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私たちは、意識の進歩によって、全ての情報に、時間と空間とは無関係に、アクセスができる状態に到達できます。
何故なら、すべての原子分子は、瞬間に、全宇宙の情報を共有しているという、驚くべき“真実”を、高度な理論物理学によって明らかにされたからです。
従って、全てのものは、他の全てのものとつながっているという私たちの宇宙の基本構造を、私達は知ることが出来るようになりました。
しかし、その状態を直感できる悟りや神との合一は、あくまでも、その意識に達した本人の主観的体験であり、言葉で表現することには、困難を伴います。
よってスッタニパータ(最初期仏教経典)などにおいて仏陀は、悟りの状態や神の表現いついて、その「叙述」や、ただ名前を付ける事を意味する「唯名化」は、避けるべきであると忠告しています。
Transcending the Levels of Consciousness, David R. Hawkins, 2005,
Chapter 1 Shame: Despair (cal. Levels 20 and below) (10)
その意識レベルを超える
第一章恥と絶望(レベル20またはそれ未満)
こころ:魂の暗黒の夜(4)
(P.39)
魂の暗黒の夜において、確信していた信仰への信頼は、実際の“真理”と戦わせられます。神についての信仰は、他人から得た又聞きの情報であり、後世に伝えられたものです。ゆえに、実際には、やむを得ず従わねばなりません。これは、「猫は、猫であるおかげで猫として存在していることを、実際に猫は知っている」という認識に似ていて、それを検討することにから分析出来る理由です。猫の存在“について”知らず、そして信仰体系を持ちません。従って神についての全ての誤った信仰は、経験上の真理とは無関係のものです。本物の“悟り”の戸は、無知に関する深い正直さを通して存在します。
内在している神や真我といた神性に関する経験は、超越した神の状態としての信仰と、全く異なります。仏陀は、悟りとは、自動的に知ることと同じ事であり、その状態や状況であるという理由から全ての神の叙述と唯名化(訳者注釈:ただ名前を付ける事の意味)をしないように忠告しました。その状態や状況は、真我を叙述するのに伴い、自我といった‘それ’は存在しません。この状態や状況は、まばゆいばかりの真我といった叙述が、最も良いでしょう。そして、その状態で知っている状態とは、そのものが“真理”です。(このテーマは、後の章の中で再び触れます。)
英語原典はこちらでお読みください。
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Transcending the Levels of Consciousness, David R. Hawkins, 2005,
Chapter 1 Shame: Despair (cal. Levels 20 and below) (10)
その意識レベルを超える
第一章恥と絶望(レベル20またはそれ未満) (10)
こころ:魂の暗黒の夜(4)
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脳の機能と生理機能
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2013年03月12日
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