† THEATER OF MOON †

つきこの創作小説劇場◆愛と幻想・・・妖しくも美しい禁断の物語へようこそ!更新遅れてすみません。

第十二章 斎の姫

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 斎の姫の長い行列が王都ラジールを出てウルリカに向かっていた。城下から大勢の人々に見送られながら斎の姫の輿はラザ王家の護衛兵たちに警護されて長い道程を無事に突き進んでいた。
 ウルリカでは新たな斎の姫の到着を待ちわびる多くの信者たちが神殿に詰めかけていた。ウルリカの神殿はいつになく大勢の人々で溢れかえっていた。皆が斎の姫の姿を一目見ようと押し寄せ、神殿に入れぬ者たちで参道まで埋め尽くされていた。
「長老、斎の姫さまの行列がウルリカに無事到着いたしました。」
「おおっ・・・そうか。ついにおいでになったか。皆でお出迎えを・・・」
「はっ・・・」
 斎の姫の行列がウルリカの門を潜ったとの報告を受けて神殿は騒然となった。モーゼ長老をはじめとする神殿の最高権力者たちや神官たち一同が揃って斎の姫を出迎えようと神殿の前で待機していた。
 それから暫くすると参道を掻き分けるかのように警護された斎の姫の行列が神殿の前に漸く到着した。
「ようこそお越しくださいました。レシーアさま・・・お待ちいたしておりました。」
 輿から降り立ったレシーアは不思議そうに辺りの空気を感じていた。いつもと違う神殿の匂いにレシーアは落ち着かない素振りを見せた。そんなレシーアを促すように傍にいた小間使いのネーラがレシーアの手を引きながら前に進んだ。
 頭から薄絹の被りで全身を包み込んだレシーアの姿ははっきりとその顔を見ることは出来なかったが新しい斎の姫がまだ幼い少女だということは遠くから眺める群集の目にも明らかだった。
「なんと・・・まだお小さい姫さまじゃ・・・」
「今度の姫さまはまだ子供ではないか。」
「これ・・・斎の姫さまになんということを・・・」
 集まった人々のどよめきが後を絶たなかった。何しろ先だって崩御した斎の姫は御年百歳を超える高齢だったのだから無理もなかった。

 レシーアは神殿の奥にある聖堂に連れて来られた。そこは普段は誰も足を踏み入れることのできない聖なる地であった。冷やりとした古い荘厳な建物は何者も寄せ付けないかのような張り詰めた空気に包まれていた。
 そんな空気を感じたのか今にも泣きだしそうな顔をしたレシーアにモーゼ長老は慌てて傅くとそっと手を差し伸べた。
『姫さま・・・大丈夫でございます。ここが今日からあなたのお住まいにございます。』
 モーゼ長老は鳥の声を使ってレシーアに語りかけた。目も見えず耳も聴こえず普通に声で話せないレシーアとの会話は心の交流を図ることでしか意思の疎通が出来なかった。
『とうさまは・・・?かあさまはどこ・・・?』
『こちらにはおりません。あなた様は今日からこのウルリカの神殿の主さまとなられるのです。』
『しん・・・でんの・・・ぬし・・・?』
『そう・・・いわばここが姫さまのお城のようなもの・・・あなた様は今日から幾百もの神官たちを従える斎の姫さまになられるのです。その為には父君たちと離れてお暮しにならなければなりませぬ。』
『レシーアはひとりぼっちなの?』
『いいえ・・・我々がおりまする。大勢の神官たちがあなたを支えお守りいたします。姫さまは一人ではございませぬ。』
 今にも泣きそうな顔をしたレシーアを宥めるようにモーゼ長老はやさしく諭した。まだ幼いレシーアに理解させるにはやさしく説き伏せるしかなかった。
『とうさまとかあさまにはもうあえないの…?』
『はい・・・姫さまは神にお仕えする尊き身なれば・・・ですが二度とお会いになれないわけではございませぬ。レシーアさまが斎の姫さまとしての修業をお積みになられた暁には・・・謁見なさることも可能かと・・・』
『それまでレシーアはがまんしないといけないの?』
『はい・・・姫さまがいい子でいらっしゃれば神様が願いを叶えてくださいます。』
『レシーアがいい子でいればとうさまたちにあえるの?』
 レシーアの質問攻めにあい、モーゼ長老は思った以上に聡明なレシーアの能力に目を細めた。
『姫さまはほんに賢いお方じゃ・・・姫さまはここで多くの知識を学び日々神への祈りを捧げなくてはなりません。それを毎日かかさずなさっていればやがて姫さまの願いも聞き届けてくださるでしょう。』
『ほんとうに・・・?かみさまはレシーアのいうこときいてくれるの?』
『もちろんです。姫さまは神の声を聞くことが出来る斎の姫さまなのですから・・・』
 そう言うとモーゼ長老はレシーアの小さな手に聖水をかけた。それはウルリカの神殿の地下洞窟に湧き出る泉から汲み上げた貴重な水であった。
 その冷やりとした水の感触にレシーアは驚いて思わず両手を引っ込めた。
『姫さま・・・これは聖なる水です。その昔神の子フロネ・シスがこの地に降り立ったときに足元から泉が湧きだし大地を潤したと言います。この水は神が我らに齎した尊きもの・・・』
『フロネ・シス・・・?』
『そうです。この世界の創造主にして星の守護神・・・姫さまは今日から偉大なる神の子フロネ・シスの巫女なのです。』
 モーゼ長老の鳥の声はまるで何かの呪文のようであった。レシーアは何かに導かれるかのように一人祭壇の前を歩き出した。
「姫さま・・・?」
 目が見えないはずのレシーアが慣れない聖堂の中を歩き出したのを見て、傍にいたネーラは思わず声を上げた。するとレシーアは祭壇の前で両手を伸ばして天に掲げた。
 天窓から降り注ぐ太陽の光が突然眩しく聖堂内を照らし出したかと思うと、激しい風が嵐のように神殿の中を駆け巡った。傍に控えていた神官たちは皆体が吹き飛ばされるような恐怖を感じて思わず目を伏せた。
「何だ?これは・・・」
「一体何処から風が・・・?」
 慌てふためく神官たちを見てモーゼ長老は思わず声を上げた。
「何をしておる?姫さまをお守りするのじゃ!」
「長老・・・眩しくて・・・何も見えませぬ。」
 風から身を避けながら何とか目を開こうとした神官は眩しさのあまりレシーアの姿を見つけることが出来なかった。
 漸く風が凪ぎ、静寂が聖堂内を包み込んだ。我に返った長老や神官たちは目の前の光景に驚愕した。
「姫さま・・・?!」
 祭壇の前でレシーアは俯せになって倒れていた。レシーアの小さな体はいつのまにか金色に光り輝いていた。
「これは・・・?」
 花粉のようなものがレシーアの背中を黄金色に染め上げていた。驚いた長老が急いでレシーアに駆け寄りレシーアを抱き起した。
「姫さま・・・ああ・・・ご無事じゃ。息をしておる。」
 レシーアが気を失って倒れているのだとわかってモーゼ長老は大きな溜息を漏らした。だが目の前の不思議な光景に神官たちは狼狽していた。
「長老・・・姫さまの御身を光らせているこれは一体・・・」
「ふむ・・・金樹の花粉のようじゃ・・・」
「金樹・・・?!」
 金樹と聞いて神官たちは皆目を円くさせた。神殿内に金樹の木は植えられていたが季節外れで花など咲いてはいなかったのだ。
「まさか・・・金樹の花などここには・・・」
「わからぬか?今まさに神が降臨したのだ。レシーアさまの下にフロネ・シスがそのお姿を現しになったのだ。」
「・・・?!」
「斎の姫さまが我らに奇跡を齎したのだ。これは新たな時代の幕開けじゃ・・・」
 モーゼ長老の重々しくも厳かな声に神官たちは皆一斉にレシーアの前に平伏した。誰も疑う余地などなかった。この幼い姫が紛れもなく斎の姫なのだと確信した瞬間だった。

 気を失ったレシーアは聖堂からレシーアの為に用意された寝所に運び込まれていた。小間使いのネーラが付きっきりでレシーアが目覚めるのを待っていた。
「姫さま・・・姫さま・・・」
 ネーラの呼ぶ声が届いたのか長い眠りから覚めたレシーアはいつもと違う部屋の気配に怯えたような表情を見せた。
「ああ・・・姫さま・・・ご無事で・・・ずっとお眠りになられたままでこのネーラ・・・生きた心地がいたしませんでした。」
 ネーラは思わずレシーアの手を握って涙を零した。そんなネーラの肌の温もりに安堵したのかレシーアは小さな溜息を漏らした。
 レシーアの体を輝かせていた金粉はすでに消えてなくなっていた。まるで夢か幻でも見ていたようでネーラもレシーアの不思議に戸惑いを隠せなかった。
「ご安心なさいませ。ここが今日から姫さまのお部屋でございます。ネーラがずっとお傍に付いておりますゆえ・・・」
 レシーアは自分の身に何が起こったのかよく覚えていなかった。ただ自分が生まれ育った館とは違う世界に来たのだということだけは感じることが出来た。父や母とも別れて暮らさなければならないことも幼いながらもわかっていた。
 とうさま・・・かあさま・・・レシーアいい子でいるから・・・だからはやくむかえにきて・・・レシーアにあいにきて・・・
 レシーアはふとそんなことを思った。自分を抱き締めてくれた父や母の匂いが恋しくてならなかった。まだ幼いレシーアにとって広い神殿の中はあまりにも寂しかった。
 レシーアの銀色の双眸から涙が零れ落ちたのを見てネーラは堪らずレシーアを抱き寄せた。
「姫さま・・・ご心配なさいますな。きっとまたお館さまや奥方さまにもお会いになれますから・・・だからどうかそのときまで・・・このネーラと共に耐えてくださいまし。」
 ネーラはそう言ってレシーアを慰めることしか出来なかった。

 レシーアの想いなど知ることもなく、ウルリカは新たな斎の姫の誕生に沸いていた。儀式の最中に神の子フロネ・シスが降臨したと瞬く間に人々の耳に広まった。そんな噂は遠くラジールにまで伝わり、ラザの王城にも広まっていた。
 喜ぶ民衆とは裏腹にラザ王ラセスと王妃アデリースは不安に怯えずにはいられなかった。そうして斎の姫の存在はその後もラセスを脅かすことになるとは誰も気付いてはいなかった。



『外伝 銀の森  第十二章 斎の姫』  完



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 ノアーレ公の館からラザの王城に戻った王妃アデリースは慣れない外出のせいか貧血で倒れた。侍医は疲労からくる軽い貧血と診断したが、ラザ王ラセスはアデリースのことが心配でならなかった。ラセスは眠りについたままのアデリースの傍から離れることが出来なかった。
 アデリース・・・すまない。私が不甲斐ないばかりにそなたに苦労をかけて・・・体の弱いそなたのことをもっと気遣ってやらねばならなかったものを・・・
 ラセスは祈るような想いでアデリースが眠りから覚めるのを待っていた。
「・・・?」
 ラセスの想いが通じたのかふとアデリースが目を覚ました。目の前にラセスがいることに気付いてアデリースは不思議そうな顔を向けた。
「ラセスさま・・・?」
「アデリース・・・よかった。気が付いて・・・」
「どうしてラセスさまが・・・?私は一体・・・」
 アデリースは状況が飲み込めないのか寝台の中から辺りを見渡していた。
「覚えていないのか?そなたはノアーレ公の館から戻ると急に倒れて・・・ずっと眠ったままだったのだ。」
「あっ・・・」
 ぼんやりと記憶を取り戻したアデリースは慌てて寝台から体を起こそうとした。だがまだ頭がふらつくのかアデリースは軽い眩暈に襲われていた。
「駄目だ。無理をしては・・・もう少し横になっていなさい。そなたは疲れている。軽い貧血だと聞いたがゆっくり休んだ方がいい。」
「すみません・・・ラセスさま・・・」
 ラセスに手を握られてアデリースはその温もりに思わず涙がこみ上げてきた。身体の弱い自分が恨めしくてならなかった。
「お役に立てないばかりか・・・ラセスさまに心配おかけして・・・」
 自分を責めるアデリースにラセスは黙って首を横に振ると、ギュッと両手でアデリースの手を握り込んだ。
「そなたのせいではない。私が悪いのだ。そなたに気苦労かけて・・・」
 アデリースはふとノアーレ公の館でのことを思い出して苦しそうな表情を浮かべた。
「いいえ・・・ラセスさまのおっしゃるとおりでした。レシーア姫は・・・確かに普通の娘ではなかった。ルカス義兄さまがレシーア姫を斎の姫にと覚悟をお決めになられたのも仕方ありませぬ。ルカス義兄さまはいつでもレシーア姫をウルリカに送り出せると・・・」
「そうか・・・ならば輿の準備をさせてもよいのだな。ウルリカの神殿も斎の姫の到着を待ち侘びているであろう。」
「・・・」
 アデリースの銀色の双眸から涙が零れ落ちた。ライナのことを思い出すとどうしようもない想いに駆られていた。そんなアデリースの肩をラセスはそっとやさしく抱き寄せていた。
「大丈夫だ。アデリース・・・我々に出来ることはレシーア姫を無事にウルリカに送り届けることだけだ。」
「はい・・・私からウルリカの長老へ文を送ります。レシーア姫のことをくれぐれも宜しく頼むと・・・」
「すまない・・・心強いよ。そなたの言葉は長老たちの心にも響くだろう。」
 
 そうしてレシーアを斎の姫としてウルリカに送る準備は着々と進められた。
慌ただしい中、ついにレシーアを乗せる輿がノアーレ公の館に迎えに来た。それは贅を尽くした立派な輿でラザ王家の威光に恥じないものであった。
「お館さま・・・王城よりレシーアさまのお迎えが参りました。」
「そうか・・・レシーアの支度は整っているか?」
「はい、準備は万端でございます。」
 執事が目で合図を送ると部屋の奥から小間使いに連れられて白い衣装を纏ったレシーアが現れた。全身を包み込むような純白の衣装に宝飾を施した見事なまでの黄金の装身具で飾られたレシーアの姿はまだ幼いながらもまるで花嫁のような美しい出で立ちであった。それは最愛の娘を送り出す父であるルカスの精一杯の想いでもあった。
 ルカスはそんなレシーアに目を細めると、最後の別れをしようと傍に呼び寄せた。
「おいで・・・レシーア・・・」
 目も見えず耳も聴こえないはずのレシーアであったが、何故か父であるルカスのいる場所がわかるようだった。レシーアはルカスに気付くと手を伸ばしてしがみついた。レシーアのまだ幼い手は小さかったが何処か力強くルカスの腕を掴んでいた。
 そんなレシーアの背中をルカスはやさしく抱き締めていた。
「レシーア・・・私の愛する娘・・・これでお別れだ。ここを離れても元気でいるのだよ。どんなに離れて暮らしてもそなたは私の娘であることに変わりはない。」
 そう言うとルカスはレシーアの白く輝く髪をやさしく撫でた。いつもと様子が違うルカスにレシーアも気付いたのか今にも泣きそうな顔をした。
「そんな顔をしないでおくれ。レシーア・・・笑って・・・」
 レシーアは嫌々をするように頭を振った。幼いながらもレシーアは気付いていた。自分の身に何かが起きようとしていることを・・・
「大丈夫だから・・・さあ・・・離れて・・・」
 ルカスはレシーアの腕をそっと振り解くと小間使いを呼び寄せた。
「すまない。レシーアのことはくれぐれも頼む。」
「はい・・・レシーアさまのことは私が命に代えましてもお守りいたします。」
 まだ若い小間使いはそう言ってルカスに深くお辞儀をするとレシーアを抱きかかえた。レシーアが生まれたときから世話係を務めてきた小間使いのネーラは自らレシーアと共にウルリカに行く決意をした。見知らぬウルリカの神殿で暮らすことは若い娘にとってもさぞかし不安であったことだろう。だがネーラはご恩に報いようとレシーアと一生を共にする決意をしたのだった。
「さあ・・・姫さま参りましょう。」
 そう言って小間使いはルカスの前からレシーアを連れ去った。その様子を見ていた館の使用人たちは皆涙を流しながらレシーアを見送っていた。使用人たちの目には何も知らずに遠く親元を離れるレシーアの姿が不憫に映ってならなかった。
 ただ母親であるライナの姿だけはそこにはなかった。ライナはレシーアに会おうともせずに部屋に籠っていた。ライナのレシーアに対する畏れはまだ消えてはいなかった。
「姫さま・・・まだお小さい上になんとお気の毒なこと・・・」
 そんな使用人たちの声が囁かれたが、ルカスは耐えるしかなかった。
「早く行ってくれ。」
 ルカスはレシーアを見送るのが辛くて思わず目を逸らした。平静を装っていたルカスであったが、このときばかりは理性を保てそうになかった。涙がこみ上げてくるのを必死で堪えていた。
 輿に乗せられたレシーアはいつもと違う周囲の様子を敏感に感じ取っているのかそわそわと落ち着かなかった。レシーアは傍にいたネーラの腕をぎゅっと握ってしがみついていた。
「大丈夫ですよ。姫さま・・・これからはこのネーラがずっとお傍にお仕えいたしますから・・・何も心配なさいますな。」
 そう言ってネーラは不安に怯えた表情のレシーアをやさしく抱き締めた。レシーアの小さな背中が不憫に思えて仕方なかったがもう後戻りは出来なかった。
「斎の姫さまのお立ちにございます。」
 ラザ王家の使者がそう声を上げると、斎の姫の行列がノアーレ公の館の前を出発した。レシーアを乗せた輿が静かに動き出したのを感じて、レシーアは思わず立ち上がろうとした。
「姫さま、あぶのうございます。動いてはなりません。」
 ネーラは慌ててレシーアの腕を引っ張った。腕の中で暴れだしたレシーアを見てネーラは思わず強く抱き締めていた。
「どうかご辛抱なさいませ。姫さまはもう斎の姫さまとなられるのです。どうか・・・どうか・・・」
 ふと見るとレシーアの目から涙が零れ落ちていた。まるで宝石のようにキラキラと流れ落ちる大粒の涙にネーラは目を見開いた。
「姫さま・・・?」
 ここはどこ・・・?とうさまは・・・?かあさまは・・・?どうしてだれもいないの?なぜ・・・?
 レシーアはそう心の中で叫んだがその声は誰にも届いてはいなかった。ただ世界に一人だけ取り残されたような疎外感がレシーアを包んでいた。
 どうして・・・?レシーアのことすてるの?レシーアのこときらいになったの?レシーアいいこでいるから・・・
 レシーアは自分が捨てられたのだと思っていた。まだ幼いレシーアに斎の姫が何であるのかわかるはずもなかった。
「おいたわしや・・・姫さま・・・そのようなお体で斎の姫という大役を担うなど・・・」
 ネーラはレシーアを抱き寄せると我慢出来ずに涙を流していた。三重苦を背負った幼いレシーアの過酷過ぎる運命にネーラは憤りを覚えずにはいられなかった。
「姫さまのことはこのネーラが命に代えてもお守りいたしますから・・・」
 そう言ってネーラはレシーアを抱き締めることしか出来なかった。

「お館さま・・・お部屋でお休みになられますか?」
 レシーアを見送った後、ぐったりと椅子にもたれていたルカスに執事は心配げに声をかけた。
「ライナはどうしている?」
「奥方さまならずっとお部屋にお籠りになられております。」
「そうか・・・」
 ルカスはこめかみを指で押さえると大きな溜息を漏らした。
「ああ・・・すまないが酒をくれないか?強いのを・・・」
「お館さま・・・?」
 普段はあまり酒を飲まないルカスが珍しくそんなことを言うので執事は眉を顰めた。
「ふっ・・・まるで娘を嫁に出す父親の心境のようだ。自分でも呆れる・・・まさか自分にそんなときが訪れるとは思ってもいなかったが・・・」
 自嘲的に笑みを浮かべるルカスに執事は困ったように苦笑した。
「レシーアさまと永遠にお別れになるわけではございませんよ。また機会があればお会いになることも・・・それに・・・」
「・・・?」
「お館さまも奥方さまもまだお若い・・・お寂しければまたレシーアさまのように可愛いお子をお作りになればよろしいのです。」
「簡単に言うな。それが出来ればどんなにか・・・」
 ルカスは悔しそうに唇を噛み締めると執事が用意した酒を煽るように飲み干した。何もかも忘れて酔ってしまいたい気分だった。
 世界中が消えてしまえばいい・・・全て消え去ってしまえばいい・・・
 ルカスはそう思わずにはいられなかった。





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 ライナは大事そうに抱きかかえた人形の頬にやさしく頬ずりをした。
「アデリースは初めてだった?レシーアはね・・・すごく大人しくていい子なの。きっとあなたも気に入ると思うわ。」
「・・・?」
「後でレシーアが起きたら一緒にお茶会をしましょうね。お友達もたくさん呼んだから・・・」
「お友達・・・?」
 ふと辺りを見渡すとライナが作ったという少女人形が無造作に並べられていた。
「レシーアが寂しがるといけないから・・・お友達がたくさんいた方が楽しいでしょ?」
 屈託なく少女のように笑うライナを見て、アデリースに戦慄が走った。それは確かにアデリースの知るライナとは何処か違っていた。ライナの瞳に狂気が宿っているのはアデリースの目にも明らかだった。
「ルカス義兄さま・・・これは一体・・・」
 アデリースは思わずルカスを見たが、ルカスは驚く様子もなく冷静なままだった。
「ライナはその人形をレシーアだと思っているのです。どうかライナの人形遊びに付き合っていただけませんか?」
「人形遊び・・・?」
「ライナは本当のレシーアに怯えるあまり自らの殻に閉じこもってしまった。そして物言わぬ人形に愛情を注ぐことによって母親としての自分を何とか保とうとしている。いやむしろ幼い頃の自分に逆行しているのか・・・時々私でさえもよくわからなくなる。」
「・・・?」
 ルカスの言葉にアデリースは絶句した。そこまでライナの病が深刻だとは思いもよらなかったのだ。
「ほら・・・アデリース・・・可愛いドレスでしょう?これも私が縫ったのよ。ライナの為に毎日私が・・・」
 楽しそうに少女のように笑うライナを見て、アデリースは困惑するしかなかった。
「すごいのね・・・ライナ姉さまは本当に器用なのね。こんなにたくさん・・・とても不器用な私には真似が出来ないわ。」
「大丈夫よ。アデリース・・・あなたにも作れるわ。教えてあげるから一緒に作りましょう。」
 嬉しそうなライナの様子にアデリースは嫌とは言えなかった。まさかライナと人形遊びをすることになるとは思いもよらなかったアデリースであった。だがそうすることでライナの気持ちに少しでも近づけるならとルカスの言うとおりにライナの人形遊びに付き合おうとした。
 そのとき部屋の入口に気配を感じたライナの顔色が突然変わった。
「お姉さま・・・?」
 蒼ざめたライナの表情に驚いたアデリースがふとその視線の先を振り返った。いつのまにか部屋の扉が少し開いて、その扉の陰に小さな少女がこちらを覗くように一人で立っていた。
「いやあっ・・・その子を部屋に入れないで・・・誰か・・・早くその子を追い出して・・・」
 恐怖に怯えた目をしたライナが突然叫んでいたのを聞いて、アデリースも驚愕した。
「レシーア!」
 それを見たルカスは慌てて少女の下に駆け寄った。
「レシーア・・・ここに来てはいけないと言っただろう?誰だ?レシーアを見ていたのは・・・」
 ルカスはレシーアの傍に小間使いが誰もいないのに気付いて辺りを見渡した。だがレシーアは一人でやってきたらしく周囲には誰もいなかった。
 現れたのが本物のレシーアだとわかってアデリースは思わず立ち上がった。目も見えず耳も聴こえないはずのレシーアがそうやって一人で自由に館の中を歩き回っているのが何だか信じられなかった。
「その子がレシーア・・・?」
 扉の陰から隠れるようにこちらを窺っている白金の長い髪の少女にアデリースは何か不思議な違和感を覚えた。銀色の瞳は自分と同じ銀の森の王族である証でもあったが、何かが違っていた。見えていないはずのその瞳はまるでアデリースの心の奥底まで探るようにアデリースを見つめていた。その強い視線にアデリースの背中はゾクッと震えた。
『だれ・・・?あなたはだれ・・・?なにをしにここにきたの?』
「・・・?」
 何処からか声が聞こえたような気がした。だがすぐにそれがレシーアの声だとわかるのに時間はかからなかった。
 今の・・・まさか・・・この子が私に・・・?
 確かに少女の声がアデリースの頭の中で歌うように響いたのだ。
『ふふっ・・・わたし・・・あなたのことしっている・・・フロネ・シスがわたしにおしえてくれた・・・ラザの王妃・・・そうでしょう?』
 レシーアの声にアデリースは驚愕に震えたまま立ち尽くした。何故会ったこともない自分のことをまだ幼い少女が知っているのか不思議でならなかった。何よりもフロネ・シスの名を語ったことが信じられなかった。
「これは一体何の冗談なの・・・?皆で私をからかっているの?私のこと驚かそうとしてそんな狂言を・・・」
 アデリースはふと眩暈を起こして倒れそうになった。そんなアデリースの身体をルカスはそっと抱きかかえた。ルカスに支えられて我に返ったアデリースはルカスを見つめたまま言葉を失っていた。
「これが事実です。王妃・・・あなたならもうおわかりでしょう?レシーアは普通の娘ではない。あなたも聞いたのでしょう?レシーアの使う“鳥の声”を・・・レシーアはああして心を開き・・・心を通わす。だがライナはそれを受け入れることが出来なかった。レシーアの力に怯えて殻に籠るしかなかった。」
「あっ・・・あっ・・・そんな・・・」
 アデリースはルカスの腕を突き放すと、椅子の陰に隠れて体を震わせているライナの下に駆け寄った。
「ライナ姉さま・・・大丈夫だから・・・もう怖がらないで・・・レシーアはあなたに何もしないわ。レシーアはいい子だから・・・あなたを決して傷つけたりしない・・・」
 アデリースは小さな子供のように怯えた目をして蹲っているライナの背中をやさしく抱き締めていた。
「いやっ・・・怖い・・・あの子を何処かにやって・・・私に近付けさせないで・・・」
 狂ったように泣き喚くライナをアデリースは必死で押さえつけようとした。アデリースにはどうしていいのかさえもわからなかった。
「大丈夫だから落ち着いて・・・ライナ姉さま・・・私が姉さまを守ってあげるから・・・だからお願い・・・」
「ほんとに・・・本当に・・・?約束して・・・あの子から私を守って・・・」
「約束する・・・だから・・・」
 アデリースは思わず漏らした自分の言葉にはっとなった。背中に強い視線を感じたような気がして、アデリースは咄嗟にライナから顔を上げて振り返った。
「・・・?」
 そこにはまるで冷たい仮面をつけたような表情のレシーアがずっとアデリースのことを見つめていた。
『なぜ・・・?わたしのじゃまをするの・・・?なぜ・・・わたしからかあさまをうばうの・・・?』
 そんな怒りに満ちた声が聞こえたような気がした。アデリースの顔はたちまち蒼ざめた。
 私の声が聞こえている・・・?いや違う・・・レシーアは私の心を読んでいるのだ。まるであの子と同じ・・・リカエルと同じだ・・・
 ふとレシーアとリカエルの姿が重なってアデリースは恐怖に陥った。
「あなたは・・・ここにいてはいけない・・・レシーア・・・ここにいてはいけないのよ。あなたはその力を使ってはいけない・・・それは許されないもの・・・」
 アデリースは自分でも訳が分からないままレシーアに言葉を放っていた。レシーアに対する恐怖がアデリースを脅かしていた。
 アデリースの言葉が届いたのかレシーアの目に涙が浮かんでいた。レシーアの銀色の瞳から一滴の涙が宝石のように煌めき、それは瞬く間に頬を伝って零れ落ちた。レシーアは一瞬悲しそうな顔をしたかと思うといつのまにか部屋の中から姿を消していた。
「レシーア・・・?!」
 それはまるで夢か幻のようだった。アデリースには何が起きたのかさえよくわからなかった。
「あれは・・・何・・・?レシーアは何処に・・・?」
 アデリースはライナの震える背中を抱き締めながら辺りを見渡していた。だがレシーアの姿を見つけることは出来なかった。
「王妃・・・あなたも感じたのでしょう?あの子が秘めている内なる力を・・・私もライナもあの子の力を抑えつけることは出来ない。あの子の前ではいかに自分が無力な存在なのかを思い知らされる。父親として実に情けなく滑稽だよ。」
「ルカス義兄さま・・・何か手立てがあるはずです。あの子を救う方法が・・・ライナ姉さまもこのままでは・・・」
「王妃・・・あなたならどうなさいますか?」
「どうって・・・」
「あなたはライナを守ると言ってくださいました。私にはもう術がない・・・ウルリカにあの子を送る以外・・・」
 項垂れるルカスにアデリースもどうしていいのかわからなかった。皆を救いたいと思えば思うほど何も思いつかなかった。
「それでルカス義兄さまはいいのですか?レシーアを手放しても・・・」
「私はライナもレシーアも守りたい・・・ただそれだけです。」
 アデリースはルカスの言葉に涙を零した。溢れ出す涙を止めることが出来なかった。
 ライナの為にはそうするしかないのかと思うと何も出来ない自分が歯痒くて仕方なかった。だがレシーアを救いたいと思う反面、レシーアの力に慄き恐怖したのは紛れもない事実であった。正直アデリースもレシーアの存在が怖くてならなかった。何を考えているのかわからない盲目の瞳がアデリースを脅かしていた。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ルカス義兄さま・・・ライナ姉さま・・・何の役にも立てなくて・・・レシーアのことはやはりウルリカにお願いするのが最善かと・・・神殿の中にいれば長老や神官たちがレシーアを守ってくれる。それが何よりもあの子の為でもあるような気がします。私からもウルリカの長老に文を送りますから・・・どうか・・・」
「お気遣い痛み入る。ではすぐに王にもお伝え願いたい。レシーアはいつでもウルリカに送り出せると・・・」
 斎の姫としてラザの王族がウルリカに向かうのは厳粛な儀式でもあった。斎の姫を乗せた華やかな輿は兵士たちに警護されながら長い行列を率いてラザの王城を後にする。それはラザ王家の権力の象徴でもあり、ラジールが今も神の王国であることを他国へ誇示する大きな意味をも含んでいた。
 不安と悲しみに打ちひしがれながら王妃アデリースはノアーレ公の館を後にしていた。ただ自分と同じ銀色の瞳を持つレシーアのことが気になって仕方なかった。




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「大変です。お館さま・・・たった今王妃さまがこちらに・・・」
 いつもは静かなノアーレ公の館が瞬く間に喧騒に包まれていた。突然ラザの王城から一台の馬車がやってきたかと思うと、訪ねてきたのはアデリース王妃だったのだから無理もなかった。アデリースの突然の訪問に館中が震撼していた。
「アデリース王妃が・・・?」
「はい、お館さまと奥方さまにお話があると・・・どうやらお忍びでいらしたようです。」
 執事の言葉にノアーレ公ルカスは深い溜息を吐いた。
「そうか・・・仕方あるまい。失礼のないように奥の部屋にお通ししろ。」
「よろしいのですか?お館さま・・・」
「レシーアのことで駆けつけたのであろう。わざわざお越しいただいた王妃どのを追い返すわけにもいくまい。」
「ではそのように・・・」
 全てを見通しているようなルカスの様子に執事は困惑しながらも王妃の下に向かった。

 ノアーレ公の館はラザの王城からほど近い森の中にひっそりと佇んでいた。森から身を隠すかのように広い敷地内に建てられた古い館は代々のラザ王が所有する別荘でもあった。ルカスはライナとの結婚を機に当時のラザ王セラフィスからこの館を譲り受けた。それはルカスが結婚しても尚、自分の目の届く所に繋ぎ止めておきたいというセラフィスの強い想いでもあった。
 ルカスは王家からの独立と華やかな表舞台からの隠居生活を望んでいた。その為セラフィスの出した条件と引き換えにこの館に移り住むしかなかった。このさほど大きくはない古びた館でライナと新たな暮らしを始めたルカスであったが、この安住の地でのささやかな幸せもそう長くは続かなかった。
ルカスとライナに降り注ぐ災難に王妃アデリースでさえもそれまで気づいていなかったのだ。
 館の奥の部屋に案内されたアデリースは部屋の中をそっと見渡した。館の中は古いながらも何処も綺麗にされてはいたが、何処か寂しい空気を漂わせていた。
 かつて権勢を誇ったラザ王セラフィスの弟が住まう館にしては何処か質素で慎ましやかな暮らしぶりだった。それはあまりにもルカスの華やかな外見に似つかわしくないもののように思えた。アデリースは何か違和感を覚えずにはいられなかった。
 アデリースは銀の森の王女として生まれ、ずっと銀の森の王城で育てられた。そしてラザ王ラセスに嫁いでからは王妃としてラザの王城で暮らしていた。アデリースは今までずっと城の中での暮らししか知らなかった。こうして城を出てノアーレ公の館を訪れたのも初めてだった。アデリースが戸惑うのも無理はなかった。
 ここに本当にルカス義兄さまとライナ姉さまがいらっしゃるのかしら?
 賑やかな王城の中と違ってここはあまりにも別世界のように静かだった。
「お待たせしました。」
 いつのまにか部屋の中にルカスが現れたのを見て、アデリースは慌てて我に返った。
「あっ・・・ごめんなさい。突然押し掛けたりして・・・驚いたでしょう?」
 アデリースは失礼を詫びようとルカスに頭を下げた。そんなアデリースにルカスは眉を顰めた。
「あなたのことですから・・・きっといらっしゃるだろうと思いました。」
「・・・?」
 目を円くさせて立ち尽くしたアデリースにルカスは思わずクスッと笑みを零した。
「ルカス義兄さまには予知能力があるのですか?」
 不思議そうに尋ねるアデリースにルカスは困ったように答えた。
「私にそんな力などありませんよ。あなたが訪ねてくるような・・・そんな気がしただけです。」
「本当にそれだけですか?」
「・・・?」
「どうして・・・レシーア姫を斎の姫になさる決意を・・・?私にはまだ腑に落ちないことばかりです。陛下から聞きました。レシーア姫のこと・・・ずっと何も知らずにいたなんて・・・私・・・どうしていいのか・・・」
 今にも泣きだしそうな顔をしたアデリースを見てルカスも胸が痛んだ。
「あなたが気に病むことはない。あなたのせいではないのですから・・・どうか・・・」
「いいえ・・・私・・・ラザの王妃として失格です。こんな大事なことを・・・ルカス義兄さまやライナ姉さまにどうしても謝罪したくて・・・でも私は許してほしくてここに来たわけではないのです。ただ真実を・・・確かなことを知りたくて・・・じっとしてなどいられなかった。」
 アデリースは我慢出来ずに心の裡を打ち明けた。自分ではどうにもならないことはわかっていたが、納得するまでは城に帰るつもりはなかった。
「王妃・・・あなたは心優しく聡明な方だ。その慈悲深さこそ私ではなく民草に向けられるものだ。」
「わかっています。そんなことは私にも・・・でも・・・私だってルカス義兄さまやライナ姉さまの支えになりたい。せめてライナ姉さまの心の負担を少しでも分けてもらえたなら・・・」
「それは無理というものです。」
「・・・?」
 ルカスの冷たい返事にアデリースは目を見開いた。何故ルカスが自分を拒絶しようとするのかわからなかった。
「ライナ姉さまは・・・?姉さまは何処・・・?どうか会わせてください。」
「あなたにライナを会わせることは出来ない。」
「どういうこと・・・?ライナ姉さまが私に会うのを嫌がっているのですか?そうなのですか?」
 ライナにまで嫌われてしまったのかと思うとアデリースは辛くてならなかった。姉妹としてずっと仲の良い関係を続けていけるものだと信じていたかった。
「そうではないのです。ライナはレシーアのことで心が病んでいる。日に日にそれは酷くなり・・・今ではまるで別人のよう・・・時々発作を起こしては狂ったような言動を繰り返す・・・あんなライナを見ればきっとあなたも・・・」
「・・・?」
 アデリースはあまりのことに言葉を失った。まさかライナまでが病に苦しんでいたとは思いもよらなかった。
「まさか・・・そんな・・・そんなことって・・・」
「全て私のせいなのです。私がもっとライナを守ってやらなくてはならなかったのに・・・」
 自分を責めるルカスにアデリースは納得できるわけがなかった。
「お願い・・・ライナ姉さまに会わせて・・・ライナ姉さまとお話しさせて・・・」
 アデリースはルカスに泣いて懇願した。ライナと何としても話がしたかった。そんなアデリースの想いにルカスは仕方なさそうに溜息を零した。
「いいでしょう。ライナの機嫌が少しでもよければ話くらいは出来るかもしれません。」
「あっ・・・いいのですか?お会いしても・・・」
 ルカスの返事にアデリースは嬉しそうに目を輝かせた。
「あなたに会えばライナの病も癒されるのではないかと・・・そう思っただけです。少しでもライナが元のように戻ってくれれば・・・こんな私を浅はかだとお思いですか?」
「いいえ・・・私でもお役に立てるのであれば・・・」
「ではこちらに・・・案内しましょう。」
 そう言うとルカスはアデリースを連れて部屋から出て行った。ライナがいる所に案内してくれるのだとわかって、何だかアデリースも胸のドキドキがおさまらなかった。
 暫くするとルカスは部屋の前に立ち止まった。
「これから見聞きしたことはどうか内密に・・・」
 ルカスの忠告にアデリースは思わず唾を飲み込んだ。ライナの様子が心配でならなかった。
「ライナ・・・いるのか?」
 部屋の扉を開けたルカスに続いてアデリースも恐る恐る部屋の中に足を踏み入れた。
「・・・?」
 目の前に広がった光景にアデリースは息を飲んだ。部屋の中に夥しい数の人形が散らばっているのを見てアデリースは目を疑った。
「ここは・・・?!」
「ライナの部屋だ。最近はずっとこの部屋に籠っていることが多い。」
「この人形・・・」
「ああ・・・ライナが作った人形だ。」
 部屋の至る所に置かれた少女人形にはどれも手縫いの綺麗なドレスが着せられており、それは何処か異様な光景を創り出していた。
「ライナ・・・いないのか?」
 ルカスの呼びかけにやっと気付いたのか部屋の奥で人影が揺らいだ。
「誰・・・?」
「私だ。ルカスだ。そっちに行っていいか?」
「ルカスさま・・・?」
 ライナは抱き締めた人形を大事そうに抱えて立ち上がるとルカスにそっと微笑んだ。
「しっ・・・ルカスさま・・・今やっとレシーアが眠ったの。起こさないように静かにね。」
 ライナの言葉にアデリースは部屋の中を見渡したが、レシーアらしき姿は何処にも見当たらなかった。不思議そうに立ち尽くしたアデリースを見つけてライナは目を瞬かせた。
「ライナ・・・アデリース王妃が会いに来てくれた。ご挨拶を・・・」
「アデリース・・・?」
「そうよ。ライナ姉さま・・・お久しぶりです。」
 アデリースは不安に包まれながらライナの下に近づいた。するとライナは以前と変わらぬ笑顔でアデリースを迎えていた。
「アデリース・・・私に会いに来てくれたの?」
「ええ・・・」
 いつもと変わらないようなライナの様子にアデリースはかえって戸惑いを覚えた。とてもライナが心を病んでいるようには見えなかった。
「ふふっ・・・見て・・・私のレシーア・・・可愛いでしょう?さっきやっと眠ったの。」
 そう言ってライナが抱えて見せたのは綺麗なドレスを纏った銀髪の巻き毛の少女人形だった。それにはアデリースも驚愕に目を見開いた。思わずルカスの方を見たアデリースにルカスは黙って頷くことしかしなかった。
「あっ・・・レシーア・・・?この子がレシーア・・・?」
 アデリースには何が何だかわからなかった。目の前でレシーアと呼ばれているのはただの人形にしか見えなかった。アデリースはどう応えていいのか混乱した。そんな戸惑うアデリースとは対照的に、ライナは嬉しそうに笑顔を浮かべていた。




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 ラザの王城は不穏な空気に包まれていた。臣下たちの間で囁かれている実しやかな噂話も王妃アデリースの耳に嫌でも届いていた。
「お待ちください。王妃さま・・・」
 呼び止める侍従の声も聞こうとはせずに、アデリースはラセスのいる部屋に向かっていた。
「陛下・・・陛下はどちらに・・・?」
 アデリースの気迫に押されて侍従たちは皆慌てて道を開けていた。こんなふうに王の部屋に乗り込んでくる王妃の姿は珍しく、皆呆気にとられるしかなかった。
「一体何の騒ぎだ?」
 ただならぬ気配に振り向いたラセスはいつのまにか部屋に現れたアデリースの姿に目を円くさせた。
「アデリース・・・?」
 急いでやってきたのかアデリースは息を切らしながらラセスを睨み付けるように強く見つめていた。そんなアデリースの様子にラセスは思わず後じさりをした。
「陛下・・・大事なお話がございます。どうか人払いを・・・」
 アデリースの有無を言わせぬ迫力に、ラセスは急いで侍従たちを部屋から下がらせた。
「これでいいか・・・?アデリース・・・私とそなた以外は誰もおらぬ。」
「・・・」
「そこにお座り・・・立ち話もなんであろう?」
 ラセスの態度に苛立ちを覚えたアデリースは椅子に腰かけることもせずにラセスに歩み寄った。
「あれは本当なのですか?ノアーレ公の姫を斎の姫にするというのは・・・」
 今にも噛み付きそうな勢いで迫ってくるアデリースにラセスは困ったように眉を顰めた。
「ああ・・・もうそなたの耳に届いていたか・・・」
「私は本当なのかと訊ねているのです。私はてっきり陛下が末の妹君を斎の姫になさるものとばかり思っておりました。そうではなかったのですか?」
「アデリース・・・落ち着きなさい。」
「落ち着いてなどいられません。私は反対です。レシーア姫をウルリカに送るなど・・・そんなことは絶対させません。」
 アデリースは納得がいかないとばかりに思いをぶちまけていた。アデリースはそれだけは阻止しなければならないと思っていた。
「アデリース・・・このことはノアーレ公ともよく話し合った。もちろんノアーレ公も承諾済みだ。」
「そんな・・・」
 ラセスの言葉にアデリースは驚愕した。ノアーレ公ルカスが承諾したとはとても思えなかった。
「まさか・・・そんなこと・・・嘘です。ノアーレ公がレシーア姫を手放すはずが・・・」
「何故そんなことを言う?そなた・・・何か知っているのか?」
「あっ・・・」
 レシーア姫が不治の病に侵されていることはアデリースも以前ノアーレ公夫妻から話を聞いていた。だがそのことは誰にも話さないよう内密にとノアーレ公夫妻とは約束を交わしていたのだ。夫であるラセスにも今までそのことを告げるようなことはしなかった。
暫し口籠ったアデリースを見て、ラセスは小さな溜息を漏らした。
「そなたはレシーア姫が病だったことを知っていたのか?」
「・・・?!」
 ラセスがそのことを知っている上で決断したのかと思うとアデリースは混乱せずにはいられなかった。
「そうか・・・王である私よりもそなたの方が・・・残念ながら私がそのことを知ったのはつい最近だ。」
「だったら何故・・・?病だと知っていながらあなたはそんな惨い決断をなさるのですか?」
 今にも泣きだしそうなアデリースにラセスは戸惑いながらも言葉を継いだ。
「そなたはレシーア姫のことをどれだけ知っている?姫に会ったことはあるのか?」
 突然そんなことを訊ねられてアデリースは返事に困った。よく考えてみればアデリースはレシーアが不治の病だと聞いただけでどんな病状なのかも知らなかった。何よりレシーア本人に会ったことすらなかったのだ。アデリースは羞恥に思わず目を伏せた。
「すみません・・・私は何も・・・レシーア姫のことは何一つ・・・不治の病だとしか・・・」
「そうか・・・ならばそなたが反対するのも無理はない。レシーア姫は赤子の時の高熱が原因で三重苦を背負っている。目も見えず耳も聴こえず言葉も話せない。闇の中に住む哀れな姫なのだから・・・」
 アデリースはラセスの言葉に驚愕したまま立ち尽くした。レシーアが三重苦であることはアデリース自身知らないことであった。あまりの衝撃に眩暈を起こしそうになっていた。
「だがレシーア姫はそんな病を抱えているとは思えないような強い生命力に守られている。それどころか我々の想像を超える奇跡の力すら手にしている。」
「・・・?」
「レシーア姫には神の力が宿っている。見えないはずのものが見え、聞こえないはずの言葉を理解し、鳥の声で会話することもできるという。」
「あっ・・・そんな・・・そんな馬鹿なこと・・・」
 アデリースは足元をふらつかせたかと思うと床に崩れ落ちた。そんなアデリースにラセスはそっと腕を伸ばして背中を抱き寄せた。
「そなたならわかると思っていたが・・・リカエルのことを知っているそなたになら神の力がどんなものなのか・・・」
「ああっ・・・あの子と・・・レシーア姫が同じような力を持っているというのですか?」
「私には正直神の力が何なのかよくわからない。だがノアーレ公は私にそう告げたのだ。」
 ラセスの腕の中でアデリースは体を震わせていた。何が何だかわからずアデリースは混乱したままだった。
「私が伺うまでもなくノアーレ公はすでに覚悟を決めていた。ウルリカの神殿も我が妹マーシアよりもレシーア姫を斎の姫にと望んでいる。」
「そんな・・・レシーア姫はまだ小さいのに・・・ライナ姉さまたちの傍を離れて遠いウルリカに行かせるなんて・・・」
「レシーア姫は神殿が守ってくれる。長老たちもそう約束してくれた。私も出来る限り尽力するつもりだ。」
 アデリースの目から涙がポロポロと零れ落ちた。まるで我が子を奪われるような寂寥感に包まれて、溢れ出す涙を止めることが出来なかった。ライナともルカスとも血の繋がりが強いが故に、アデリースはそんな想いに苛まれていた。
「すまない・・・アデリース・・・そなたの気持ちはわかっているつもりだ。私だってレシーア姫を斎の姫にすることは忍びない。だがもうどうすることも出来ないのだ。ノアーレ公と奥方の為にも・・・」
 申し訳なさそうにラセスは震えるアデリースの背中を抱き締めるしかなかった。アデリースに責められることも元より承知の上だった。愛する妻を悲しませることしか出来ない自分がただ歯痒くてならなかった。
「ライナ姉さまがかわいそうです。こんなことになって・・・私・・・ライナ姉さまにお会いしたい。会ってルカスさまとライナ姉さまにお詫びしたい。」
「アデリース・・・」
「あなたが止めても私・・・謝罪に行きますから・・・それにレシーア姫にも会わないと・・・会って確かめないと・・・」
「確かめる・・・?」
 ラセスは訝しげにアデリースの顔を見つめた。
「気になるのです。レシーア姫のことが・・・リカエルと同じ力を持っているなんて・・・何だか・・・」
 口を噤んだアデリースにラセスはふと言葉を漏らした。
「恐ろしい・・・?」
「・・・?」
「ふっ・・・私とて同じ気持ちだ。我が子ながらリカエルの力に私は畏れを抱いている。」
「畏れだなんて・・・私は・・・」
「違うのか?そなたはリカエルが神の子と呼ばれて平気なのか?」
 アデリースは否定することが出来なかった。時々リカエルのことが怖くなる瞬間があるのは事実だった。とても幼い子供には見えないような表情や言葉を話すときがあるのだ。そんな我が子の行く末が心配でないとは言い切れなかった。
「私はリカエルの母です。周りが何と言おうと何があっても我が子を守るのが母親の務めです。」
「強いな・・・そなたは強い。その言葉を聞いて安堵したよ。」
 つい強がってみせたアデリースであったが、力強いアデリースの言葉にラセスも安心を覚えたのがわかってほっと溜息を零した。
「アデリース・・・ノアーレ公と奥方のこと・・・くれぐれも頼む。」
「陛下・・・?」
「そなたの好きにするがいい。そなたが会いに行けば奥方どのも喜ぶだろう。」
「あっ・・・ありがとうございます。ラセスさま・・・」
 アデリースは嬉しさに思わず名前を呼んだ。だがすぐにでもライナたちに会いたい気持ちでいっぱいだった。
「私すぐに支度してお姉さまたちの下へ参ります。」
 颯爽と立ち上がってラセスの前から立ち去ろうとしたアデリースを見て、ラセスはふと呼び止めた。
「アデリース・・・」
 振り返ったアデリースが不思議そうな顔をラセスに向けた。
「・・・?」
 だがラセスは言いかけた言葉を飲み込んでいた。
「陛下・・・何か・・・?」
「あっ・・・いや・・・気を付けて・・・」
 ラセスの言葉にアデリースは笑みを浮かべながらお辞儀をすると静かに部屋を出て行った。
 ラセスはアデリースの後ろ姿を見送りながら何だか落ち着かなかった。ふとノアーレ公から聞いた銀の森のテリドレアーネ王の話を思い出して不安を隠せなかった。
 だがもう運命の輪は廻っていた。それを止めることはラザ王であるラセスにも出来なかった。




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