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主な仏教経典や、禅の教えは、般若心経(780)、法華経三部(780)、金剛般若経(700)、達磨大師の禅の教え(795)ということで、軒並み700台で計測されます。
これは、以前からご紹介している通り、the Void(空/くう/から)のブッダの教えを、サンスクリット(バーリ語も含む)の語彙。すなわち英語でいうbe動詞の意味と、zeroに含まれるインド哲学の概念を、正確には理解出来ずに生じた問題です。
さて、具体的な問題点を考えて見ましょう。 (1)Zeroについて。 数字の0は、-1と+1の間にあり、文字通り零(ゼロ)を表します。しかしながら、これとは別にインドにおけるゼロの概念は、全ての数字を抱合している状態も、同時に示しています。 その意味するところは、この宇宙の創造者である神は、「思った」ことによって、万物を創造します。しかし、その万物とは、全て思念によって成り立つ幻影であり、全てが原子分子による一時的な創造品(意志)です。 (2)be動詞について。 Be動詞には、以下の2つの異なった意味があります。 This is an apple. それは、ひとつのりんごです。
This apple is red. そのりんごは赤色です。
上段は、存在を表し、下段は状態を表しています。経典の翻訳にはこの区別がつかなかったのです。
(1)と(2)で示した概念を統合すると、森羅万象の万物を抱合するゼロが存在する。それが無、空の本来の意味であり、何故「空」であり「無」かというのは、偉大なる自己(ハイヤー・セルフ)が姿を現すとき、それが、動物的自我の機能が消え去り、最終的に偉大なる自己に溶け込む状況を割いているのです。
さて、その上、ゴータマ・ブッダ(仏陀)とナーガルジュナ(龍樹)や、ヴィスパンドゥ(世親)などの後世の悟りを開いたブッダとの区別がついていません。またウパニシャッド(ヴェーダ聖典の哲学部分)は970で計測されます。従って、明らかに漢語の経典自体、誤った概念で書かれました。その上、インド出身の達磨大師も、その件についての理解がありませんでした。
「必ず原典を確認すべし」という金言があります。これは学術の世界のみならず、真剣にものごとを学ぶ際には、必要なことではないでしょうか。
ただし、日本からインドへ行くことが、困難な時代に、まして当時は、仏教が世界最高水準の文化を誇る中国から、日本へ入ってきたことは、残念なことだったといえましょう。 電子書籍を発刊しました。「愛 その真実とは」 挑戦中です! 本文と英語原典は、こちらでお読みください。 フェイスブックページ「パワーか、フォースか」を更新しました。 その意識レベルを超える デヴィッド・R・ホーキンズ、 2006年 第一七章 偉大なる自己の実現(計測レベル700〜849)(9) Transcending the levels of consciousness, David R.Hawkins, 2006, Chapter 17 Self-Realization (Calibration Level 700〜849) フェイスブックページ「パワーか、フォーか」に“いいね”をお願いします。
脳の機能と生理機能 「人間とは何者で、何処から来て、何をする為に生きているのか?」 |
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