つぼみの会 (場面緘黙 親の会 関東)

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先日、川崎で上映された映画「校庭に東風吹いて」を、つぼみの会のみなさんと一緒に鑑賞しました。

 場面緘黙の少女が登場するということで私たち保護者にとっては注目せざるおえませんが
映画に対する気持ちにあるもの、それは

「場面緘黙という症状、そして苦しんでいる人たちの存在を知ってほしい」という期待
「描かれ方によって『場面緘黙』に対する誤解が広まるのではないか」という不安

 お話会ででた映画を観た素直な感想を、保護者の立場から、また私の意見も織り交ぜながらまとめていきます。
 それが、私たちの「誤解が広まるのではないか」という不安について理解していただくことにつながればと思っています。
 
 どうしても「こうしてほしかった」という点が多くなるのですが、映画批判ではなく、

  いい映画!だけど 場面緘黙の「啓発映画」ではない

という感想にまとまったということを、先に書いておきます。



<映画のネタバレにもなりますので、今後、鑑賞予定の方は注意してください>


良かったところ
*映画としては感動的で涙するシーンもたくさんある。
 実際、皆さん涙涙・・・
*シーンの中に多くわが子と重なるところがある。また涙・・・
*場面緘黙の少女の表情の変化(緘黙状態:無表情→リラックス:笑顔)がリアリティある。
*貧困家庭の男の子の話の方に感情移入、涙(笑)
*こんなに一生懸命、「場面緘黙」の症状に対して取り組んでくれる先生がいてくれたらいいなぁ
→現実にはなかなか出会えないないなぁ、という気持ち
*話したいのに話せない、というつらさを映像化したことで、より強く人の印象に残るという期待

残念なところ(誤解されないか不安なところ)
*教育熱心(?)な母親の描き方
 いろいろ勉強して家庭でとりくんでいるから、学校では特別扱いしないでくれ、と学校との協力体制を拒絶
→「場面緘黙」について学べば学ぶほど、学校と家庭との連携・協力体制が必要なことがわかるはず。なのになぜ拒否?
場面緘黙が周知されていないことで、「学校」「家庭」において、放置されている、というのが現在の課題ということを知ってほしい。

*教育熱心・冷たい母親→不安な少女→場面緘黙の原因 のような話の流れ
 先生「ミチルちゃんに必要なのはお母さんですよ」 母親、ガビーン
→劇中のセリフで「昔はしつけが原因とされてきたが、現在では不安や環境の変化が原因ともいわれている」と場面緘黙の原因について言及されていたが、結局原因は「母親」だったとかのように描かれていました。原作を確認したところ、母親はそのようには描かれておらず、むしろ「自分が甘やかしたからだろうか」と不安に思うシーンあり。教育熱心な冷たい母親は映画オリジナル
 初めてこの映画で「場面緘黙」を知ったかたは、結局、場面緘黙の原因は「家庭環境に不安があるからだ」と思われるのではないかと不安になりました。

*先生の取り組み
 図工の時間では、動けていないので、その時間をつかって、先生と手をつないで校内を散歩
 その様子をみつけたクラスの子「あれはさぼりじゃないの〜?」
 保護者にその取り組みを伝えていない
→みんなと違って注目あびることが一番の苦手な場面緘黙の子にとって、逆効果じゃないかな、思います。
 「手をつないで歩く」というのが本当にその子にとって大切なのかどうか、考えず取り組むのはどうなのか。
  しかも、クラスの説明も理解もない。おそらく、本人も乗り気ではない。保護者に連絡もしていない。おーまいがー。
  実際の取り組みでは、担任の先生と放課後などを使って、人目の気にならないところで遊ぶなどすることが行われることがあります。何をしたらいいかということは、そのことの距離を縮めるために、どうしたらいいかを考えて、その子に応じて考えていかなくてはいけないところです。

*場面緘黙の女の子が家でもあんまり話さない
→多くの場合「家では普通に話せるのに」というのが場面緘黙で、そのギャップを描き切れていないので、私たち保護者にとってはリアリティなく、不自然に映りました。当事者・保護者目線のない脚本だとこうなってしまうだろうな、という感じがしました。

*ラスト 
 転校する子とみんなのいるところに一人で歩いて行って「ありがとう」と初めての発話
→参加者みんなで「あれはないな〜」と(笑)
 ストーリー的にはそうせざるおえなかったのだろうけど、敷居の高いことばかり(たみんなのところに一人で登場・そこで発話)で、ちょっとファンタジーだった。
 場面緘黙の子にとって、発話がゴールではない、
 「本当の自分が出せない」という一つの事象が「発話できないこと」
 少しでも話せると「なおったんじゃないの?」「大丈夫じゃないの?」と、支援も取り組みも熱心にしてもらえないケースも少なくありません。そういう誤解を生みそうなラストだなと感じました。

*原作との違い
原作と映画はここまで違うのだなと度肝を抜かれました。
原作というものは、映画のシナリオというものになったとたんに、原作者の手を離れて、映画オリジナルになる、というのを聞いたことがあるのですが、こういうことなんだなと思いました。
 だとしたら、余計に、「場面緘黙」と「理解なく冷たい母親」の組み合わせは、私たちにとっては避けてほしかったところです。そういうパターン、そういう方がまったないとは言い切れませんが、私たちの知っている多くのお母さんたちはとても明るく暖かく子どもたちの支援に取り組んでいらっしゃいます。むしろ、学校に理解し動いてもらうにはどうしたらいいのか、と日々試行錯誤してるのです。

 映画という影響力の強いもの、そして素晴らしい俳優・子役のみなさんによって「場面緘黙」をストーリーの題材として取り上げてくださったことはとてもありがたいことです。初めて「場面緘黙」を知り、理解する一つのきっかけにはなると思います
 

 最後に・・・
 沢口靖子さん きれーだったわ〜!
 



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