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我が家の近くの初日の出の名所?にある見沼代用水・瓦葺分水調整堰は
江戸時代の中頃、8代将軍徳川吉宗によって奨励された新田開発時に
設けられたものです。
昨年末、耐震補強工事を行っているので仕組みや様子が分かるチャンスと
思い写真を撮ってきました。
 
 
まず新田開発された埼玉県南東部のさいたま市と川口市にまたがって広がる
見沼田んぼについて説明します。
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縄文時代
氷河期が終わったあとの縄文時代、見沼田んぼは縄文海進と呼ばれる今より
4〜5m高い海水面が押し寄せておりでした。
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弥生時代〜寛永5年(1628)
海が後退し見沼田んぼは巨大な(1200ha:東京ドーム256個分、
箱根芦ノ湖の2倍)沼と湿地でした。
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寛永6年(1629)〜享保12年(1727)
幕府の命を受けた関東郡代の伊奈半十郎忠治が台地の最も狭いところに
堤を築き芝川の流れをせき止めて見沼を広大な溜池(見沼溜井)とし、
堤の下流の水田(5000ha)の灌漑用水としました。
堤の長さが8丁(870m)あったところから八丁堤と呼ばれました。
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享保13年(1728)〜現在
溜井方式は堤の上流が大きく水没することや流れ込む土砂が堆積し貯水量が
次第に低下することから100年後の8代将軍徳川吉宗のとき紀州出身の
勘定吟味役並の井沢弥惣兵衛為永が八丁堤の中央部を切り旧芝川を使って
排水を進め干拓するとともに利根川から水を引き用水としました。
見沼に代わる用水となったことから見沼代用水と呼ばれました。
用水は蓮田市と上尾市の境界を流れる綾瀬川と交差する地点で東西に分水し
見沼田んぼを灌漑します。
 
上流の川や排水をせき止めて溜井とし下流の用水に使う伊奈氏の工法を関東流用水と排水を分離して新田開発をする井沢氏の工法を紀州流と呼びます。

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見沼通船堀
延べ60kmにわたり完成した見沼代用水を使って収穫されたお米を江戸へ
運ぶ水運路としても利用する計画もありました。
用水は江戸までつながっていないため東西縁の真ん中を流れ荒川に注ぐ芝川に接続する必要がありました。 東西縁と芝川が最も接近する八丁堤に沿って堀を開削しましたが、用水の水面が芝川より3m高い地域を流れているため堀のそれぞれ2カ所に閘門を設け上下3段の水面調節によって舟の通行を可能にしました。
享保16年(1731)に完成した閘門式水路(見沼通船堀)はパナマ運河よりも183年も早く建造されており国の史跡に指定されました。
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見沼通船堀・東縁第一の関
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見沼通船堀・西縁第一の関
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つづく




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正月7日に江戸博友の会主催の「谷中七福神めぐり」に参加しました。
江戸で最も古い人気のコースで、享和年間(18011804)に始まったと
され、神社はなく寺院だけの七福神めぐりです。
七福神めぐりとは元旦から7日までの間に七福神を祀る社寺を巡拝し
その年の万福招来を祈願する行事です。
七福神とは一般に、恵比寿(日本)、大黒天・毘沙門天・弁財天(インド)、
布袋尊・福禄寿・寿老人(中国)の七神を指します。
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JR田端駅前に集合し受付順に7〜8名のグループに案内の先生が付き
出発です。 14班まで準備されていたので100名前後の参加です。
 

東覚寺(とうかくじ)・・・(福禄寿)
室町時代中期の延徳3年(1491)の創建で、福禄寿は福(幸福)、
禄(俸禄・富)、寿(長寿)の御利益を授ける。
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山門前にある阿吽(あうん)の石造金剛力士像は別名・赤紙仁王尊とも
呼ばれ、病のあるところに「赤紙」を貼ると治るそうです。治癒したお礼
には草鞋を奉納する習わしがあるそうです。
赤紙で仁王尊が見えないので説明版で確認します。
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青雲時(せいうんじ)・・・(恵美寿)
江戸時代・宝暦年間(175117611764)に堀田相模守正亮(まさすけ)に
よって中興されました。(1761正亮死亡)  青雲は正亮の法号です。
江戸時代の文化・文政(1800年代前半)の頃から隣の「修性院」と明治に
なり廃寺となった「妙隆寺」と合わせて「花見寺」と称され、上野台地の
西斜面に広がる広大な境内庭園は花が咲き乱れて参拝地・行楽地として賑わいました。
恵比寿神は商売繁盛・漁業の神で当山では「恵美寿」を採用していますが、
「恵比寿」・「恵比須」・「夷」・「戎」・「蛭子」などの表記があります。 
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「南総里見八犬伝」の作者である滝沢馬琴の筆塚・硯塚があります。
滝沢馬琴の表示ですが、ペンネームとしては本人も使用したことがなく
明治になって何故か使用されてきています。 嘘と騙し合いの世界である
曲輪(くるわ)で誠(馬琴・まこと)を求める野暮な男という洒落で
「曲亭馬琴」というペンネームとしました。 歌手の美空ひばりさん
(本名:加藤和枝)さんを「加藤ひばり」さんと呼んでいるようで
違和感がありますね。
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修性院(しゅしょういん)・・・(布袋尊)
天正年間(15731591)の創建と言われています。
布袋尊は袋の中の財宝で貧者を助けて福運をもたらします。
当山の布袋尊は200kg近くある大きな姿が有名で「日ぐらしの布袋」
と呼ばれています。 今回の御開帳で初めてお姿を拝見しました。
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塀に描かれた子供達とのユーモラスな絵は目立ちますね。
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天王寺(てんのうじ)・・・毘沙門天
鎌倉時代後期に日蓮が関長燿の屋敷に宿泊したことに由来し長燿が草案を
結びそれを「長燿山感応寺」として創建されました。 
不受不施の教義から江戸幕府の弾圧を受け元禄11年(1698)日蓮宗から
天台宗に改宗させられました。 
天保4年(1833)、“大奥の乱れ”で有名な11代将軍徳川家斉の寵愛を
受けたお美代の方やその父の下総・知泉院の日啓、向島の闇将軍と呼ばれた
中野碩翁等が再び日蓮宗に改宗しようとしたことから輪王寺・寛永寺の
働きかけで「護国山天王寺」と改号されました。
門を入ってすぐの左手にある大仏は「天王寺大仏(谷中大仏)」の名で
親しまれています。
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本堂右手にある毘沙門堂に祀られている毘沙門天は疾病や災難から守る
魔よけの力があります。参拝者が多いため横から?撮ってみましたが・・・
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元禄末(1700)年頃には幕府公認の富くじ(富突き)が興行されており
湯島天神宮、目黒不動龍泉寺と共に「江戸の三富(さんとみ)」と呼ばれ
有名でした。
「東都歳時記 谷中天王寺富の図」  長谷川雪丹
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2へつづく




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長安寺(ちょうあんじ)・・・寿老人
寛文9年(1669)の創建。
寿老人は長寿を授ける神で鹿を連れ巻物を先に付けた杖を持っています。
当山の寿老人は徳川家康が納めたと言われ、左脇に鹿を従え笑みをたたえた
等身大座像の寄木彫刻だそうですが、あまりにも大勢の人の列で参拝は諦め
写真はホームページから借用しました。
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護国院(ごこくいん)・・・大黒天
徳川将軍家の菩提寺である寛永寺の釈迦堂として3代将軍家光の時代の
寛永7年(1630)に創建されました。 したがって江戸時代は東叡山寛永寺
の三十六坊の一つであり現在でも「東叡山釈迦堂」と呼ぶことがあります。
大黒天は「富」と「財」の神で有徳・財福・五穀豊穣を司ります。
 
当山の大黒天像は「御前立ち」で寛永16年(1639)、3代将軍家光から
賜った「大黒天画像」が秘画像として後ろの厨子の中に納められています。
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不忍弁天堂(しのばずべんてんどう)・・・弁財天
上野不忍池には往古から小さな島があり聖天を祀っていましたが、
寛永寺構築の数年後、天海僧正が不忍池を琵琶湖に見立て竹生島に倣い
聖天島の横に大きな島を築かせ弁財天を祀りました。 当初は船で参詣
していましたが寛文年間(16611673)には橋が完成していたそうです。
弁財天は河川・水を司る神様ですが、水の流れる音から音楽・弁舌(知恵)
の神としても信仰されています。
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弁天堂への参拝者も大行列で参拝は諦めました。
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当山の弁天像は慈覚大師円仁の作と伝えられ秘仏で毎年9月巳の日の
開帳日以外は公開されず一般冊子への掲載も禁じられているため勧請元
の竹生島宝厳寺(ほうごんじ)の弁財天座像をウィキペディアから
お借りしました。 弁財天は七福神の中で唯一の女神で肌が白く頭上に
白蛇を冠し、手には琵琶や宝珠・宝棒・如意珠を持っている姿が多いが、
不忍池の弁天様も竹生島同様8本の腕に剣や弓などを握った完全武装の
「八臂(はっぴ)弁財天」という古い形態です。
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(おまけ)
聖天島は先住神?なのにあまり手入れはされていないようです。
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おわり






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2018年 初日の出



明けましておめでとうございます。
 
 
2018年の「明六つ」・・・日の出35分くらい前
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蓮田市と上尾市の境を流れる綾瀬川に架かる「立合橋」〜「見沼代用水
瓦葺調整堰」付近は初日の出を拝む良い場所で多くの人が集まります。


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太陽が昇って来ました!
手を合わせ家族の健康と幸せをお祈りしました。
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今年も立会橋の向こう(西方向:上尾市)に富士山が見えました。
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寒いはずです見沼代用水に氷が張っていました。
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本年もよろしくお願い致します。



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大晦日にあたりこのシリーズで取り上げた年中行事をまとめてみました。
 
 
睦月(1月)
 ① 若水汲み
 ② 初日の出・・・6:50
 ③ 正月風景・・・門付、雙六あそび、たこ揚げ、初湯
 ④ 人日(七草の節句)
 
如月(2月)
 ① 梅見
 ② 節分と恵方巻・・・2017年の恵方は北北西微北、
            2018年の恵方は南南東微南
 ③ 初午
 ④ 手習い初め
 
弥生(3月)
 ① 雛祭り
 ② 潮干狩り
 ③ 花見
 
卯月(4月)
 ① 灌仏会・花祭り
 ② 更衣(ころもがえ)
 ③ 初鰹
 ④ 藤見
 
皐月(5月)
 ① 端午の節句
 ② 蓮見(はすみ、はちすみ)
 ③ 川開き・花火大会
 ④ 舟遊び・納涼
 
水無月(6月)
 ① 山開き(山開き・富士塚)
 ② 山王祭―1、2
 ③ 洗い張り・洗濯
 ④ 蚊帳
 
文月(7月)
 ① 七夕
 ② 盂蘭盆会(うらぼんえ)
 ③ 二十六夜待ち
 
葉月(8月)
 ① 八朔・俄
 ② 十五夜の月見
 ③ 萩見
 
長月(9月)
 ① 重陽の節句(菊の節句)
 ② 神田祭り・・・現在は5月中旬(5月15日に近い土日中心)
 ③ 芝神明祭り(だらだら祭り)
 
神無月(10月)
 ① 炬燵開き・炉開き
 ② 恵比寿講
 
霜月(11月)
 ① 歌舞伎顔見世興行
 ② 酉の市
 ③ 七五三
 
師走(12月)
 ① 煤払い
 ② 歳の市
 ③ 餅つき
 
 
以上40項目について取り上げました。
一週間という概念のなかった江戸時代は毎月の行事を
大事に楽しみにし、生活の区切りにもしていました。
 
 
 
今年もご訪問ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
良いお年をお迎えください!  <m(__)m>
おわり




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