本日、未熟者

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土地なし、金なし、人脈なしの「いちから」百姓を目指した男の今日一日でございます。
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「自然に対して謙虚であれ!」
 
という言葉を耳にする。
 
言わんとすることはわかる。
東北の姿をこの眼で見たり、竜巻など近年の自然災害の半端無さを知ると、
なるほど、少なくとも現代の人間は、自然というモノをなめすぎている『きらい』はあると思います。
 
ただ、だから、
 
『謙虚』
 
であれ、というのは、百姓として自然と日々つきあっている人間としては、少々違和感を感じます。
 
 
『謙虚』を広辞苑第六版で調べると、
 
『ひかえめで、すなおなこと』
 
と、あります。どちらかというと、保守的で、対象に対して従順な姿勢といってよいでしょう。
(少なくとも、闘う姿勢とは真逆ではあると思います)
 
しかし、農業を含む土木的な行為、ひいては人間の営みというモノは、
文字通りの『自然』では成り立ちません。農業に限っていえば、
 
荒れ地を開墾し、
 
河を制御して灌漑し、
 
雨を除け、
 
害ある虫を殺し、
 
雑草を殺し、
 
自然であろうとする動植物を人間の都合の良いように仕立てて、
最終的にはその命を奪って喰らう・・・。
 
自然に対して従順どころか、日々これ闘いです。
 
自然に対して立ち向かう姿勢そのものが農業であると言ってさえ良いと思います(言い過ぎ)。
 
だから、
 
「自然に対して謙虚であれ!」
 
という表現を聞くと、
 
「ああ・・・なんだかスピリチュアル感だよなぁ」
 
と、思います。
 
 
じゃあ、自然に立ち向かい、腕尽くでねじ伏せれば良いって言うんだな、おまえは!
 
と、極端な反応をする方もおられるかも知れませんが、さにあらず。
 
自然に対しては、『謙虚』なんて言葉では、『ぬるい』のです。
 
古来、人間は自然を『畏れ』、『敬って』きました。
 
それは、地震、津波、竜巻、豪雨、噴火、それら人間の力ではどうしようもない圧倒的な『力』に、
それこそ飽きるくらいに打ちのめされてきた人間の歴史を見れば、当然と言うべきでしょう。
 
日本の『神道』をはじめ、世界中の古い宗教が自然を『神』としていたことからもわかります。
 
そんな、なんの前触れもなく、なんの理由もなく、全く無慈悲に、
人間その他の生命に完全に隔たり無く牙をむく自然と、付き合って生きざるを得ない世界。
 
そんな中で生きていくのに、『謙虚(素直でひかえめ)』でいて、
生き残っていけるはずがないと思うのです。
 
自然を『畏れ』、『敬い』、それでもなお、歯を食いしばって、ふるえる足を踏みしめて、
闘って、打ちのめされて、それでも立ち上がって、あきらめず、共存していく姿勢が、
『生きる』ということではないかと思います。
 
だから、
 
『自然に対して謙虚であれ!』
 
なんてスピリチュアルな言葉じゃなく、
 
『自然を畏れ、敬え!』
 
という表現を使っていきませんか? 皆さん!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・・・って、あれ? こっちの方が宗教くさいな(ダメでした)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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