|
映画になったことで 「原作」の この本を読んでみました
映画を観てはいませんからフェアな意見ではない、と最初におことわりしておきます
映画はこの本を「原作」としているとは到底思えません
確かに 歴史に基づいてはいます
ボナー・フェラーズ というアメリカ人が
戦前のアメリカの大学時代に知り合った日本人留学生の影響を受け
日本について自ら学び、深く理解したことで
戦後、来日したマッカーサーの副官となり
昭和天皇とマッカーサーの会談のおぜん立てとともに
天皇の戦争責任についての訴追に関するの覚書を作成
日本の重要な歴史にかかわった人物です
映画でも この点はよく映像化されているようです
歴史ドラマとともに語られるのが フェラーズの恋愛
これ、まったく原作にはありません
副題の「陛下をお救いなせいまし」と発言した女性
映画では、名前の一文字さえ出てきません
フェラーズと日本人留学生の恋愛は
日本側プロデューサーのインタビューhttp://jp.blouinartinfo.com/news/story/946368/intabiyuri-ben-tohariutudonojia-keqiao-nai-liang-qiao-yang-zi
で、確信的なことを言ってますが
信ぴょう性がありません
来日中、フェラーズが頻繁に外出し会っていた女性は2人いますが
恋愛対象とはとても思えません
ひとりは68歳の教育者であり学校経営者
もう一人は この女性の子弟で既婚であり
本の中でフェラーズは家族ぐるみの付き合いをしています
しかも、彼は頻繁にアメリカに残した妻と娘に手紙を書き送っていますし
一年にも満たない来日期間中に50日も休暇を取ってアメリカの家族のもとに帰っている
フェラーズの遺族も
二人の日本人女性の家族も不快になるのではないでしょうか?
と、ここで なぜ私がムキになっているかといえば
原作のほとんどを占めているにもかかわらず 映画にはまったくかすりもしない
教育者であり学校経営者というのが
私の母校の創立者 河井道先生
だからなのです
原作者も故人となっていますから
映画の内容に何もいえなかったのでしょうか?
これほど登場人物を無視したものを 「原作」 としていいのか? です
良い方に考えれば
映画化されたことによってこの本と出会い
私が生まれるずっと前に亡くなっている(昭和27年没)河井先生について
多くを知ることになったのですから それでいいといえばいいのでしょうか
私がいまここにあるのは、この河井道先生が創立し心血を注いだ
恵泉女学園短期大学園芸生活学科での二年間のおかげです
本の内容に詳しく触れたいところですが
卒業生としてあまりに、思い入れがありすぎて主観的にになってしまうので
やめておきます
というより、書き始めたら止まらなくなって収拾がつかなくなってしまったので
在学中に一度だけ、河井先生の名前を出されて叱責されたことがあります
プレイデーと呼ばれる学校祭のような行事でのこと
学生が楽しむものではなく、来てくださるお客様をおもてなしする一日
といったところでしょうか
私の担当は「お花摘み」
学校の花卉圃場の一部を開放して小さな手籠に入るだけのお花を摘んでもらう
なかなか人気のあるコーナーで ひきも切らずにお客様が来場していました
閉園時間が迫っても次から次へとお客様がやってくる
これはもう、キリがないと
「次にくる人からはキッパリ断りましょう」
とリーダーであったわたしが宣言 3人のメンバーも了承した直後、
一人の中年女性が来場、
もちろん、お断りしました
ところがこの女性の食い下がること!
泣きつかんばかりのお願いの仕方と、お花摘みを楽しみにここに来たでろう
その気持ちを思うことで、私の気持ちもグラっと…
他のメンバーの戸惑いの視線を背中に感じつつ
それでも、一度決めた事を覆すことはできないと、
私は「ダメです」を繰り返しました
かなりしつこい懇願でしたがそれでもやっと諦めてくれたようで
最後に一言
「 あなた方、河井先生の精神を受け継いでないのね!」
叱責というより捨て台詞のようでした
今も全身に怒りをみなぎらせて去って行った女性の後ろ姿が
後味の悪さと共に思い出されます
私の行為ははたして河井先生の精神に反していたことなのか
今も答えは出ていません
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



