Midnight◆Rambler

放置中につき大変ご迷惑・・・かけてませんねw

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壁・RARE

私はリーマンだから限界があるんだよ。2、3年内にはけりをつけるつもりだが。


壁かね?・・・壁はひっきりなしに現れる。これで良いという地平など、言語と戯れている限りありはしないからだ。すべてが説明できる「話」などありゃしないからだ。ゆえに、壁はひっきりなしに現れる、これでもか、これでもか、と言わんばかりに。ドストエフスキーにとっての壁は、壊せばよかった。ロシア正教と唯物論者が彼に提示してみせた“正しさ”を解体すればよかった。そしてこの両者に共通に横たわるいわば人間の原罪を暴露しさえすればよかった。しかしその地平でもまだ“希望”だけは残されていたのだった。


現代の壁は人間中心主義である。私の中のドストエフスキーの“悪役たち”は語る。
・・・しがみつく対象への思索が足りない。例えば、「文化」とやらにしがみついて、どうしようというのだろう?例えば、食についてはどうだろう?さまざまな食文化といわれるものがある。だが、人間を賛美する者のなかに、豚や牛を食するために実際に彼らを解体したものがあるだろうか?喉もとに最後の一刺を入れ、血飛沫にまみれたことがあるだろうか?そのような営みがあるのを忘れ、皿に盛られた彼らの肉片を、当たり前のように食する者たちに、果たして食への感謝の心など芽生えるだろうか?皿に盛り付けられた様のみを文化といって重宝がっているだけではないのか?臭いものには蓋をして、その中身以外を文化といって重宝がっているだけではないのか?


社会の景観はこれに似ている。きらびやかさを、成功例を重宝がり、拠って立つ根幹の初発にあるもの--くさいもの--を見てみぬ振りして、やれ人生論だの、文化は大切だの、安っぽい思想を振りかざし、安っぽいドラマに涙流し、私的な怨念に取り付かれ、私にも悩みがあるのよ、夢があるのよ、などとほざいているのである、それを文化的人間などと名づけ、人間の精神のすばらしさとやらで己の空虚を穴埋めし、裸の王様よろしく“君臨”しつづけているのである・・・。


アイヌ プリ シャランケ ハウ ウポポ ハウェ
アイヌは熊を生贄にした。「信じられない!」「なんて野蛮な!」小賢しい小市民どもの雑言が聞こえてくる・・・はぁ?アイヌはみなで鮮血を浴びることによって、言葉なんかには一切頼らず、あまりにも小さすぎる『われわれ』をしっかりとわかっていたのだ!分業ごっこを自明としてこの中にいる消費者達には、とうていわからない、わかりようがない世界観である。


どう考えたって、ゆるいし、やわい。大人といわれる人々の言論はとくにそうだ。彼らの言論は、臭いものには蓋をしたまま、うまく生きていこうという処世術だ。彼らの言論は、確実に、安っぽい。彼らの言論からは、謙虚など、一つも出てこない、生み出せない、生み出せるはずがない。残念ながら、人間のすばらしさとやらの延長線上に「私」を乗っけた話があるのみだ。


「変えよう、変わってほしい」なんて簡単に言わないこと。「人間」であることを“やめる”くらいの覚悟がなければ、人間中心主義による“弊害”はなにも変わらない。己がその地平にないままで叫ばれる、“変革”を希求する現況のあらゆる言説は、はっきりいって何も言っていないに等しい。
せめて、『世界』に対し謙虚に生きることだけ考えろ!

「人間ノ戯言ニモ負ケズ」


人間の戯言にも負けず、
巨大な建造物にも
構築物にも負けず
竪穴式住居に住み、
動物たちと戯れ、
熊にまたいで森を駆けまわり
川に飛び込み
魚たちの群れにまぎれ
上下の感覚を満喫し
朝日に感謝し、夕日に涙し
西にため息つくものがいれば、
悩まなくてもいいんだよと言ってやり、
東に残飯を粗末にするものがあれば、
カラスを引き連れ
残飯に卵をぶっ掛け食ってみせ、
南に海に沈む故郷あるものがいれば、
怖くないからと言ってやり、
北に思想馬鹿どうしの喧嘩あれば、
ニヒリズムでつまらないから止めろといってやり、
「お前の世代はカスの集まりだ!」
「巨人ファンじゃなければ非国民だ(ふるッw)!」
「お前はしょせん少数派なんだよ!」
などと罵られ、
石を投げられ、
あるいは、
改造モデルガンで撃たれたとしても、
そんなものごとには微動だにせず
いつもニコニコしている、
さういう者に
私はなりたいw

ネコについて

ちょっと放置してましたw
なぜかというと、ネコが家出したわけですよ。
ようするに、そのことでハートブレイクだったわけで。
うわさによると(笑)、よそのおばあちゃんのところにいるらしいw
昼間は、まったくかまってやれなかったので、なるべくしてなったという感じですか。
まぁ、しょうがないということでしょう。

・・・縁側で、おばあちゃんとネコがいる風景。
あまりにもベタすぎますが、
なかなかいいじゃないですか。なかなかステキじゃないですか。
よく知ってるネコがそこにいるって。
ヤツの第二の人生、ひそかに見守ってやろうと、
いまはそのような心境なんです。

これは動物愛護論か?

今年の春は例年以上に気分を心地よくさせてくれる。勝手にそうなるのだから不思議だ。心ウキウキWhoa oh oh oh・・・ってな感じ。
そして、ネコたちもウキウキ発情期だ。ホンと外が騒がしい。うちのネコも雄ネコたちの動向が気になるのか、なんだかそわそわしている。耳をピンと立てて、外の様子を常にうかがっている。私はというと、そんなネコの耳をひっくり返したりヒゲをつまんだり、ちょっと意地悪して遊んでいる。



そういえば、雑草が気になってくる季節でもあった。そろそろ除草剤をまき始めるのだろう。この除草剤と猫の関係について、いや、ネコに限らず動物全般に対して、彼らに与える影響についての報告めいたものをなにも読んだことないのだが、植物が枯れるのだから、除草剤には生き物を殺す能力は少なからずあるということで、これが少々心配の種ではある。

ネコは毛づくろいをするので、しかも、足の裏まで丁寧に舐めるので、その“毒”を体内にしっかり取り入れてしまうわけだから。ただ、除草剤をまいた土地からは翌年も雑草が生えてくるケースも多いので、これは土による浄化能力の賜物なのか(コレには天候とくに雨が関係しているだろう)、あるいは本当の雑草魂のなせるワザなのか、“毒”に関してよくわからないところはある。影響を残すという意味においては、もしかすると、たいしたことないのかもしれない。結局のところ何もなければよいが、影響がこれっぽっちもない、なんて事はないだろう?何とかなるだろう、の集積が、負の側面を助長していくストーリーはよくあることじゃないか。

ただ、影響云々もちろん大事だが、私にとってこのこと以上に気になるのは、除草剤をまいてまで人間に都合の良い景観を維持したいという、人間側の・・・なんというか、怠惰な側面とでもいうか、まぁ、そんなところ。・・・はっきりいえば、自分たちの手で草くらい取れよってこと!(ついでに、飯くらい自分で作れよ、は言いすぎか?)



おあつらえ向きの景観を維持すると決めました。でも草取り、自分でやるのでは大変だしそもそも時間がない。民間業者に依頼するより除草剤の方が安くつく。他への影響は、仕方がないだろう。景観のほうが大事だ。草取りなんかより自分が“文化的”に過ごす時間のほうが大事だ。だから・・・まいちゃえ♪



そもそも、景観を維持しなきゃならない街の風景とやらは、それするだけ大したものなのかどうかという疑問が浮かび上がってくるのだが、これはちょっと脇に置かせてもらう。いずれにせよ他への影響は仕方がないとする発想の背景には、純粋な怠惰、慣れ、もともと気にかける発想がない、そうした事情があるだろう。さらに、人間が何か特別な生き物であるかのような思想も背景としてあるのは間違いないだろう。だが、この“人間が他の動物に比べて特別”、まったく説得力がない。なぜならこのことの正当性を主張する言論は循環論法を根拠にするしかないからだ。自分たちで自分たちをほめている限り、たんなる循環論法だというのだ。まさに、自己言及性の罠にはまっている。人間の正当性の証明が人間の言説を根拠としている、このことの“くだらなさ”がわからないのだから、ほんと質が悪いというしかない。でも、動物の支配者として君臨しているじゃないか、あるいは、創造性は人間独自のもので、そうした精神面あるいは大脳皮質を持ち出し比較してそのように結論付けられる、などなど月並みな反対意見が噴出しそうである。だが、そもそも、他の動物と比較するなんてことやってるのは人間だけだし、その特別扱いしたがる土俵は人間が設定したものだろう。単なる比較優位であって、絶対優位などではない。むしろ、絶対優位になるような土俵の設定しかしていないのだ。実際その土俵での話、単に、人間の主観性に縛られた、人間が作り出す概念による説明に終始しているに過ぎないではないか。必要なのは相対的という言葉、使う場所はまさにココ。土俵の大きさを大きくすればするほどこの言葉の妥当性は明らかだ、けれど・・・。



そうであっても、いつまでも人間はすばらしい、そのように価値付ける類の言説は廃れそうもない。思想による影響はあるだろう。たとえばドイツ哲学、ヘーゲルの人間賛美、人間賛歌をうたう哲学はもちろん、日本でブームになったマルクスもそうだし、ショーペンハウアーは言うに及ばず、ニーチェにもその余韻を見出すことができる。主体神話のゆゆしき側面、といったところか。しかも、この手合い、概念遊びに終始していれば可愛いが、ある人間たちに主観的思い込みの正当性の根拠として使用されてしまうと、大哲学者たちの知見の“客観性”それ自体にもう”罪“はない。そしてこれが昂じて他の動物との比較のみならず人間同士の比較、とりわけ優劣の根拠付けに使用されてしまうと、なんだか終末観が漂う。こうなってくると、権力への意志の思うままに操られてしまうもともとの初期値に脆弱性を抱えた個人・社会の問題として捉えるしかない。



こうしたコトどもに対しては、謙虚という態度で対抗したい。まさに、この言葉の使いどころはココだろう。そのためには、現況の、対人関係のみに使用される傾向、何とかしたほうがいい。「人間語」だから仕方ないという面はある。だけど、古臭い人間賛美からいつまでたっても離れられないのは、謙虚の内実を知らないから、という面はあるだろう。この謙虚、実は、世界に対しての姿勢なのだ。人間関係で使用されるのみの話ではない。人間関係だけではそもそも謙虚とは言わない。それはいわば単なる迎合だ。巷で言われる謙虚にはこの手合いが多い。だが、そうはいっても、簡単には降りてはこないのだ、この謙虚は。



降りてくる、というのは、「知る」に近い。この「知る」も取り扱い注意だが。
人間と名指しされることへの違和感、しかし、そうである側面からどうあがいても逃れられない、ゆえに・・・この続きは今まで述べてきたこととリンクしてきて、少々くどくなるのであえて書かないけれど、このことを「知る」のは、この世的ではあっても美徳の中の美徳の一つだと思っている。別に謙虚という言葉に縛られているわけじゃない。謙虚なる言葉は使わなくてもぜんぜんかまわない。そうした世界に対する態度を一言で言うと、謙虚が一番近い、ということだ。

・・・人間の目的への性急な営みに歯止めを掛けるのはほぼ不可能だとしても、こうした謙虚さは身につけておきたいなぁと、春で緩んだ気分がゆるす、俗な地平の謙虚な姿勢でしめくくるとしよう。

酔者を救おう。

湖面に映った月を取ろうとして水に落ちた酔者を「救い出す」遊びをしたいと思います。この物語に関しては、実はよく知りません。聞いたことあるんですが、anehakoさんがコメントしてくれるまで、忘れてました。いずれにせよ、詳しくはわかりません。原典からうかがい知ることのできる思想的な背景は抜きに書くわけですから、まさにお遊びなわけです。


この物語は、月を夢に見立てその儚さを訴えているように見受けられます。また、説教、あるいは道徳として捉えられうる。

それは、無意識の奥深くに追いやられた、叶うことのない夢への、しかしながら消え去ることのないわずかながらの渇望が、酔いのどさくさに紛れて表出し全身を捕らえ、しらふでは考えられない、起こりえない行為を引き起こすこともある、つまり・・・日常の不足面にたいする不満が環境のちょっとした変化=酔うことによって表出し不幸をもたらす原因になることもあるということで、ゆえに、与えられた、あるいは自らが置かれている現況に満足するよう、少なくとも日々の現実に満足を見出していくようにと、そのような生を送るようにと、よくありがちな道徳面をこの物語から拾い出すことができるということです。

この解釈においては、水に落ちた酔者はどうあがいても救いようがない。しかし・・・この解釈から離れてこの酔者を眺めてみると、本来手にすることができるわけがない月がほんの少し手を伸ばせば届くところにある、この瞬間において間違いなく、日常の殻を、無意識の底から突き上げられた歓喜が破ったわけで、しらふであればまったく経験できないだろう経験をしたことになる。
・・・あくまでも、酔いによって「正しい」思考能力が働かなくなった、なんていう俗な解釈は無しですよ(笑)・・・
酒に酔うことのみならず、たとえば、いわゆる熱狂にはこれに近いものがある。その瞬間に得られた歓喜は、酔っていようと、しらふであろうと、確かなものでしょう。このいわば至高性は、日常での営みを重視する視点、あるいは道徳に重きを置く生からは現れ辛い、あるいは見えにくい、そして、日常をまさに日常としてしか見えなくさせる危うさがある。むしろ、至高性の探求を日常のこととして“やり過ごせる”者は、日常の中に、それに適応するばかりでなく、稀有なるものをそれこそ日常的に見出せうるのではないか。・・・この物語はその帰結を、このように捉えたほうが、私の趣味に合います(笑)。

ところが、ただそれだけのつもりだったんですが、やはり、最後に述べた至高なるものの危うさに関しても、述べずにはいられなくなりました。
というのも、解体を叫ぶ者に生じる、解体によってもたらされる歓喜の背後には、必ず危うさが付帯しているからです。何においての危うさか、それは、酔者が水に落ちる危うさ、すなわち、この歓喜は常に死と隣りあわせだ、ということです。

ただ、これについて語りだすときりがないので、酔者を救いだす遊びは、これで終わりにしたいと思います。

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