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太古の昔、まだフロネ・アスがこの地にいた頃、世界は花と緑に包まれ鳥や獣たちが自由に生きていた。 いつものようにフロネ・アスが森を歩いていたときのこと、暗い森の奥深くから苦しそうに鳴く声と羽ばたく羽音が聞こえてきた。気配を捜して森の奥へと進んでいくと、闇の中から七色に煌く光が揺らめいているのが見えた。 フロネ・アスは不思議に思い更に中に踏み込んでみると、そこには静かで美しい湖面が広がっていた。ふと七色に揺らめく光の方を見ると、湖の辺で儚くも美しい姿をした黒孔雀が翼に傷を負い、苦しそうに呻いていた。 フロネ・アスは驚いて黒孔雀の傍に駆け寄った。黒孔雀は不思議な光沢を放つ艶やかな黒い羽毛と鮮やかな色彩を帯びた長く揺らめく美しい羽根で、フロネ・アスを魅了した。だが黒孔雀は近づくフロネ・アスに怯えるような目を向けた。血を流して痛みに苦しむ躯をなんとか動かして逃げようとする黒孔雀を、フロネ・アスはやさしく抑えた。 「動いてはいけない。傷が開いてしまう。」 フロネ・アスのやさしい声に黒孔雀は戸惑いを見せた。 「恐れないで。私はフロネ・アス。この地を統べる者。おまえを傷つけたりはしない。」 黒孔雀は安心したのか抗うのを止めた。 「かわいそうに・・・美しい羽がこんなになって・・・」 フロネ・アスは傷ついた黒孔雀を落ち着かせようとそっと羽を撫でた。 「大丈夫。私が治してあげるから、そのままじっとして・・・」 フロネ・アスは黒孔雀の傷ついた翼の上に掌を翳すと、たちまちフロネ・アスの躯全体から眩い光が溢れ出した。暖かな光はやがてフロネ・アスの掌から黒孔雀に注がれ、その躯は鮮やかな七色の光に包まれた。見る見るうちに黒孔雀の傷が跡形も無く綺麗に消え去った。光の中から美しい黒孔雀の姿が蘇ると、黒孔雀は歓喜に震え美しい声で鳴いた。 フロネ・アスも元気に羽ばたく黒孔雀を見て喜び、その躯をやさしく抱き締め口づけをした。するとどうしたことか、黒孔雀の躯は変化し、美しい人の姿へと容を変えた。背中を豊かに覆った漆黒の美しい髪は足元にまで流れ落ち、すらりと伸びたしなやかな肢体は例えようもなく優雅であった。 フロネ・アスはその少年のようにも少女のようにも見える顔に手を添えると、閉じた瞼がゆっくりと開かれ、長い睫毛の間から燃え立つような緑火石の瞳が美しく煌いた。薄く開いた唇は紅玉のように紅く艶やかな色を帯び、フロネ・アスは誘われるかのようにその唇に口づけを落とした。途端に蕩けるような甘い蜜の香りが漂い、フロネ・アスは黒孔雀を強く抱き締めた。 黒孔雀は喜び、緑火石の瞳から玉のような涙が零れ落ちたかと思うと、それはたちまち碧に輝く宝石に変わった。 もう一度フロネ・アスが深く口づけをすると、黒孔雀の足元から芽が吹き、伸びた木は瞬く間に枝葉を広げ可憐な花を咲かせた。薄紅色の花は艶やかな紅玉の実となって甘い蜜の香りが辺りを包んだ。 黒孔雀は熟した紅玉の果実を一つもぎ取ると、フロネ・アスに差し出した。フロネ・アスはそれを受け取ると一口かじった。それは黒孔雀と同じ甘い蜜の味がした。 フロネ・アスは黒孔雀のことが愛しくて別れるのを惜しんだ。黒孔雀もフロネ・アスと別れるのが辛くて涙を流した。 フロネ・アスは黒孔雀をなだめると、再会の約束を誓い森を出た。 黒孔雀はフロネ・アスが訪れるのをずっと待ち続けていた。それからフロネ・アスは約束を違えることなく黒孔雀の住む森にやってきた。 黒孔雀は賢くフロネ・アスにはよく懐いていた。フロネ・アスの云うことには素直に耳を傾け忠実に従った。しかしフロネ・アスが兄弟神フロネ・シスの話を持ち出すと途端に怯え、隠れるように身を縮ませた。フロネ・シスの名を口にしただけで、黒孔雀は嫌悪の色を顕にした。 黒孔雀は酷く恐れていた。フロネ・シスに己の存在が知られるのを恐れていた。勘の鋭い黒孔雀は、フロネ・シスが何よりもフロネ・アスを愛していることに気づいていた。しかし自分もフロネ・アスのことを想うとどうしようもないのだ。フロネ・アスもまた黒孔雀を失いたくはなかった。 そうしてフロネ・シスから隠れるようにして密会を重ねた。フロネ・シスはまだこのことに気づいてはいなかった。 やがてフロネ・アスの様子にフロネ・シスが異変を感じ始めた。フロネ・アスはいつものように黒孔雀に会いに出かけたが、森には黒孔雀の姿はなかった。フロネ・アスは黒孔雀を捜し回ったが何処にもその姿を見つけることは出来なかった。フロネ・アスは嘆き悲しんだ。 黒孔雀はフロネ・シスから逃れるために森を抜け出し、遠く離れた地を求め彷徨っていた。そしてようやくフロネ・シスから隠れ住むことの出来る地下洞窟の入り口を見つけ、身を潜めた。 黒孔雀の躯に変化が訪れていた。黒孔雀はフロネ・アスの子を身籠っていたのだ。 そうして誰にも知られないように洞窟の中で秘かに子を産み落とした。生まれた子供は愛らしい男の子と女の子であった。どちらもフロネ・アスによく似た面立ちであったが、黒孔雀と同じ漆黒の髪と緑火石の瞳を持った美しい子供であった。 「この子達はフロネ・アスの血を受け継ぐ大切な神の子。だがフロネ・シスにそのことを知られてはならない。フロネ・シスは必ずこの子達を奪いに来るであろう。それだけは避けねばならない。」 フロネ・アスは黒孔雀が自分の子を産んだことすら知らなかった。自分から逃げてしまった黒孔雀をそれ以上捜し続けることが出来なかった。 しかし、フロネ・アスを襲ったのは思いもかけぬ父神の言葉であった。 「フロネ・アスよ。新たな大地を探しに遠い宙へ旅立つのだ。この地はフロネ・シスが護る。おまえはこの地を離れなさい。」 父神の絶大なる意志に逆らうことなど出来ない。フロネ・アスはフロネ・シスに突然の別れを告げると、フロネ・シスの悲しみは抑えようもなく深く激しく天地を揺るがした。 だがフロネ・アスは決意し、苦しい想いを胸に秘めたまま、遠い宙へと旅立った。 残されたフロネ・シスの悲しみが嵐を呼び起こし世界を深い闇に閉ざした。 黒孔雀はその様子に慄いたが、フロネ・アスが旅立ったことに気づくと、自分もまた悲しみの涙を流さずにはいられなかった。 やがて嵐は止み、闇に光が差し込み、世界は元の姿に戻った。黒孔雀も泣くのを止めた。 「フロネ・シスも私と同じ想いをしているのだ。私だけが淋しいのではない。私にはフロネ・アスが遺してくれたこの子達がいてくれる。」 黒孔雀はいつかフロネ・アスが戻ってくると信じ、再び会えることを祈りながら愛しいわが子を大事に育てた。やがて成長した子供たちは母の教えを守り、その身を誰にも知られないように静かに暮らした。だが待てどもフロネ・アスは戻って来ない。 幾千年、幾万年もの歳月を経て、黒孔雀たちは子孫を育み、その躯に眠るフロネ・アスの血を護ってきた。たとえその身が朽ち果てようとも、フロネ・アスの貴き血は黒孔雀の子孫に代々受け継がれていくのだ。 永遠に・・・時を越えて。我々は遥か未来に再びフロネ・アスに出会うだろう。 エル・ラザ伝承の古代神話『黒孔雀伝説』より |
黒孔雀
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