松下幸之助 宇宙法則情報ノート

松下幸之助さんの宇宙法則に関する情報や哲学・エピソード等を公開します。感じる心はあなた次第です☆

経営者幸之助エピソード

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人に任せる幸之助さん

会社で上司の言われるままに仕事をすることは簡単なことですが、それでは部下は育ちません。

自分で考える環境を部下に与えることも、上司の重要な役目です。


「相談することや、そうすると多くの知恵と力が集まってくる。」


このように語る幸之助さんは、部下に対しても相談し、協力を得るということをやってきました。


あるとき、会長職時代の幸之助さんが新しいプロジェクトをしようと熱く話をしていました。

その時、会社の幹部のひとりが新しい企画の説明に幸之助さんを訪れ、分厚い資料をもとに話し始めました。

聞いてみると、その内容はさきほど幸之助さんが話していた内容とほぼ同じものでした。

幸之助さんの話を初めから聞いていたもうひとりの人は、それを聞いて、「さっきの話だな」と思いました。

そして、その幹部が話し終わると、幸之助さんにそのプロジェクトを始める許可が下りるか聞きました。

すると幸之助さんは、ひざを叩いてこう言いました。


「それはいい考えやな。

君のその考えていこう!」


幸之助さんはあたかもその場で初めて聞いたかのように、幹部の話に耳を傾け、その企画を支持しました。

幹部は喜び勇んで部屋を出ていきました。

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暗い性格もええなあ

“経営の神さま”と言われた幸之助さんは、数多くの社員の能力を引き出し、発揮をさせてきました。

組織にはさまざまな人が集まっていて、10人いれば10個の性格、100人いれば100個の性格があります。

なかには性格が合わない人、問題児と言われる人などもいますが、幸之助さんはそういう人たちも受け入れ、使ってきました。


あるとき、ある部署にとても暗い性格の社員がいました。

あまりの暗さに周りの社員はうんざりしてしまい、責任者が幸之助さんに相談しました。

「彼は性格が暗く、わが社には合いませんので、辞めさせていただけませんか。」

それを聞いた幸之助さんは即座にこう言いました。


「暗い性格か、それはええなあ。」


「どうしてですか」と問う責任者に、こう言いました。


「そりゃ君、松下関係にもよく葬式があるやろう。

その時の要員としてはピッタリやないか。」

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今も昔も、商売には“お客様大事の心”というのが言われています。

長年、幸之助さんのもとで仕事をしてきた部下は、幸之助さんはいつも心の奥底から“お客様大事”を思い、率先して態度で示していたと言います。


まだ松下電器が代理店を通じて全国の販売店に商品を販売していたころの話です。

お得先の招待会は、日本旅館や料亭で開催していました。

宴会の準備は、係りの人や担当の社員が用意しますが、幸之助さんは、開宴前には必ず、会社幹部を連れて、会場の大広間を下見をします。

そして、広い座敷の隅々まで自ら足を運んで、座敷に並ぶお膳や座布団の配列は乱れなく一直線に揃っているかを確認します。

席順や間隔は適切かどうか、丁寧に点検し、少しでも不十分なところがあれば、自分で直していきます。

幸之助さんにとっては、整然と形を整えるだけで終わらずに、どうしたらすべてのお客様に、気持ちよく、愉快に、ひとときを過ごしていただけるかという、お客様へ尽くす心、感謝の心の表し方が問題でした。


そういった行為は、松下電器の教えに留まらず、ある生命保険会社の社長が、社内でこういう話をしていました。


「松下幸之助さんは、大事なお客様を招待するとき、1,2時間前に来て、お客様をどのようにご案内するか、自分で歩いてみて、この道がいいとか、この辺で庭の説明をしようとか、お茶室の準備はどうかとか、指示を出されたそうです。

松下電器には、お客様を大事にするという精神が今でも脈々と生きており、例えば表敬訪問した際には、必ず会長や社長が1階の玄関まで下りてこられ、丁重な見送りをされてます。

私も、自社ビルの大阪本社では松下流を実行しておりますが、かたちだけではだめで、やはりお客様で会社が成り立っている原点というものを忘れないことが大切でしょう。」


また、販売店や販売会社のお得先だけでなく、原材料や部品を提供してくれる仕入先、資本や資金を提供してくれる株主や金融機関など、すべての関係先がお客様として、幸之助さんは常に感謝の念を忘れませんでした。

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昭和37年(幸之助さん67歳)、幸之助さんは京都市長と会っていたのことです。


「市長さん、あなたは世界中でどこの町が一番いいと思いますか。」


幸之助さんは市長に問いかけ、このような話をします。


「さて、どこでしょうな。

スイスの町か、ローマか、パリもいいですけどね。」

「京都はどう思いますか」

「もちろん、ここもいいことはいいけど・・・・」

「京都が一番だとは思いませんか。

一番と思わんとあきまへん。

あなたは京都の市長をしておって、京都のほんとうのよさを知りませんな。」


笑いながら話をする幸之助さん。


「実はこのあいだ、ある方から京都が世界一だということを聞きましてね。

その方は現在アメリカの大きな会社の極東支配人ですが、これまでに世界のいたるところに行っておられるんです。

その方がこう言われる、『歴史、風景、それに人情とか国民性とか、いろいろと総合してどこの町が一番かと聞かれれば、正直なところ、私は京都だと思う』と。

考えてみると、あるいはそうかもわからん。

そう思ったので、あなたに今日お話ししたのです。

市長さん、今日から世界で一番すぐれた都市は、総合的には京都だと思ってください。

そういう観点から、京都市の経営にあたってください。」


幸之助さんは京都が一番素晴らしいのだと市長にさとします。

そしてただ話すだけでなく、自分も及ばすながら協力をしようと、このように話しました。


「祇園の石段下にある、わが社の広告塔を外します。

あれはよく目立ちますし、広告価値があると思っておったけれども、せっかくの京都の美観や落ち着きを損なってはならんと思いますのでね。」

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昭和51年(幸之助さん81歳)、『繁栄による平和と幸福の実現』をうたったPHPが30周年を迎えました。

その頃、もうひとつ別の構想、「政治家養成塾」を10年前から考えていた幸之助さんは、部下にこのように話をしていました。


「前から考えている政治家養成塾のことやけど、あれ、どうするかなあ。

やるべきかどうかどうかやな。

そこで、こうしようと思うんや。

こんどの誕生日にな、お墓参りしようと思うんやけど、いっぺんそこでご先祖さんに意見聞いてみよう、そう思ってるんや。

どうしようか、やったほうがいいのでしょうか、悪いのでしょうかと。」


このように話をする幸之助さんですが、先祖に意見を聞く方法はこういうものでした。

100円硬貨をポーンと空に投げ、100円という文字を表にし、それが出るかどうかです。

3回投げて、3回とも表がでたら、どんなに反対されてもやる。

2回表がでたら、ちょっと注意しながらやる。

1回しか表が出なかったら、大いに注意し、検討し直す。

3回とも表が出なかったら、やめておく。

それは先祖がやってはいけないという声だと思う、ということです。


「こういうことを思いきってやろうかと思うのも、PHPを30年の長い間、やってきたからやな。

この30年間がなかったら、とてもこんなこと考えへんな。

そういう意味でPHPの30年間は、わしにとっても、意義深かったな。」


この先祖の意見を聞くのが、どうなったかというのは分からないのですが、昭和53年に「松下政経塾構想」が発表されました。

そのときに幸之助さんはこう話しました。


「最初に構想を発表した12年前は誰ひとり賛成する人はおらんかったが、今になって聞いてみると、今度は反対する人がひとりもおらん。

それどころか、皆が大いにやりなさいと言うんや。」

(参考記事『松下政経塾構想のはじまり』 http://blogs.yahoo.co.jp/tuiteru_so_wa_ka/10730784.html )


そして、松下政経塾は昭和54年に開塾、55年に第一期生が入塾しました。

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