初代 鈴木金一郎
昭和29年11月10日執行
当 22,675 鈴木金一郎 無所属 新人
1,425 中島 彪三 共産党 新人
昭和33年11月8日執行
当 鈴木金一郎 無所属 現職
鹿沼町が合併し市政を施行、最初の選挙は昭和29年11月10日に執行。合併前の鈴木金一郎鹿沼町長と共産党新人中島彪三氏の戦い。鈴木金一郎市長は社会党系無所属でしたが、人柄もよく保守層の支持も受けていました。昭和33年11月8日執行の鹿沼市長選挙は無競争で当選。合併後二期市長を務め勇退。鹿沼市制施行、市庁舎完成、産業文化会館会館などに尽力した。
二代 古澤俊一
昭和37年11月8日執行
当 21,753 古澤 俊一 自民党 新人
3,913 中島 彪三 共産党 新人
昭和41年11月8日執行
当 22,045 古澤 俊一 自民党 現職
14,003 荒井喜久雄 無所属 新人
昭和45年11月5日執行
当 27,409 古澤 俊一 無所属 現職
16,787 福富 金蔵 無所属 新人
昭和49年10月27日執行
当 古澤 俊一 無所属 現職
昭和53年10月29日執行
当 24,695 古澤 俊一 無所属 現職
5,226 佐野 計介 無所属 新人
昭和57年10月17日執行
当 33,892 古澤 俊一 無所属 現職
18,853 新井喜久雄 無所属 新人
昭和61年10月19日執行
当 22,768 古澤 俊一 無所属 現職
10,210 加藤 緑平 無所属 新人
鈴木金一郎氏が勇退し、昭和37年11月8日施行の鹿沼市長選挙には自民党船田派の古澤俊一県議が出馬。中島彪三氏(共産・新人)に大差をつけ二代目鹿沼市長に。昭和41年11月8日に執行された鹿沼市長選挙には自民党森山派で建設業を営む新井喜久雄氏が新人で出馬。船田派対森山派・保守系同士の一騎打ちで投票率78.2パーセントと激戦を展開した。昭和45年11月5日に執行した三期目の市長選には古澤氏の下で助役を務め、県議であった福富金蔵氏との一騎打ち。古澤氏もライバル視していた福富氏との激戦を制した。昭和49年の市長選は無投票。昭和53年の市長選には共産党系無所属の佐野計介氏との信任投票。昭和57年10月17日の市長選においては、一度戦った新井喜久雄氏と再度激突。新井氏は鹿沼市議、栃木県議会議員を歴任し、渡辺美智雄氏の懐刀として渡邊派で活躍。投票率87.7パーセントと市民の関心も高く雌雄を決する決戦に勝利した。古澤氏最後の市長選は昭和61年10月19日。社会党系無所属の加藤緑平鹿沼市議との争い。古澤氏が営む会社の倒産などもあり、様々な問題を抱える中当選。昭和63年、現職市長のまま急逝する。また、古澤市政を支えるべき助役に社会党の栃木県書記長を務めていた稲川武県議を自民党船田派に鞍替えさせ選任。のちに古澤氏の後任として市長に就任する。当時栄華を誇っていた鹿沼カントリーを筆頭とする鹿沼グループとの蜜月もこのころから。七期にわたって市政を担い、現在の鹿沼市の原型を作り上げた。工業団地、木工団地、農業公社、公設卸売市場、花木センター、市民文化センター建設等に尽力。
三代 稲川武
昭和63年5月15日執行
当 25,688 稲川 武 無所属 新人
3,751 山口 員男 共産党 新人
平成4年4月26日執行
当 21,996 稲川 武 無所属 現職
3,660 中島 健太 無所属 新人
古澤市長の死去により、昭和63年5月15日に執行された市長選挙は、古澤市長の下助役を務めていた稲川武氏が出馬。共産党の山口氏との戦いを制し三代目の市長に就任。鹿沼市の市長を語るときに「社会党系の市長が多い」と言われる由縁になるのかもしれない。初代の鈴木金一郎氏も社会党系であり、社会党の栃木県書記長を務めた稲川氏の名前が挙がるからだ。稲川氏自体は自民党船田派に鞍替えしていたのだが、社会党の書記長、県議のイメージがあるからであろう。平成4年4月26日の市長選挙は共産党の中島健太氏との争い、体調不良で病院での選挙戦となったが二期目に当選。当選後現職のまま死去。近かった人に話を聞くと「開票の晩、当選の声を聴くと目を閉じた」とお話を聞く。死亡日時や様々な噂が飛んだ選挙とも言われる。のちの「鹿沼事件」と言われる懸案の中に「念書」との言葉が出てくるがこのころの話。同級生でもあった鹿沼グループとの蜜月も語られる。
四代 福田武
平成4年6月21日執行
当 33,697 福田 武 無所属 新人
14,344 神谷 正二 無所属 新人
平成8年6月2日執行
当 20,669 福田 武 無所属 現職
3,545 中島 健太 無所属 新人
平成12年6月11日執行
当 28,295 阿部 和夫 無所属 新人
19,178 福田 武 無所属 現職
稲川市長が急逝後、市長選に名乗りを上げたのは栃木県議会議員で自民党の政調会長を務めていた神谷正二氏、対立候補として自民党渡辺系で船田系も相乗りをする鹿沼商工会議所会頭、鹿沼相互信用金庫の理事長を務める福田武氏に白羽が立つ。十数年ぶりの保守系同士の一騎打ち。市を二分する激戦を展開。福田氏が神谷氏を下し四代目市長に就任。二期目の平成8年の選挙は信任投票。個人的に見て、とても紳士で聡明な市長。品がよく制服がとてもよく似合い、出初式の敬礼の素晴らしさが頭から離れない。人事では庁舎内で同級生である渡辺南泱氏と阿久津亘宏氏の話題が。情報センター、クリーンセンター、ライスセンター、フォレストアリーナ、市営住宅建設等に尽力。
五代 阿部和夫
平成12年6月11日執行
当 28,295 阿部 和夫 無所属 新人
19,178 福田 武 無所属 現職
平成16年5月23日執行
当 阿部 和夫 無所属 現職
平成20年5月25日執行
当 37,378 佐藤 信 無所属 新人
15,440 阿部 和夫 無所属 現職
三期目をめざす福田市政に、対抗馬として自民党で市議会議長を歴任した阿部和夫氏が出馬。自民党の神谷県議、民主党小林守衆議院議員など党派を超えて支持し保守系同士の対決。 福田市長の陰で暗躍する密室政治・市長が三人いるなどの噂。市政を市民の手に、と新人の阿部氏が当選。二期目の平成16年の選挙には現市長である佐藤信県議(民主党)対抗馬擁立の動きもあったが、無風に。このころから盟友と言われた神谷県議との不仲説が流れる。 歴代市長の懸案であったクリーンセンターに関する件で「鹿沼事件」も取り挙げられた。 平成20年の市長選には暴力団との密会が新聞報道され、議会も混乱。マスコミ報道では悪人のイメージも強いが、トップダウンのリーダーシップがあり、職員の残業をカットして第三子補助するなど福祉行政にも尽力した。仕事の速さと手腕は定評があり、市政記者クラブとも懇親を常に行い鹿沼市のPRにも努めた。粟野町との合併も精力的に取り組み、湯澤粟野町長と手を取り合って実現した。小林守元衆議院議員の教育長選任もありましたね。
六代 佐藤信
平成20年5月25日執行
当 37,378 佐藤 信 無所属 新人
15,440 阿部 和夫 無所属 現職
平成24年6月10日執行
当 佐藤 信 無所属 現職
暴力団との密会がマスコミに報じられ、 阿部氏が自民党推薦を破棄されるなど混乱する鹿沼市、そんな中、市民派、公正公平を旗印に米国のオバマ氏と同じスローガン「CHANGE」をかかげ市長選に出馬した佐藤信氏、民主党県連幹事長を務め、自民党一部の支持を受け大勝。選挙期間中は右翼団体が応援の街宣をするなど異様な選挙でもあった。「しんちゃん」と親しみを市民からも持たれ、 鹿沼そばの信の芸名でCDも販売するなど庶民派の市長。若者のまちづくりを援助し、市民活動などに手厚い政策を推進。来年6月には任期満了のため現在三選を目指している。
来年の市長選へとつづく。
本当に大まかな事しか書けませんでしたが、私が直接市長としてお会いしたことがあるのは福田武市長から。それ以前は当時の中枢関係者や元議員、などに昔話を聞きました。ここには書けない裏の話が多いですが、随所にヒントをちりばめています。特に、阿部市政、佐藤市政に対してはまだ最近のことなので書けないことが多いかも。あえて、市長を中心に、当時の衆議院議員、県議会議員、市議会議員などの関係は書かないようにいたしました。また書くことがあると思いますので。鹿沼市は社会党系市長が多い、との話を市外の方からされますが、初代の鈴木金一郎氏、三代目の稲川武氏、六代目の佐藤信市長が旧社会党(現民主)の出身だからでしょう。実際に民主党系として保守系と選挙戦で対峙したことはありません。ある意味保守系分裂の政争が原因ともいえるでしょう。次回は来年執行される鹿沼市長選挙について掲載いたします。