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焼失前の金閣寺本堂内です。昭和24年くらいでしょうか。 小僧さんが寝転んでいて、ゆったりとした空気が流れています。 美人や風景ばかりではなく、「クスッ」となるような、そんな構図に出くわすと、つい描いてしまうのでしょうね。 「鬼(和尚さん)の居ぬ間に・・」でしょうか。 焼失以前はこうやって、中に入れることができました。 これからしばらくして、金閣寺は全焼してしまいます。 |
おじいちゃんのみた京都。
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おじいちゃんは、着ているものにも重視☆ 美人でもセンスが問われます。 季節は初夏だけど、黒地に大きなバラ模様のひとえなんて、斬新なデザインでとてもカワイイですよね。 京都は来月は祇園祭。浴衣のデザインとしてもいけそうです。 瞬時にして、正面からのこのスケッチ・・。どうやって描いているんだろうと、いつも思います。
※私を知る人は、私が柄モノの服をよく好んで着ていることがわかるでしょう。これ、実はおじいちゃんの影響なのです♪売り場では、つい柄モノに目がいっちゃうんですね。
アーティスティックな柄モノの着こなしが抜群な人は、ほんとうに少ないものです。この方の着こなし方はとても素敵です。 |
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昭和18年。 戦争が始まっても、この時のこの風景は記録として残っていきます。絵は、描く人の心がほんとうに素直に入るものだと感じます。 どこから見て描いたのでしょうね。 8か月になる母は、祖母は、どうしていたのかな。と、思います。
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昭和25年。 おじいちゃん、美人を見つけるのがほんとうにうまい。 というか、雰囲気のある美人は少ないモノ。しかも清楚で知的。 幼い頃、大きな音を立てては、怒られ。ガサガサすると怒られた。 「子どもなんやからしゃあないやん。」と、心のなかで反発はしても、女の子に生まれたからには、許されなかったことなのかもしれない。 私も見習わねば・・。と、常々思ってはいるのだけれど。こんな美人にはとてつもなく届かない。。 写生。駅でのシーン、大部分は山陰線の二条駅であると思われます。 中国地方(おもに日本海側)の人が、まず最初に京都に降り立つのは、京都駅ではなく二条駅でした。 保津峡の吸いこまれるような恐ろしく深い緑が近づけば、そこはもうすぐ京都なのです。 |
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四条烏丸はもうずいぶんと変わってしまいましたが、私が幼い頃はまだこんな雰囲気でした。市電の線路がまだあったんですよ。と、いっても手信号のおまわりさんは、さすがにもういたはりませんでした。もちろん信号です♪ 市電ではちょうど「大丸」の前で降りられて、そのまま大丸へ。おばあちゃんにビーズの赤いバックを買ってもらいました。7Fのスカイレストランで、ホットケーキやソフトクリームを楽しみにしていた頃です。あっ☆旗のついたおこさまランチもね。 こちらは終戦から5年。京都の街も活気づいてきた頃かな。お母さんと子どものファッション、着物の人アリ。帽子をかぶったサラリーマンアリ。人物の描写が面白い☆ ☆京都市電の廃線跡を探る http://www.geocities.jp/kyototram/
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