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三島由紀夫は、日本の政治を変えるために、自衛隊の決起が不可欠と考えていました。そして、それを叶えるべく市ヶ谷において士官達を説得しますが、彼等の反応が鈍く、決断を促すために切腹した三島由紀夫のことを、安岡正篤は、厳しく指弾しています。
「堂々たる天下の大新聞が取り上げて、『動機の純真を重んじて結果の如何を問わない陽明学の影響の一例である』といったことが書いてありました。しかし、私から言いますとこれなどは、最も間違った 最も浅簿、かつ最も危険な文章であります。
動機の純粋を尊んで、結果の如何を問わないなんていう、そんなものは学問でもなく真理でもありません・・・・・。
人間が持っておる、皆が本具しておるから『良知』であります。これを『致す』、これを完成する、発揮する、これが陽明先生の唱えた『致良知』なんであります。それを実践するというのが『知行合一』であります」
(王陽明/安岡正篤/PHP文庫/2006年/P.20より)
さて、
安岡正篤が、指摘しているように、王陽明の主張する「致良知」は、人間の存在理由である“天の摂理”を、その“真理”を自ら探究し、理解することです。そして、「知行合一」は、“天の摂理を知って、その摂理に沿った生活を行うこと”と言う意味でした。
ところで、王陽明は、天才型知将であり、勇猛果敢な戦士でした。日本で言えば上杉謙信のような人物です。
すなわち100戦100勝の英雄でした。
かつ、深い瞑想を繰り返し、ついにはその天の摂理に触れることが叶いました。明王朝が、常に絶体絶命に陥った時に王陽明は招聘され、戦い、敵味方の人的被害を最小限に抑え、かつ完勝していたことは有名な話です。 それでも、彼は、官位や褒賞を常に断り続けたため、その真意を掴みきれない皇帝や官僚によって、勝利の余韻が冷める頃、地方官僚に命じられることが度々繰り返されます。 もちろん、彼は、そのたびに、自分の真意である「知行合一」の意味を理解できない皇帝や官僚達に対して、愚痴はこぼしても、その地位に甘んじで全力を傾注していたのです。 西郷隆盛の愛読書の1冊に、大塩平八郎の著作「洗心洞箚記」があります。
これは、陽明学の真髄を見事に捉えた著作であり、西郷隆盛も、そういった物事の本質を見抜く力が、養われていたことを示すエピソードだと言えます。
大塩平八郎は、上司に楯突き反乱を起こしたため、当時の幕府としては断罪に処しました。しかし現在は、その私心なき行動が理解され、賞賛されるようになります。
すなわち、平八郎は大阪の町民を愛し、地位やお金や名誉などには一切興味がなく、ひたすら「至良知」「知行合一」の行動に専心して生きていたということです。
天保の大飢饉で、大阪で56,000名もの餓死者を出し、責任感の強い平八郎は、平八郎の素晴らしい人格と高い人気を妬んで、あらゆる妨害活動を行っていた当時の上司跡部山城守に対して「堪忍袋の緒が切れた」行動だったのです。
そして、その能力を有する人は、全人口の0.4%程度と推計されます。3.11の危機を迎えた現在こそ、その0.4%の人々が叡智を日本人全体の伝え、全国民が、その「知行合一」の意味を理解すべき時ではないでしょうか。 ニッポンブログ村倫理道徳部門でランキング中です。
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三島氏の美学は潔さです。
その為に所謂、左側の方も評価しておりますが、
偏狭なナショナリズムを煽るだけの、
ネオコン御用達右翼評論家に、
潔さは感じません。
2011/8/12(金) 午前 8:42 [ 短足おじさん ]
短足おじさん 様
その通りですね。潔さと言う「美」の追求では他の作家のものとは異なり輝いています。
でも、まだ天の摂理を目指す陽明学の真髄に触れることは、叶わなかったようです。天の摂理とは、左右の両極端にも偏らず、中間にも位置しない、すべてを抱合しその上に立脚する“中立精神”のことですから・・・・・。
2011/8/12(金) 午前 8:59 [ こころが立派になればいい ]
三島由紀夫先生や大塩平八郎先生、そして、西郷隆盛先生の思想は、至誠です。
中江藤樹先生の思想を、至誠の中に、取り込んでいます。
2016/9/20(火) 午後 8:16 [ nak*m*ro46*9 ]