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未確認飛行物体に関する公聴会用論文---2
 アリゾナ大学大気物理研究所上級物理学者・気象学部長
ジェームス・E・マクドナルド

PREPARED STATEMENT ON UNIDENTIFIED FLYING OBJECTS
James E. McDonald

UFOの目撃者がいつも一人なのはなぜですか?
どうして多数の目撃者が存在しないのですか?

 単独のUFO目撃者による報告の方が複数の目撃者の場合よりも多いのは事実である。だが、興味深いUFO報告が単独の目撃者によるものばかりではないことを示し、それを検討してみよう。

ケース9.
 ニューメキシコ州ファーミントン 1950年3月17日
 1950年にごく短期間であったが、新聞の見出しを飾ったこの有名な事件の調査で、私は推定数百ないし千人以上いるとされる目撃者のうち、7人のファーミントン市民にインタビューした。そのインタビューで、当日、通りは空中に浮かぶ正体不明の物体を見上げる住民で溢れかえっていたことが明らかになった。私が調べたのは事件後17年が経過してからだったので、目撃者の回想に若干あやふやな点が含まれるのは仕方がない。それでも多数の未確認飛行物体が1950年8月17日にフォーミントン上空を飛んでいたのは間違いないようであった。
 私が会った目撃者の一人、クレイトン・J・ボディは、1950年8月17日午前中の早い時間に、全部で20から30の円盤状の物体(その中には他の円盤より大きな赤い円盤があった)が、高速で上空を通過したと話している。また同市で不動産業を営んでいるジョン・ベイトンの話では、その騒ぎが始った時理髪店にいたが、声をかけられて外に出たところ、高空を1個の物体が高速で飛行し、その後ろをたくさんの物体が高速で飛行するのを目撃した。
 私はベイトンから、彼が事件直後に書いた走り書きメモのコピーを送ってもらった。元海軍のパイロットだったベイトンは、物体の飛行高度をおよそ15000フィートと記していた。
 「その物体が赤色だったことは間違いありません。何人かそれを見た人に話を聞きましたが、全員がその物体は赤い色で、超高速で北東に飛行したと話しています」と彼は述べている。
 また小さいほうの物体の群れが、「旋回すると平べったい形になり、次に旋回したときは円形になった」とも話している。確かに円盤型物体だとすると、角度によりそのように見える。翼や尾翼を見たという人はいなかった。機動性に富み、“ハチのよう”だったと複数の目撃者が主張している。もっと詳しい情報を入手しているが、ここでの説明では、これで十分であろう。
 考察(大部分を省略)
 私がこの事件を調べた限りでは、1950年3月17日に多数の円盤型物体が考えられない動きで飛行し、それがファーミントンの多数の住民によって目撃されたことに対して合理的な説明はなされていない。

ケース10.
ワシントン州ロングビュー 1949年7月3日
 私は意識的に昔のUFO事例を引用している。極めて現実的で、科学的にも意味のある現象が、ずっと前から続いていることを示すためである。
 次の事例については、私も公式の調査資料のコピーを持っている。それによれば、航空ショーの最中に起きたこの事件は、モールトン・B・テイラーが報告したもので、150人ほどが目撃している。
 私はテイラーにインタビューした。そして彼の元上官であるD・S・ファーニー提督からも話を聞いたが、テイラーは事件以前に、海軍誘導ミサイル担当として提督のもとで任務に就いていたことがあり、信頼できる人物として高く評価している、と語った。
 航空技師であるテイラーは、ロングビューの空港責任者であり、事件が起きた1949年7月3日の午後に開催された航空ショーの担当者だった。
 ステアマン機は午前10時40分に高度10000フィートで“Air Show Today”という文字を描いていた。空港に集まった多くの観客たちがそれを注目していた時、最初の未確認物体が上空を飛行した。北西に出現したその物体に気づいた人から教えられたテイラーは、拡声器で近の観客に向け、上空の奇妙な物体を見るようアナウンスした。双眼鏡を持っている人も沢山いた。そこに居合わせた150人以上のロングビュー市民の中は、警官も市の役人もいた、とテイラーは強調した。
 その物体は上空を飛ぶ多くのベテランパイロットによっても目撃されており、公式ファイルの要約によれば、文字通りの円盤の形状だったと全員が認めたということである。金属的に光沢があり、周期的に揺れているように見えた。そして北西から南東に向かって飛行し、最後は工場の煙で見えなくなった。
 テイラーによれば、その動きはコマのようなものというより、揺れるボートか舞い落ちる木の葉のようだったという。彼の推定では、その視角的サイズは、腕を伸ばした位置のピンヘッドか、30000フィート上空のDC-3程度である。これは満月の直径の3分の1にあたる10分程度である。
 最初の物体が見えなくなっても、群衆の視線はそのままだった。そして9分ほど経過して、誰かが2番目の物体を見つけると、すぐに拡声器でアナウンスされた。さらに11時25分に3番目の物体が現れたが、これも群衆が注視した。2番目の物体は北から、3番目の物体はほぼ真西から出現した。3番目の物体のときに、揺れの頻度を数えようと考えた人がいた(すべての物体で同様の揺れが見られた。揺れて傾くと太陽の光を反射するので、揺れていることがはっきりわかったとテイラーは説明した)。
 揺れの頻度は1分間に48回だった。公式報告には、同日同地域における他の目撃情報や、推定高度や色などについて、ばらつきのある目撃者のコメントが含まれている。スペースの制限からそのすべてを詳述できない。テイラーが公式の調査員に述べた内容は以下のとおりである。
 「戦争中、私はNAMU(海軍航空機改修隊)で無線操縦の無人機や海軍の誘導ミサイルを担当し、20年以上航空機を研究してきましたが、目撃された物体が何なのか説明できません。あれは絶対に気球ではなかったし、鳥、通常の航空機、パラシュート、星、流星、紙片、雲、その他の一般的な物体ではありませんでした。物体は、直線あるいは曲線的な動きを示しました。どれもほぼ同じ高度でしたが、スケッチに示したように異なったコースを通過しました。揺れははっきりと目でわかりましたので3度目のときにその揺れの頻度を測りました。」
考察
 この事例は公式には“気球”だったとされている。私は当該地域当日の上空の風に関する情報を入手した。(700および500mbの高度の図)。それによると、高度10,000から20,000フィートでは風は南西から吹いていた。報告によれば物体の視角サイズはすべて同じ程度であり、1時間以内に異なる三つの方向から飛来した。ひらひらとした動きや太陽光の反射もそうであるが、これは気球説に大きな疑問を投げかける。
 特に重要な事実は、ロングビュー付近の風上には側風気球の観測所が存在しなかったことである。また、直径約1mの一般的な側風気球の見かけのサイズが10分となる高度は、2,500フィート以上にはならない。テイラーの報告(公式ファイル)によれば、未確認物体がロングビュー上空を2分から3分で通過している。その時間では側風気球は通常1,200から1,800フィートまで上昇する。従って見かけのサイズの条件を満たすには、気球は近い場所から放出されていなければならない。しかし、当時気球観測所が近くにあったことは確認されていない。
 さらにテイラーの報告にあるパルプェ場の煙の流れから、地表では風は西から吹いており、地表に近いところでは南西から吹いていた。先に引用した上空の風向きもそうであるが、この事実は気球説に矛盾している。物体の飛来した三つの方向、特に北と北西は風向きと異なるからである。
 「スカイフック気球が3ケ所の(未知の)観測所から放出され、すべて異なる高度を流れ、しかも気球の見かけの直径がすべて同じ約10分の角度になる」という説はまったく非論理的である。よって気球説は認められない。
 円盤型の物体は多くの事例で目撃されている。1947年6月24日のレイニア山でのアーノルド目撃もそうである。
 すべてではないが多くの事例で、目撃者は物体の奇妙な動作を“ひらひらした動き”と表現している。この動きが動力学的にどのような意味を持つのかは不明である。これに関しては1947年から21年経過した現在になっても何もわかっていない。これらの目撃例はナンセンスだと無視されるか気球の誤認だとされてきたからである。
 
ケース11.
 ユタ州ソルトレイクシティ 1961年10月3日
 レンズ状の物体が白昼目撃された。航空機から1名、地上から7名が目撃しており、ソルトレイクシティで大ニュースになった。
 自家用機パイロットのウォルドー・J・ハリスは1961年10月2日の正午頃、ユタ・セントラル空港の160番滑走路から離陸しようとしていたとき、遠方の細部不明の機影に気づいた。離陸直後にも同方向にその物体を認めた。ある程度高度を上げたあと、もう一度その物体を見たが、そのとき何かおかしいと感じた。少しも動いているように見えなかったからである。その時点では、その物体は揺れているようで、真昼の陽光でキラキラ光り、航空機のようには見えなかった。
 ハリスはもっとよく見ようと、南東方向に上昇、物体と同高度、6,000フィートより少し上の高度に達した。その頃には、両凸レンズ形状のメタリックグレイの物体であることがわかった。
 明らかに通常の航空機ではなかったので、ハリスは無線で空港に連絡した。連絡を受けた空港では7名がその物体を双眼鏡で代わる代わる観察した。
 私はハリスだけでなく、当時物体を観察していた空港職員のジェイ・W・ガルブレイスとその夫人、同じく空港職員のロバート・G・バトラーにもインタビューした。
 ハリスはもっと接近しようとしたが、あと2、3マイルのところで、その物体は突然1,000フィートほど垂直に上昇した。この動きは地上の目撃者も確認している。彼らの話によれば、この上昇は1秒もかからなかったということである。上昇する前の時点では、ハリスからはこの物体とその後方のネボ山は水平の位置関係にあった。これはこの事例の重要な特徴であるが、その理由については後ほど述べる。
 ハリスが接近する前、その物体は彼の小型機をはるかに超える速度で南東方向へ飛行し距離をあけた。その距離は推定10マイル程度だったが、それでもハリスはさらに接近しようとした。その時、物体は短時間静止滞空しているように見えたが、すぐ上昇して西に向かって超高速飛行し、数秒で南西方向の視界から消えたのであった。
 地上の目撃者全員ではないが、何人かはこの最後の上昇と消失を観察していた。 
 空港からの連絡によって複数のジェット機が到着したが、すでに物体は飛び去ったあとだった。
 ハリスと地上から双眼鏡で物体を観察した目撃者は、それが主翼も尾翼もない両凸面の形状に見えたと証言した。ハリスはその表面が“つやを消したアルミ”のようだったと述べたが、最も接近した時でさえ約2、3マイルも離れており、その位置から推定された実サイズは直径50〜60フィートで、その厚みは直径の10分の1であった。
 目撃者全員が、物体が静止滞空していたときに“揺れて”いたと証言している。ジェイ・ガルブレイスは、ハリスの搭乗するレーニー・マーク20Aが点の大きさに見えていたとき、円盤の方は肉眼でもよく見えていたと述べており、そのサイズはハリスが推定した50フィートよりかなり大きかった可能性があることを示唆している。ガルブレイスは最後の消失時、おそらく垂直から約20度以内の急角度で上昇したと話している。バトラーも最後の消失について、ジェット機の速度をはるかに超える驚くべき急激な上昇、消失だったと主張している。その日は快晴だったと全員が話している。

ケース12.
ワシントン州モーゼス湖ローソンAFB 1953年1月8日太平洋標準時7時15分
NICAPから発行されたUFO公式報告の要約の一つは以下の通りである。
「1953年1月8日太平洋標準時7時15分、ワシントン州ローソン空軍基地で、軍人と民間人合わせて60人以上が、1個の緑色の円盤型物体を目撃した。
 目撃は15分間続き、その間物体は上下に揺れながら、南西方向に飛行した。音はなかった。1機のF-84戦闘機がスクランブル発進したが、その空域を30分以上捜索したが何も発見できなかった」
 公式報告の要約では、そらにこう記述されている。
「13,000フィートに雲があり、その下の高度では風向は240度(西南西)だった。物体は雲の下にあったはずなので、風に逆らう動きだったことになる。その空域では、航空機の飛行は報告されていなかった」
 同報告によれば、その地域のレーダーサイトは異常な反射を捕捉してはいなかった。
考察
雲の下の高度で、風に逆らう方向に飛行し、60人以上が目撃した緑の円盤は、公式記録でも識別不能となっている。
ケース13.
サバンナ川AEC(原子力委員会)施設 1952年夏
 さらに注目すべき複数の目撃者がいる事例がある。これは1952年当時、若手エンジニアとしてサウスカロライナ州エーケン近郊のサバンナ川AEC施設に勤務し、現在ニューメキシコ州サンディア基地所属のジョン・A・アンダーソンからもたらされたものである。 
 アンダーソンの話を手がかりにかなりの資料を調べたところ、日付は1952年7月後半、おそらく19日だったと推測される。
 日付の手がかりとなったのは、問題の日の午前10時頃の出来事である。アンダーソンの記憶では、技術者科学者の同僚約100人と屋外にいて、1802年7月18日創立のデュポン社の創立150周年記念を祝っていた。
 このとき彼は配布された小冊子を見ていたが、本の内容よりも興味を引くものに気づいた。彼が晴れた空に浮かぶ未確認物体を指差したところ、すぐにほとんど全員が頭上の出来事に釘付けになった。
 緑がかった表現しがたい形状で、アンダーソンの推定では満月の直径の5分の1弱の巨大な物体が、高速で前後に不規則に動きまわっていた。
 アンダーソンは、かなり高高度にあると思ったが、おそらく無音だったためにそう思ったのだと考え直した。
 約2分後、物体は動き回っていた。彼はその“驚異的な機動性”を強調した。それは急に何度も鋭角に方向を変えた。物体は“超高速”で地平線の向うに消え、目撃は終った。
考察(省略)

ケース14.
コロラド州トリニダード 1966年3月23日
 白昼、街の数ヶ所で少なくとも10数人が目撃した事件が1966年3月22日午後5時頃、コロラド州トリニダードで起きた。APROの会報を元に、私は最終的に10名ほどの目撃者にインタビューした。(平均年齢約12歳の子供7名、大人5名)。
 この目撃は、全米でトップニュースとなったミシガン州南部の“沼のガス”UFO事件から、わずか数日後に起きていた。APROの報告が指摘しているように、いくつかの点でトリニダードの方が明らかに良質の事例であるが、この事例についてはトリニダードの外ではほとんど知られていない。
 懐疑論者は目撃証言にばらつきがある点をよく指摘するが、この事例で私が目撃者10人へインタビューしたときも、ばらつきは見られた。
 紙面の許す限り、各人の証言を詳しく紹介したい。そうすれば、よく指摘されるばらつきがはっきりするだろうが、同時に先に述べたように、科学的好奇心から何かを観察したとき、その情報は細かな点では食い違いが見られても、核心部分では一致していることがはっきりするだろう。
 フランク・R・ホックは、最初息子に「変なものが飛んでいるから来て」と呼ばれた時には気にもとめなかった。凧揚げのシーズンだったし、夕食の支度で忙しかったから、その10歳の息子に、自転車に乗って遊んできなさいと言っただけだった。 
 息子がしつこく言うので、彼女は外に出て空を見上げた。2個の物体が、トリニダードの真南にあるフィッシャーズピークから西にゆっくりと移動していた。上部がカップを逆さにしたようなドーム型で、底はほぼ平ら、縁--彼女の言葉をかりれば「ソンブレロのつば」---はなかった。息子のディーンは「最初にママを呼んだときには三つあったんだよ」と話したそうである。(私がインタビューしたトリニダードの郵便配達員ルイス・ディパオロも3個目撃している)。
 興味深いことにホック夫人が物体を見たとき、一つは彼女と山の尾根の間に、もう一つは低い尾根のすぐ上にあった。山はホック家から2分の1マイルほどのところにある。物体のスケッチを稜線の写真に描いたものによれば、その視直径は1度程度であるが、これは彼女が推定した角度とは違っていた。彼女だけでなく、たいていの人は角度の推定には慣れていない。
 それらの物体は、上下運動をしながら稜線上をゆっくりと西に進んだ、とホック夫人は述べている。ときどき物体は傾き、午後遅い時間帯の陽光を金属的に反射していた。
 ある少年は風を切るような音で物体に気がついた、と話しているが、他の目撃者は音を聞いていない。郵便配達員ルイス・ディパオロは7×35の双眼鏡で観察したが、物体は金属性のようで、皿をひっくり返したような形をしていたと述べている。彼が物体に気づいたのは、外で遊んでいた近所の少年たちに教えられたからである。
 アメリア・ベリー夫人は、少し早い時刻にトリニダードの別の場所で物体を目撃した。彼女が見た時、物体はもっと東にあり、フィシャーズピークのあたりで旋回していたが、正確な時刻は不明である。彼女が見たのは2個だけで、きらきら光っているように見え、形は楕円形の幅の狭い皿のようだったと述べている。
 J・R・デュラン夫人は、反対側(北)の町で12才の息子と乗馬をしていたとき、物体に気づいた息子に教えられてそれを見た。彼女によれば、その物体は浮遊しているように低速で上下運動しながらフィシャーズピークの西の方へ進んでいったという。彼女も他の目撃者と同様、あれは飛行機ではないと確信していた。誰一人として翼や尾翼のようなものを描写していない。もしこれが特殊なヘリコプターだとしたら、目撃者までの距離は近かったのだから、エンジン音を聞き逃すことはないだろう。

ケース15. カリフォルニア州レッドランズ 1968年2月4日
 更に最近、1968年2月4日の夜に、非常に興味深い多人数による目撃事例が起きた。事件直後にレッドランズ大学の3人の教授が詳しく記録している。APROはかなり詳細な報告を作成する予定である。
 フィリップ・セフ博士と彼の同僚が、レッドランズ地域で起きた低高度での目撃について、約100人を超える目撃者のうちの20人から入手した目撃証言のコピーを私に送ってくれた。ハーダー博士が本委員会に詳細な報告を提出すると思うので、私は要点のみを述べる。
 午後7時20分に多くの人々が、(a)近所の犬の異常な吠え声や、 (b)異常音の原因を調べるために外に出ていた。まもなく、通りを行き来していた多数の人が丸く扁平な形の物体を目撃した。目撃者多数によると、その直径は約50〜60フィート位で、高度約300フィートを東北東に向かってゆっくりと移動していた。発光する窓かパネルのようなものが上部周辺にあり、底面の複数の場所からジェット機から出るようなオレンジ色がかった赤色の炎を噴出させていた。
 この事例では生理的影響が見られた証言と、動物の反応が特徴である。飛行物体はある地点で急に数百フィート上昇し、ぎくしゃくした動きを見せながら東方に移動した。それからしばらく空中に停止し、北西の方角へ加速して飛び去った。
考察
 レッドランズ大学の3人の教授たちは、レーダーによる捕捉の可能性を調べたが、一番近いレーダーは、リバーサイドノマーチAFBにあることがわかった。彼らはそのレーダービームが山の尾根を避ける角度をとっており、レッドランズ上空という低角度目標は捕捉できないという情報を得た。
 この事件でも、マスコミ報道の興味深い、非常に特徴的な面をみることができる。この事件については、レッドランズの地方紙が小さな記事を載せただけであった。私が調べた限りでは、それ以外の記事はなかった。州内の通信社さえも、この事件を伝えていない。(この点は強調しておきたい。熱心なUFO研究家以外はUFO事件の正確な数には関心がないかも知れないが、実際に起きていても州や全国の通信社から配信されない事件は驚くほどたくさんある。その一部でも見ようと思うならば、全国的なクリッピングサービスを利用し、小さな町の新聞記事から拾い上げなければならない。これは報道規制や検閲ということではなく、UFO事件など、みんなナンセンスと単に報道編集者が認識しているだけである。地元の話題はその地域で関心の持たれたものが紹介されるが、目撃者から距離が遠くなるにつれてその関心は著しく低下していく)したがって、我々は20年以上も続いてきた--人口約3万人の町で100人以上の市民が真上に変わった飛行物体を目撃しても、犬たちが鳴きやんだ頃には、報道機関や政府は関心を示さない--という状況に立ち向かわなければならないのである。
 セフ教授は先週、その飛行物体を目撃したというレッドランズ大学の女子学生に会った。(彼はそれ以前に彼女にインタビューしたことはなかった)が、彼女はそのときの体験を今も恐れているようだったという。〔天宮註:これが「生理的影響」に該当するのか?〕
 本委員会においては、このような現象を解明する義務があることを認識しなければならないと私は感じている。

UASの目撃再現画

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UASの目撃再現画

なんとかそれらしき状況図をこしらえました。
その他の場面も集めています。取り急ぎご報告まで。

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