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本日は、いわゆる超能力についてのご紹介です。それは、ホーキンズ博士も論述している通り、「知能/理性/知性」での理解は不可能です。
また、「個人の中で制御出来るものにはなりません」ということを、まずお伝えねばなりません。自分の超能力を誇ることほど、神仏への道は遠回りとなるでしょう。
テクニックによるクンダリニーエネルギーの取り込みとは異なり、意識レベル540とそれを超えたところでは、本人の意志とは無関係にそのエネルギーは突然、体に流れ込みます。
また、540以上で生まれるヒーリング能力や、585以上で起こる霊視能力などの非日常的な超能力も、本人の意志とは無関係に芽生えます。
従って、それらの能力は、非個人的なものであり、意識の進歩の過程でもたらされるものです。ゆえに、それを競い、必要以上の金銭を得る目的で利用することは、自我の罠、すなわちアストラルの回り道となることを認識すべきです。
あくまで、その能力は、神仏との合一への道標の一過程であり、それは統合的(意識レベル200以上)な意図に基づき活用され、人類の平安と進歩に寄与すべきものです。
本日の「スピリチュアルの現象」の節は、この章で最も重要とも言えます。また、一言一句がホーキンズ博士の慈愛にあふれています。その上、真実を知ることで、ひとりひとりの意識レベルが上がることにより、日本のみならず、人類全体の平安につながることを理解いただければ、私にとってこの上ない喜びです。
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哲学
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「論語」では、君子、小人の二通りの使い分けがあります。君子とは、知識も持ち道徳律をわきまえた教養人のことで、君主やリーダーではありません。 そして、小人とは、知識は有するものの、道徳律に意識が働かないか、無関心な人のことです。道徳律とは、成文法の下にある土台です。従って、小人は、成文法の遵守とは無関係に、政治家や官吏として不適格であることを意味します。 ゆえに、政治的、社会的な自由に、道徳律の自由は含まれません。何故なら、道徳律の自由化は、例えばロリコンは、Aさんにとっては“良くない”ものでも、Bさんはそうは思わないといった結果になります。 では、その道徳律とは、一体どこから生まれるものでしょうか? その近代の概念を生み出したのは、17世紀のイギリスで名誉革命を支えた、ジョン・ロックによる「政府二論(市民政府論)/Two Treatises of Government」の概念です。 それは、王権神授説を否定し、その上“自然法”を確立しました。その自然法とは、「創造主によって等しく生まれた人類は、自由、平等の権利を持ち、幸福の追求を許され、何人にも犯せない権利」というものです。
従って、個人が、自分勝手に作り出すものではありません。そして、それは命と、その尊厳を守るため普遍的価値を持つものです。ゆえに、人類の意識の進歩(文明の進歩)には、欠かせないツールです。逆に道徳律の崩壊した文明が衰退しているは、歴史上明らかです。
第一三章 知性(計測レベル400) (6)
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中国の王朝を支えてきた科挙のシステムは、皇帝が、その優秀な知性を持つ人材を、適切に使いこなせないとき、必ず腐敗はおこりました。それが各王朝の命取りになりました。
しかし、その教訓は生かされず、現在の世界のどの政治システムにおいても、人類は、科挙とまったく同じ過ちを繰り返しています。歴史を学ぶとは一体何かを、問わねばなりません。 さて、意識レベルの違いは、同じ事実を、まったく異なった観点から見るという問題があります。そして、意識レベル200を下回ると、“真実”を自分の利益のために歪め、それを、あたかも本当であるかのように表現し示されます。 意識レベルが低くとも、知能が高ければ、権力を握ることが可能な社会システムにより、人類は2回の世界大戦を含め、軍事全体主義国家の出現を許しています。民主主義が成熟すれば、軍事力など不要です。しかし相反して、肥大化した軍隊の存在により、現在の日本のように、放射能汚染を人々に強要する悲惨な状況を生んでいます。
意識レベルを上げるハートの教育こそ、社会の安寧に結びつきます。しかし、日本人は、そのことに気づいていません。いまだに知性/理性を磨くことに重きがおかれ、地位、権力、物質的富の獲得を、社会的成功と見て勘違いしています。
意識レベルが低くとも、権力が集中しなければ大惨事にはなりません。ゆえに、そのようなリスクを減らすためにも、権力の徹底した細分化が求められています。
電子書籍を発刊しました。「愛 その真実とは」 本文と英語原典は、こちらでお読みください。 フェイスブックページ「パワーか、フォースか」を更新しました。 その意識レベルを超越する デヴィッド R. ホーキンズ 2006年 第九章 勇気(計測レベル200) (7) Transcending the levels of consciousness,David R. Hawkins, 2006, Chapter 9 Courage (Calibration Level 200) (7)
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真の民主主義とは、多様な意見を受け入れ、それらの意見を抱合し、一段上の解決策を提示するというのが本来の姿です。まさにその立場は「中立」です。すなわち「中立」精神とは、民主主義の実現を意味する言葉です。 ところで、意見の相違は、意識レベルの相違によって生まれます。例えば、あるホームレスを見る目も意識レベルによって全く異なります。その視点の相違は「パワーか、フォースか 20章 意識の進化」において、詳細に述べられています。 臨界点200の意識に達すると、他者との相違を受け入れ、“意見の相違”は、人生の発展途上で生まれるものとし、それを受け入れる能力は、次第に大きくなります。 すなわち、真の民主主義を実現するには、意見の相違を受け入れるために、人々の意識レベルが200に達しなければ、かなり困難なことを意味します。 従って、少なくとも意思決定者の意識レベルは、200に達していないと、その政治体制や組織は、必ず不幸な結末を迎えてしまうでしょう。その「真実」をキネシオロジーによる意識研究において人類史上初めて証明しました。人類にとって、それが“今”であるということに、深遠な啓示を感じさせます。 その意識レベルを超越する デヴィッド R. ホーキンズ 2006年
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官僚や、政治家達が、何故嘘を平気でつけるのか、それは、意識レベルが低いところにとどまっているからです。 どのように体の健康に気をつけても、こころが蝕まれていては、決して健康と幸福は手に入りません。 現在ご紹介している「その意識レベルを超越する」には、各章で統合性(integrity)という言葉が、よく使われます。これは、老荘思想で言う陰陽を実現するために必要な概念です。 すなわち常に健康で幸福であるよう心がけるには、陰陽、すなわち心身の、それぞれのバランスを保つことです。それは、巷にあふれる肉体の健康法に、こころの健康法である統合性をプラスすることを求めるものです。 そして、こころの陰陽とは、真実を捻じ曲げる意識、「恥、罪の意識、無感動、深い悲しみ、恐怖、欲望、怒り、そしてプライド」を超越し、“真実”に沿って生きてゆくことです。 すなわち、こころを統合性の臨界点である意識レベル200以上にあげることが、こころの陰陽の実現化です。それは、本当の意味での“健康と幸福”を実現する第一歩です。 その意識レベルを超越する デヴィッド R. ホーキンズ 2006年
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