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アイヌ語の学者、知里真志保(ちり ましほ)さん
昨日の朝日新聞に出ていたロシア人学者アンナ・ブガエワさんの記事に、金田一京助と知里真志保の名があった。
私の粗末な蔵書にも知里さんによる『アイヌ神謡集』(岩波文庫)、『アイヌ語入門』(北海道出版企画センター)、『地名アイヌ語小辞典』があった。
ハヨピラに関係する言葉は「チャシ chasi」である。考古学的には「ハヨピラ・チャシ」と記載されている。
知里真志保著『地名アイヌ語小辞典』を引用してみよう。
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chasi ちゃシ 砦;館;柵;柵囲い。古謡の中では英雄の常住する館をさす。高い山の上にあって割木の柵を結いめぐらしたもののようにのべている。祈詞の中では家の意味に使うこともある。日常語では単なる柵または柵囲いの意になっている。
北見国ビホロコタンの古老によれば「ちゃシ」は三方けわしい崖になっているような高い山の上に造り、背後は少し下った所に濠(ホリキ)を掘る。さのさい掘りだした土は濠の内側に盛り上げて土畳(toska,ururu)とする。外から来た者は濠の外に立って“ハンペ! ハンペ!”と呼ぶ。(ハンペの意味は不明だと云うが、この語テシオ地方では父の意である)。すると内部から覗いて見て差し支えなかったら橋(ruyka)をかけ渡して通すものだったという。語原はアイヌ語起原説(虎杖丸 21)よりも、むしろ朝鮮語サシ、チャシなどとの関係が考えられる。
chasi-kot,-i ちゃシコッ 砦の跡。--その他に古く山頂にあった古代の祭場の跡、ストーンサークルの跡なども云う。
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これを読んで思うのは、世界も含めて古代人は、高いところに何か施設を造るという習性があること、その建造目的を当事者たちは「心得ていたか」「本能的習性だった」か、ということ。
「神」という概念の発生もそうである。様々な自然観察によって「神」「至高的存在」を想定しないと生活が成り立たないということで自然に発生したのか、それとも「特定の事件」があって、それが伝達されて様々な神の形式が枝分かれしたのか、にも似ている。
文明人は文字伝達と記録があるから、空飛ぶ円盤の名前が1947年に発生したことを知っている。
しかし、石を並べて円形に配置したり、山の上に砦を造ったりするのは、砦を「見張り台」という実用的な施設だとしても、山の上に石を並べるというのは見張り多勢の機能から離れている。
インドネシアには円く配置した石の上に代表者が坐して会議する、という伝説もあるが、北海道の忍路などを見ると、その石の上に人が坐るとは思えない。
三内丸山や吉野ケ里にみる「高い櫓」にしても「見張り台」だけの機能より、当時の人々の思想や信仰を探らなければわからない「何か」があるように思う。
オキクルミの伝承にしても、「私はこうして育った」という一人称で語られるその起点とは、どのようなものであったか。
叙事詩が演劇的伝達になると、演技者のセリフとして後世に伝えられ、それが「神話・伝説」の発生とする理解もある。
人が演じ、人が伝えるところに、「枝葉」の附属は必然である。
とにかく、ロシア人学者アンナ・ブガエワさんの記事は「アイヌ語が日本語の成立より古い」ということを述べていた。
かつて日本列島に棲息していた原住民は、大陸から次々と押し寄せる強力な人種に打ち負かされて僻地へと逃げたため、日本列島の人種が交替したという論は、いまや特別なものではない。
※写真は1999年に撮ったストーンヘンジ。この巨石建造物の目的も謎といわれている。
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