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2018年10月25日記録

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2018年10月25日記録
今日の午後は、南奈良医療センターの周辺にあるベンチに座り、ハヨピラ建設隊員の感想文、決意表明を44人分、力強く朗読した。
 しかし、朗読を始めると、負けるものかという感じで複数の女性の大声が背後から聞こえてきた。両者が混ざり合い、自分の声が明瞭に聞こえなくなったので、ベンチを立ち、路上に近いエレベーターの近くのコンクリの上で朗読の続きをした。
 しかし、尻が痛くなり、途中で止めてエレベーターを上がり、今度は病院横の道路で立って朗読を続けた。こうして44人分の朗読が済んだ。
 歩き始めると、北西からヘリコプターのような爆音が聞こえてきた。それは私の頭上に迫り、瞬く間に白く円いものになって南東の空に遠ざかっていった。
 頭上通過時にメガネをかけて観察すると、流線型の赤と白の機体で、ヘリのローターにしては回転音が滑らかで、「バラバラ」という音ではない。またプロペラ機としても、翼はない。一直線にかなりのスピードで去った。
 考えてみると、昨年9月に自宅上空を40分も飛び回った未確認ヘリコプターに似た音のようだった。
 帰宅してたら、UFO本の編集者から「帯コピー」が届いていた。食事の前に、先ずは先方に「これでお願いします」と返答した。
 夕食を済ませ、UFO仲間から2個届いたケーキの2つめを途中まで食べて、妻にコピーを見せようとコンビニに向った。
 さっそく4個ほどの未確認機の閃光が現れた。一応動画に撮るが小さいので中止する。ところが大きいものも現れ南の空で旋回を始めた。撮ろうとしたが面倒なので、コンビニに向いコピーを済ませた。
 その帰りも、大きな機体はまだ旋回を続けていた。以前、360度旋回をした南東の空域であった。連なった光が傾いて旋回するのや、その周囲を赤青、白の閃光がいくつも見えたが、もう観察もやめて、家に向った。そのうちの2個は私のほうに移動してきた。
 「天もこのUFO本が出版されることを非常に喜んでいる」ということは、よくわかった。とにかく、この件については、正しい空飛ぶ円盤を世界に広める基地であるハヨピラ近くでの講座で公開が済んでからにする。
※写真は郷土史の本に掲載されたハヨピラ。
ハヨピラ公園施設は、空飛ぶ円盤が古代から来ていたことを全世界に知らせる基地・拠点としてCBAが建設した。 

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アイヌ語の学者、知里真志保(ちり ましほ)さん
昨日の朝日新聞に出ていたロシア人学者アンナ・ブガエワさんの記事に、金田一京助と知里真志保の名があった。
 私の粗末な蔵書にも知里さんによる『アイヌ神謡集』(岩波文庫)、『アイヌ語入門』(北海道出版企画センター)、『地名アイヌ語小辞典』があった。
 ハヨピラに関係する言葉は「チャシ chasi」である。考古学的には「ハヨピラ・チャシ」と記載されている。
 知里真志保著『地名アイヌ語小辞典』を引用してみよう。
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chasi ちゃシ 砦;館;柵;柵囲い。古謡の中では英雄の常住する館をさす。高い山の上にあって割木の柵を結いめぐらしたもののようにのべている。祈詞の中では家の意味に使うこともある。日常語では単なる柵または柵囲いの意になっている。
 北見国ビホロコタンの古老によれば「ちゃシ」は三方けわしい崖になっているような高い山の上に造り、背後は少し下った所に濠(ホリキ)を掘る。さのさい掘りだした土は濠の内側に盛り上げて土畳(toska,ururu)とする。外から来た者は濠の外に立って“ハンペ! ハンペ!”と呼ぶ。(ハンペの意味は不明だと云うが、この語テシオ地方では父の意である)。すると内部から覗いて見て差し支えなかったら橋(ruyka)をかけ渡して通すものだったという。語原はアイヌ語起原説(虎杖丸 21)よりも、むしろ朝鮮語サシ、チャシなどとの関係が考えられる。

chasi-kot,-i ちゃシコッ 砦の跡。--その他に古く山頂にあった古代の祭場の跡、ストーンサークルの跡なども云う。
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これを読んで思うのは、世界も含めて古代人は、高いところに何か施設を造るという習性があること、その建造目的を当事者たちは「心得ていたか」「本能的習性だった」か、ということ。
 「神」という概念の発生もそうである。様々な自然観察によって「神」「至高的存在」を想定しないと生活が成り立たないということで自然に発生したのか、それとも「特定の事件」があって、それが伝達されて様々な神の形式が枝分かれしたのか、にも似ている。
 文明人は文字伝達と記録があるから、空飛ぶ円盤の名前が1947年に発生したことを知っている。
 しかし、石を並べて円形に配置したり、山の上に砦を造ったりするのは、砦を「見張り台」という実用的な施設だとしても、山の上に石を並べるというのは見張り多勢の機能から離れている。
 インドネシアには円く配置した石の上に代表者が坐して会議する、という伝説もあるが、北海道の忍路などを見ると、その石の上に人が坐るとは思えない。
 三内丸山や吉野ケ里にみる「高い櫓」にしても「見張り台」だけの機能より、当時の人々の思想や信仰を探らなければわからない「何か」があるように思う。
 オキクルミの伝承にしても、「私はこうして育った」という一人称で語られるその起点とは、どのようなものであったか。
 叙事詩が演劇的伝達になると、演技者のセリフとして後世に伝えられ、それが「神話・伝説」の発生とする理解もある。
 人が演じ、人が伝えるところに、「枝葉」の附属は必然である。
とにかく、ロシア人学者アンナ・ブガエワさんの記事は「アイヌ語が日本語の成立より古い」ということを述べていた。
 かつて日本列島に棲息していた原住民は、大陸から次々と押し寄せる強力な人種に打ち負かされて僻地へと逃げたため、日本列島の人種が交替したという論は、いまや特別なものではない。
※写真は1999年に撮ったストーンヘンジ。この巨石建造物の目的も謎といわれている。

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第6回天空人報告会の幻想
今日の昼間、にわかに「内なる自分」から、衝動が生じた。平取行きも済んでないのに、来年のことが脳裏に浮かび、その妄想的な情景が去来した。
 確かに、「6」という数字で、最後の締めくくりをするのは、アイヌ的な発想であり、このたびは、UFO本の出版という特別な栄誉に預かっているのだから、少なくとも関係者への感謝を込めて、何か「催し」をせねば申し訳ないという気分になった。
 いまどき「UFO」で集まる人は限られているだろうが、それだけに、とにかく世話になった方々に、一度は呼びかけておかなければ、義理人情が廃れるという心情もある。
 2000年6月に私のUFO研究40年を記念して、CBAが使った東京商工会議所で大それた行事をやった。それが新宿住友ビル「スカイルーム」になって、2007年、2008年、2009年と続いた。そして、2010年に「ハヨピラ天空人報告会」となった。
 それが第5回目だから、もし来年やるとなると6回目となる。
頭に浮かんだのは「UFO祭り」という、各自勝手にUFOについて、好きなことを発表するとか、にぎやかに話し合いをするといった、あんまり学術的進展にこだわらない風景が去来した。
 しかし、UFO本の内容に、少しは沿って、UFO問題上の「日本人による宣言」を採択して世界に発信する、というまたまた大それた構想が次にきた。
 安土城を囲んでワイワイ鳴り物入りで騒ぐか、真剣なUFO研究者が世界を揺るがす論陣を張るか、まあどっちにしろ、何かしゃべりたい人が何人か集まらない事には話にならない。
 今日の未確認機のひとつは、北から来て頭上を通過し、南天で右に旋回して西に向い、そしてまた旋回して北へ、「コ」の字を描く航路で飛行した。
 もう一つは、不規則な白色閃光で南天を徐々に西に向い、かなり西へ行ったと思ったら、瞬時に20度ほど東に転位した。そのあと消えた。
 今はまったく「その気」が失せたので、また衝動がきたときに考えることにする。
※写真は2000年6月25日東京商工会議所における「第1回天空人報告会」の合同写真。

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