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元禄7年9月28日、 畦止(けいし)亭にうつり行、その夜は秋の名残をおしむとて七種(ななくさ)の恋を結題(むすびだい)にして、おのおの発句しける、其一 月下送児(げっか ちごをおくる)月澄や 狐こはがる 児の供 元禄7年、「其便」に初出。 (つきすむや きつねこわがる ちごのとも) 題が恋で稚児が出てくれば、男色を詠んだことになる。面白い。最後の俳席での句。 ちなみに、その他6人の門人と発句前の漢語は: 酒堂 寄鹿憶壻 支考 寄薄恋老女 惟然 寄稲妻妬人 畦止 深窓荻 泥足 寄紅葉恨遊女 之道 聴砧悲離別 *** 9月9日夜、重陽の日に大阪入りしてから、体調を崩していた芭蕉。 この句が詠まれた前日に、園女(そのめ)亭で出されたシメジ飯を大食したことが 10月12日に亡くなった遠因だったとされている。享年50(?)。 訳ありの女性・寿貞が江戸深川の芭蕉庵で病死してから3か月ほどたっていた。 この時点で人妻の園女(30歳)は、才色兼備のいい女だったらしい。 |
元禄の芭蕉・動物の句
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晴。大山ヲ立。酒田ヨリ浜中へ五リ近し。浜中ヨリ大山へ三リ近し。大山ヨリ三瀬(さんぜ)へ三里十六丁、難所(*1)也。三瀬ヨリ温海へ三リ半。此内、小波渡(こばと)・大波渡・潟苔沢(堅苔沢)ノ辺ニ鬼かけ橋・立岩、色々ノ岩組景地有。未ノ尅、温海ニ着。鈴木所左衛門宅ニ宿。弥三良添状有。少手前ヨリ小雨ス。及暮(くれにおよび)、大雨。夜中、不止(やまず)。 「六月廿六日(新暦・今年のきょう8月2日)の曾良随行日記から」小鯛指 やな木涼しや 海士が家 元禄2年、「西浜(*2)」の前書。 (こだいさす やなぎすずしや あまがいえ) *** 長崎県では、15センチ以下のマダイは資源保護のため、捕獲してはならないことになっている。 *1:難所:高館山の南の峠を越えて加茂の海岸に出るルートは断崖。 荒倉山の裾を行き由良峠を越えるルートは急坂。どちらも難所だった。 *2:西浜:酒田から加茂までの砂浜は、西浜と呼ばれていた。 ↑:背景:オリジナル画像:三菱重工長崎造船所・香焼工場。
国内最大級のゴライアス・クレインが3基並んでいる。 |
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ボクの使っている旧暦カレンダーによると、5月21日の金環日食の日から夏になった。 烏賊売の 声まぎらはし 杜宇 元禄7年、「韻塞(いんふたぎ)」に初出。 (いかうりの こえまぎらわし ほととぎす) 和歌的なホトトギスに、庶民的な棒手売(ぼてふり)の売り声を合わせることで、 芭蕉が晩年目指していた「軽み(かろみ)」の句になっている。 *** 「烏賊売りの声が大きくて、ホトトギスが聞き取れないんだな」という意味。しかし、 売り声がホトトギスの鳴き声「キョッ、キョッ、キョッ」に似ていた可能性もある。 元禄時代の烏賊売りの売り声がわからない。たとえば、現在の函館の行商のように 「イカァ、イカ〜、朝イカ〜」みたいな感じだったんだろうか。 日向子ちゃんに訊きたかったネ。 ↑:背景:パブリック・ドメイン画像:ウィキペディアの物売りから、水売りの少年。
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鶯や 柳のうしろ 藪のまへ 元禄5年、「続猿蓑」に初出。 (うぐいすや やなぎのうしろ やぶのまえ) やわらかい日差しのなか、あちこちでさえずるウグイス。 目を凝らしても、ふつうは藪などのなかで姿を見ることはできない。 それでも、鳴き声の方向に視線を移すのが楽しげな句になっている。さすが、芭蕉。 ↑:背景:転載OK画像:ウィキペディアのウグイスから。
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年どしや 猿に着せたる 猿の面 元禄6年、「薦獅子集」に初出。 (としどしや さるにきせたる さるのめん) 「猿まわしの猿が猿の面をつけても猿であることに変わりないように、 人間も年が改まっても代わり映えせず、前年の愚にとどまっているに過ぎない」 という意味。 *** 仕損じの歳旦句とされる。必然的に「猿」が繰り返されるが、やはりクドい。 それに、そもそも人間性を揶揄するような内容は俳句ではルール違反だ。 川柳ならOKだけど。 *** 以前は、歯を磨くときぐらいしか鏡を見なかったが、オジサンになってからはよく見る。 シミ・シワは年輪みたいなものだからいいとして、贅肉、たるみ、そして何よりも 全体的な表情と目をじっくり見る。 年齢をかさねると、性格や人間性がそのまま顔に表れている例が多いように思うから。 |






