|
3年8組X月Y日、校内ソフトボール大会があった。1年から3年まで合計24クラスのトーナメントだったと思う。男子クラスの結束か!普段は話もろくにしないクラスメートとも勝利に向かって燃えた。決勝は8組エースのコントロールが乱れて先行を許す。記憶では5、6点は取られたと思う。そこから、雨が降り出す。こちらも、耐久作戦反撃開始。そして満塁。私の打席。振りぬいたバットは左中間をボールが抜けていった逆転のホームランとなった。先日写真をみた。 その時の皆の顔。 満足感いっぱいだった。 |
倉敷青陵高等学校陵歌
[ リスト | 詳細 ]
|
高校3年の時、8組男子クラスにはいった。男女共学なのになぜとの感もあったが、理系選択者は男子に偏り7組、8組は男子クラスとなった。この1年間は私を変えた。いつも控えめ、スポーツ、勉強は目立ったが、人間的にはぱっとしない私であった。ここで初めて悪友ができた。勉強をねたに先生をねたに深夜放送をねたにそしてあの彼女をねたに笑い飛ばすのが毎日となった。私も始めてリラックスすることを覚えた。なにせ、小学校6校、中学校3校を渡り歩いたので、礼儀正しく、本音を言わない、なぞの転校生的な感じを演じていた。高校3年間はやっと私を解放してくれたようだ。 |
|
バドミントン部は楽しんでいたのだが、親友ができないなと思っていた。2年の担任にも”君は大丈夫なのか?”みたいのことを言われ悩んだ記憶がある。3年に男子クラスになって悪友ができたのだが、いつも私のなかには孤独感がある。今年48歳の年男だがどうもさびしがり屋であることは変わらないようだ。 |
|
自転車置き場で交わす挨拶。それがどれほどときめいたものだったか。その一瞬が無常の喜びだった。その人は、高校3年間の2年間位は私の頭の中にあった。「かくとだに えやはいぶきのさしも草 さしも知らじな 燃ゆる想いを」、交換日記を申し出てみたが返事は緑のインクの手紙だった。「緑のインクで 手紙を書けばそれはさよならの 合図になると ♪〜〜〜」その意味を知ったのは大学に入ってからだった。 竹久夢路の美人画のような女性でした。 |
|
2年生の春 大会があってシングルス戦でベスト8に入った。実際は3回勝っただけであるがスポーツにおいて、何か大きな達成感みたいなものを感じた。それからは、練習もしたし寝る間際はいつもバドミントンの試合をイメージしていた。キャプテンもつとめた。団体戦は県でベスト4になったが岡山県開催のインターハイには出られず、3年に入る前に引退した。(受験校なのでこれが普通のパターンであった)練習は体育館の半面に3面ネットを張り、2面を男子、1面を女子が使っていた。残りの半面はバレー部かバスケットボール部が交互に使用していたと思う。女子バスケ部の一人に気にかかる子がいた。やめたと聞いてひどくがっかりしたのを覚えている。(誰にも悟られないようにしていた) |







