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ベルギー王立軍事博物館

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ともかく時間が無かった(汗)到着したのが10時過ぎ、
なんとこの博物館では正午前〜15分前には午前の展示公開時間が一時閉館するのだ!
チャイムが鳴り退館を命ぜられます!(驚き)

右手のドアから通路を曲がると、飛行機の展示室、そこから鉄の大きなドアを自分で空けると
やっとたどり着きました。♪どうも欧州では日本ほど案内が親切では無いのが普通か!!(不案内な博物館!)

ずらりと並んだ戦車群。
しかしお目当ての二次大戦モノ〜独軍戦車は!!(涙)お目当ては4号戦車と言うはずだったんだが。。
米軍アーミー、英軍、NATO物!?ばかり。
唯一。。でしょうかドイツのタンクでしょうかね!駆逐戦車ヘッツァーとありますが(汗)
やはりデザインが独モノっぽい(笑い)

仏軍のルノーのタンクでしょうかね。こりゃ、一発砲弾が当たるとすっ飛びそうですが(爆)

参考〜王立博物館、タンク展示記事から
http://homepage3.nifty.com/hscedoyashiki/brussels/weapon_brussels3.htm

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入ってすぐに目についたのがナポレオン軍の大砲の展示!
そうです、ブリュッセル郊外にはかの有名なワーテルローの戦いがあった場所。
たしか記憶ではナポレオンが最初の島流しから奇跡の帰還、民衆を引き連れて最後の戦い、プロイセンとイングランド軍に大敗を喫した最後の場所。

王立博物館だけはあります。広いのなんのって!!(汗)駆け足で廻りました。

マークI戦車 (Mark I tank)

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マークI戦車 (Mark I tank) はイギリスが開発した世界初の戦車で、第一次世界大戦中に実戦で使用された。西部戦線における塹壕と機関銃の圧倒的優位を打破するために誕生した。

前史 [編集]
世界で最初に実戦投入された近代戦車は、陸軍でなく、海軍の主導により開発された。

第一次世界大戦時、飛行場警備などに装甲車を運用していたイギリス海軍航空隊が「陸上軍艦」(Landship)の提案を行い、1915年3月、当時海軍大臣であったウィンストン・チャーチルの肝いりにより、海軍設営長官を長とする「陸上軍艦委員会」が設立され、装軌式装甲車の開発が開始された。陸上軍艦委員会による幾つかのプロジェクトののち、フォスター・ダイムラー重砲牽引車なども参考にしつつ、1915年9月にリトルウィリー(LittleWille)を試作した。リトルウィリー自体は、塹壕などを越える能力が低かったことから実戦には使われなかったが、改良を加えられたマザー(Mother)が1916年1月の公開試験で好成績を残し、Mk.I戦車のもととなった。

特徴 [編集]
マークIは菱形の車体で、泥地の塹壕でも乗り越えられるだけの低い重心と履帯を備えた。車外の側面には張り出した銃座(スポンソン)があり、左右1門ずつQF 6ポンド砲と2丁のオチキス機関銃を装備した。他にも前後には取り外し可能なオチキス機関銃2丁があった。

マークIの操縦は非常に困難であったと言われている。針路の変更は、左右どちらかの履帯を止めるか速度を落とすかのいずれかによって行われた。乗員8名のうち4名は銃座につき、もう2名は操縦士で、操縦士のうち1名は指揮官の役割を担いブレーキを操作し、もう1名はプライマリー・ギアボックスの操作を行った。残りの2名はギアーズマン(gearsmen)と呼ばれるギア専門の操縦士で、左右の別々になっているセカンダリー・ギアボックスの操作をそれぞれ担当した。エンジンを動かしている間は騒音で耳を塞がれ、操縦士がプライマリー・ギアボックスを設定した後は手信号でギアーズマンに調整するよう伝えるが、車内が火器のフラッシュや硝煙で視界が悪い時にはスパナでエンジン部を叩くなどして注意をひくこともあった。エンジンがエンストを起こした場合、ギアーズマンがエンジンとギアボックスの間にある大きなクランクを回してエンジンを始動させるが、ほとんどのマークIは停止した状態に砲撃を受けて破壊された。わずかな針路変更であれば、車体の尾部に備え付けた大きな2つの車輪を使うことができた。この車輪は鋼鉄製のケーブルを引っぱっており、このケーブルによって他の戦車と同じ針路に進むことを避けた。

車体の内部は分割されておらず、乗員はエンジンと同じスペースに乗り込んでいた。換気を考慮されていない構造であったため、有毒な一酸化炭素、気化した燃料やオイルの臭気、火器から生じる硝煙などによって車内は劣悪な環境であった。その上、エンジンから発生する熱によって摂氏50度に達することもあった。乗員はこれらの問題に対応するため、ヘルメットとゴーグルを常備し、塹壕戦で一般化したガスマスクを装備することもあった。

側面の装甲厚は8mmで、小火器の攻撃に耐えられるようにしたものだが、同時期にドイツで開発された徹甲弾のK バレットが命中すると貫通されてしまった。また、歩兵に包囲されて制圧されたり、手榴弾で攻撃されたりする危険性もあった。イギリスは手榴弾の攻撃に対処するため、上記写真のように車体上部に切妻屋根状の構造物を載せ、改良型の装甲をより厚くさせた。それに対してドイツは対戦車専用の対戦車ライフルを開発し、手榴弾の威力を高めるため棒状の手榴弾を束ねた収束装薬 (Geballte Ladung) などを生み出している。

マークIは戦車としては未熟で、歩兵の連携を得られないなど、それに見合う戦果を残すことができなかったとされる。兵器として本格的に活躍できた初の戦車はフランスのルノー FT-17と言われている。

遂に見て来ました。戦車の原型!?
実物は、かなり保存が良いのに驚かされました。
中の撮影はガラス越しで小窓からの撮影。暗いのではっきり撮れません。
映りは悪いですが頑張って撮った貴重な写真として褒めて下さい(笑い)

狭い空間で、左右1門ずつQF 6ポンド砲と2丁のオチキス機関銃!
塹壕を突き進み激しい打ち合いを耐えるための画期的兵器だったようです。
しかし兵士にはかなりの過酷な状況が伺えます。
逆に歩兵に取り囲まれると鉄の棺桶と化したかもしれませんね!?
新兵器も、しかしながらそれを打ち破る対戦車兵器がすぐに現れたと容易に想像できます。
新兵器の登場は更なる兵器の開発へと拍車がかかったのでしょうね。

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EU本部のあるブリュッセル。
通りを抜けでっかい門があります。左翼には目的の軍事博物館♪

(開館時間は午前9〜11:45分まで。午後はたしか13時からです)

バッチリ昼休みの休憩15分前には追い出されます(爆)チャイムが鳴って退館〜〜!!ほんとうですよ。
国立だけあって威厳があるな〜。
お出迎えはポレオン戦争時代の大砲がずらり!!

なお今回の旅行で参考になったHP、こちらから
http://homepage3.nifty.com/hscedoyashiki/brussels/weapon_brussels1.htm

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