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現代UFO全史-28

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◆1973年1月、日本空中現象研究会が日本宇宙現象研究会(JSPS)と改称。
◆1973年1月7日 早朝警視庁に「白い月大の円盤が現れている」との110番通報が池袋、板橋、目白などから入り、同司令部は気象庁、天文台に問い合わせを行い「回転サーチライトが低空の雲に反射した」との推定で調べを打ち切った。
◆1973年4月、米国スタンフォード大学の天体物理学者ピーター・スターロック博士は、アメリカ航空宇宙学会(AIAA)サンフランシスコ支部の会員1175名を対象にUFO体験について質問紙法による調査を行った。その結果、全体の36%にあたる423通の回答が得られ、未知の空中現象の目撃報告があった。それらは「素人」によるUFO目撃報告と酷似していた。(UFOと宇宙)
◆1973年4月7日夜、東京消防庁へ「円盤発見」の119通報が世田谷地区よりあり、玉川消防署員が望楼に登って南の空に光る物体を認めた。目黒区一帯の住民からも119通報があり「白色電球のような光体」と表現され、消防署員は長時間の観察を行った。
 この出来事はNET系黒柳徹子司会「13時ショー」で取り上げられ、週刊大衆、プレイボーイ誌でも紹介された。
◆1973年6月27日午後2時頃、大阪府枚方市の小学3年生小林憲(11才)氏は友人の一本ひでき氏と宿舎屋上で遊んでいた時、一本氏が北東方向に奇妙な物を発見して小林氏に教えた。2人は屋上から降りて狭い路地から謎の円錐形物体を見上げた。小林氏はこのとき、持っていたカメラ(オリンパス・ペンEE)で3枚写真を撮った。この写真は枚方市香里(こうり)小学校丹羽久男教諭を通じて「少年チャンピオン」誌に掲載され、その写真がサンケイ新聞の我孫子記者によって近代宇宙旅行協会の高梨会長のもとに写真鑑定依頼として送付された。
 高梨会長は写真屋の都合でプリントされていなかった3枚目のネガを焼き付け引き伸ばしを行った後、撮影者小林氏宅を訪問して事情聴取を行った。その際、まだプリントされていなかった3枚目を本人に見せると「あ、こっちにも写っていたのか!」と初めて知って大喜びした。
 高梨氏はこの事件を真性と確認し『空飛ぶ円盤情報』1997年10月20日発行の72号で写真入りの報告を行った。
◆1973年6月30日、アフリカのチャド上空にて、英、仏の日食観測機コンコルドから科学者撮影のフィルム上に未確認の白熱光体像が発見され、直径200mのUFOと推定された。
◆1973年7月、日本GAP会長であった久保田八郎氏がコズモ出版を設立。初の一般向けUFO専門誌『コズモ』(後に『UFOと宇宙』と改称)が創刊される。隔月刊で430円。
◆1973年7月5日午後7時15分頃、秋田県鹿角市の国鉄十和田南駅の駅員数人は、上空にキラキラ光る明るい星状の物を見つけ10倍の双眼鏡で観察した。それは丸く光る物体のまわりにドーナツ状の輪があった。5分ほど彼らが見ていると、小さな雲がかかり、雲が動いたあとには物体は消えていた。これと同じ物体と思われるものが、同日午後7時25分、花輪線の十和田南駅近くから写真に撮られていた。それはテント状の構造をしていた。
(近代宇宙旅行協会 『空飛ぶ円盤研究』72)
◆1973年7月9日午後11時頃、山形県長井市で 発生した交通事故の現場検証の写真に、尾をひく発光体が写りこんでいた。その写真は、撮影 した巡査部長から民間のUFO研究団体に提供され、英国のUFO専門誌『FLYING  SAUCERREVIEW』の1973年12月号の表紙に紹介された。
(CBA『UFO NewS』1974年秋冬号)
◆1973年7月20日発行の『コズモ』創刊号「多条光線を放つ円盤」で英国のUFO研究家ゴードン・クレイトン氏は、UFOから放たれる指向性のある光線は、空中の円盤から光線に乗って人間が下降したり上昇したりする事例があることを冒頭で述べた。(『コズモ』1973年創刊号)
◆1973年8月1日午後11時47分、台湾台北市で2つの円形物体が撮影される。
◆1973年9月20日、米NASA宇宙実験室スカイラブにUFOが接近、撮影される。
◆1973年秋のある日の夜遅い時間帯、F.E.ウォーレン空軍基地第90戦略ミサイル団の発射管制インディアLCCにおいて、何物かの侵入を示す警報が発せられた。ウォルター・F・ビリングス中尉は、インディアの警備隊員から、回転するライトをもつオレンジ色に輝く大きな光体を目撃したという連絡を受けた。事件の後、ミサイルが徹底的に調べられ、恐らくUFOによるとみられる3発の弾頭の目標テープが消去された事実を確認した。(UFOs and Nukes)
◆1973年10月2日午後2時30分、南紀航空のセスナТU206は、北九州南部上空において“デルタ型”の物体と遭遇した。(CBA INTERNATIONAL UFO NEWS 1974年秋冬号)
◆1973年10月18日午後11時頃、米国オハイオ州コンバスとクリーブランドの中間地点の750メートル上空で軍用ヘリコプターが長さ15〜18メートルの金属的な葉巻型UFOと衝突コースで遭遇。直後にヘリは毎分300メートルの速度で上昇した。(エメネガー)
◆1973年10月29日午前0時30分、オーストリアの極地といわれるツヴェツトル地方トラウンシュタインの印刷工ヨハン・プリッツ氏(21)は自宅で就寝中、友人のカール・フィヒティンガー氏に起こされて外に出た。南の空仰角9度に、星より大きく輝く輪郭のはっきりしないオレンジがかった黄色の光体が見えた。フィヒティンガー氏が最初にこれを発見したのは28日午後11時30分頃で、彼は二人の村人に知らせ、友人プリッツ氏の寝室の窓をたたいたのであった。
 彼らは8×40の双眼鏡でその観察を始めた。その光体からは、2本のオレンジ色の光線が上方に向かってゆっくりと伸びて、左右に開いて緑色に変り、それが緑色のモヤのようになって落ちるように消えるのがみられた。5秒ほどたつと、再び光線が伸びて同じように開いて変色し、モヤとなって消え、そういう活動が延々と繰り返された。その光景はあたかもカタツムリが触覚を伸ばすのを思わせた。光線の長さは本体の4〜5倍あった。かれらはそれを“信号”と呼んだ。それは1分間内に少なくとも4回繰り返された。午前2時頃、光体の下から突然赤い光体が現れて離れ、凄い速度で東に向かった。赤い光体はいったん消えたが、再び現われると南の空の光体と同じ色彩となって滞空した。そして、最初の光体と同様、“信号”を発しはじめた。南と東に2つの光体が“信号”作業を繰り返すのを2人は見つめた。最初の光体を彼らは“母船”と呼んだ。ふと2人が西を見た時、いつの間にか別な巨大物体が現れていた。それは輪郭が明瞭であった。本体は暗い紫色で、ドームをもつ円盤の側面をみせており、周囲はボンヤリした黄色い光に包まれていた。驚いたことに、その物体からも2本の曲がった光線が夜空に発射され、やはり先端が緑色になって消え、それが繰り返された。信号活動する光体は3つになった。次に2人は、東の空の光体の近くに3個の小さい光球の現われたのに気づいた。これで光体は全部で6個になった。即ち、最初の“母船”が南南東に、次の東の光体は3個の新入りを従え、ドームのある円盤は西南西に見えていた。時刻は午前3時をすぎ、自動車が一台通りかかったので、空の異変を教えたがまったく無関心であった。午前3時30分、光体が動き始め、“信号”も止んで、まず1個が西空へ去り、一列に並んだ3個の小光体が南に去った。“母船”とドーム付円盤だけが元の位置にとどまっていた。2人は仕事があるため、ここで現場を離れた。(「UFOと宇宙」1975年6月号)
◆1973年11月3日午後4時45分頃、メキシコのモレーロス州で行楽地に車で出かけたメキシコ人ヒメネス夫妻(仮名)は、同州ココヨクとオアフテベク間の国道を走行中、夫人が空中に奇妙な物体を発見したので車を停めて二人は外に出た。それは梨を逆さにしたような物体で、その周囲に“触手”のような突起が数本出ており、それは空中を泳ぐかのように移動する進行方向とは逆方向にたなびいていた。この物体は“触手”を下に向けて着陸した。付近にいた地元の子供2人も目撃してその方へ走った。それは二人の車から300mほどの樹木のそばに停止していた。夫人が「早く逃げよう」というので二人は車でそこを去った。写真は目撃中に6枚が撮られた。(『UFOと宇宙』誌1977年8月号より)
◆1973年11月6日午後9時頃、米国ロングアイランド州フリーポート警察のパトロールマン2人は、駐車場で休憩中、向かいの建物の上空に明るい楕円形の光体を発見した。約10分後、それはゆっくり動き出してから停止。色彩を青、黄、赤と変化させた。再び物体は動き、また停止したとき、どこからか小さい似たような光体が現われて楕円形に接近、その中に入ってしまったように見えた。大きな光体は、次第に暗くなり、最後に非常な速さで南西に向かって消失した。(近代宇宙旅行協会 『空飛ぶ円盤研究』94)
◆1973年11月11日、韓国海軍改装魚雷艇乗組員は、仁川付近を航行中、海面上空30メートル以下を高速で飛行する白熱金属状の円盤を目撃。円盤は低空飛行を維持したまま魚雷艇の周囲を飛び回った後、雲の中に消え去った。(「UFOと宇宙」)
◆1973年11月17日午後6時過ぎ、オーストリアのツヴェツトル地方トラウンシュタインで印刷植字工ヨハン・プリッツ氏は、車で知人を訪問しての帰宅途中、南の木立上空に長円形の光体を目撃した。既に陽は没していた。光体は彼が前に見たのと同様の“信号”を発していた。彼は車に乗って、双眼鏡を取りに家に帰り、テレビを見ていた母親の窓の外を見るように頼み、外に出ると弟とその友人たちと出会い、光体を一緒に見た。
 プリッツ氏は再び車に乗り込むと、さらに目撃者を見つけるために走り、15分ほどで6人の目撃者が見つかった。目撃者たちは見晴らしの良い観測場所に腰をすえた。光体は仰角6度、方位200〜210度に静止し、縦長の長円形でオレンジがかった黄色に明るく光り、あまり目立たない何本かの“小触覚”の間からは例の2本の“触覚”がはっきりと伸びて、以前のような活動をしていた。しかし、変化が起った。それをプリッツ氏はこう語る。
 「突然、信号が止まり、まるでおもちゃの風船の空気が抜けるように全体がちぢんだ。光はだんだん赤く弱くなり、今にも消えそうになった。だが、再び急激にふくらんで次第にオレンジ色がかった黄色にもどり、ツノもふたたびはえてきた」
 ツノが伸び先端が緑色になって消え、暗闇が2〜5秒間続くという工程に、縮んだりふくれたりが加わった。縮む時間は3〜7秒で、ふくれるのはずっと速かった。
 午後7時過ぎ、プリッツ氏は新聞社に電話するため公衆電話に車を走らせた。その間に目撃者たちは2人を残して解散した。プリッツ氏が現場に戻ったとき、光体は赤と緑の発光を繰り返すと小さく縮み、血のように赤くなって、ゆっくりと沈んでいった。(「UFOと宇宙」)
◆1973年12月1日CBA『UFOニュース』キリスト特集号を発行
◆1973年12月23日東京世田谷の日本大学理学部講堂において、UFO・宇宙考古学研究家高坂剋魅氏の講演会が行われた。その講演会終了後、午後7時より運動場で円盤観測会が行われた。
 参加者は約100名で、運動場の池の周囲を参加者は手をつないでサークルを形成した。
午後8時頃、加藤好男氏(1952年静岡県生まれ)などが流星状のUFOを目撃した。高坂氏は加藤氏に観測方法を教え「毎日、時間を決めて継続すること」を強調した。
(1979年3月 晶文社 横尾忠則著『UFO革命』31-32頁)
※CBA設立者の1人でもあったGAPの久保田八郎氏が、ユニバース出版を立ち上げて発行した市販UFO雑誌『UFOと宇宙』の創刊号

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