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それでは、どうやって、
人々の“こころ”を、高みまで持っていけるのか?
それは、
人間の本来の目的へ、原点回帰することです。
西田が、主張するように、「真摯に考え、真摯に生きんと、欲する者は、
必ず熱烈なる宗教を、感ぜずにはいられないのである。」(*1)なのです。
それには、特定の宗教や、神様に、縛られる必要性はありません。
教育関係者、日教組のいうところの、思想の自由は、十二分に保てます!!
心配ご無用!(大河ドラマの木下藤吉郎では、ありませんよ・・・・・)
その理由は?
例えば、古神道の秘儀(*2)は、筆者が知る限り、
ヒンズーのヨガ、禅の修業、そしてキリスト教神秘主義の修行など、
その方法と目的は、なんら異なる処は、ありません。
そして、神道は、無教義、無教祖(ヒンズー・道教と同じ)、
無戒律、無偶像(イスラムと同じ)です。
また、“八百万の神々は万物に宿る”考え方は、
西田幾多郎、ブッダ(お釈迦)、大乗仏教、聖ラーマクリシュナ(インド/1836〜86)、
そして、3,300年以上にわたり守られたウパニシャッド聖典(*3)の哲学と、
「表現が違うのみで、方法と目的は、同じ哲学である」ということが言えます。
また、神道の秘儀、秘伝を表に出さない奥ゆかしさ。
神道は、世界に例をみない純粋な、奇跡的宗教です。
ただし、その分、日本人の気高き、精神性がなければ、
将来は、宗教としての維持は、出来ないでしょう。
現世利益や、来世利益を求めだしたら、終わりです・・・・・。
ローマ人の“八百万の神々”は、精神性の荒廃と共に、
キリスト教に取って代わられ、消えてしまいました・・・・・。
まだまだ、
神道のすばらしい理由は、幾つもありますが、ここでは、省略します。
日本は、世界最高レベルの、
普遍真理性を保持する神道と、仏教(主に大乗)という、
崇敬(すうけい)に価する大宗教が、
共存する国家なのです。
それを支える、
天皇(制/最高神官)の帝王学は、
これも、世界最高レベルを誇る「貞観政要」による、
普遍真理性を保持する「論語/儒教」の内容(*4)です。
これからは、イエス、お釈迦様、クリシュナ、孔子(*5)の言葉(普遍真理)を
人生の道標にする、社会への再構築が、求められているのです。
*1 善の研究/西田幾多郎/講談社学術文庫P.385より。
*2 古神道のひとつ山陰神道は、仏教伝来以前の秘儀を、そのまま今日に伝えている。一部公開された山陰神道における鎮魂の行法は「神人合一」を目指す。(神道の神秘/山陰基央/春秋社ほか、 など)
*3 筆者のブログ「ウパニシャッド」をご覧下さい。
*4 筆者のブログ「貞観政要」をご覧下さい。
*5 儒教は、元来、魂魄を基にした宗教教義。その説いた内容は、イエス、ブッダ、クリシュナの言となんら異なるところがない。しかし、唯物主義化する中国社会で、宗教的儀礼部分を除いた。よって、「論語」から宗教性が失われる。
次回最終回は、どのような人生を送ることが必要か、国家と個人の関係について、
アリストテレスの著書「政治学」の趣意をベースに、お伝えします。
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歴史
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世界に甚大な影響を持つ、2つの宗教。
ユダヤ・キリスト教は、無私行為の愛のレベル(500)を下回っています。
また、イスラムも、ムハマンドの教え、コーランの初期の真理を保っていません。
教会や、モスクがいくら愛を訴えても、何の効果も、期待できなくなっています。
その結果が戦争です!
毎日のように抗議の焼身自殺の絶えない、イスラム社会・・・・・。
これらの原因である“愛”の喪失、その具体例を挙げます。
“無私行為の愛”とは、
堂目卓生も、指摘するアダム=スミスの「見えざる手」であり、
西田のいう「自他相忘れ、主客相没」(*1)であり、
ベネシアのアン叔母さんの教え「ノーブレス=オブリージュ」(*2)精神です。
スミスのいう「見えざる手」の真意を、多くの経済学者が、見抜けませんでした。
残念ながら、現在も、見抜けない経済学者が大半です。
この“手”は、決して、“経済の自動調整”では、ありません。
なんと言っても、スミスは“道徳哲学博士”です!
正しい理解は、「無私行為の愛」=「見えざる手」
=「自他相忘れ、主客相没」=「ノーブレス=オブリージュ」精神です。
本質を見抜けない経済学者は、
スミスの著作
「The Theory of Moral Sentiments/道徳感情論」を“こころ”で、
何回も、何回も読まねばなりません!
理性のみで、物事を判断する学者では、「国富論」だけでは、理解不可能です。
そして、
“理性”を離れ、“こころ”が動き出したときに、理解できるのです!
スミスが、このように、“慎重”に言い回し、読者にとって、理解困難な理由は?
それは、スミスの時代は、“囲い込み”後、大規模な資本が登場し、産業革命が、
本格始動。“理性”で、驀進(ばくしん)する時代背景があります。
その後、驚異的なスピードで、肥大化した物質文明へ。
しかし、人々の精神、“こころ”が、満たされることのない物質文明。
高報酬を生みだし、広告などの心理的テクニックで、くすぐり(騙し)。
大量の物質的消費により、多くの人々を「フォース」へ導いたのです。
誰も、イエスの「山上の垂訓」を、思い返し、
“これは、おかしい”と、気づくことは、ありませんでした・・・・・。
でも、ゲーテは、気づいていたのです。フィヒテ、カントも警告していました!
ニーチェの晩年の精神疾患に、R. シュタイナーは同情的(*3)です。
彼が、ニーチェを擁護する著作もあります。
そこから見えるものは、罹患は、明らかに理性絶対主義が、
もたらしたものと、言えるのです。
筆者は、パスカルの若死にも、その類であると推測しています。
ユングは、精神分裂病の原因を、「理性と、自我が分裂して生じる」と指摘しました。
そこで、治療に、中国の禅で用いられる「牧牛図」(日本の禅は「十牛図」)を援用し、
自我を再発見する治療法を、編み出したのです!
“こころ”の問題を、表現することが出来ないと、理性は、最後にはパンクします!
異端というレッテルを、貼られることは、「死」を意味した時代です。
家族や、身内のことを考えれば、ゆがんだキリスト教教義の範疇(はんちゅう)を、
超えられないことは、想像できる事かと思います。
理性絶対主義は、「ノーブレス=オブリージュ」精神を、危険視し、否定したのです。
“こころ”の問題を、無視することは、ついには、人格まで破壊します!
カントが指摘しているように、
「考えさせない」ことが、為政者の本意なのです!(*4)
(出典:「パワーか、フォースか」人間のレベルを測る科学/デヴィッド=R.ホーキンズ/三五館/2004年) *1 善の研究/西田幾多郎/講談社学術文庫P.369より。
*2 筆者のブログ「ベネシア」をご覧下さい。
*3 R. シュタイナー/C. ウイルソン/河出文庫、ニーチェ/R. S. /アルテなどより
*4 永遠平和の為に・啓蒙とは何か/カント/光文社古典新訳文庫/P.13より。
次回は、「神道」と「儒教」の普遍真理性について、述べます。
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5回にわたり、キネシオロジーによる、
人類の意識の数値化したものを、ご紹介いたしました。
この本の趣意を、先に述べます。
筆者が、この本が伝えようとした趣意に、そして、その事実に気づいたときには、
大変驚き、鳥肌が立ち、しばらく呆然としていました。でも、事実なのです!
その後、筆者は丸1年間、仏教、神道、儒教、ヒンズー、キリスト教、古代インド史、
古代エジプト史、ギリシャ哲学、そして西田幾多郎などの書物を濫読しました。
そして、間違いないと、確信しました。一番の難関は、勿論、仏教でした!
それでは、申し上げます。
このホーキンズの示した、指数1〜1,000は、
人間精神の向上の、最終目的とは、「真の自由」であり、
それは「覚醒/悟り/解脱」であることを証明し、
そのプロセスを表したものなのです。
愕然とされるかもしれません!
しかし、落ち着いて、続きをお読み下さい。
このシリーズの1番目の記事(*1)に、
ゲーテの「ファウスト」の中で、メフィストフェレスが
「人間は、理性を磨けば磨くほど、獣(けもの)らしくなる」
といっている事を、ご紹介しました。
19世紀の初頭にゲーテは、
「物事すべてを理性で処理できない」ことを、完全に理解していました。
そして、「理性だけで突き進む世の中」に、警鐘を鳴らしていたのです。
“こころ”の葛藤と内面との対話であり、自我、自己を超越し、理解するお話です。
理性だけでは、このお話は理解できません。
ゲーテの死後、原稿が発見された当時、誰も内容を理解できなかったといいます。
それだけ、当時の欧州では、人間の本性の問題から、遠ざかっていたのです。
「ファウスト」は、心で読み、霊性を高める為の物語なのです。
19世紀が産んだ、聖典の範疇の作品です。
さて、
欧米諸国が、今日世界を席巻できたのは、
唯物主義理論(理性絶対主義)に、徹底したためです。
強力な軍事力を持ち、富と権力を集中させた、中央集権国家には、
欠かせない唯物主義理論であった事を、ご理解いただけましたでしょうか。
キリスト教の教義は、
より富と権力を集中する為に、“こころ”で行う“無私行為の愛”を消し去る方向へ。
翻訳を機に、また政治的判断で、解釈を、度々変えてきました。
勿論、良いほうに変わるのならば、素晴らしいことです!
しかし、結果は逆でした。
これは、古代インド、4つのヴェーダ聖典の歩んだ道とは、正反対なのです。
このことが、紛争や戦争にどんなに大きく、関係しているかを述べました。
ホーキンズは、
「(人類は、)非常に経済的な『パワー』を使う代わりに、
戦争、法律、課税、規則、取り締まりなどといった
非常にお金のかかる『フォース』の手段を使って、
何度も何度も失敗を重ねてきたのです。」と指摘しています。
後述する、天皇家秘蔵の「貞観政要」(*2)の哲学は、ホーキンズがいう
“非常に経済的な『パワー』” 志向の政治を、目指すものなのです!
(出典:「パワーか、フォースか」人間のレベルを測る科学/デヴィッド=R.ホーキンズ/三五館/2004年)
*1 「何故宗教が争いの種になるのか1」をご覧下さい。
*2 筆者のブログ「貞観政要」をご覧下さい。
次回は、実際どのように、“こころ”で行う“無私行為の愛”は、失われたか。
アダム=スミスの「見えざる手」を援用して、その恐ろしさを、ご説明します。
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各宗教の数値を、見ていきましょう。
仏教
ブッダ(お釈迦様)の教えは、現在人類最高の真理を表す1,000。
ただし6世紀までに平均して900まで落ちます。
現在の上座部仏教890、大乗仏教960、禅890。
仏教は他宗教に比べ“最も高い真実性”を保持しています。
※筆者は、神道、儒教も700〜1,000と推測しています。
指数700〜1,000は、普遍真理の領域です。次回以降詳述。
ヒンズー(*1)
クリシュナ(*2)の教えは、現在人類最高の真理を表す1,000。
現在のヒンズー教は850という高い指数を保っています。
ユダヤ教
アブラハムの教え985。モーセの時代のトーラーの真実度770、
現在のユダヤ教499。
イスラム
ムハマンドの意識は740。コーランは720。
少し低いのですが、これは、当初より領土拡大を、ジハードと位置づけたこと
によります。
残念ながら現在は、かなり落ち込んでいると記述され、
数値は載っていません。
イスラム原理主義は130です。
キリスト教
イエスの教えは、現在人類の最高の真理を表す1,000。
しかし、2世紀には900まで落ちます。
その後の325年ニケア会議の影響が、大きく、6世紀までに540に低下し、
現在は各教団の平均は499まで落ち込んでいます。
ローマカトリック、英国国教会、クリスチャンサイエンス、クエーカーは500。
ただし、先述の通り、マイスター=エックハルトの意識レベルは、
600を記録しています。
聖書の真実度、新約聖書ラムサ翻訳時(アムル語より)750、
欽定英訳聖書(ギリシャ語より)640。
ギリシャ語から、ラテン語への翻訳時の数値の記載はありません。
キリスト教原理主義は125。
新興宗教やカルト
ほとんどすべての教団が200未満であり、
著しく低い数値であることを述べ、警告しています!
現世利益や、来世利益などを説く教団・カルトは、
危ないということです。
子曰く「君子危うきに近寄らず」を実践しましょう。
ソクラテスも、邪悪に近づかないことが、“こころ”の安寧につながる事を説いています。その見分け方を、人々に伝え続けて、ソクラテスは、命を落とすこととなります。
ホーキンズは、
イエスを口にしないクリスチャンの多くが、旧約聖書の、非宗教的部分、
そして、選民志向の強い至福千年期を説く、ヨハネ黙示録などを、
熱心に語ることが多いといいます。
聖書が、イエスの純粋な教え(4つの福音や使徒の手紙)だけであればと、
嘆きながら筆を進めるのです。筆者も読んでいて、つらくなります。
そして、「クリスチャンソルジャー」という言葉が、新約聖書にあります。
この意味は、本来「イエスの哲学を守る良き信者」という意味なのです。
しかし、実際には、「自己を正当化した戦場の殺し屋」と解釈されていることに、
ホーキンズは胸を痛めています。
このように、政治的に戦いを正当化する解釈が、まかり通ったため、今日のように、多くの無神論者を、生んでしまう結果となりました。若き頃の筆者もその1人でした。
背後には、世界中の巨大軍需産業の影があります。まさに死の商人です!
(出典:「パワーか、フォースか」人間のレベルを測る科学/デヴィッド=R.ホーキンズ/三五館/2004年)
*1 ヒンズーはインドの宗教という意味。いわゆる我々が、ヒンズー教と呼んでいるのは、ヴェーダ聖典を教義とし、バラモン教ともいう。信者は全人口の80%強。
ブッダ(お釈迦様)の教えは、ヴェーダ聖典から、忠実に説法したものである。
大乗仏教は、ブッダの教えから、少し外れた教え(アビダルマ)を、中観理論と、唯識理論が補い、ほぼヴェーダ聖典(ウパニシャッド)と同じ哲学となる。
*2 シュリ=クリシュナのこと、古代インド聖典に記される神ビシェンヌの化身。
次回は「結論と未来への展望」となりますが、
2回にはまとめきれず、4回に分けて綴ります。
筆者の能力のなさを痛感しています。申し訳ありません・・・・・。
どうか、最後までお読みいただければ、幸いです。
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400以上は“理性”のレベルで、読解力、知識などで高度な教育が追求されます。
多くのノーベル賞受賞者、各国の判事、弁護士、医師、官僚、政府首脳
など社会の中枢を担う、重要な仕事をこなしています。
歴史に残る偉大な人々、アインシュタイン、フロイト、ニュートン、
デカルトなどの意識レベルです。共に499。
彼等が、揃って、500の壁をあと一歩で越えられない理由のひとつに、
複雑なものの処理、概念、理論に夢中になってしまうことです。
フロイト式の精神医療では、効果が上がらない大きな理由です。
筆者は、キリスト教教義が、足かせの大きな要因だと推察します。同じように、宗教性を失った「論語」の解釈も、その本質を掴むことが困難でした。
500未満では、“理性”だけで思考し、真実を見極めることが出来ません。
人類、物事の本質、また、複雑な問題のポイントを見抜けないのです。
日本で出身校、成績だけで人物評価をする限界点は、
このレベルです。
500以上は無私行為の愛の意識領域。
直感的に問題の全体像を捉えることが可能。
200の臨界点と同じように、500は創造性がフルに活用される 臨界点。
許し、養う、サポートするという、頭ではなく、“こころ”から発するものです。
理性は、細部を扱うことに勝れ、愛は全体を扱います。
歴史上に名を残し、伝記に描かれた人々は、主にこの意識レベルです。
偉大な芸術家。自分からでなく、周りからリーダーに推される領域です。
しかし、このレベルには、世界の人口の0.4%しか到達していません。
突然、スピリチュアルな世界に入り、周囲を困惑させる人や、
臨死体験などの体験者は、ほぼこの意識レベルに達します。
「集合的無意識」を主張したユングの意識レベルは560です。
日本におけるユング式精神医療の拡充が、求められます。
平等という名の下に行われている、日本の教育システムの中で、
エリートに、「無私行為の愛」を、教えるすべもなく、
今日の日本があることは明白です。
慶應義塾大学が来年度より、大学入試センター試験からの離脱を、
一部の報道機関が伝えています。事実であれば、大きな第一歩です。
しかし、今日、日本・世界には、この意識レベルの、
多数のリーダー達が必要なのです!
600以上は慈愛、平和の意識領域で、1,000万人に1人の割合となります。
この時点で、神の啓示と思えるものや、自分の力ではない、と思われる
大きな能力を、発揮するようになります。
この段階に達すると、宗教指導者としての役割を、果たせるといいます。
マイスター=エックハルトの意識レベルは600です。
「過去何があって、今何がある。未来何となる。」を完璧に把握します。
700〜1,000は超意識感覚(*1)の領域です。
それぞれの体験者が様々なヴィジョンを見て、そこには同一のものはなく、
はっきりとは、言葉で伝えられない、超意識感覚の領域です。
自己と他者の区別なく、自分という存在の運命に、全く無関心になります。
世界とワンネスという意識で、神の化身(アバター)としての存在は、
イエス、ブッダ(お釈迦様)、クリシュナ(*2)です。
この指数1,000=1人が、自分の使命と力を理解できれば、
たった1人でも、人類を変える力を持っています。
1,000=1人と、700=12人が同じ力を、発揮することが出来ます。
20世紀には、この700の意識領域を記録した人物が5人いました。
ジャック=マイヨール、ラマナ=マハリシ、
マハトマ=ガンジー、聖マザー=テレサ、
そして、“ゴルビー”こと ミハエル=ゴルバチョフ。
残念ながら、日本、アメリカ、西欧のリーダーに、その名はありません。
筆者は、幕末の志士たちの指数を研究する事で、大きな成果が上がると
考えています。
(出典:「パワーか、フォースか」人間のレベルを測る科学/デヴィッド=R.ホーキンズ/三五館/2004年)
*1 超意識感覚とは、悟り、解脱、覚醒をさす。
*2 シュリ=クリシュナのこと、古代インド聖典に記される神ビシェンヌの化身。
それぞれの世界宗教における、意識レベルについては、次回ご紹介します。
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