南相馬市鹿島区情報〜命のリレー〜

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平成23年4月14日〜21日まで、福島県南相馬市鹿島区にボランティアに行きました。

現地は、想像を絶します。言葉を失います。

遠い滋賀の地ですが、自分になにができるのか、私たちになにができるのか、必死で見つけていきたいと思います。
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昨年から福島県南相馬市・原町第一小学校との学校間交流を続けてくれている
滋賀県湖南市・石部小学校のPTAから、
現地でボランティアをした時の話をしてほしい、と依頼がありました。
 
もう、一年も前のことを?! と、面食らったのですが、
新年度になり、役員体制が変わったので改めて・・・ということだとか。
 
そうはいっても、今さら私が話すようなことは無いと思うのですが、
滋賀では未だに、
 
(大変な状況の現地に)行っても良いのか? 邪魔にならない?」
 
とか、
 
「行くときはなにを持っていけば良いの? ゼンブ?」
 
とか、震災直後か? という意識レベルの方が多分に居られるので、
そういう意味では、少しは役に立てることもあるのかなとは思います、が・・・。
 
 
問題は、必ず聞かれるであろう、
 
「私たちは、現地の人たちになにをすれば良いのか」
 
という質問。
正直、
 
「今すぐ現地に行って、お金使ってきてください」
 
というのが答えなのですが、まあ、無理な話。
となると、むしろこちらが聞きたいくらいです。
 
学校同士なら、一般の我々より手が長く、広く、
色々な方法があるのではないかと思って交流を呼びかけたのですが、
やはり一年が過ぎ、800キロの距離を隔てると、
私を含め、なにができるのか、なにをすべきか、
わからないというのが、本当のところのようです。
 
 
一年前、現地で知り合った仲間達は、
今でも現地に行き、活動を続けている者もいれば、
私のように、なにもしていない者もいて、
ただ同様に、
 
『今後、どうやって現地と関わっていけば良いのか?』
 
という悩みを抱えているように思います。
 
「なにもしなくてもいい、ただ、忘れなければいいんだよ」
 
という、砂糖菓子のように甘い言葉は、たしかに本当ではあるのですが、
でも、やっぱり、それでも、なにかをしたい、どうにかしたい。
 
それは、一種の『呪い』のように心の中を去来し、
一時たりとも考えないことはありません。
 
おそらくは、多かれ少なかれ、一度現地に関わった者は、
皆そうであるのだと思います。
 
 
新年度になり、新体制になってなお、
交流を続けていきたいという石部小学校には、感謝の言葉しかありません。
 
これを機会に、またもう一度、遠い滋賀から、なにができるのか、
じっくり腰を据えて考えてみたいと思います。

展覧会を終えて。 ケータイ投稿記事

福島県南相馬市と会津若松市で開催されていた展覧会が終わりました。

展覧会自体は先週の土曜日で終わっていたのですが、
会津で設営や撤収を手伝ってくれたスタッフさんを滋賀県に招き、接待的なことをしていたので、
その方が無事会津に帰りついた今日が、私にとっての実質の終了になります。


思えば、昨年4月に東北を訪れ、たくさんの出会いがあり、幸運にも恵まれ、
今日まで、自分が思い描いてきた、

『個人的で不公平な支援』

は、ほとんどすべて実現することができました。

感無量です。


今後は、復興の段階を見守りながら、ペースを落として、できる範囲の活動をしていきたいと思います。

東北の人々と、我々直接被害を受けていない滋賀の人々が、
互いを忘れない関係を築いていくことが目標です。

子の代、孫の代まで。

蒲生氏郷の墓。 ケータイ投稿記事

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今回の展覧会場・嘉永蔵の近く、興徳寺にありました。

氏やんといえば滋賀県日野町出身。親しみを感じます。

私は大阪生まれなんですけどね。

会津若松市・嘉永蔵。 ケータイ投稿記事

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そんなこんなで会津若松市入り。

当然不眠。

明日の搬出もハードな1日になりそう。

何時に帰れますことやら。

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