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朝鮮人の中にも良心的な人はいるもので、当たり前だけど。「親日派のための弁明」著者キム・ワンソプ…キム・ソンス君の証言として次の様に書かれてます。
日韓併合時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々も多かった。
《普段から人情に厚かった和夫は、小作料を収穫全体の10分の1しかとらず、村人達を家族のように考え、朝鮮総督府の法令で規定された小作料の中から最低限しかとらなかった。貧しい朝鮮の小作人が食べ物が無いと哀訴すると、喜んで食べ物を分け与え、村で誰かが亡くなると、家族全員が駆けつけて食事の用意は勿論、自ら慟哭までして悲しみを分け合った。
和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたがその数は一人、二人と増え、四、五年たつといつの間にか私設孤児院規模にまで増えてしまったけれども和夫夫妻はこれら孤児達を家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。和夫の家族はこのように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし、彼らは日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、自分達が育てた朝鮮人孤児達により、凄惨に殺害された。その日、彼がわが子のように育て、東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に、彼の家で教育を受け、育ち、成人した青年達13人が、斧と鍬、スコップを手に和夫のもとに押し掛けた。間髪入れず鍬が、和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に、数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。この時、和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは、和夫の妻を見て、彼女の長い髪をつかみ、庭の奥まった所に引きずっていった。そしてなんと13人がかりで、ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を、強姦しはじめた。(キム・ソンス君は、ここで自分が止めに入ったら、自分も殺されただろうと言った)
そして彼女は集団強姦の途中で虐殺され、Dは普段お母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず、彼女の内臓をひきずり出して、まき散らした。
和夫さんには「ひみこ」という娘が一人いた。普段から模範的で良い子だった。ひみこは学校が終わり家に戻り、両親に起きた惨状を見ると、気が触れてしまった。当時ひみこの慟哭が何日も続き、近所の住民は眠れなかったという。その後、孤児となったひみこは、食べ物乞いに村を回ったが、誰一人見向きもせず、知らないふりをした。結局ひみこは9日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。ひみこは小学6年生だった。和夫の財産は、和夫が精魂込めて大切に育てた朝鮮人孤児達の手に丸ごと渡り、この事件は、村人達の沈黙の中で徐々に忘れ去られていった。》…この本は韓国で「青少年有害図書指定」され、事実上の“発禁”となりました。
この本の著者キム・ワンソプさんのその後が心配です。迫害を受けているんじゃないでしょうか?従軍慰安婦の存在を否定した韓国の大学教授も国会議員に殴られ、元慰安婦婆さんの前に連れ出され、土下座をさせらている写真がありました。この様に韓国では気に入らない主張をする人間に対しては徹底的に弾圧しますね。
こういう和夫一家虐殺事件の様な事例は、当時の朝鮮半島では多くあったんじゃないでしょうか?中国残留孤児は大勢存在しますが、朝鮮残留孤児の存在は聞いた事がありません。これって、なんで???
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