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私のUFO仲間の方の親族の方々で、家を失った方、津波に飲み込まれた方、夫婦で津波に連れ去られ、連れ合いの一人は重症を負いながらも助かっていたことが病院で発見されたこと、など生々しい現場の状況を、垣間見るように知りました。
自分の住んでいた家が津波で流される、これだけでも、多くの人にとって、人生の終わりに近い衝撃です。「これから先、どうやって生きてゆけばよいのか」、海辺の町の住民の多くが、愛する伴侶、愛する子供、家族等を失い、将来の予定や夢も一瞬にして奪われたのです。
運よく生き延びて、避難生活に入った方々、また原発近くの人々が故郷を離れて、遠い見知らぬ土地に移り住むという、先の見えない不安、いろいろ考えますと、その精神的、肉体的負担は相当なものです。
残骸と化した家並みの1つ1つに、家族の暮らしがあり、個々の人生があったのです。家財、仕事の道具、書斎の書籍、趣味の道具、幼い頃からの、アルバムや賞状を含む様々な思い出の品々、これらがすべて流されてしまったわけです。
これを私にたとえたら、UFOの書籍、資料、電子ファイル、実録フィルム、実録ビデオなど50年以上にわたるUFO資料やUFO体験の蓄積が無に帰することです。人生が消滅するのと同じことです。もはや、1からやり直せ、といっても、もう先がありません。そういう状況の方々も多いことでしょう。
たまたま私は海辺には住んでいませんが、昔、浜辺の近くで海が毎日見られる住まいを見て、「いいなあ」と思ったことはあります。確か伊勢のほうに行ったときでしたか、或いは九州の有明海方面でしたか。
そのような海辺の町の景色に見とれていたときも、それから先の年月の期間も、「津波」という言葉や出来事は、まったく頭の中にありませんでした。
私はリアス式海岸の気仙沼とか仙台には行ったことがないのです。気仙沼には昔からUFO仲間が豊富にいましたが、次第に疎遠となってゆきました。
大船渡という地名は、母親から親戚筋があるという話を聞いたこと、また福島県も父親の故郷として記憶していた時期もありましたが、もはや50年以上がたち、それらは記憶の外に置かれています。
かろうじて奥州市にのみ、昔のUFO仲間、50年ほど前は、東京で毎日のように顔を合わせていた仲間がいます。先日電話をしましたら、停電のため、集合住宅の水道が出ないので、下階の蛇口までバケツで水を汲みに行くとのことでした。そのご夫婦は、長い間、私の実家のアパトに住んでいました。奥さんはもう、70歳以上になるはずです。
心配な原発に関しては、それほど緊張するニュースは流れませんが、「通電の作業」という段階が繰り返され、冷却水ポンプ稼動にはなっていません。「黒い煙」のニュースで「ドキッ」としましたが、「問題ない」とのことでした。「白い煙は水蒸気」「黒い煙は放射能か?」という、私の先入観がよくありませんね。
この暗い状況の中、なるべく「明るい話題を報道しよう」という姿勢は感じます。多くの「奇跡の救出」があり、励まされます。
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