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THE UFO RESEARCHERの歩み-5

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THE UFO RESEARCHERの歩み-5
 いかにして、UFO体験をわかり易く説明するか…。これは私がCBAで『空飛ぶ円盤ダイジェスト』に従事した頃より、ずっと引き続いて私が背負ってきた命題である。
 そして、「UFO映像」という課題が、かつての8ミリフィルムの時代からビデオテープの時代へと移っていた。
 当初開発されたソニーのベータムービーが不評で、私も人から借りて試したが、世間一般はVHSが主流となってきていた。狭い室内に2種類の再生機とテープを置くのは無理があった。
 そんなところへ1989年に国産初の8ミリビデオカメラが発売された。価格は25万円ほどであったが、動くUFO映像を撮る為に思い切って購入した。おそらくCBA旧メンバーもビデオ映像に取り組んだのではないだろうか。神戸や大阪近辺にホームビデオによるUFO撮影者が何人かいたし、全国に潜伏するUFO観測のベテランたちにとっても、いよいよ動画時代の到来として装備を固めたと推定されるのだ。
 その全国に散在する無数のUFO撮影者の1人として、私は撮影練習が未熟なまま、11月5日に本番を迎えることになってしまった。
 すなわち、万博公園で「白球」の移動を撮影したのだが、いい加減に撮ったので、画面の不安定なシーンが多くなった。肝心な左右に別れるシーンをスタンバイのまま録画しているつもりで追いかけていたため、撮り損んじてしまった。
 未熟な映像であったが、それをいかに『UFO RESEARCHER』第2号にどのように表現するか、しかも即座に発行し発送するか、それの試み挑戦した。
 私は最初の陸橋で連続的に見た白球の目撃図を2頁にまたがってワイドな図解を試みてみた。

THE UFO RESEARCHERの歩み-4

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THE UFO RESEARCHERの歩み-4
 家族全員で観測をしUFOに取り組む…これは「UFO現象」を家族全員がその目撃者となったという「幸運」に恵まれたことによって生じた、一種理想的な姿ではある。こういうかたちの継続的習慣は、恐らく都会では遂行しにくいだろう。
 1960年代初期の「1人でも多くの人に宇宙の真実を伝える」という啓蒙的任務感に満ち溢れていた頃は、東京下町の人通りのある街角であろうと、数人の子供たちと共に空を見上げたが、やはり次第に世間体を意識するようになり、観測会は公園とかビルの屋上以外で行うようになった。
 しかし、ここ天理市の外れは家屋もまばらで農地が多く、いたるところが観測地である。我々は天宮一家は、必ず正月に「新春観測」を行ない、たいてい何かを観測記録した。そしてその記録は長年に亘り検討と考察が加えられ、「あのとき、なぜ回転していたのか?」という疑問が、その降下物体の地点が「古代の回転する姿を模したような銅器」が大量に発掘された古墳であったことにようやく気付き、それについて考える機会を得たこともあった。
 われわれ家族は、夜間にも全員で観測を行なった。そして、前にも述べたが、それぞれが自分の目撃したものを記録した。
 娘の場合は通学途中に様々な現象を目撃した。我々親2人も通勤途中での目撃が多かった。あらかじめ心構えの出来ている観測とは異なり、交通路や路上での発見と観察という、その対処の仕方は臨機応変に対処する一種訓練の場となる。
 また走行中の電車内でそれを見つけた場合、カメラを取り出して撮影するという行為には、やや「勇気」を必要とした。座席に座っていて、向かいの窓越しに何かを発見した場合には、観察することは出来ても、カメラを向けて撮影は出来ない。向かいの座席に若い女性が坐っていたなら、なおさらである。そういう時はカメラを手にドアの窓に近づいて撮ることがしばしばあった。

THE UFO RESEARCHERの歩み-3

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THE UFO RESEARCHERの歩み-3
 2019年6月)の奈良テレビによる取材(2019年6月24日放映)の場でも聞かれたが、「家族の理解」という面では、私の場合きわめて恵まれていた。娘は7才でUFOを目撃した。その証言テープと目撃図がある。
 娘が地元高校に入学(1988年)した頃には、我々家族は天理市に降下する小物体を観測して望遠撮影するなど、多くのUFO目撃体験を共有していた。
 UFO目撃後は、お互いに観察結果を文章と図で表現し、それを「天宮家のUFO観測記録」とした。
 「なぜ、それがUFOといえるか」「それを他の紛らわしい物体と識別する観察事実とは何か」この冷静な判断力は妻子の方が厳密であった。それゆえ、私が撮影し成り行き上「UFO」としてテレビで流されるようになった映像に対してもかなり批判を受けた。
 「家族の理解」というよりも、家族全員がUFO探索者であり、UFO批評家であった。
1990年代にはOUCを通じて知り合った、台湾の大学教授と交流し、彼の本を日本で出版すべくワープロに向かっていた。そうした私の打ち出す文章を、良識者として問題点を指摘したのが娘であり、妻であった。
 私の打ち出すやや極論的な文章には、反省点が多かった。
 妻と娘は私の及ばない課題について常に議論しており、“UFO馬鹿”に等しい私とは学識上の差がみられたように感ずる。今でも、妻からは、常に世界情勢や政治家の発言について解説を聴く立場である。

THE UFO RESEARCHERの歩み-2

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THE UFO RESEARCHERの歩み-2
 大阪で親の会社を引き継いだ、かつてのハヨピラ建設隊員F氏には非常に世話になった。彼の邸宅での豪華なもてなしと、彼の所蔵するUFO資料の閲覧は大いに参考となるものであり、私は彼の会社に赴き、大量のUFO資料をコピーさせてもらった。
 また大阪の旧知からも段ボール箱に入ったUFO冊子を貰った。また、ミナミの繁華街でレコード店を経営する旧知からは、大量のUFO資料コピーを貰い、また「昔はオープンリールのテープレコーダーだったが、今やカセットテープという小型の録音テープが主流になっている」と世間知らずの私に録音再生機器に関する情報を教えてもらい、加えてかつてハヨピラで連日のように聞いていた「十戒」など貴重な録音テープを貰った。
 このようにして、大阪在住の旧知からの援助により、私は「UFO研究資料」の復元を進めることが出来た。
 また日本橋の「マサキ」に通勤中、通勤路上にある古本屋に立ち寄りつつ、高文社の空飛ぶ円盤シリーズや失ったその他のUFO本および歴史、考古学、その他を格安で購入した。
 不知火観測の後や、様々な旧知との集りの場で各種テーマや過去の思い出や体験を語り合ったのだが、私の発行物に対する賛辞は得られたものの、大量の文献に目を通すとか資料を整理するといった「UFOLOGY」にこだわる姿勢には、明確な同道者が得られなかった。
 それでも、約10年後には、本格的なUFOLOGYを追求する新しい学究的な世代と知り合うことになる。
 新しい学究的な世代とは、コンピーター社会、インターネット社会の進歩と歩調を合わせ、かつては航空便によって為されたUFO資料交流が、地球を包む電子空間を経由して膨大な量の交流が可能となった状況に対応できる世代である。
 そして半ば放置されていた日本UFO研究の命題、「古代宇宙人来訪説」への更なる探求に鋭い考察と論証を行える世代が登場した。
 さらに英文を始め、中国語、スペイン語、ブラジルポルトガル語、など外国語資料の翻訳、カラー印刷による冊子つくり、と以前は数ヶ月あるいは何年もかかった情報処理、公開用資料、UFO撮影後の各種処理が迅速に行われるようになった。
 この時代の先端を行くような、論考や資料の評価、かつては重視されていた事例の真相暴露などにより、UFOに関わる真偽識別の問題も複雑化し、こうした高度な「スキル」を必要とする作業は、ごく限られた者にしか行えない、という欠点も生じた。

THE UFO RESEARCHERの歩み-1

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THE UFO RESEARCHERの歩み-1
 1986年8月「マサキ」社長として日本の民間UFO研究団体に多大な貢献をした正木栄一氏が逝去し、その思い出を語る会合が、彼の購入したテナントビルのレストランで行われた。
 1960年代の初期、宇宙からの来訪者に目覚めた正木氏は、書店で見つけた空飛ぶ円盤本を何冊か買い、それを小脇に抱えて帰宅途中、彼の頭上から照射するUFOを目撃した。
 正木氏はCBAに入会後、関西総局および大阪支部で活躍し、「紀洋商会」というCBA活動を支える資金活動を展開した。彼の下に多くの若者が参画し、家電商品の再生と販売に関する様々な技術が教示された。若者たちが獲得した技術と資格は、1964年に始まるCBAのハヨピラ建設に生かされた。
 正木氏自身、ハヨピラの地で建設工事に従事し、さらには「特大号」プロジェクトに参画。1967年旧編集陣退陣後の本部では、私の担当していた「月面上UFO」を引き継いだ。私は、彼の書いた文章を見せてもらいながら、彼の新構成を伺った。
 そして1985年の元CBA有志による海外遠征「アフリカ難民救援調査行」では、全ての経費を引き受けた。現地エチオピアでは同心円を岩に刻んだ石碑の移動を積極的に指揮し、その保存と管理をエチオビア人の地主に託すべく率先して交渉し、遺跡保存と管理に彼の資金が用いられた。我々9名の隊員は、彼の稼いだ資金によって、アフリカからイランのベヒストン岩山へと到達し、かつて古代オリエント世界における宇宙人来訪の証拠と対面することが出来た。
 彼の探求課題のひとつ、「法華経」のUFOLOGY的解釈については、「マサキ」勤務期間、私は何度も拝聴し、また彼が立ち会ったCBAにおける様々な「奇跡」についても聞いた。
 「宗教とは生活の科学」という彼の見地も聞いたし、韓国やフィリピン(1984年)での体験を正木氏独特の視点で語るのも聞いた。
 武智氏は1984年私が管理人を務めていた芦屋のテナントビルの空調設備故障を修繕してくれた。横矢氏からは『空飛ぶ円盤ニュース』一式を戴いた。笈方氏からは貴重な録音テープを貰った。根岸氏からは多数の8ミリビデオUFO記録映像と目撃報告を貰った。


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