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海軍水雷衛所 函館山に残る要塞跡は山だけに陸軍の要塞と思いがちだが 函館山西方(観音山)には海軍の施設も存在する。 それが海軍水雷衛所である。 陸軍施設は後に津軽要塞と改名され、青森側の大間崎砲台や竜飛崎砲台も指揮下にあったが 函館海軍水雷衛所とは「大湊敷設隊臥牛山衛所」であり青森の大湊からの派遣部隊だったようである。 大湊は今でも陸奥湾及び北海道鎮護の精鋭部隊である。余談であるが、海上自衛隊の基地で唯一、専用のドックを保有しているのも大湊基地だけである。 初めに説明しますと、水雷衛所とは単一の施設の名称ではなく、視発室(弧器室)や 試験室 また発電所など、さまざまな防御水雷設備の集合体を指す名称である。 だが、ここから指令が出ていたことは確かである。 この施設の場所には本来陸軍の施設が建設される予定であった。 しかし、函館地区を守るにあたり陸軍の大砲だけでは不十分。どうしても海上封鎖、函館湾に敵艦艇を近づけない必要性に駆られたわけである。 水雷(機雷)敷設箇所は函館山裏側より対岸の茂辺地まで105ケの水雷を設置してあったようだ。当時は戦艦の大砲よりも要塞砲のほうが圧倒的有利とされ、要塞があることによって市街地を守ることが出来た。加えて、水雷の敷設も効果的で、ロシア艦隊がこの海域を通行することは一度もなかったのである。 後に大砲を1度も撃たなかったことに対し、要塞無用論まで飛び出したようだが、それはまったくの誤りである。 要塞とは防御施設であり、要塞があることによって敵の侵入を防ぐ、それが本来の目的である。 従って、大成功といえるのである。 当時のロシア艦隊は日本国内の要塞のある場所には現われていない。また函館要塞のように、山には要塞砲。海には対岸まで水雷を敷設しているうえ、海軍艦艇も警戒している海に近づくことは自殺行為だったのである。尚、ここに投稿する画像の1部は「翼」名でもって要塞専門サイトの「ようこそ要塞探訪様」に資料として提供しております。時折メールで情報交換をさせていただいております。 たいへんお詳しい方ですので要塞に興味のある方は1度覘いて見て下さい。 画像は海軍水雷衛所(試験室)指令もここから出ていたようである。 函館山の要塞跡を探すにあたり、海軍施設は陸軍施設に比べて資料が少なく苦労しました。また軍道の入り口が見事なまでに擬装してありそこに軍道があるかどうかの区別も最初は分からなかった。ましてや、この観音山は陸軍と海軍の担当持ち場が微妙に交差しているため、なおさらだった。 この画像は夏場に撮ったもので全体像までは見えない。 やはり草木の放置は建物を隠してしまう。 11月にもなればだいたいの全体像は見えてくる。 他の陸軍施設同様、ドア及び窓の格子部分はない。 この海軍水雷衛所(試験室)なんといっても最大の特徴は外観にある。陸軍施設とは異なり、細部にまで気を使っている。 画像は正面上部の段差のある外壁部。か〜〜やはり海軍、お洒落なのである。 長い年月の風雪に耐え、あまつさえ、手入れ補修もなく今現在に至るも、段差部の外壁は見事なまでにその原型を保っている。 当時の職人の技が光る。と、いうより設計者の技ありである。 衛所の左右は土砂に埋まってる形になる。 画像は正面左側であるが、丸い穴は確認こそしてないが円筒 を通すための穴ではないだろうか? また、正面上部同様、左右にも段差壁あり。 同右側。1部欠損しているが、補修すればこれ以上の落下はないと思う。早急に補修して欲しいものだ。 この衛所は「遺跡」としての価値も然るものながら、その構造故、建築学的価値も十分あると思うのである。正直、自分も上部段差壁を見たとき興奮した。 海軍水雷衛所その2で、内部を公開したいと思います。まずは外観まで。
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陸軍だけでなく、海軍の施設があったなんて始めて知りました。
2008/1/14(月) 午後 7:54 [ バタフライ ]
butterfly65jpさん、こんばんは。 そう思うのも無理はないです。
海軍施設はすべて非公開ですし、市はその入り口(軍道)でさえ擬装してます。 したがって、皆さんす通りしてるのです。
2008/1/14(月) 午後 9:50
おはようございます。
じっくり拝見させて戴きました。
このようであった、今もこれらが残っている・・・
殆どの人は知らないのではないでしょうか。
生々しい画像、本になりませんか?
2008/1/15(火) 午前 4:48 [ yuk**ri1432 ]
ゆっくり様、おはよう御座います。 確か日本の要塞という本。ま〜写真集ですが、この中に函館要塞の写真も1部載ってたと思いました。 ただし、本というのは読者に理解されやすいように記事にしますから本来の名称とは違う名称で載せる場合が多々あります。
僕は史実に忠実でありたいので、当時の名称で書きます^^; でも本も参考になり面白いですけどね。
2008/1/15(火) 午後 0:02
ご訪問&コメントありがとうございます。
とても興味深く読ませていただきました。
海軍のオシャレは水兵の制服や帽子に現れていましたね。
建築物にもオシャレを取り入れてたのでしょうね。
2008/1/15(火) 午後 2:17 [ あごひげ ]
kawamotera さん、こんばんは。そうですね〜まだこのように外観にもこだわる余裕のある時代だったのでしょうね。
2008/1/15(火) 午後 8:06
◆silverfoxさん メモしておきます。
参考になりました。ありがとうございました。
2008/1/16(水) 午前 9:22 [ yuk**ri1432 ]
ゆっくりさん、おはよう御座います。 水雷所関連を説明するには数ページが必要となりますので簡単に書いてますが、施設としては大変重要な施設であったことには間違いないです。当時の水雷(機雷)の敷設、爆破には数段階の準備が必要だったようです。
2008/1/16(水) 午前 10:22
いつも知らないことばかりでとても興味深いです!
知らないと、みても素通りしてしまいそうですね(^_^;)
2008/1/17(木) 午前 10:32
この施設の場合、先に紹介いたしました水元弾薬庫とは異なり、入り口が分からないのが、素通りにつながってます。1度、この近辺で水雷衛所を探している方と会いましたが、なんと入り口の目の前で聞かれました。夏場でしたけどね。
2008/1/17(木) 午後 0:11
こんにちは。対馬観光物産協会の砲台担当?の桟原と申します。
ブログを興味深く拝見いたしました。
実は先日対馬にある砲台調査をしていましたところ、四十八谷砲台に海軍衛所を発見いたしました。最初は観測所かと思っていたところなにげに「日本の要塞」を見ていましたら同じデザインの建物があるのを見つけてこのブログにたどり着きました。^^
うちの砲台マニアの先生に尋ねたところやはり海軍衛所であるとのことまた同じような施設があと2カ所ほどあるとのことでした。
今年中に調査に行きたいと思っております。
私共のホームページもぜひご参照ください。
2011/11/10(木) 午前 9:12 [ Papi ]
ヒデさま、コメントありがとうございます。
対馬要塞跡は規模も大きく見学に値すると思います。
さて、この海軍衛所ですが函館山の場合非公開となってるのが現実です。したがって場所を特定するのは知ってる人意外困難なのです。
またこの衛所ですが周囲には木造の建物があったようで、その一部に試験室もあった。ここに残っているのはレンガ作りの水雷衛所と視発室の一部だけとなぅております。視発室→(屋根は残っておらず)
2011/11/10(木) 午後 0:20