熱く焦がした。 ラセスはどうしていいのかわからず、震えるエテ・ファーレの背中をやさしく抱き寄せることしか出来なかった。 |





