† THEATER OF MOON †

つきこの創作小説劇場◆愛と幻想・・・妖しくも美しい禁断の物語へようこそ!更新遅れてすみません。

第一章 神の子

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「ねぇ・・・オル・ザハト・・・」
 リカエルは甘えるような声で、どこかはにかみながらオル・ザハトを見つめて言った。
「僕・・・お腹がすいたのだけど・・・」
「ああ・・・殿下は昨日から何も召し上がっていらっしゃらないとか・・・すぐにお食事の準備をしていただくように・・・」
 慌ててリカエルから離れ、寝台から立ち上がったオル・ザハトの腕をリカエルはすかさず掴んだ。
「殿下・・・?」
「オル・ザハトも僕と一緒に食事をしてくれる?」
「それは・・・殿下とお食事をするなど・・・」
「心配しなくてもいいよ。いつも食べきれないほど作ってくれる。そんなに食べられないよって言っても僕の為とか言うんだよ。だからきみが一人増えたくらいどうってことないから気にしないで。」
「いえ、そういうことではなく・・・」

 オル・ザハトは部屋の外で何か物音がするのに気づいて寝所の扉をそっと開けた。
 オル・ザハトは目を見開いた。隣の部屋では慌しく小間使いたちが食事を運びこんでいた。大きなテーブルの上に次々と並べられていく豪勢な料理の数々・・・

 オル・ザハトに気づいた侍従の一人が声をかけてきた。
「殿下はもうよろしいのでしょうか?お食事の用意が整いましたのでどうぞこちらへ。」
 テーブルには二人分の食事が用意されていた。
「オル・ザハトどのもよろしければご一緒に。まだお昼を召し上がっていらっしゃらないのでしょう?」
 そう言われてふと気づいた。時計はとうに午後を過ぎており、自分も昼食を食べていないことを思い出していた。
 寝台から物憂げに這い出してきたリカエルがオル・ザハトの背中にもたれるようにして立っていた。
「ほら、何も心配しなくてもいいでしょう?」
 屈託のない笑顔にオル・ザハトも笑って返した。

 リカエルは夜着の上からゆったりとした長い上着を羽織った姿でテーブルに着いた。オル・ザハトにも椅子に腰掛けるように促した。
 目の前にずらりと並べられた料理は確かに食べきれないほどの量であった。
「夢みたいだ。きみとこうして食事が出来るなんて・・・」
 嬉しそうにリカエルは微笑んでいた。
「美味しい?きみの口に合う?」
「ええ、こんなに贅沢な食事は初めてでございます。」
 夢を見ているのは自分の方ではないかと思いながら、オル・ザハトは料理に舌鼓を打った。
「殿下はいつもこちらでお食事を・・・?」
「うん・・・いつもここで・・・」

 リカエルの顔が淋しそうに翳った。

「ずっと一人だった・・・」

 オル・ザハトは胸が痛んだ。

 自分はエル・ラザの実家にいたときもいつも家族と一緒だったし、ラジールに来てからも学院の食堂や寮の食堂で大勢の仲間達と共に食事をしていた。常に誰かが傍にいたし、一人で淋しい食事をすることは滅多になかった。だが殿下は・・・いつも一人だったのだ。

「でも今日はオル・ザハトがいる。誰かと一緒に食事をするのがこんなに楽しいなんて思わなかった。いつも美味しいなんて思ったことないのに・・・今日はなんだかとても美味しい。」
 本当に美味しそうに食事をほおばるリカエルを見てオル・ザハトは少し安心した。オル・ザハトもリカエルと一緒にこうしていられることに至福の時を感じていた。
 不思議な気分だった。誰もが羨むラザの王子を・・・神の子として称えられるフロネ・ラ・リカエルを自分はこんなに近くで見ていられるのだ。
 リカエルがオル・ザハトを見てやさしく笑った。その眩しいくらいの笑顔にオル・ザハトは、その笑顔をずっと傍で見ていたいと思うのだった。


 翌朝、空はよく晴れ渡り、清々しい空気に満ち足りていた。
「オル・ザハト、おはよう。」
「やあ、おはよう。」
 ラザの王立学院の学生寮の食堂で行き交う生徒達の中にオル・ザハトがいた。
「きみもう大丈夫なの?体調は?休んでなくて平気?」
「ああもうすっかり・・・心配かけてすまない。」
 オル・ザハトの顔がなぜか晴れ晴れとして輝いていた。
「あれ・・・?なんかきみ・・・」
「・・・?」
「いや・・・きみのそんな顔初めて見る。」
「え?なんか変かな?」
「違うよ・・・オル・ザハト。きみなんかいいことでもあった?」
「どうしてそんなこと・・・」
「だって朝から嬉しそうな顔をしているよ。」
 オル・ザハトははっとして顔を赤らめた。自分でも気づいていなかったことを指摘されて、オル・ザハトはいつになく動揺した。
「おはよう。」
「おはよう・・・あれ?オル・ザハト・・・何笑っているの?」
「今朝は顔色いいじゃない。元気そうでよかった。」
 オル・ザハトの着いた食卓に次々と級友たちが集まってきた。
 あっというまにオル・ザハトを囲んだ食卓が賑やかになった。楽しい仲間たちとのお喋りが一層オル・ザハトの心を和ませた。
 
 オル・ザハトを変えたもの・・・それは紛れもなくリカエルの存在であった。オル・ザハトはリカエルに出会ったことで自分自身の運命が変わったことにまだ気づいてはいなかった。
 そしてそれはこれから始まるであろう物語の予兆に過ぎなかった。







◆皆様、「第一章 神の子」をご愛読いただきましてありがとうございました。
 この続きは「第二章 ウルリカ」でお楽しみくださいませ。
*R15*ご注意ください


 寝台の中からリカエルの悲痛な声が聞こえてきた。
「抱いてくれないの?僕がこんなにきみのことを想っているのに・・・きみは・・・」

 信じたくなかった。リカエルが自分を誘っているなどと・・・嘘でもいいから違うと言ってほしかった。

「僕のこと軽蔑している・・・そうでしょ?僕が誰とでも寝るから、きみはそんな僕を蔑んでいる。」

 私が殿下を蔑んでいる?何故そんなふうにご自分を卑下なさるのだ?

 オル・ザハトにはリカエルが何を考えているのかわからなかった。
「殿下・・・私はそのように殿下のことを思ったことはございません。私はそんな殿下のお姿を見たくて参ったわけでは・・・」
 リカエルが躯を震わせて必死で涙を堪えているのがわかった。
「殿下・・・」

 今にも泣き崩れそうな殿下を私は追い詰めて苦しめているのか・・・?私は殿下の純粋なお心を踏みにじってしまったのか?

 オル・ザハトはリカエルの傍に近寄った。
 リカエルはオル・ザハトを見上げた。リカエルの瞳から涙が零れ落ちた。
 オル・ザハトはどうしていいのかわからずリカエルに手を差し出した。リカエルはオル・ザハトの腕にしがみついて胸の中に飛び込んできた。気がつくとオル・ザハトはリカエルを腕の中でしっかりと抱き締めていた。

 殿下が泣き止むまでこうして抱いていてもいいのだろうか。

 リカエルの躯は思ったよりも細く、強く抱き締めれば壊れてしまうのではないかと思うほど繊細な硝子細工のようであった。オル・ザハトはリカエルの髪をそっと撫で、額にやさしく口づけを落とした。
 リカエルは驚いたような顔をした。そして恥ずかしがるように顔をオル・ザハトの胸に埋めてきた。オル・ザハトはふと肌に何かが触れるのを感じびくっとした。
 いつのまにかリカエルの指がオル・ザハトの胸元に滑るように入り込んでそっと肌を這わせていた。
「殿下・・・」
 オル・ザハトは慌ててリカエルの手を制止した。驚いたのはリカエルのほうだった。
「僕にこんなことされるのは嫌・・・?」
「殿下・・・どうかお慎みを・・・みだりにそのようなことをなさるものではございませぬ。」
「どうして?オル・ザハトは僕が欲しくないの?皆僕を拒まない。皆僕のことを愛してくれるよ。なのに・・・オル・ザハトは僕を愛してくれないの?」
 リカエルの瞳が悲しそうに訴えていた。
「ご自分をもっと大事になさいませ。あなたはご自分が何であるかおわかりでない。」
「オル・ザハト・・・きみ意地悪だ。僕をその気にさせておいて今更僕を戒めるようなことを言う。」
「あなたのことを思えばこそ・・・私はあなたのことが心配でなりませぬ。」
「僕はきみだけだって言っただろう?きみに会ってから僕にはきみだけだ。きみを知ってから僕は・・・誰とも寝ちゃいない。オル・ザハト・・・ずっときみだけだ。僕はきみのことばかり考えていたのに・・・」
「殿下・・・」
「きみに抱かれることばかり考えていた。ずっと待っていたのに・・・きみは僕の気持ちに気づいてくれなかったの?」
 オル・ザハトは次々に吐き出されるリカエルの言葉を聞いて胸が痛んだ。

 ああ・・・私はそんなことを殿下に言わせてしまうとは・・・気づいていないはずがなかった。今までの殿下の言動はどれも私に好意を寄せているとしか言えないものではなかったか。

 オル・ザハトはどうしようもない焦燥感に駆られた。
「お赦しくださいませ。どうかこのオル・ザハトが至りませんでした。殿下への気遣いが足りませんでした。」
「だったら僕を抱いて・・・きみが欲しくてたまらない。こんなに我慢したことなんてないのに・・・」
 リカエルはオル・ザハトの首筋に腕を絡めてきた。オル・ザハトは首を振った。
「いけませぬ。どうかお放しを・・・」
「いや・・・放さないよ。」
 リカエルはオル・ザハトに唇を寄せてきた。熱いリカエルの唇がオル・ザハトの唇に重ねられた。離れようとしたオル・ザハトを逃がさないとばかりにリカエルは強く抱き締めていた。

「オル・ザハトが僕に口づけしてくれるまで、僕はきみを赦さないから・・・」

 リカエルの瞳は涙で潤んでいた。穢れない光を放つその金色の瞳にオル・ザハトは応えなければならないのだと悟った。

「殿下・・・」

 オル・ザハトはリカエルの唇をそっと啄ばんだ。それだけでリカエルの口からは甘い吐息が漏れた。オル・ザハトはリカエルの求めるまま舌を絡ませ口腔を余すところなく舐め尽した。リカエルの甘い蜜を舌の先から吸い上げると蕩けるような感触が躯全体を走った。思いがけなくオル・ザハトに何度も深く唇を吸われ、リカエルは堪らなくなりオル・ザハトにしがみついた。

「ああっ・・・んん・・・」

 オル・ザハトはそっとリカエルから唇を離した。リカエルの頬は紅潮し唇は艶やかに紅く濡れていた。放心したように力の抜けたリカエルにオル・ザハトはやさしく言った。
「これでお赦しいただけますか?」

「・・・」

「まだお赦しいただけませぬか?」

「オル・ザハト・・・僕を愛していると言って・・・」

 オル・ザハトは目を細めた。躊躇うことなどなく静かに微笑んだ。

「殿下・・・愛しています。」

 リカエルの瞳から大粒の涙が零れた。まるで緊張の糸が切れたかのように、リカエルの涙はとめどなく溢れては流れ落ちた。

 その言葉をどれだけ待ち望んだことだろう。そう・・・たった一言・・・それだけでよかったのだ。それだけで自分は安心できたのだ。他には何も要らない。傍にこうしてオル・ザハトがいるだけでよかったのだ。それなのに・・・

「ごめん・・・オル・ザハト・・・」
 オル・ザハトは何故リカエルが自分に謝っているのかわからなかった。
「もうあんなこと言わないから・・・オル・ザハト・・・僕を嫌いにならないで。」
 オル・ザハトは黙って微笑むと、涙で濡れたリカエルの頬をそっと指で拭った。
 リカエルは自分自身気づいていなかった。人を愛することに自信が持てなくなっていたことに・・・リカエルはずっと怯えていたのだ。

 あの日・・・レターラに決別を余儀なくされた日・・・あの日以来リカエルは人を愛することが怖くなっていた。生まれてからずっと挫折など味わったことのないリカエルにとって、自分を拒む者など誰もいないと信じていたのだ。誰もが自分のことを愛してくれるものと信じて疑わなかった。それなのにレターラだけは違っていたのだ。彼女は躯を奪われても心だけはリカエルに許してはくれなかった。自分の子を宿しても決してリカエルには屈しなかった。リカエルは自分の負けを認めたくなかったが、生まれて初めて愛してもらえない辛さと絶望を知った。

 オル・ザハトがリカエルの身にそんなことがあったなどと知るはずもなかった。何故リカエルが自分に対して弱い部分を曝け出すのかわからなかった。
 リカエルは怯えていたのだ。オル・ザハトもまたレターラのようにリカエルを拒むのではないかと・・・強引に迫っても彼女のように拒絶されて自分から離れていってしまうのではないと・・・ずっと懼れて今までのように強気のリカエルではいられなかったのだ。
 心ではわかっていた。そんな嫌な想いを二度としたくなかった。だが躯は・・・躯の奥から湧き上がる欲情は抑えることが出来ない。オル・ザハトのことを考えるだけで躯が疼いてどうしようもなかった。その矛盾した狭間の中でリカエルは苦しさにずっと喘いでいた。その抑え切れない昂りがリカエルに子供のような退行現象を呼び起こしていた。
 オル・ザハトは時折見せるリカエルの自制がきかない行動に困惑したが、それは純粋さゆえの素直な感情の表れなのだと理解出来た。
 オル・ザハトの前ではまるで子供のように感情を露にするかと思えば、大人のように愛を求めてくる。それが自分にも責任があるのかと思うと、一層リカエルが愛しく思えてきた。無意識のうちにオル・ザハトはリカエルの髪を撫でていた。
 リカエルはオル・ザハトの指の感触に驚いた。オル・ザハトは慌ててリカエルから手を離した。

「すみませぬ。つい・・・お赦しを・・・」
 リカエルは黙って首を横に振った。
「オル・ザハト・・・ずっと僕の傍にいて・・・ううん・・・オル・ザハトの時間の許す限りでいい。僕に会いに来て・・・お願い・・・。」
 リカエルにそう懇願されて否などと言えるわけがなかった。
「殿下がそうお望みであれば・・・出来る限りのことはいたしましょう。」
 リカエルは安心したのか以前のような明るい笑顔に戻っていた。







 翌朝はお天気もよく、暖かな陽気に包まれて授業を受ける生徒達は皆朝から眠そうな顔をしていた。しかも歴史の授業などの緊張感のない時間は特に酷いものである。
 本を読む教師が教室を見渡し呆れていると、気になるものを見つけたのか声が止まった。
「オル・ザハト。」
 突然教師がオル・ザハトの名前を呼んだ。
「オル・ザハトくん。顔色が悪いようだがどこか具合でも悪いのかね?」
「・・・」
 生徒達の目が一斉にオル・ザハトに注がれた。
「すみませぬ。授業を中断させて・・・申し訳ありませんが早退させていただいてもよろしいでしょうか?」
 教師も驚いた顔をしたが、周りの級友達も驚いていた。
「ああ、気にしないで。一人で帰れるか?勉強のしすぎじゃないのか?あまり無茶してはいかんよ。」
 教師にそう言われ、立ち上がったオル・ザハトに皆心配そうな顔を向けた。
「大丈夫か?医務室に連れて行ってやろうか?」
「ありがとう。でも一人で大丈夫だから・・・」
 いつもと様子が違うオル・ザハトの背中を級友たちは見送った。

 オル・ザハトは蒼ざめていた。昨夜はほとんど眠っていなかった。ずっとリカエルのことを考えてしまって眠れなかったのだ。自分でもどうかしていると思った。

 何故に自分がこんなにも悩まなくてはならないのだろう。

 寮に帰って自分の部屋に閉じこもったが気持ちは落ち着かない。寝台で仰向けになってみても、リカエルの顔が頭をちらついて離れない。そうしているうちに胸が苦しくなってきた。
 オル・ザハトはそんな自分の姿が情けなく思えた。いつまでもこんなことでは何も解決しない。オル・ザハトは意を決意して寝台から起き上がった。

 殿下に会いに行こう。会って確かめよう。そうすれば何もかも済むことじゃないか。


 城に来てみたもののリカエルの住む宮殿に行くのをオル・ザハトは戸惑った。
 昨日自分は殿下に会いに行かなかった。約束を破った自分を殿下はどう思っているのだろう。私のことをお赦しにはならないだろう。私はどんな顔をして殿下に会えばいいのか・・・
 リカエルの宮殿の前に来たとき、侍従が慌ててオル・ザハトの前に現れた。
「オル・ザハトどの。お待ちしておりました。どうか早く殿下の所へ・・・」
「何かあったのですか?」
 オル・ザハトは侍従の様子に異変を感じた。
「殿下が昨日からご機嫌が悪くて、ご寝所に篭られたまま出てこようともなさいません。お食事をお運びしても何も召し上がらないのでございます。どこかお加減でも悪いのかとお聞きしても何も申されないのです。」
「どうしてそんなことに・・・?」
「何を申されます?オル・ザハトどの。昨日あなたがお出でにならなかったから殿下が癇癪を起こされて大変だったのですよ。我々では到底手が付けられませぬ。」
「私のせい・・・?」
 オル・ザハトは驚いて言葉にならなかった。
「他に何があるというのです。どうか殿下に謝罪なさいませ。今ならまだ殿下もお許しくださいましょう。」

 なんていうことだ。自分は殿下を悲しませるようなことをしてしまった。殿下の信頼を裏切ってしまったのだ。そんな自分を殿下はお許しくださるはずがあろうか。

 侍従に促されリカエルの部屋に入った。奥の間と寝所を隔てる扉はまだオル・ザハト自身開けたことはなかった。

 この中に私が足を踏み入れてしまっていいのか?いや何があっても殿下の赦しを請わねばならないのだ。躊躇っている場合ではなかった。

 オル・ザハトは覚悟を決めて寝所の扉を叩いた。
「殿下、オル・ザハトでございます。昨日殿下とのお約束を破ってしまったことをお詫びに参りました。お許しいただけるとは思っておりませぬ。ですが、どうか出てきてはいただけませぬか。お願いでございます。」
 部屋の中から返事はなかった。オル・ザハトは大きく息を吐いた。
「殿下、どうかお願いでございます。私の顔も見たくないと言うのであればそれでもかまいませぬ。どうかお声だけでもお聞かせ願いませぬか。」
 殿下からの返事はなかった。

 もはやこれまでか・・・私がつまらぬことで悩んでいなければ・・・

 諦めようとしたそのとき、手で押した扉が簡単に開いた。

 鍵はかけられてなかったのか?これは中に入ってもいいということだろうか?

 オル・ザハトはそっと扉を開け中に入った。部屋の中は窓も閉め切られており薄暗かった。王子の寝所は思ったよりも広く、寝台は部屋の奥深くにあるようでリカエルの姿はすぐには見つけられなかった。
「殿下、失礼いたします。オル・ザハトです。お近くに行ってもよろしいでしょうか。」
「・・・」
 やはり返事はなかった。眠っていらっしゃるのか?そう思って確かめようと寝台の傍まで行った。もう一度声をかけてみた。
「殿下、オル・ザハトです。」
 天蓋の下で僅かに動く気配を感じた。
「殿下、申し訳ありませぬ。どんな謝罪の言葉もお赦しいただけないことは承知しております。どうか最後に一言だけでもお声を・・・」
 オル・ザハトは寝台の前で平伏し頭を下げたままだった。

「オル・ザハト・・・」

 天蓋の中から弱々しい声が聞こえてきた。いつものリカエルの明るい声ではなかった。
「どうして・・・昨日来なかったの?・・・ずっと待っていたのに・・・」
 オル・ザハトはリカエルの声を聞いて少し安心したが、その悲しそうな声に胸が締め付けられる想いであった。
「申し訳ございませぬ・・・」
「それじゃわからない・・・オル・ザハトは僕が嫌いになったの?僕に会うのが嫌になったの?」
「殿下・・・」
「僕がオル・ザハトに嫌われるようなことでもした?僕何かいけないことでもした?」
「・・・」
 オル・ザハトは自分を責めるかのようなリカエルの言葉に胸が痛んで仕方なかった。
「あなたは何も・・・悪いことなど・・・」
「だったら何故・・・?」
 オル・ザハトはリカエルになんて言っていいのかわからなかった。元より赦してもらおうなどと思ってもみなかったから、言い訳など出てくるはずもなかった。

「オル・ザハト・・・僕のこと好き・・・?」

「殿下・・・」

「きみは一度だって僕のこと好きだなんて言ってくれなかった。僕はいつだってきみのこと・・・」
「おやめください。そのようなこと・・・私は・・・」

「オル・ザハト・・・この前のように僕に口づけして・・・」

「・・・」

「ねぇ・・・僕を抱いて・・・」

 オル・ザハトは思わず顔を上げてリカエルに目を向けた。リカエルもまたオル・ザハトを見つめていた。








 午後の授業が終わって皆が帰ろうとしている頃、息を切らして一人の生徒が教室に飛び込んできた。
「おい。この前の試験結果が掲示板に張り出されているぜ。」
「本当に?で、今度は誰が一番だ?」
「そんなのは決まっているだろう?オル・ザハトだよ。もう断然の堂々一位だ。」
「やっぱり。そうだと思った。」
 皆口々にそう言うとオル・ザハトの周りにあっというまに人だかりが出来た。
「すごいよな。連続一位なんて記録更新しているのはオル・ザハトだけだよ。」
「どうしてこうも頭の出来が違うんだろうね。」
「よせよ。恥ずかしいだろ。」
 オル・ザハトは照れた笑いを浮かべた。
「それじゃ、もう行くから。」
「おい、待てよ。オル・ザハト・・・」
 友人達の間をすり抜けるようにしてオル・ザハトが出て行こうとした。
 オル・ザハトが教室を出ようとしたそのとき、入れ替わるように中に入ってきた生徒の一団とぶつかりそうになった。
「あっ、失礼。」
 咄嗟に避けようとしたオル・ザハトを見て、相手は道を塞ぐようにオル・ザハトの前に立ちはだかった。
「おやおや、これはオル・ザハトどの。そんなに急いでどこへ行くのかな?」
 オル・ザハトは日頃から敵対している級友たちに囲まれ、足を止められた。
 途端に教室内を緊張感が走った。
「一位とったからっていい気になっているんじゃないの?」
「ふん、いつもお高く留まりやがって。気に入らないな。」
 売られた喧嘩を買う気はなかった。オル・ザハトはいつもと変わらぬ態度で相手を見据えた。
「悪いがそこをどいてくれないか。」
「俺達の相手は出来ないっていうのか?」
「はは・・・それはそうだろう?なにしろこのオル・ザハトはラザの王子のお相手を務めるくらいだからな。」
 男の冷ややかな態度にオル・ザハトの顔が一瞬曇った。
「おい、何だよ。ラザの王子って・・・何オル・ザハトに絡んでいるんだよ?」
 外野から野次が飛んだ。教室内が途端にざわつき始めた。
「オル・ザハト、きみ・・・ラザの王子と逢引しているんだって?知っているぜ。」
「ラザの王子ってまさかフロネ・ラ・リカエル?」
「それって本当なのか?」
 皆寝耳に水といったかんじで一様に驚きを隠せなかった。オル・ザハトはそんな質問にも無言で答えようとはしなかった。
「品行方正で通しているオル・ザハトがまさかね・・・」
「なんだよ。ロイド。言いたいことがあるならはっきり言えよ。」
 オル・ザハトの応援団も掴みかかりそうな勢いで応戦した。
「言っていいのか?オル・ザハト・・・」
「・・・」
 ロイドが何を言おうとしているのかわからず、オル・ザハトは終始黙ったままだった。

「王子は男も女も相手構わず寝るんだそうだ。オル・ザハト、きみももう王子と寝たんだろう?」

 教室の中が静まり返った。と同時に皆一斉にオル・ザハトに目を向けた。
 オル・ザハトの怜悧な瞳がロイドを睨み付けていた。
「どこでそんな根も葉もない噂を聞いてきたのか知らないが、憶測でものを言うのは止めたほうがいい。」
「なんだって?きみは知らないのか?・・・それとも王子の毒牙にもうやられちゃったのかい?」
「殿下はそんな方ではない。私は殿下の勉強相手としてお会いしているだけだ。殿下のことをよく知りもせずに誹謗中傷するのは慎むがいい。」
「うっ・・・」
 オル・ザハトに否定され言葉に詰まったロイドは怒りが治まらなかった。
「まだ何か・・・?それ以上殿下を侮辱すればきみはただではすまなくなる。」
「何が言いたいんだ?」
「きみの行為はラザ王家への侮蔑、強いてはラジールの国家への反逆罪とみなされる。それでも構わないのか?」
 オル・ザハトの圧倒的な迫力に押され、ロイドたちは顔を真っ赤にして後じさりをした。
じりじりと追い詰めるオル・ザハトに反撃も出来なくなったロイドはちっと舌打ちをした。
「覚えていろよ。このままで済むと思うな。」
 そう言い残すとロイドたちは慌てて教室から逃げるように去っていった。

 教室を包んでいた静寂が破られた。
「へっ、負け犬の遠吠えかよ。」
「ロイドのやつ何かとオル・ザハトを目の敵にして感じ悪い。」
「オル・ザハトが来てから自分が上位入賞果せなくなったから僻んでいるのさ。」
「自分の無力を棚に上げて本当に嫌なやつだ。」
 友人達がオル・ザハトの周りに集まってきた。
「しかしすごいよ、オル・ザハト。かっこよかった。」
「惚れ直したよ。日頃無口なきみがあんな饒舌だとは知らなかったな。」
「あいつすっかりたじたじになって・・・オル・ザハト?」
 上の空になっているオル・ザハトを友人は訝しげに見つめた。
「あっ・・・何・・・?」
「ところでさっきの話本当なの?王子と会っているって・・・」
「・・・」
「なんでそんなこと隠しているんだよ。最近付き合い悪いと思ったら・・・」
「そうだよ。王子の勉強相手ってすごいことじゃないか。」
「さすがはオル・ザハトだ。どうやって王子と知り合ったの?」
 オル・ザハトは大きく溜息をついた。
「きみたちに話したらあっという間に噂話にされてしまう。それに話すほどのことではないよ。」
 オル・ザハトは軽くかわして、なかなか口を割ろうとしなかった。
「まさかロイドの言ったこと違うよね?昔ちらっと聞いたことがあるんだ。リカエル王子は気に入った相手を見つけるとすぐ誘うって・・・まさかきみ・・・」
 オル・ザハトの穏やかな顔が急に翳った。
「きみも同じ事を言われたいのか?」
「ごめん。僕はそんなつもりじゃ・・・」
 オル・ザハトは友人達の言葉を遮って、そそくさと教室を後にした。
「おい、怒らせちまったぜ。」
「珍しいな。彼があんなに向きになるのって・・・」
「案外本当なんじゃないのか。王子と・・・」
「馬鹿!オル・ザハトがそんなことするわけ・・・」
「なんだよ。急に黙って・・・」
「いや・・・まさかね。ありえないよ。」
 オル・ザハトのことを信じている友人達は皆黙って頷くしかなかった。

 オル・ザハトは寮に帰り、寝台の上で横たわっていた。
 リカエルに会いに行く予定だったが、行く気がそがれて寮に帰ってしまったのだ。級友たちの言葉が頭の中を駆け巡った。

『王子は男も女も相手構わず寝るんだそうだ。オル・ザハト、きみももう王子と寝たんだろう?』

 オル・ザハトは頭を振った。
 まさか殿下がそんなこと・・・信じたくはなかった。だが完全に否定出来ない自分がいた。
 思い起こせば不思議なことがいろいろあった。

 金樹の森でお会いしたときも、ほとんど初対面の自分に躊躇いもなく殿下は接吻をした。そして私に接吻するようにせがんだかと思えばお返しに熱い口づけと抱擁をなさった。
 殿下の部屋に行ったときも背中を抱き締められたり、私の胸に顔を埋めてきたり・・・

『オル・ザハト・・・もっと僕を抱き締めて・・・』

『好きだよ。オル・ザハト・・・ずっと僕の傍にいて・・・』

『そうだ。きみ、泊まっていけばいい。そしたら朝までゆっくり一緒にいられる。』

 リカエルの言葉が鮮明に頭の中で蘇った。
「あれは・・・そういう意味だったのですか?」
 オル・ザハトはリカエルの求めるものが自分自身であったなどと考えたくはなかった。
「違う!そんなはずは・・・」
 オル・ザハトの頬を涙が伝った。







 午後の授業が終わり、学院の生徒達は皆そそくさと教室を後にしていた。
 本を片付けて立ち上がったオル・ザハトに、教室に残っていた数人の生徒達が声をかけてきた。
「オル・ザハト、きみも行くだろう?久しぶりに皆で街に繰り出そうって・・・」
「ああ・・・すまない。今日は用事があって・・・悪いけど一緒に行けない。」
「えっ?!行かないの?きみがいないと困るよ。」
「・・・?」
「まさかきみ彼女と逢引っていうんじゃ・・・」
「違うよ。そんなんじゃない。」
「怪しいな・・・白状しろよ。全く隅に置けない・・・で、相手はどんな子だい?」
「この期に及んで図書館で調べ物とか言わないでよ。」
 友人達に取り囲まれ逃げ場を失ったオル・ザハトは苦笑した。
「ごめん。そうじゃないんだ。きみたちが期待するようなことは何もないよ。」
「本当に?う〜ん。信じられないな。きみ最近なんだか変だし・・・」
「おいおい。天下のオル・ザハトにそれはないだろう?ナタルス家ほどの名家なら許婚くらいいるだろう?なあ、オル・ザハト。」
「えっ?そうなの?オル・ザハト・・・もう婚約しているの?」
「ああ・・・まあ・・・親同士が決めたことだし・・・」
 オル・ザハトは隠しても仕方がないと思ってつい口に出してしまった。故郷に許婚がいるのは事実だった。
「ひゅー。さすがだな。その彼女って美人?」
「もういいだろう?冷やかすのなら勘弁してくれないか。」
 そう言って軽くあしらうとオル・ザハトは友人達の前から立ち去った。
「おい、オル・ザハト・・・」
 オル・ザハトは呼び止められても振り返ることもなく教室を出て行った。
「付き合い悪いな。オル・ザハトのやつ。街で女の子誘うのにオル・ザハトみたいなのがいてくれると楽勝なのに・・・」
「本当に逢引じゃないのかな?」
「よせよ。オル・ザハトってすごく真面目だからさ。俺達みたいに遊びで女の子に声をかけたりしないだろう?」
「あーあ、勿体無い。オル・ザハトくらい頭脳明晰容姿端麗なら女に不自由しないって思うけどね。」
「でも・・・最近なんか気になるんだよね。以前とは何かかんじが違うっていうか・・・」
「そういえば確かに・・・あのお堅い彼がちょっと柔らかくなったっていうか・・・前よりも笑うようになった。」
 どうやら級友たちはオル・ザハトのことが気になって仕方がない様子だった。

 オル・ザハトは一人で王城に向かっていた。
「やれやれ・・・連中のしつこさといったら・・・」
 オル・ザハトはくすりと笑った。
「何をどう間違えたら自分が女の子と逢引する話になるのだろう・・・?」
 ふとオル・ザハトの脳裏をリカエルの顔が過ぎった。
「確かに殿下は女性のように美しく少女のように可愛い方ではあるが・・・」
 オル・ザハトは何だか可笑しくなった。
「私があのリカエル王子にお会いしているなんて知ったら皆なんて思うだろう。さぞかし仰天するだろうな。」
 城に着いたオル・ザハトは昨日歩いた道を思い出しながら、リカエルの待つ部屋へと急いだ。
 侍従に通された部屋にはまたしても人の気配がなかった。
 まさかまたお庭で昼寝をされているのか・・・?そう思って奥の間に行ってみた。
「殿下・・・オル・ザハトです。」
 返事はなかった。部屋中見渡してみても殿下の姿は見当たらなかった。窓が開いていたのでまた庭にいらっしゃるのかと思い、オル・ザハトは部屋の奥に突き進んだ。

「しっ!」

「・・・?」
 足元から声がしたような気がした。だが床を見下ろしてもオル・ザハトには何も見えなかった。
「駄目・・・動かないで。」
 息を潜めた静かな声が、まるで耳元で囁くかのように響いてきた。
 オル・ザハトは思わず足を止めたが王子の姿は見えなかった。オル・ザハトはふと腰を下ろして屈んでみた。
 傍にあった木製のテーブルの下を覗くとリカエルが床に這うように身を屈めていた。
「殿下、一体何をなさって・・・」
「しっ、静かに・・・」
 リカエルが口元に当てた人差し指を、そっと前に差し出し無言で指を向けた。指の先に目をやると綺麗な黄色の小鳥がこっちを見ていた。
 オル・ザハトが驚いてリカエルに目をやると、リカエルはにこりと微笑んだ。

 これは・・・あの鳥を捕まえようとなさっているのか・・・?だがどうやって・・・?

 オル・ザハトが不思議に思っていると、リカエルは腕を伸ばして小鳥を呼び寄せた。小鳥はリカエルの指先に飛び乗り美しい声で鳴いた。
 リカエルは両手で大事そうに小鳥を抱え、そっと身体を起こした。
「ふふっ・・・駄目じゃないか。そんな所に隠れちゃ・・・」
 リカエルは優しく小鳥に話しかけていた。
「それは殿下が飼われている鳥ですか?」
「ううん・・・さっき窓から入ってきたの。大人しくていい子だよ。でも臆病なんだ。オル・ザハトの足音に驚いて椅子の下に隠れてしまった。」
 野生の鳥だというのに王子に懐いているのを見てオル・ザハトは目を丸くした。
「大丈夫だよ。オル・ザハトはきみを苛めたりしないから安心して。」

 このお方は鳥と会話が出来るのか・・・?

 オル・ザハトは不思議そうにリカエルを見つめた。
「ほら・・・オル・ザハト。来て・・・すごく可愛いんだよ。頭を撫でてやるとね、気持ち良さそうに目を細めるんだ。オル・ザハトも触ってごらんよ。」
 無邪気に微笑むリカエルがなんだか嬉しそうで、オル・ザハトも思わず笑みを零した。
「珍しい羽の鳥ですね。初めて見ます。この庭に住んでいるのでしょうか?」
「庭の奥は森につながっているから、ここはいろんな鳥たちが遊びに来るよ。皆僕と話してくれる。」
 窓の外から鳥たちが囀る声が聞こえてきた。
「迎えが来たよ。」
「えっ?」
「ほら、お帰り。皆おまえを心配して迎えに来たよ。また遊びにおいで。」
 そう言うとリカエルは小鳥を窓の外へ飛ばした。
 オル・ザハトは小鳥を見送るリカエルを不思議そうに眺めていた。
「どうしたの?僕・・・何か変・・・?」
「あ・・・いえ・・・殿下は鳥がお好きなのですね。まるで友達のように話しかけていらっしゃる。」
 リカエルは首を傾げた。
「鳥だけじゃないよ。森に住む動物たちは皆僕と仲良しだ。今度森に行く?オル・ザハトのことを紹介してあげるよ。」
 オル・ザハトはリカエルの冗談かと思って聞いていたが、その目は嘘を言っているようには見えず、真剣な眼差しでオル・ザハトを見つめていた。
 どうやら殿下は動物と心を通わせることが出来るらしい。そう思うと今までのことも全て納得がいく。甘やかされて育った我儘な王子かと思っていたが、心根は優しい方なのだ。ご友人のいない淋しさをそうやって埋めていたに違いない。
 オル・ザハトはそんなことを考えて少し安堵した。

「オル・ザハト・・・」
 リカエルのやさしい声が囁くように聞こえてきた。
「はい・・・?何か・・・」
「オル・ザハトもここに住んでいたらいつでも会えるのに・・・」
「それは無理でございます。」
「無理?どうして・・・?」
 オル・ザハトは困ってしまった。
「どうしてとおっしゃられましても・・・」
「僕、オル・ザハトのことが好きだよ。オル・ザハトは僕のこと嫌いなの?」
「そういうことでは・・・殿下のことを嫌いだなどと・・・」
 オル・ザハトはリカエルの純粋なまでの素直な感情に、どう応えていいのかわからなかった。
「こんなふうに僕と話してくれるのはきみだけなんだ。他の誰も本当の僕のことをわかってくれない。わかろうともしない・・・だけど、きみは違う。きみは・・・」
「殿下・・・?」
 リカエルは堪えるように俯いてしまった。
 オル・ザハトはリカエルの傍に行き、両手でリカエルの手をやさしく握った。
「私はまだ殿下のことをよく存じませぬ。殿下のお気持ちを察するほど出来た人間ではございませぬ。しかしあなたが私を必要となさるのであれば、こうしてお傍におりますゆえ、そんな悲しそうなお顔をなさいませぬよう・・・」
「きみ・・・やさしいね。泣きたくなるくらい・・・」
 リカエルの躯が小さく震えていた。まるで何かに怯える小動物のようだった。
「泣きたいのですか?泣きたければお泣きになってもかまわないのですよ。何も我慢することは・・・」

 リカエルの金色の瞳から涙が一滴零れ落ちた。

 リカエルは崩れ落ちるようにオル・ザハトの胸の中に顔を埋めた。オル・ザハトは震えるリカエルの肩をそっと抱き締めた。リカエルの嗚咽がオル・ザハトの胸に響いていた。しがみついてくるリカエルの腕が、何かに必死に縋りつこうとしているようだった。

 このお方はずっとお一人で耐えていらしたのか・・・?淋しさを誰にも打ち明けることもなく、こうしてただ堪えることしか出来ずに・・・一体何が王子を苦しめているのだろう。何不自由なくお育ちになっているように見えても、王子は心に闇を抱えていらっしゃる。私は何をしてあげたらいいのだろう。どうすれば殿下のお心をお慰めすることが出来るのだろうか。

「オル・ザハト・・・」
「はい・・・」
「オル・ザハトの胸・・・温かい。きみといると落ち着く。」
「殿下・・・」
「しばらくこうしていてもいい?」
「はい、殿下がそうしていたいのなら・・・私はかまいませんが・・・」
 リカエルは安心したのかオル・ザハトの胸に深く躯を預けてきた。リカエルの温もりと暖かな吐息が心地よくオル・ザハトにも伝わってきた。嫌ではなかった。リカエルとただ肌を寄せ合っているだけでこんなにも穏やかな気持ちになれるのかと、自分自身不思議で仕方なかった。慰められているのは私の方なのか・・・?そう思えるくらいリカエルを抱いた腕を離したくないと思う自分に気づいた。
 
 それから心を打ち解けあうことが出来たのか、オル・ザハトはリカエルの元を度々訪れるようになった。リカエルはオル・ザハトが来ると満面の笑みで迎えてくれた。オル・ザハトはリカエルの眩しいくらいの笑顔を見るのが楽しみで仕方がなかった。
 侍従達もすっかりオル・ザハトのことを覚えてしまったらしく、オル・ザハトが訪れると無言で王子の部屋に通してくれた。それほど王子の厚い信頼を得て、オル・ザハトは王城への出入りを自由に許されることとなった。
 生まれ育った城からまだ一度も出たことがないリカエルは城下での話や世間で何が起こっているのかオル・ザハトから聞きだすのが楽しみだった。オル・ザハトもまた熱心に自分の声に耳を傾けてくれるリカエルを見ているのが嬉しかった。








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