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哲学

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人類史上初めて、“意識”について、科学的手法の解明がなされました。

そのはじまりであるフロイトと、ユングの功績は、
計り知れないものがあります。

中でもユングの研究は、精度の高い“真実”を含む研究でした。

アインシュタインは、ハイゼンベルグの不確定原理の哲学的示唆を、
拒絶したにもかかわらず、その哲学基盤から展開した理論、
デヴィッド・ボームの「織り込まれた世界と開かれた世界」を、理解していました。
ボームは、アインシュタインの晩年の共同研究者でした。

しかし、ボームの研究成果における意識レベルは505で、
アインシュタインは499で計測される結果に、明確に現れています。

アインシュタインが、拒絶しなければ、
コペンハーゲン学説もどうなっていたか分かりません。やはり人間関係とは難しいですね。

「謙虚さは真理なり」というマザー・テレサの座右の銘が、
自戒を込めて、こころにしみます。


Chapter 3 Truth as Enigma: The Challenge and the Struggle -3-
第3章 謎としての真実: その挑戦と苦悩 -3-

学者達と知性による研究の長い歳月の後に、新しい研究の体系(システム)が、人間の知能と、その哲学の研究を応用し、大自然の(物質の)支配において、大きな成功を収めた科学的手法を始めました。西洋の主要な本の最後の本は、特筆すべきものがあります。それは、無意識とすべての精神と感情の主要な役割に関し、最も将来の発展の可能性を抱合している実態の様相の発見者フロイトを扱いました。その偉大な、精神分析家の貢献は、ア・プリオリ(先天的、先験的)による経験の基盤と、その解釈と、その内在する精神力学といった主観性に関する決定的な役割を明らかにした事です。

フロイトの後、カール・ユングの発見が、精神分析の拡大を継続させました。それは、人間の意識に於ける個別的なものと、集合的なものを両方とも重要な要素とし、強力な精神(霊性)を含むという重要なものです。ユングは、より意味のある意識の大きなアーキタイプといった生来的(本質的)パターンを明らかにしました。フロイトの研究は499で計測される一方、ユングのそれは、パラダイム(理念や原理などの枠組み)の重大な進歩という点で大きな意味を持つ520で計測されます。

実験に基づく、学術の心理学は、より機械的な問題と学識理論そのものに限定されました。ほぼ、同じ時代の間に、意味論は言語学と言語の基本構造そのものの研究でした。ハヤカワ(1971年)とアイアー(1966年)は、デカルトの初期に考えられていた基本的ポイント(レース・コンギエタス、考えるもの vs. レース・エクテンサ、広がりのあるもの)には、人間の精神作用の欠点に関し、「その地図には領域はない」と重要なポイントの欠落を強調し説明していました。意識そのものは、ハイゼンベルグの不確定性原理によって、決定的な発見と、影響の結果より科学的要求の焦点となりました。アインシュタイン(彼の研究は499で計測されます)は、ハイゼンベルグの原理に関する哲学的示唆を拒絶しましたが、閉じられた/開かれた、そして内包された/明らかにされた真実のパラダイムを、描写し、説明したデヴィッド・ボーム(彼の研究は505で計測)について、理解していました。この最も進んだ宇宙の再構築化は、存在の非‐顕在の根底基盤と、その事実の潜在的可能性から見えているもの、両方に関する真実性を認識しました。

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私達は初詣をし、また先祖の霊に対して祈ります。
この事実は、多くの人々は「赤い糸」を含め、
科学的手法では説明できない力を感じ取っていると言えます。

ところで、私達の頭を混乱させるひとつの例を挙げましょう。
スピリットは精神と訳され、スピリチュアリティは霊性と訳します。

厳密に言えば、その訳は誤りです。
本来スピリットの意味には、霊も含まれるということです。

また、祈りと願いは異なります。
祈りを込めた母親の手作りの料理は、
なんと500を超えるパワーを持つ事が判明!!!
すごいパワーが潜在しています。

その手料理を食べるだけで、愛の意識レベルを感じ取る事が出来ます。
素晴らしい事です。

よって、放射能の拡散問題や、原発の是非の議論を、科学的根拠によって求めたところで、決して問題を解決できない理由がここにあります。「命」と「金」のどちらが大切か、識別できないのが知性の限界であり、もっと簡単に言えば愛がないので問題は生じます。

さて、デカルトの「私は考える、ゆえに存在する」は400で計測されますが、この有名な言葉を、逆にして「私は存在する、ゆえに考える」は480で計測されます。意識が存在してはじめて、思考が出来るというほうが、より真実度が高いという結果です。

しかし、どちらも知性(400〜499)の範囲に留まっていて、本質を表していません。

ちなみに、本を残していないソクラテス自身の哲学は、540で測定され、知能や知性(理性)によって処理された“事実”を超えた“真実”を含んでいると言えます。彼の哲学は、西洋哲学のなかで最高の値を示しています。


そのような問題を生む理由は、意識そのものの性質からきています。よって、その性質を知る事のみ、知性の限界を乗り越え問題の解決を可能にします。知性のパワーには、限界がありますが、愛のパワーには、限界はありません。

それを示した意識マップは、人類への最大級の贈り物です。この原理を知り計測すれば、カルトに引っかかる事は永遠になくなります。

さて、臨床キネシオロジー(600)、意識マップ(605)以外の科学理論のすべてが、500未満で計測されます。そして、非-顕在の非線形分野を計測すると、500〜無限という計測を示しました。

その意味するところは、物事の本質や、問題点などの真実を(例えば、こころの底から愛しているか否かなどを含めて)識別し理解可能になるには、500以上の意識レベルが必要といえます。また、知性は、非‐線形的な物事、即ち愛や神性について拒絶する特徴と、“真実”を何処までも追究するという相反する性質を持っているため限界を有します。


Chapter 2 the Science of Truth (2)
第二章 真実の科学 その2


(P.12)
知性の研究に関する最終的な問題は、明らかに頭脳と知性は、それぞれ欠点を有し、従って完全な真実にたどり着く能力を持っていないという結論に達します。因果律の原理そのものは、460で計測されます。言い換えれば、二元的で、従ってその二元性の構造による本質により、その前後関係の枠組みから限界があります。

全ての真実の定義に関する知能の取り上げ方は、最終的にみせかけの客観性から根本的な主観性まで、そして経験主義に基づく一般的枠組みによる障害物に、必然的に直面します。ゆえに、「単にそのものは、あるがままです」というその説明は、純粋に主観的な前提です。従って、その機械論的な還元主義者は、主観的事実において、ほかの誰でも同様に、実際、内在する超自然の内に生きています。完全なる真実の知識と記述に関するジレンマの解決は、試みられた(起こった)事の目撃者(知覚者)である事から無関係の観察者であれ、という要求により、“存在しているもの”(言い換えれば、全ての知的に処理する状態とは、何か“について”、という事です)によって、確認できる事実を、単に、現実的なものとして片付けさせるのは、意識研究そのものの飛躍が求められます。例えば、ある人間の観察者は、猫に“ついて知る”でしょう。しかし、猫は、猫として存在している属性のおかげで、猫であるという事を、実際に知っているだけです。

本質的に、前述の観察力は、真実性の本質は、真実や真理の核に関する、まさにその代用品といったそのものの表出で、悟りの状態で、自動的に認識について、純粋に主観的知識にたどり着く以外には、どの真実の重大な度合いに達する事は出来ないという、神性に関する神学上の議論と、スピリチュアルの真理の様々な見解の説明があります。

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脳の機能と生理機能

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アメリカの脳外科医ワイルダー・ペンフィールドは、
意識下にある患者の脳を数十年にわたり、数百件手術していました。

脳は、知覚受容体がありませんので、痛みは感じないのです。

そして1943年に
「人の意識/こころは体外にある」
「左右大脳の補足運動野(SMA)にて意識/こころの信号を受信し、
あらゆる生理機能が生じる」と、世界で初めて結論付けました。

その意味するところは、宇宙空間そのものが、私達の意識そのものという事です。勿論、現在でも多くの科学者は、この主張を無視しています。科学的事実なので、反論できないためでしょう・・・。

それは、エネルギーと質量が無ければ科学的分析は不可能であるという理由から、ペンフィードの主張が科学的事実であった場合、それ以上、科学という手法を用いて私達の意識を、解明するのは、事実上不可能である事を示しました。

そう、キネシオロジーが登場し、非線形力学とその数学、理論物理学とその数学が発展するまで、意識を科学的に分析する手法は皆無でした。

ところで、すべての科学は、ある限定された条件下でのみ有効です。
よって、条件が変われば、すべて変わらざるを得なくなります。
従って、全ての科学は真実を“発見”する事は不可能です。

あくまでも一定の条件下における“事実”のみ知りえるという意味において、科学は正当性を示します。

その上、科学を認識する為に、ある謎の袋小路へと導かれます。
それは「どのように、私達は知り、その上、どのように知る事を知るのか?」
という問題です。


Chapter 2 the Science of Truth
第2章 真実の科学

古典的な科学に関する本質的要請は、理解可能で、論理的で、再現可能であると、確認できた情報から、組織化されたもので成ります。ゆえに、事実上科学は、理論に加え実験可能で、調べられる(経験に基づく)仮説から成っています。

“真実”は、何千年もの間、学識ある知性の議論と、注目の的となって来ました。しかしながら、完全な普遍的主張という目標にむけ、果てしない論争が継続中であり、結論を下すまでに至っていません(例えば、西洋社会の主要な本を見てください)。もっとも、決まった状況の中に、実用的な目的に対して、長い間に発見された価値あるもので、実行可能な定義は役立っています。しかしながら、それぞれの定義は、制約要因や、背景の説明に欠けるために、限定的なものです。従って科学における正当性は、前後関係、内容、そしてそれらの言葉による記述という特異性の影響を受ける為に、そのような外見上の真実に関する表現を試みから生まれる表明であっても、意図が明らかにされ、本当の正当性を持ちません。

前述の困難さに加え、すべての定義と、言葉使いは、知覚と認識論の根拠、論理と弁証法同様に、意味論についての推定が含まれ、最後には、“なぞなぞ”の袋小路にすべて行きつきます。「どのように、私達は知り、その上、どのように知る事を知るのか?」。その上で、謎は、神学論や形而上学の議論へと、最終的に想定されるところでは、経験と論拠の客観的カテゴリーと、主観的なカテゴリーの違いに関する認識論のジレンマは続きます。この核心への探求のジレンマは、デカルトのレース・コギエスタ(訳者注:考えるもの/意識・こころ/陰)と、レース・エクステンサ(訳者注:広がるもの/物質/陽)の違いを区別する試みです。(言い換えると、知能は、世界そのものを知ることは出来ません。しかし、撮影された対象ではない写真―訳者注:被写体の像という意味―により、正確にそれについて、具体的に頭の中で描けるような状態に、ただ選抜されているだけです。) 人工的な主観と客観に分類する探求そのものは、二元的精神作用の本質であり、その上、解釈する為の探求は、遠回りの無駄を繰り返し、とても大きな本質的誤りの源となる理由から、最終的にすべてが知的論争(の為の論争)と、(何も結論がでない)優柔不断に終始します。


脳の機能と生理機能(第7章より)

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体などの物質の領域と、思考や感情といったものを生み出す領域は、それらを形作る振動エネルギーの波長が異なります。そして有形のものが滅び、それを支えていた低位のエネルギーフィールド(エーテル体)も消滅した後、精妙な高位のアストラル体と呼ばわれている意識の振動エネルギー領域は、そのまま残存します。

この意味するところは、物質的な肉体の死が、精妙な意識の振動エネルギー領域に対し、なんら影響しない事を意味します。

今までにも再三述べ、下記に記述されている通り、この論述部分は、ホーキンズ医師の博士号所得論文中に記されていたものです。ホーキンズ医師によって経験された主観的体験を基に、聖書、仏教経典など既存の形而上学的宗教解釈を超越した、聖人達(イエスや仏陀)の主張されていたものです。

そして、それらのスピリチャルの主観的な真実と、最新の科学による成果を融合させたスピリチュアルの「普遍真理」を述べたものです。

日本の学術の世界では、このような内容を対象とする「普遍真理」の主張など、“気違い”扱いされる事でしょう。そして全く論外と無視され、このようなテーマで博士論文が受領される可能性はほとんど皆無です。

しかし、アメリカでは博士論文として受理されました。そのアメリカの懐の深さと向上心は、あくなき真実を求める探究心に結びつきます。その高い向上心と包容力は、どれほど人類の進展と、意識の進歩に対して貢献しているのか計り知れません。

もちろん、大企業の横暴、特に軍需産業と軍部の情報、諜報部門の存在(CIAやFBIを含む)は、平和を希求する人類にとって脅威であり、彼等の仕掛ける多くの戦争や、政治的犯罪を許すわけに行きませんが・・・。

そのほかの例でいえば、日本の文科省は、覚者である本山博氏に、いわゆるオーラや心霊現象を研究する大学院の新設を認めませんでした。しかし、それは現在アメリカにおいて「カリフォルニア人間科学大学大学院(CIHS)」となり、世界中から有能な学生や、科学者達を集め、目覚しい成果を挙げています。

さて以下は、論述の最終部分です。全文は、下記フェイスブックページにてお読みください。

10. エネルギーの保存の法則や、物質の保存の法則に比べると、生命の保存の法則の方が、優れています。生命そのものは、本質(本性)を破壊する能力を持ちません。唯一、異なった振動(人間の経験の中で、“エーテル的”“スピリチュアル的”そして思考領域と表現される他のエネルギー領域)へ移る事によってのみ変化できます。

11. 全ての存在は、エネルギーの振動レベルに表現されるという理由により、意識レベルは、生来的に、1から1,000までの意識(10の対数)によって表せます。(かつて、人類は意識の最高レベルに到達しました。) それは、人類の全ての意識による振動領域を含んでいて十分なものです。そのようなスケール(測定値)は、理解力のある人類において、理論的価値は勿論ですが、大変有益で、大いに実用的なものとして、万物(宇宙)と神性についての質問に対応可能です。

12. 意識の調査研究は、主観性はもちろん、客観性についても共に、特定できるといった存在です。それは時間、場所、次元を超越した関係性、線形と非線形のパラダイム(枠組み)の両方と、それらの影響によるエネルギーレベルの関係を調査できるものです。現在、人類においてそれを可能とする科学として唯一のものです。

以上の記述は、意識レベル1,000で計測されます。これは現在の人類という環境で、真実と知る事ができる最高レベルの値です。

これらの論述は、博士論文の中で効力のなかった仮説を、十分な理由を示すデータにより明らかにしました。そして証明され敷衍(趣旨が徹底されるように説明)されて、明らかなった仮説を通して、論じられているつもりです。

(意識の科学に関する本質的な原理の概要、10から12より)
(Truth vs. Falsehood, David R. Hawkins, 2005, page 15)



フェイスブックページ「パワーか、フォースか」
“Truth vs. Falsehood, David R. Hawkins, 2005”を更新しました。
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あなたは、芸術表現のなかで何が最も好きですか?

絵画、小説、短歌、詩歌、音楽、陶芸など様々なものがありますが、人間は、専心することによって、その対象が何であろうとも素晴らしい成果を上げます。

特に芸術は、非宗教的な行為の中でも、私達は、その作家の精神性の高さにによって、同様に精神の高みえと、導いてくれる最も優れた表現方法のひとつです。

その芸術的表現において、例えば肉筆画は、それをどのような美しいものであっても、精巧であっても、コンピューターや、写真によって忠実に複製されているものには、オリジナルほど、意識を高く導いてくれないものです。

私達のこころの奥深くに眠っている、本質的な美を感知するセンサーを呼び起こし、その崇高さに気付く事こそが、偉大な芸術作品が、何世紀もの間、世代を超えて受け継がれてゆくこととなります。

ただ、ものによっては、その先進性や革新性によって、同時代の人々に理解されず、不遇な人生を送るといったエピソードが、数多く存在するのは事実ですが、彼らの魂の崇高さは、確実に人類へ寄与しています。

ここ数日急に、秋も深まってきました。すばらしい芸術作品に触れて、意識を高めましょう。ひとりひとりの意識が高まることは、それだけで、人類の意識の向上と、平安に寄与しています。

そして、素晴らしい芸術に触れた感激を、日常生活の中でも忘れずに持続してゆきたいものです。その高い意識こそ、人類から戦争、飢餓、差別、無用な競争、原発、核兵器を無くすために貢献するのですから。

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