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個人UFO研究誌「UFOリサーチャー」創刊までの物語−22
■創刊号コピーの帰りに見た黒色楕円UFO
 1989年10月22日午後2時すぎ、バイクで出かけた私は天理駅前の綜合食料品店の1階にある写真店で『UFO RESEARCHER』1号をコピーし、本通りの文房具店で発送用の角4封筒を買って、妻に頼まれた食品の買い物をするため、スーパー「オークワ」へと向った。
 「オークワ」に入ろうとした直前、前方の西空に丸みをおびた黒い物体が目にとまった。それはゆっくりと旋回しつつあった。「これなら、素早く買い物を済ませてから、ゆっくりと観察すれば良い」と思い、バイクを駐車させて店内に入り、素早く買い物をしておもてに出た。しかし、それは見えなくなっていた。「巨大な鳥だったのか?」など思いつつ、バイクを走らせると再びそれが見えた。自宅上空でも「これなら、余裕をもってカメラに撮れるな」と、あまり急がずにカメラと双眼鏡を手に外に出たが見えなくなっていた。それで見晴らしの良い農地までバイクを走らせ、そこで空を探索すると、はるか上空を上へ昇っていくような物体が見えた。
 双眼鏡でとらえようとしたが、駄目だった。(2019年7月7日入力完了)
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 以上で「個人UFO研究誌『UFOリサーチャー』創刊までの物語」を終わる。それでは、創刊したあと、どうだったのか、これについても振り返ってみる。この文を入力するに当たり、家の中に現存する多くの記録文書を参照しているが、いつ、どんな道具を買い、何をどう改良したかという面では記憶も含まれる。
 私はOUC山野会長の世話で、パソコン技術の先駆者の導きを受け、大阪日本橋の専門店でMacパフォーーマというパソコンを購入し、それまでのワープロ文字の切り貼りから、パソコンのプリンターから印刷される「誌面」へと向上させた。このような技術的向上とUFO情報収集、そして自分と家族の共同によるUFO体験の積み重ねが「UFO RESEARCHER」を21年間継続させることとなった。この継続年数は、私が安定した職場で無事定年退職を迎えるまでの期間に相当する。
 

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個人UFO研究誌「UFOリサーチャー」創刊までの物語−21
■誌名をどうするか
 大阪浪速のUFO目撃から60日を過ぎた頃、ワープロ打ち、アミ分解写真、図面作成といった編集作業が終りに近づき、この個人研究誌の誌名をどうするかという段階となった。
 1970年代に水沢の同志からもらった誌名の候補がある。それも参考にしたが、これという名称はなかった。参考までにそれを紹介する。
「UFO MAGAZINE」(全部英文で)、「UFOサンデー」「MODERN UFO」「現代UFO」「UFO評論」「UFOジャーナル」「空飛ぶ円盤評論」「ユーフォロジー」「UFO-JAPAN」「UFO TIMES」「UFO知識」「UFO情報」「UFOの世界」「サイエンテフィクUFO」「UFOの科学」「UFO通信」「UFOと科学」「UFO芸術」「UFO新潮」「文芸UFO」「UFOよもやま話」「3分間UFOLOGY」「UFO詩集」「ミステリUFOロ「UFOの徹底的研究」「能率的UFO学習法」「決定版UFO」「UFO記憶術」「UFO必勝法」「UFO必見術」「UFOをモノにする法」「UFO通論」「UFO概論」「THE UFOs」「THE FLYING SAUCERS」
 このような経過を経て、自分としては、「UFO観測」という課題を強調しようと「UFO WATCHER」にしようかと思ったが、Watcherとは「見張る人」なので、「UFOを見張る人」では範囲が限定されてしまう気がした。
 色々と考えたすえ、「UFOを研究する」ということにして、UFO研究者を英語にすると「UFO researche」となるので、誌名を『UFO RESEARCHER』とすることにした。
 コピー機は、かつての「青焼き」から「ゼロックス」から進歩していた。そして最新のコピー機を置く店が天理市内に2軒みつけ、いつも買物に行く綜合食料品店の1階にある写真店のコピー機を利用することにした。
 しかしまだ片面コピーの時代であったので、冊子は「袋とじ」の体裁となった。

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個人UFO研究誌「UFOリサーチャー」創刊までの物語−20
■新しいワープロの練習から
 1986年夏に元CBA大阪支部長正木栄一氏が死去する前、初期のシャープのワープより進んだ機種が、私の勤務するディスカウントショップ(昔の現金問屋)にも入荷した。それを教えてくれたのは、仲の良かった二人の若い女子社員であった。(そのうち1人は2013年7月に胃癌で死去。正木氏と同じく享年52才であった)
彼女たちは「私達はもう買ったのよ。天宮さんも買ったら」と勧めてくれた。しかし、色々な操作をしなければならないため、買ったものの、使わずにいた。
 しかし、雑誌の誌面というのは大小の活字で「見出し」「本文」「写真説明」をしなければならない。こうして私は必要に迫られて面倒なワープロの練習に取り組むことになった。
 さらに誌面には多数の写真を使わねばならない。写真をそのままコピーすると、コントラストが強すぎて微妙な濃淡がでない。そこで私はCBA本部のK氏から学んだ「マゼンタコンタクトスクリーン」によるアミ分解処理をした印画をコピー版下に貼り込むことで、UFO資料における微妙な濃淡の表現を果たすことにした。
 この特殊なスクリーンはA4判くらいの大きさで1万円であった。東京の製版会社に注文して取り寄せた。
 さらに版下つくりは方眼に沿った水平と垂直に文字や図面を合わせなければ、歪んだ誌面となる。そのため、A3判を拡げて載せる面積のある「ライトテーブル」が必要であった。
 丁度輸出用の極めて頑丈な段ボール空き箱が、その大きさで、その上に透明なアクリル樹脂板を載せ、箱の底に最少の蛍光灯を仕込んで、「ライトテーブル」が完成した。そしてさらに、誌面のノンブルと字面の位置を示す方眼を数枚コピーし、それを下敷きとして、誌面作りをすることにした。これで一定の誌面が継続することになる。
 カラープリントは全てモノクロフィルムで複写し、それを「100L(100
線という網の密度の単位)を印画紙に重ねて焼けば、アミ分解された印画が得られる。これをワープロで打った文字と組み合わせて誌面をつくり、ページを組んでコピーすれば出来上がりである。

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個人UFO研究誌「UFOリサーチャー」創刊までの物語−19
■大阪のCBA旧知が相次いでUFOを目撃
 1989年平成元年7月の参議院比例代表選出にUFO党が立候補した年だった。石川県羽咋市で「UFOによる市の活性化」が決定、金沢市で撮影された“UFO8ミリビデオ映像”の話題がテレビで全国をにぎわしていた。
 これだけなら“UFOブーム”の延長として、一歩身を引いて静観してもよかった。
 ところが8月になって、大阪日本橋に住むCBA旧知根岸邦明氏から次々とUFOを目撃したと電話があった。
 私は9月30日夜、根岸氏夫妻の住むビルへ赴き、その目撃の状況を取材した。それらは浪速の夜空をゆっくりと進む黄金色の円光であったり、10個ほどの光体がV字形になって天頂を通過するなど、私の規定する真性UFOの特徴を示していた。
 大阪での取材を済ませ、帰宅した私は妻と共に杉本町の農地で観測を行なった。
 そして大阪でのUFO目撃の内容について説明していた時、オリオン座を通過して降下したオレンジ色の光体を目撃した。
 時は1989年10月1日午前1時40分となっていた。球状の本体から尾を引いて、5秒間くらいでオリオン座に迫ったあと、尾のない球状となって3秒ほど見られ、少し小さくなってから消失した。
 ビデオカメラを持っていたなら、充分撮影できる余裕はあった。これを見たあと我々は話した。
 「アーノルドに始まる米空軍の動き、ミシガン事件に始まる米国議会や大学の動き、すべてUFOの目撃が発端となって発生した。UFO出現の下では人の動きが発生した。我々も動くべきではないか」
 こうして、我々は個人的研究誌を発行することに決めた。

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個人UFO研究誌「UFOリサーチャー」創刊までの物語−18
生駒山を越えて天理へ帰還
私は現金問屋「マサキ」を退職し、ビル管理会社の下で1ヵ月間テナントビルを管理したあと、管理会社から貰ったバイクに乗り、大阪から生駒山を越えて天理市に入り、鶴ケ丘の自宅に到着した。
 そして2月から、妻の橋渡しで決まった新しい就職先に、このバイクで通うことになった。
 何年かは、簡単なシャープのワープロから中々離れることが出来なかった。とにかく「UFO年表」を作る。手描き文字を活字にする。その文字をB4の紙に貼り付けて、図と写真を入れる。この様式的UFO資料を、私は延々と作り始めた。
 手描き文字でなく、活字にしてB4紙に貼る。私の指は休むことなくシャープのワープロで文字を打ち続け、会社の昼休みもバイクで帰宅して簡単な食事のあと、1行でも2行でも文字を打ち、そして会社に戻った。
 帰宅すると即座にワープロに向かった。B4判UFO記録資料はどんどん生産された。「自分の時間」がフルに使えるという境遇。これは杉山繊維時代でもマサキ時代でも、完全なかたちで訪れることはなかったのだ。
 ワープロ文字の生産は、3つの区分と細目に別れ、その内容はこんな具合だった。
VOL.3 NO.1 1991 特別号 B4判259頁 通巻8号
■=本文 □=囲み記事 ★=表 ☆=図解
■本書のねらい「市民によるUFO実像へのアプローチ」
第1章 UFO知識
■空飛ぶ円盤からUFOまでの歩み
★航空機とUFO遭遇例
★戦闘機によるUFO追跡・迎撃例
★パプア島におけるUFO目撃
☆航空機とUFO遭遇地点例
★UFO現代史(主な事件と調査)
■発言集
★有史前〜1946年UFO史
★学者・専門家によるUFO観察例
★米・ソ宇宙飛行士によるUFO目撃例
■内外UFO資料特選
第2章 UFO体験
■空飛ぶ円盤との出合いから
■各種空中現象
★☆1985年11月8日火球群目撃図表
■地球科学とUFO
■宇宙船としてのUFO
■UFO目撃体験
☆個人目撃におけるUFO判定要素例
☆UFOの出現空域
☆UFO目撃の統計
★天宮清・天宮ユキによる1960年〜1989年までの目撃記録一覧
■1960〜1989 UFO目撃一覧表 記号解説
□撮った時は見えなかったのに、
謎の物体が写っていたという場合、まず調べる事
■UFO体験概説
■UFO問題と宇宙探査
■1987年〜1989年 UFO目撃・撮影
■連続撮影の検討『イメージスキャナによる解析』-S氏寄稿-
■8ミリビデオによる撮影の白球
■快晴の空に出現の物体を200mmで連続撮影
■走行中の車に接近したUFO-島田隆雄氏取材-
■懐中電燈の合図に反応したUFO-井上保人氏寄稿-
■UFO観察1983年〜1988年-S氏寄稿-
第3章 UFO探究
■地震・津浪発生にUFOはどう活動したか
□関東大震災に出現した光物
□関東大震災発生までの諸現象
□関東大震災と日本人の心理
☆地震に伴う飛行物体表現例〈明治以前〉〈明治以後〉
□神話時代と近代の“火の柱”
■紀伊南部-神火に救われた町を歩く
■発光と飛行体-松代地震・えびの地震-遠藤修氏遺稿より
■1982年9月17日-不知火海で撮影の光跡
■伝承の中の空中機械と搭乗者
   -アイヌ文化神オキクルミカムイから学ぶもの
☆雷神の物語
☆アイヌ神話の世界
□一人の神が各地で神話を生む仮説
□レイニア山から空へ逃れた人々の伝説
□彼方の世界へ出発して、3週間暮らし、
  故郷へ帰ったら300年経過していた伝説
☆過去の人々が遺した神話と美術は宇宙人来訪を語るか?
☆空中物体の出合いから、作品が生まれるまで
☆古代日本美術の中のUFO図形
■オキクルミカムイ物語
☆古代UFO記録再現画
★世界の文化英雄一覧表
☆過去の人々は未知なるそれを経験に基づいて表現した
■古代世界の太陽崇拝と太陽船-
  空から降った神々は文化を教示した
☆神々の船
☆古代と現代の空
■UFOの日本史
■UFO考古学とUFO考現学の間
  -機械的な怪火は地表配置された地球外超小型調査機か?
■太平洋戦争開戦時、米国本土に謎の空襲
■核分裂の発見から原子爆弾投下まで
■ワシントン事件の序曲-ナッシュ機長のUFO遭遇
■ワシントンUFO事件の意味
□THE DAY THE EARTH STOOD STILL
□米の原爆使用に懸念を示すべく訪米した
  アトリー英首相の後を追う如く首都に接近
した不明機
■グァム基地のUFO騒動
■SAUCERS RIGHTIN SAC'S BACKYARD
■北爆の米軍を混乱させた未確認飛行物体
□ベトナム上空のミサイル誤射とは?
■核兵器とUFO
□米空軍、コンピュータでUFO実在証明
□1牧の写真をめぐる常識と非常識
■UFOの意思表示
■未確認飛行物体の検討
■1991年新春UFO討論
☆UFO画集-天宮ユキ
□編集後記・表紙説明


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