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職場のパソコンの横に旅行する時お坊さんが持つ枕仏を置き、窓には虚空蔵菩薩のポスターを貼っている。元祖仏像好き女!今、若い女性に仏像ブームがあるそうで私は、またまた気分を良くした。私は、宗教好きの変わり者おばさんでは決してない。スピリチュアルは、自分を強くする修行なのだ。空海はその昔、四国の巡礼をしながら虚空増菩薩のマントラを何万回も唱える修行をしたそうだ。宇宙の智慧を司る虚空増鵜菩薩に、もっと研究のアイディアを出してくださいと祈るのも、モチベーションをあげる修行なのだから。今日も、枕仏を開けて、自分の幸せと家族の幸せを祈る。ところで、来年突然、家の近くの大学に移れることになった。しかも、教授就任で決まった。これで私も教授から始まるレースに乗れるの?
実は、この3年、仕事がおもしろくなって、ほとんどお寺に行っていない。今年は皆無だ。仕事がおもしろいとお寺に行かない。仕事がつまらなくなるとお寺に通う。人間そういうものかもしれない。特に密教の場合、現世利益がうたい文句なのだから、利益が欲しいときに信じ、幸せなら忘れる位の方が佛教的でいいのかもしれない。一時期、猛烈に佛教に凝って、自分でも出家するのかと思ったこともあった。そんなとき、良く行ったお寺の和尚さんから、佛教修行は一生もんだから、焦ってやってもしょうがないよと言われたことがあった。今日はいい天気だ。天上天下唯我独尊、青い空と海の中で、自分というかけがえのない存在がある。アメリカインディアンの詩に、「今日は死ぬのにもってこいの日」というのがあったが、この詩を読むと天上天下唯我独尊という言葉を思い出す。私にとって、この3年は、1日1日が勝負の連続だった。単身赴任という、清水の舞台から飛び降りるような過激な行為まで行った。でも全く後悔していない。天上天下でただ一人の存在は寂しいかもしれない。しかし、そこには何をしてもいい、どこに行ってもいい自由がある。しかもその自由には刃を突きつけられたような緊張感がある。欧米人が尊んできた個人主義もこんな鋭い緊張感を伴うものなのだろう。最近はまっている中国歴史ドラマでも、「後顧の憂いにならず」と武将の妻や母が頸動脈を切って自殺するシーンがあって感動した。あんな強い女性に支えられてきた中国人に日本人が勝てるわけがないよなって思ってしまった。
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