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26日の投票日には長崎市にいないので、長崎市議会議員の期日前投票をしてくる。 *** 長崎と佐世保の市長選には、現職以外に立候補の届け出がなく、 長崎市長の田上富久(58)、佐世保市長の朝長則男(66)がそれぞれ3選を決めた。 長崎市長選の無投票は戦後初だそうだ。 *** 徳川時代初期から、一般町民にも進取の気質があり全国から人を惹きつけた長崎だったが、 いまはそんなものはない。 もっと言えば、新しいことをしようとする人間を小馬鹿にする傾向すらある。今現在は。 ↑:スキャン画像:ボクが受け取った「投票所入場券」の裏。
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長崎を知ろう!
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今年は3月22日(日曜日)にオープニング・イヴェントがあり、あとは4月の中旬までゆっくり楽しむ。 まだ、こじんまりしているが、そのうち規模が大きくなるものとおもわれる。 まつりの内容や花の名前については長崎市のサイト香焼チューリップまつりへ。 ↑1・2:オリジナル画像:バス停・安保(あぼ)に隣接。春はチューリップ、夏はヒマワリが咲く。
かつては炭鉱で栄えた地域。 |
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学名に関しては、学名の表記についてを参照。 ↑1・2:オリジナル画像:プランターに緑のポールを立て、車のバンパーが玄関前の
コンクリート・ステップに接触するまえに気付くようにしている(笑)。 ↑3:パブリック・ドメイン画像:http://caliban.mpipz.mpg.de/siebold/flora3/icon_page_00066.htmlにある、 Ph. F. von Siebold, J. G. Zuccarini - Flora Japonica:日本植物誌 (1870) から。 |
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きょう、母親と御一行は帰るので、何も予定を入れていなかったのに、行きたいと言いだした。 でも、常設展示も見たあとに1階のショップで買った本は、 「ザビエルの見た日本」ではなく「龍馬が見た長崎」だったらしい。 *** きのうの午後あたりから、千歳空港付近の天候悪化が懸念されたが、 東京・羽田経由で無事それぞれ帰宅したことを確認。 |
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元治元(1864)年の旧暦2月22日、会津村(現在の雲仙市愛野町乙)庄屋深浦家に1泊の勝海舟ら一行は、 翌23日、日見峠を越えて長崎入りした。 滞在を終えて4月5日、島原から熊本へ向かった。 慶応元(1865)年、亀山社中を結成するため再び長崎入りしたのは、旧暦5月だったと言われている。 *** きょうの雲仙は寒い。朝食後、仁田峠の霧氷を確認したあとロープウェイで妙見岳頂上へ。 頂上でも天候は好転せず、すぐ長崎市へ向かった。 昼食後は、母親の負担にならないよう、観光タクシーが裏道を走り亀山社中へ。 風頭(かざがしら)公園の龍馬像を見たあと、一番近いということで予約を入れておいた矢太楼にチェックイン。 夕食までの空き時間で、昨年詳しく見られなかった孔子廟・中国歴代博物館へ。 新しい企画展示である、浙江省の婚礼風俗『十里紅粧』が興味深かった。 すこし暗くなってきたので、次に長崎ランタン・フェスティヴァルへ。 で、まだ時間があるということで匠寛堂にも立ち寄ることに。はあ〜。 ↑1:オリジナル画像:花月で通された「春雨の間」の説明文。
↑2:オリジナル画像:以前はどうかわからないが、いまは一続きになっている「瓦の間」。 母親はいたく感動していた。 ↑3:オリジナル画像:「瓦の間」・「春雨の間」から見える庭。 ↑4:オリジナル画像:昼食の準備ができるまで花月全体の説明。「竜の間」柱の刀傷。 ↑5:オリジナル画像:「春雨の間」での卓袱(しっぽく)昼食。 尾鰭(おひれ)を飲み終ってからスタート。 たいへん美味しくいただきました☆☆☆☆☆ ↑6:オリジナル画像:これも最高の一品。一行の誰かがメモしているよね(笑)。 ↑7:オリジナル画像:亀山社中のメンバー木札。 ↑8:オリジナル画像:中島川にかかる黄色ランタン。川面にもオブジェがある。 ↑9:オリジナル画像:メガネ橋すぐ近くにある匠寛堂。ボクも一応なかに入ったけど、 すごいよ〜。オバサンたちでいっぱい・・・。 |





