線形(※A→B→C:因果律/予測)の科学は、
意識レベル460で計測され、私達の生活にとって不可欠な科学です。
しかし、それでは不都合なケースが生じ、また意識について解明できません。
一方、非線形(※A,B,C:非因果律/決定論)の科学は、
500から無限に向かい計測されます。以下引用。
≪非線形的現象と、こころの経験や主観的本質は、
実態が無く、そして、嘘やいかがわしい出所の議論が考えられます≫
という一般的な概念を覆すのが、量子力学や不確定性原理の出現でした。
Chapter 3 Truth as Enigma: The Challenge and the Struggle
第3章 謎としての真実:その挑戦と苦悩
(P.17)
本来の証明可能な真実の科学の発展に関する本質的で不可欠な基盤は、意識そのものの本質的理解です。そのような基盤なしの本質的理解は、脳の化学作用の機械的還元主義(410で計測)と、観念的な哲学の知的作業(460で計測)の間で四苦八苦してしまいます。結局、これは、形而上学(450で計測)、神学(450で計測)。そして最後に認識論(460で計測)に導かれ、回り道の無駄の繰り返しという結果になります。言い換えると、私達は知る事をどのように知るのでしょうか?そして信頼し、確かめられる状態に置き換える事が出来、最初の根本原理さえ、あるのでしょうか?
ニュートン的枠組み(460で計測)と、科学(460で計測)において、どちらも有益で、信頼でき、実用的で生産的なものです。伝統的な科学の支配は、その本質的な限界と、構造、形の規則性を守っています。線形(※A→B→C:因果律/予測の科学)は、信頼でき、伝統的宗教のような社会の信仰を、見えないものからシフトした結果、科学の信仰と、実測可能で本質的に信頼できるものとなりました。
現代の知性にとっての科学は、“事実”と、“客観性”です。一方、非線形的現象(※A,B,C:非因果律/決定論の科学)と、こころの経験や主観的本質は、実態が無く、そして、嘘やいかがわしい出所の議論が考えられます(アルハート、トレイチェル、2004年)。量子力学(460で計測)とハイゼンベルグの不確定性原理(460で計測)の出現は、ニュートン的真実性の時代の支配に、終止符を打ち、顕在化している直線的科学から、非顕在の非線形的科学(500から無限に向かい計測)へと導かれた、より精妙で高度な科学の展開の始まりです。
脳の機能と生理機能
英語の原典は、こちらでお読みください。
Truth vs. Falsehood, David R. Hawkins, 2005, Chapter 3 Truth as Enigma: The Challenge and the Struggle
(真実か、嘘か デヴィッド・R・ホーキンズ 第3章 謎としての真実:その挑戦と苦悩)
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オールポチ
2013/2/4(月) 午前 10:11 [ 短足おじさん ]
短足おじさん 様
オールポチありがとうございます!
2013/2/5(火) 午前 6:25 [ こころが立派になればいい ]