言葉の体験記

英雄的リーダーの登場を願いつつ玄米・天然味噌・天然塩・海藻・野菜の摂取を

哲学

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原発事故や、核兵器の恐怖によっていわゆる「終末論」が、再び人類の共通の意識の中に芽生えてきます。

1976年85歳で他界したワイルダー=ペンフィールドは、脳を含め体の中には「こころ」が存在しないことを発見しました。そして1943年には左右の大脳にある補足運動野という部位が、体のあらゆる分泌物の指令をキャッチしている受信機の役割をしていることを指摘しました。後にノーベル賞受賞者ジョン=エクルズ卿の研究チームによって確認されています。

実際に「こころ」は宇宙空間そのものという
ことを示すあらゆる理論が出てきました。例えば、カール=ユングの「集合的無意識層、共時性」、カール=プリブラムの「脳とこころの機能におけるホログラフィック理論」、非二元論の宇宙を示すデヴィッド=ボームの「開かれた世界と織り込まれた世界」、ルパート=シェルドレイクの「形態形成場仮説」、理論物理学、そしてカオス理論(非線形力学)などはそのことを裏付け、または実証する実験が行われて、大きな成果を上げることとなります。

人類において、創造するとは、「こころ」に浮かんだコンセプトを実際の物質などに表現することで、誰にでも可視化することが出来るようになります。

また「こころ」の中だけでも、誰もが同じことを考えることが出来ます。例えば、家族は、身内に何かあったときに、その身内に起きたことを直感的に知ることが出来るいわゆる第六感。その第六感の思念も、実は体の中で生まれるのではなく、空間すべてに偏在している思念を、前述した補足運動野にてキャッチしているということです。

ということは、冒頭に上げた「終末論」も人類が誕生してから、先人達が「こころ」に描いたイメージを、皆が補足運動野にてキャッチしているということになります。

すべての思念は、宇宙空間に偏在しているということです。その思念をキャッチし、いやな気分になるのも、あなた次第ということです。そうであれば、マイナスの感情をキャッチしないためには、どのような思念を思い浮べることがいいのでしょうか?

人の「こころ」を前向きにする感情は、「勇気、中立、受容、共感、愛、喜び、平和」といった感情を持つことによって、「終末論」のような破壊的な思念を蘇らせることはなくなるといえます。逆に「恥、罪悪感、無感動、深い悲しみ、恐怖、欲望、怒り、プライド」は、「終末論」を蘇らせ、本当に人類を滅亡に追いやるといえます。


明るく愛情に満ちた思念を、

多くの人が持つことによって、

「人類は原発や核兵器を手放すことが出来る」

ということは、

生理神経学の上からも真理であるといえます。



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武士道の一つの捉え方

笹森順造氏の言葉を引用します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日本武道は、相手に怪我をさせるとか殺すためのものではない。
一瞬にして相手に最小限のダメージを与え、
しかも自分が悪かったと悟らせるためのものである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

特攻隊が、
少数をもって繰り返し波状攻撃で米艦隊に長期にわたって挑み続けたのは、
要するに、こういうことだったのではないかと思うのです。





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基本的人権とは

基本的人権とは

198090年代に日本や欧米は、経済発展のピークを迎えました。そしてソヴィエト連邦の崩壊によって、資本主義と民主主義の将来は輝かしいものと認識しました。
 
しかし、それから20年経過し、私達は世界から紛争や貧困をなくすことも、自然破壊を止めることができませんでした。そして日本の有史以来最悪の「東電福島第一原発事故」が発生。それでも原発の安全性をクリアーする前に経済のために運転を強行し、経済成長を謳い続ける政官財学の日本のリーダー達。
 
何かおかしいと思いませんか、そしてその背後にどのような理念があるか気付きませんか?賢いあなたは気付いたはずです。そう、大事なものが抜け落ちています。経済発展を促す前にしなければならないこと「基本的人権」を捨て置かれているからです。
 
さて、アメリカの憲法の理念は、普遍的真理に基づいています。それは「人権は人間の創造に備わっているものであり、従って何者もこれを奪うことはできない」という概念です。
 
アメリカと共に資本主義であり民主主義の日本において、「基本的人権」の概念が異なるはずないですね。日本の政官財学のリーダー達は、国民に向かって「働け」といいます。「国家財政が危ない」と言います。働く前に、そして国家財政が危ない前に、基本的人権のほうが危ういではありませんか。
 
何故なら、原発反対というと売国奴だそうです。そこに民主主義はない。民主主義は資本力でもなければ多数決でもありません。基本的人権は「生きたい」「知りたい」「仲良くなりたい」の脳の三大欲求を満たすものであるべきはずです。この概念が誤っていたらどうぞご指摘ください。
 
ところで、原発事故は、他の機械や施設の事故とは比較にならないほど、この3大欲求をことごとく退けます。何故ならアメリカが主導する核の世界戦力の一環として人工放射性物質の危険性を軍事機密としているからです。
 
よって、3.11事故前には厳しく守られていた放射能に対する法律は、軍事機密を理由に法そのものをないがしろにします。そして平和憲法の日本で、そのような軍事機密が優先され、それを無視し「働け=税収を増やせ」「国家財政が危ない=消費税増税」については、どう考えても本末転倒ではないでしょうか。国家がなくなれば軍事機密どころではありません。
 
私達の真理は「生きること」は何かを知るために生きることです。富、地位、名誉を得るためではありません。
 
真理は、それこそ「命」を保つことであり、その「命」を保つことは大地、すなわち自然を守ることです。経済成長という名のもとに私達は、その根源を置き忘れているということです。ひとりひとりがおかしいと気付き声を上げ、その声が全市民の声とならない限り、この狂気の国家権力は市民の「基本的人権」を無視し続けるでしょう。
 
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シェイクスピアの有名な台詞「生きるべきか死ぬべきか/To be or not to be.は、本来「存在するのか、存在しないのか」でなければ原意を正しく伝えていません。何故ならbe動詞は、もともと存在するという意味を含んでいている動詞だからです。

ということは、もし、生死をそこに加えたいのなら、「生きることは存在することなのか、死ぬことは存在がなくなることなのか」という台詞であれば、原意を伝えているといえます。

このことは、現代のあらゆる哲学的思弁の原型ともいえるアリストテレスの著作「形而上学」における“実体”の解説においても明らかです。「This apple is red.」は、ただ「このりんごは赤い」ではなく「このりんごは赤い色が“ある”」という意味です。

「赤い色」を「りんご」という言葉に述語付けるという表現によって、抱合していることをアリストテレスは示していると主張します。すなわち、すべての実体が存在をしている(ある)ということです。

ゆえに、究極の存在論とは、意識そのものが存在しているのであって、肉体や感官器官で入力される情報そのものは、何も存在せず、ただ意識の産物であるということになります。

よって、意識の進歩の最終地点は、仏陀や老子の言う「あらゆる矛盾や反対律を超越し、それらを抱合し、一歩上に立つ中立精神の確立」こそが実体(創造主と私達の関係)そのものを、理解する唯一の精神(こころ)の立ち位置だということになります。

意識そのものが、創造主の一部(これも限定された知覚に基づくいいかたです)であることを理解できれば、西田幾多郎のいう「自他相忘れ、主客相没するというところに至らねばならぬ」という意識こそ、人間にとって”完全なる善行”であることを、私達は理解できます。

ゆえに、競争して、経済的繁栄をもとめるというのは、人類の真理であるような資本主義の概念において、人類の真理ではなく、「共感し、分かち合う」社会の構築が人類に平和と安寧を生む唯一の方法といえます。



現在人のバイブルといえる「パワーかフォースか」の第19章を訳し終えました。
これで19章〜24章の第Ⅲ編の意味編(MEANING)を完訳したことになります。
近い将来に「パワーかフォースか」の解説本を電子出版予定です。
こちらの方も宜しくお願いいたします。



その完訳を載せている
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老荘思想で言う陰陽は、見える世界と見えない世界のことも指します。科学は見える世界のみを是とし、見えない世界はすべて非科学的となります。それにも関わらず見ることが不可能な原子分子の世界を、科学と呼びます。

波と粒というニュートン的(質量とエネルギーの世界)科学では、相反する性質があり、その挙動は、虚数という自然界に存在しない仮の数字を用いることでしか表す事が出来ないのに、それは科学であると、科学者達は言います。

そうです。

それが原発や核兵器の科学です。科学というのは人間の勝手な都合で科学的となり、都合の悪いものは非科学的と呼び批判します。そんな無責任な科学に市民は振り回されていると言うことです。この事実をひとりでも多くの人に理解していただき、原発の技術がいかにあやふやな世界の技術であるか気付いて欲しいと思います。

ところで、意識の研究は、古代から宗教哲学の最大のテーマですが、その本性について経験することは、一般的にはほとんど出来ない(勿論私も経験していません・・・)ために、科学の遡上に上ることはほとんどありません。

アリストテレスの「形而上学」や「心とは何か」という断片は、その意識の根源を考える最重要テキストです。しかし、そのあまりの難解さによって、ごく一部の研究者のなかで論じられるテキストとなっているのが現状です。

それでも、そこに書かれている内容は、バガヴァッド=ギーターでクリシュナが語っていること、ヴェーダ聖典の哲学部分であるウパニシャッド(仏陀の最初期阿含経典の言行録はこれが元になっている)や、老荘思想と何処が異なるのかと私には思えます。言いたいことは、「こころそのものがすべての根源である」と断じていると読み取れます。

意識があると認識できること、それが聖書にもあるように「現在あるものは過去にもあり、未来にもあるだろう」(コヘレトの言葉第1章9〜11節の要旨)という認識にたどり着ける第一歩ということです。

気づいているか気づいていないかしか、この存在論を語ることは出来ないということです。そこに質量とエネルギーのあるものしか科学として認識できない私達の知覚の限界があります。

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