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挑戦4

私の趣味はJREC-IN(学振がやってる研究者転職サイト)を見ることです。短大に努めてるとき、学科長とうまくいかなくて辛い思いをして、20年務めた大学だったけど、やめることにしました。コネなし学歴なし、業績なしでも(こういうこともあろうかと論文はせっせと貯めこんでましたが)どこか転職するしかないと思い1年かけて転職先を探しました。そのとき書類を出したのは全国10か所の大学、そのうち面接にこぎつけたのは5か所、お金がかかるので返事が来た大学に順番で面接に行き、3校目でやっと内定が取れました。内定が来た翌日、学科長に呼び出されねちねち嫌味を言われ、「それではやめさせていただきます」と言えた時の気持ちと、次の仕事が意外にいい大学なのでびっくりした学科長の顔が忘れられません。快感でした。周りの人たちがびっくりしている中、家のローンが終わってるからいいよと言ってくれた夫に感謝。子供はぐれないように中学校から高校まで全寮制の進学校の私立一貫校へ入学させていました。我ながら先見の明があるというか、計画的犯行というかことを着々と進めました。ボケそうな父には夫を後見人に立て、母は有料老人ホームに入れ、知らない土地での単身赴任生活に踏み切りました。こうまで言うと相当金持ちみたいに思われるかもしれないけど、親は貯金0、田舎におんぼろ家があるだけで何にも財産はありません。成年後見制度を使ったのは、悪徳業者に騙されて私が払わなければならない借金を作らせないためでした。より良い職場に変わるための条件は、単身赴任をいとわないことです。そのためには、子供の教育、夫の協力、両親の処遇、家の借金をクリアしなくてはなりません。

挑戦3

挑戦3
看護師をやっていて、ベストを尽くしていたころ、どうしても割り切れないことがあった。「どうして研究発表の論文に研究してない上司や同僚の名前を入れなきゃならないの?」「どうして、患者さんは私を名前で呼んでくれないの?」「私の代わりの看護師なんてたくさんいるじゃない」であった。つまり、一般の看護師は患者にとって医師ほど子を問われない存在であり、病院にとっても看護師は個人ではなく、7:1看護のような数でしかないのだ。この疑問が、私に臨床での看護をあきらめさせた。現在のように専門看護師制度ができ、個人で仕事をすることができれば、満足度も違っていたかもしれない。結局、私は自分の名前で稼げる仕事に挑戦するしかなくなってしまった。そして、これは私にとっての満足度につながっていく。
今も、夫から、もういいから近くの病院で看護師してろよと言われてもできない相談になった。私は、パンのために仕事をしているわけにはいかなかったのだ。
はっきり言って、自分にしかできない仕事をするためには、プライベートを犠牲にするしかなかった。仕事9は、どこにいても追いかけてくるし、頭を離れない。

挑戦2

挑戦2 病院で働いて
私が若かったころ、大卒リベンジナースはほとんどいなかったので、同僚に大学を出てるといったことはなかったね。私の仕事は夜勤のトイレ掃除から始まったけど、そこで起こったことはすべて笑い話にしていたよ。精神病棟でストーカー患者から、私の出た大学から留学した大学、夫の仕事のことを大声で言われたとき、担当医は患者の妄想だと思ったそうだ。(患者はどうも数年前から私のテリトリーで私をストーカーしていたらしい、ただし患者は女性。この事件で、私はこんな自分でも憧れと好奇心でストーカーをされたことに内心驚愕してしまう。)
大学病院の看護部長はその後私を教員養成所へやって、看護短期大学の教員にしてくれた。
当時、看護診断に凝っていた私は、自分のケア計画にほれぼれしていて、とても子供の短大生を相手にする気などなかった。もし、臨床に残っていればCNSを目指していただろうと思う。13年も病院で働いていると、看護のどんなことを言われてもピンとくる。看護師と患者さんのどんな相互関係も表現できる。でもそれだけでは教えられない。もっと抽象度を上げねばならない。そのためにこっそり、通信制の大学院で勉強したりしていた。
短大で教員になったころ、私は学校で看護師上がりの教員と呼ばれていた。周りは東大の衛看卒業のおばさんばかりだったからね。書いた論文も紀要にも載せてくれなかった。そこでも大学卒であることや修士課程修了していることも言わなかった。13年の大学病院勤務が誇りだったからね。しかし、患者とはきちんと向き合ってきたけれど、上司や同僚ときちんと向き合って来なかったことに気が付いたのは、もっと後だった。

挑戦1

挑戦1 いつ始まったか
 私は、一般大学法学部を卒業して看護専門学校で資格を取ったリベンジナースです。大学卒業の時、内定が取れたのは、某出版社の契約社員だけだったのと、専業主婦で娘を結婚で高く売ろうとした母親のために、就職できず、ダブルスクール感覚で看護師免許を取りました。今は、うちの大学でも男子はほとんど大卒編入だし、准看護学校ですら大卒男子もいると聞いています。私が大学を出たのはバブル以前で女子学生の就職が少なかった頃でしたので、大学卒で看護学部に入ってくる学生の気持ちは痛いほどよくわかります。
はっきり言って、看護なんて誰でもわかる一般教養くらいにしか看護学生時代、私も思わなかったのです。いまでも教室の後ろで、覇気のない顔した編入組を見るにつけ思います。
 第一、グループワークの多い看護系大学の場合、高校出たての現役生から自分が浮きまくっていると感じます。本当はそんなことないんですけどね。看護師になって27年、日々看護の科学性、論理性に気付かされます。シーツ交換に人間性を、清拭に哲学を今の私は求めてしまうけど、今看護学生をしているリベンジ君には目先のリベンジに目が行き過ぎて、思考がそこまで回らないんだろうね。
 就職リベンジ君は崖っぷちなのでまだ頑張るものの、現役高校生理系クラス出身の子たちはやる気が起こらないんだろうね。理系の高校生は、医学部、歯学部、薬学部、工学部(一流校)、最下位看護学部らしいです。理系クラスだった息子に看護学部を進めたら、ずいぶん怒られました。つまり、理系クラスで看護以外に行けなかった生徒にとって看護学部に行くことは、プライドが許さないことらしい。でもね、確かに工学部出の夫には生涯賃金はかなわないけど、看護師も副病院長クラスや大学の教授クラスになれば年収1000万円代も夢じゃないんだけどね。看護職だって国家公務員の事務職より少しいいんじゃないかな。男性だったら育児休暇も取らず働けば、それ相当にもらえるはず。しかも、リストラは、ありえないです。

待て、そして希求せよ

希望しながら時を待つ、岩窟王モンテクリスト伯の名文句です。私にとって、この6年はまさに長い日々でした。それもこれも、自分の性格のために長年勤めた学校にいられなくなったことと、頑張って取った学位が文部科学省によって剥奪されたことです。おかげで、6年間家族と別れ北の国から南の国へと放浪の旅を余儀なくさせられてきました。しかし、6年間の放浪は職歴につながり、論文の数も増え、職位も上げることができ良かったです。でも期待の息子は一浪させてしまいました。ペットのトイプードルも早死に、親は2人とも認知症で老人ホームです。我が夫は頑張ってくれてましたけどね。
学歴も今年で博士課程5年目になりました。はっきり言って、50歳過ぎての学位の挑戦は正直きついです。でもこれは私と文部省との戦いでもあるので仕方ないですね。学位剥奪の折、私は大学を提訴したいと思いましたが、夫が無駄な時間を費やすならすぐに大学院に入りなおせと言ってくれました。まだ一年あるのでどんな仕上げができるのかわかりませんが。
これからの人生は、研究を推進するjこと、後輩を育てること、看護を愛することにささげたいと思っています。しかし、かつて私が米国の大学に騙されたように、日本の大学や大学院もかなり怪しいです。この怪しい社会で私自身が本物になるために何をするべきか希望しながら待ちたいと思います。

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