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人類史上初めて、“意識”について、科学的手法の解明がなされました。
そのはじまりであるフロイトと、ユングの功績は、
計り知れないものがあります。
中でもユングの研究は、精度の高い“真実”を含む研究でした。
アインシュタインは、ハイゼンベルグの不確定原理の哲学的示唆を、
拒絶したにもかかわらず、その哲学基盤から展開した理論、
デヴィッド・ボームの「織り込まれた世界と開かれた世界」を、理解していました。
ボームは、アインシュタインの晩年の共同研究者でした。
しかし、ボームの研究成果における意識レベルは505で、
アインシュタインは499で計測される結果に、明確に現れています。
アインシュタインが、拒絶しなければ、
コペンハーゲン学説もどうなっていたか分かりません。やはり人間関係とは難しいですね。
「謙虚さは真理なり」というマザー・テレサの座右の銘が、
自戒を込めて、こころにしみます。
Chapter 3 Truth as Enigma: The Challenge and the Struggle -3- |
哲学
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私達は初詣をし、また先祖の霊に対して祈ります。
この事実は、多くの人々は「赤い糸」を含め、
科学的手法では説明できない力を感じ取っていると言えます。
ところで、私達の頭を混乱させるひとつの例を挙げましょう。
スピリットは精神と訳され、スピリチュアリティは霊性と訳します。
厳密に言えば、その訳は誤りです。
本来スピリットの意味には、霊も含まれるということです。
また、祈りと願いは異なります。
祈りを込めた母親の手作りの料理は、
なんと500を超えるパワーを持つ事が判明!!!
すごいパワーが潜在しています。
その手料理を食べるだけで、愛の意識レベルを感じ取る事が出来ます。
素晴らしい事です。
よって、放射能の拡散問題や、原発の是非の議論を、科学的根拠によって求めたところで、決して問題を解決できない理由がここにあります。「命」と「金」のどちらが大切か、識別できないのが知性の限界であり、もっと簡単に言えば愛がないので問題は生じます。
さて、デカルトの「私は考える、ゆえに存在する」は400で計測されますが、この有名な言葉を、逆にして「私は存在する、ゆえに考える」は480で計測されます。意識が存在してはじめて、思考が出来るというほうが、より真実度が高いという結果です。
しかし、どちらも知性(400〜499)の範囲に留まっていて、本質を表していません。
ちなみに、本を残していないソクラテス自身の哲学は、540で測定され、知能や知性(理性)によって処理された“事実”を超えた“真実”を含んでいると言えます。彼の哲学は、西洋哲学のなかで最高の値を示しています。
そのような問題を生む理由は、意識そのものの性質からきています。よって、その性質を知る事のみ、知性の限界を乗り越え問題の解決を可能にします。知性のパワーには、限界がありますが、愛のパワーには、限界はありません。
それを示した意識マップは、人類への最大級の贈り物です。この原理を知り計測すれば、カルトに引っかかる事は永遠になくなります。
さて、臨床キネシオロジー(600)、意識マップ(605)以外の科学理論のすべてが、500未満で計測されます。そして、非-顕在の非線形分野を計測すると、500〜無限という計測を示しました。
その意味するところは、物事の本質や、問題点などの真実を(例えば、こころの底から愛しているか否かなどを含めて)識別し理解可能になるには、500以上の意識レベルが必要といえます。また、知性は、非‐線形的な物事、即ち愛や神性について拒絶する特徴と、“真実”を何処までも追究するという相反する性質を持っているため限界を有します。
Chapter 2 the Science of Truth (2) |
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アメリカの脳外科医ワイルダー・ペンフィールドは、
意識下にある患者の脳を数十年にわたり、数百件手術していました。
脳は、知覚受容体がありませんので、痛みは感じないのです。
そして1943年に
「人の意識/こころは体外にある」
「左右大脳の補足運動野(SMA)にて意識/こころの信号を受信し、
あらゆる生理機能が生じる」と、世界で初めて結論付けました。
その意味するところは、宇宙空間そのものが、私達の意識そのものという事です。勿論、現在でも多くの科学者は、この主張を無視しています。科学的事実なので、反論できないためでしょう・・・。
それは、エネルギーと質量が無ければ科学的分析は不可能であるという理由から、ペンフィードの主張が科学的事実であった場合、それ以上、科学という手法を用いて私達の意識を、解明するのは、事実上不可能である事を示しました。
そう、キネシオロジーが登場し、非線形力学とその数学、理論物理学とその数学が発展するまで、意識を科学的に分析する手法は皆無でした。
ところで、すべての科学は、ある限定された条件下でのみ有効です。
よって、条件が変われば、すべて変わらざるを得なくなります。
従って、全ての科学は真実を“発見”する事は不可能です。
あくまでも一定の条件下における“事実”のみ知りえるという意味において、科学は正当性を示します。
その上、科学を認識する為に、ある謎の袋小路へと導かれます。
それは「どのように、私達は知り、その上、どのように知る事を知るのか?」
という問題です。
Chapter 2 the Science of Truth |
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体などの物質の領域と、思考や感情といったものを生み出す領域は、それらを形作る振動エネルギーの波長が異なります。そして有形のものが滅び、それを支えていた低位のエネルギーフィールド(エーテル体)も消滅した後、精妙な高位のアストラル体と呼ばわれている意識の振動エネルギー領域は、そのまま残存します。
この意味するところは、物質的な肉体の死が、精妙な意識の振動エネルギー領域に対し、なんら影響しない事を意味します。
今までにも再三述べ、下記に記述されている通り、この論述部分は、ホーキンズ医師の博士号所得論文中に記されていたものです。ホーキンズ医師によって経験された主観的体験を基に、聖書、仏教経典など既存の形而上学的宗教解釈を超越した、聖人達(イエスや仏陀)の主張されていたものです。
そして、それらのスピリチャルの主観的な真実と、最新の科学による成果を融合させたスピリチュアルの「普遍真理」を述べたものです。
日本の学術の世界では、このような内容を対象とする「普遍真理」の主張など、“気違い”扱いされる事でしょう。そして全く論外と無視され、このようなテーマで博士論文が受領される可能性はほとんど皆無です。
しかし、アメリカでは博士論文として受理されました。そのアメリカの懐の深さと向上心は、あくなき真実を求める探究心に結びつきます。その高い向上心と包容力は、どれほど人類の進展と、意識の進歩に対して貢献しているのか計り知れません。
もちろん、大企業の横暴、特に軍需産業と軍部の情報、諜報部門の存在(CIAやFBIを含む)は、平和を希求する人類にとって脅威であり、彼等の仕掛ける多くの戦争や、政治的犯罪を許すわけに行きませんが・・・。
そのほかの例でいえば、日本の文科省は、覚者である本山博氏に、いわゆるオーラや心霊現象を研究する大学院の新設を認めませんでした。しかし、それは現在アメリカにおいて「カリフォルニア人間科学大学大学院(CIHS)」となり、世界中から有能な学生や、科学者達を集め、目覚しい成果を挙げています。
さて以下は、論述の最終部分です。全文は、下記フェイスブックページにてお読みください。
10. エネルギーの保存の法則や、物質の保存の法則に比べると、生命の保存の法則の方が、優れています。生命そのものは、本質(本性)を破壊する能力を持ちません。唯一、異なった振動(人間の経験の中で、“エーテル的”“スピリチュアル的”そして思考領域と表現される他のエネルギー領域)へ移る事によってのみ変化できます。
11. 全ての存在は、エネルギーの振動レベルに表現されるという理由により、意識レベルは、生来的に、1から1,000までの意識(10の対数)によって表せます。(かつて、人類は意識の最高レベルに到達しました。) それは、人類の全ての意識による振動領域を含んでいて十分なものです。そのようなスケール(測定値)は、理解力のある人類において、理論的価値は勿論ですが、大変有益で、大いに実用的なものとして、万物(宇宙)と神性についての質問に対応可能です。
12. 意識の調査研究は、主観性はもちろん、客観性についても共に、特定できるといった存在です。それは時間、場所、次元を超越した関係性、線形と非線形のパラダイム(枠組み)の両方と、それらの影響によるエネルギーレベルの関係を調査できるものです。現在、人類においてそれを可能とする科学として唯一のものです。
以上の記述は、意識レベル1,000で計測されます。これは現在の人類という環境で、真実と知る事ができる最高レベルの値です。
これらの論述は、博士論文の中で効力のなかった仮説を、十分な理由を示すデータにより明らかにしました。そして証明され敷衍(趣旨が徹底されるように説明)されて、明らかなった仮説を通して、論じられているつもりです。
(意識の科学に関する本質的な原理の概要、10から12より)
(Truth vs. Falsehood, David R. Hawkins, 2005, page 15)
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あなたは、芸術表現のなかで何が最も好きですか?
絵画、小説、短歌、詩歌、音楽、陶芸など様々なものがありますが、人間は、専心することによって、その対象が何であろうとも素晴らしい成果を上げます。
特に芸術は、非宗教的な行為の中でも、私達は、その作家の精神性の高さにによって、同様に精神の高みえと、導いてくれる最も優れた表現方法のひとつです。
その芸術的表現において、例えば肉筆画は、それをどのような美しいものであっても、精巧であっても、コンピューターや、写真によって忠実に複製されているものには、オリジナルほど、意識を高く導いてくれないものです。
私達のこころの奥深くに眠っている、本質的な美を感知するセンサーを呼び起こし、その崇高さに気付く事こそが、偉大な芸術作品が、何世紀もの間、世代を超えて受け継がれてゆくこととなります。
ただ、ものによっては、その先進性や革新性によって、同時代の人々に理解されず、不遇な人生を送るといったエピソードが、数多く存在するのは事実ですが、彼らの魂の崇高さは、確実に人類へ寄与しています。
ここ数日急に、秋も深まってきました。すばらしい芸術作品に触れて、意識を高めましょう。ひとりひとりの意識が高まることは、それだけで、人類の意識の向上と、平安に寄与しています。
そして、素晴らしい芸術に触れた感激を、日常生活の中でも忘れずに持続してゆきたいものです。その高い意識こそ、人類から戦争、飢餓、差別、無用な競争、原発、核兵器を無くすために貢献するのですから。
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