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http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php 写真下の右からの小さな文字、読めますか?「少女倶楽部付録 日本名勝 嵐山渡月橋」と、あります。 このように戦前は少女倶楽部の付録とまでされていたのですね。こちらもきれいに保存されていました。 画像状態がよくないのでわかりにくいのですが、絵ではなく写真です。上から着彩してあるのでしょうね。 少女倶楽部Wiki この構図から見る渡月橋も、橋のらんかんの感じは変わってしまいましたが、手前の松並木も、水の流れも山肌もほとんど変わっていません。対岸の中ノ島公園はまだ整備されていない感じですね。 私が幼い頃は、ここでも花火大会がありました。打ち上げ花火が上がったんですよ☆対岸の浅瀬を少し解放して、子どもたちは「パンツ一丁」で水遊びもできました♪京都(市)には海がないので、夏休みの恰好の遊び場所だったんですね。 今からでは、とても信じられない光景ですが、地元の京都人たちの憩いの場所でもあったのです。 高校時代はアルバイトしたり、愛宕登山競争の前には、本番前のトレーニングで、毎夜家からここまで走ったりと、ある意味大きな庭がわりのようなものでもありましたので、とても懐かしいです☆ 時は流れて、バブル時代には芸能人のお店がたくさんできて、なんだか違う嵐山になってしまったこともありましたね。 ※裏側に説明書きがなされてましたので、記載しておきます。 山紫水明の京都嵐山の秋色 嵐山は京都の北西一里許り(はかり)のところにある名勝で、古来、山水の美をもっております。
この山は、余り高くはありませんが、満山、緑濃い松林におほはれ、その間に桜や楓がまじっているので、よく「春は花、秋は紅葉の嵐山」などとうたはれ、春、秋の眺めのすぐれたるはいふまでもなく、麓を流れる保津川は水清くボートを浮かべて遊ぶのに適しているので、夏季も客の絶えることがありません。保津川は源を丹波高原に発して京都盆地を流れるもので、保津から嵐山付近まで三里余の間は、渓谷をなし、川幅が狭く、流れが急で沿岸の風景が殊にすぐれているので、内外人の遊覧客が多く、昔から「保津川下り」で名高いところになっています。蕪村の俳句に「筏士の蓑やあらしの花衣」といふのがあって、雨の日の情景がうかがはれるではありませんか。嵐山の辺から川はようやく京都盆地に出るので、川幅も広くなり、景色もあかるくなってきます。有名な渡月橋はこのあたりに架けられてあります。嵐山駅で下車した人はこの橋を渡って中島公園や嵐山に向かいますが、川風に吹かれて橋上の眺めをほしいままにするのも一興であります。 渡月橋を渡って西方に進むと、道は川岸をはなれてやがて嵐山の坂道にかかります。登ること七町ばかりで山腹の大悲閣に達します。これは慶長19年角倉了以の建立したもので、本尊千手観音の立像は、夢想国師の作と称せられ、その傍らには保津川を開いて舟便をよくした了以の座像を安置してあります。この辺り、眺望頗る広く、京都盆地を一目に見下し、遠く伏見、宇治方面まで望むことができます。 嵐山付近には史跡が多く、亀山天皇のいらされた嵯峨の大覚寺、尊氏の建立した天龍寺、百人一首で名高い小倉山、さては小督の墓など、あげきたれば十指にも余るほどであります。 |
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