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記憶の混合
1964年5月のハヨピラ工事の記憶は、オベリスク基礎の岩盤掘りが鮮明で、そのあとのコンクリート打ち込みがややぼやけていた。
平取からの役員が二人来られたさいに、工事の思い出を略画に表わして、それを添付した書類を渡したが、その中に「猫車を押す」という略画があった。
しかし『空飛ぶ円盤ニュース』の久保隊長手記を読むと、私が「生コンを猫車で投入口へ運んだ」という情景は書かれていなかった。よくよく考えると、この記憶は、ハヨピラのあと、何度もアルバイストでビル建設工事でのコンクリート打ち込みをしたときの記憶であった。
ハヨピラではコンクリ投入口のすぐそばで、鉄板の上で練りスコでコンクリ練りをしたのだった。そして、基礎が終わり高い塔の木枠に投入するときは、バケツとロープで迅速にオベリスクの上段から流し込んだのだった。この工程が、ようやく今日、明確になった。
空飛ぶ円盤モデルのモルタルがくっつけては剥がれ、くっつけては剥がれ、した夜の作業の前の昼間は、立花鉄工所から鉄骨アーチが到着し、それを立ち上げて固定し、立花氏がアーチの上でペンキ塗りをしているのを、到着した松村最高顧問が視察し、円盤モデルをバシャパシャ叩きながら作業する私をじろりとみつめ、あとで「熱心にやっていたのは札幌メンバーだ」とか言われたことあとの事だった。
久保隊長の手記にCBA松村最高顧問が視察に到着した日に、札幌メンバーの手による鉄骨アーチが到着し、設置されたと記されていた。
この個所は、何度も読んだはずだが、自分の記憶として定着していなかった。工事の内容など記憶するに値しない、と50年間放置してきた。しかし、このたびは、なるべく当時の情景を頭に再現しなければならない立場に立った。
今日の朝日新聞にアンナ・ブガエワ(Anna Bugaeva)というロシア出身のアイヌ語研究者の言葉が出ていた。私は病院のテーブルでその全文を筆写した。
彼女によると、日本語と朝鮮語は似ているが、アイヌ語はアジアの諸言語から孤立しており、文法的には北米大陸の西部に住む先住民の使うアサバスカ諸語にむしろ似ている感じがあるという。
「アイヌ語は日本語の成立する前から話されていた、日本列島の文化遺産」とみなすこともできるとのことで、日本全土がアイヌ語であったというなにかの本で読んだことを思い出させた。
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