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函館(東雲町)にひっそりと佇む神社がある。それが「函館水天宮」である。この神社には奉納された大砲がある。そのことは十数年前から知ってはいたが、案内板及び説明文もなく、また調べることもしなかったのである。正直無関心! まがい物とさえ思ったこともあった。真に恥ずかしいことである。 だが、昨年10/13の函館新聞の記事を読んで考えが変わった。函館産業遺産研究会の報告書を元にしたこの記事には信頼性がある。 まずは画像をみてもらいたい。 画像は函館水天宮である。調べてみましたところ、水天宮の総本社は福岡県久留米市の(久留米水天宮)であり、水にちなんで、水と子供を守護、水難除け、商売では、漁業、海運、水商売、等の神でもあるようです。また「子育て」の神、子供の守り神でもある。 鳥居上部 画像はこの水天宮に奉納されてある小型の大砲である。記事によれば、ベルギーで1830―60年ごろに大量生産されていたカロナーデ砲の一つということである。 神社内から砲身を外に向けての設置固定である。 側面 この大砲の明細だが、長さ1メートル36センチ、口径約8センチの鋳鉄製であるとの事。 長さ、口径から判断しても主砲でなかったことは分かる。また、この砲を積載していた艦は、新政府軍艦朝陽とある。 以下は函館新聞の引用となる。 朝陽は1928(昭和3)年に引き上げられ、積載されていた一つの大砲は同市八幡町の亀田八幡宮に奉納。太平洋戦争当時、国の金属回収から隠され、現在は市立博物館五稜郭分館前に展示されている。このことは日本銃砲史学会で理事長を務めていた故所荘吉さんが明らかにしていた。 ところが船の引き上げ当時、ほかにも2つの大砲が引き上げられていた。これらについて富岡さんが研究した結果、函館の運送店経営者が得意先から保管を頼まれ、一つは同市元町の船塊神社に、一つは水天宮に奉納された。船塊神社の大砲は戦争の金属回収で供出されたが、水天宮のものは隠され、55年に再び戻されたという。 記事の最後にはこうある。歴史的価値が判明した以上、市が博物館など適した場所での保存をしてもらえれば」と望んでいる。 真に同感である。 ここからは持論だが、大砲の奉納の設置のしかたは神社や博物館等でそれぞれ違う展示方法を用いる。 それは水平展示であったり、また砲身を上に向ける方法などがある。 ここの奉納の固定方式は上向きである。故に雨水等が砲身内部に入り込みやすく、内部損傷を早める結果になる。画像は砲身上部 当然、このような大砲があれば刻印を探すが、なんとECLの刻印がはっきり読み取れる。箱館戦争での海戦で敗れるも、今はこうして水の神となり、見守っているのであろう。 幕末ファンは多いであろうが、この地を訪れることは少ないと思う。奉納であるからして神社の所有するところではあるが、やはり主砲と共に五稜郭に移していただければと願うのみである。 |

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よくお調べになられましたね。
単純に、すぐ考えますことは・・・このような大切なものが、雨水に
さらされる場所に置いておくのでしょうね。
2008/1/30(水) 午前 9:17 [ yuk**ri1432 ]
やはり屋内に展示して、他の資料と共に幕末のコーナーに
展示してほしいものです。神社の管理では限界があります。
2008/1/30(水) 午後 0:04
神戸の三宮神社境内やそのほかの場所にこのような大砲が保存されていますが、刻印までは気付きませんでした。
今度見る時は気にかけてみます。
2008/1/30(水) 午後 1:14
こういち様、こんばんわ。製造番号があればベストなのですが、この砲には製造番号がなく、刻印だけでした。それでも読みとるのが可能だったことは幸いでした。
2008/1/30(水) 午後 6:21
水天宮に、、、以外でした。
確かに屋外であまり抑角をつけると鉄製品にはdamageが大きいことはわかります。朝陽は幡竜に轟沈され、土方がこの機を逃すな。
と檄を飛ばした経緯でしたよね。
カロナーデ砲、8cmということからかなり旧式の装備であったでしょう。できれば、旧幕府装備、新政府軍装備、それぞれをまとめた形で一箇所に比較しやすい状態で展示していただければより函館戦争のじつぞうをrealに実感できるのではないかなと考えていました。
木古内の資料館にもよい物があるようで。当方まだ訪れてないんですが、機会があれば是非、と考えております。
貴重な資料有難うございました。
2008/1/30(水) 午後 10:21
ひろたか様、こんばんは。 記事にもあるように、人から人へと渡り、また戦争もはさんで、詳細が分らなくなったのでしょう。
本来であれば神社に奉納目録があるはずなのですが、そこらあたりはどうなのでしょうね。ま、いずれにせよ出何処が分かったのですから、しかるべき展示方法を考えて頂きたいものです。
2008/1/30(水) 午後 11:25
幕末の大砲とは貴重なものですね。
神社にとっては貴重な遺産なのだと思いますが、できることなら仰る通り、
然るべきところに保存してもらいたいものですね。
2008/1/31(木) 午前 1:12 [ Kitaro ]
おはよう御座います。奉納の意義は尊重したいと思いますが、ここはやはり博物館に展示し、幅広く見学してほしいと思います。
近代日本の礎、歴史的価値を認めるべきと考えます。
2008/1/31(木) 午前 7:20
半信半疑で試したらマジだった件w
騎乗位してあげただけで万札くれるとかww
最近の若者はわからんわww
http://nanndenn.zz.tc/kannden/mco9kms
2008/1/31(木) 午後 1:20 [ 洋二郎 ]
わたしは青柳町に住んでいましたので、「水天宮」の場所は知っていました。
しかし、砲筒があることは全く知りませんでした。
西部方面に出かけたおりにでも、寄ってみます。
2008/1/31(木) 午後 1:57 [ バタフライ ]
神社などはよくよく見ますと、面白いものがあります。これもその1つではないでしょうか。butterfly65jp さんは青柳町に住まわれていたのですね。 ちなみに今現在の海岸側の青柳町、あの辺は馬車屋さんが多く商売していた土地柄です。 今で言う運送業ですね。
2008/1/31(木) 午後 5:28
生、きもちいいぃぃぃぃぃぃぃぃ!! ってカンジ?
それにしても、マジに寝てるだけで、
勝手に腰振って、イって、金置いてってくるんだからボロいねコレwww
http://ning.zz.tc/you/ca9rosl
2008/2/1(金) 午前 7:38 [ 太乙 ]
水天宮に大砲が有ったんですね!知りませんでした。
私も幕末史は大好きなんですよー 知識はありませんけど・・・
でも画像を見る限りでも相当劣化が進んでますね、残念です。
2008/2/1(金) 午前 9:44 [ かーるゴッチ ]
大門はしょっちゅううろうろしてるので水天宮は知ってましたが、
大砲があるのは知りませんでした。
今度みにいぅってみます!
2008/2/1(金) 午前 11:36
サイパパ様、僕も幕末の歴史は嫌いではないのですが詳しくは分かりません。でもこの大砲に限って申せば(函館新聞)に記事として載っておりましたので見学するに至りました。この大砲の存在は昔から知ってはいましたが、陣地配備用の筒で、なおかつ背走軍が放棄、あるいは背走時に埋めたものと思い込んでました。 今回、新政府軍艦朝陽積載の砲と知り、再認識した次第です。
2008/2/1(金) 午後 0:16
kenrokuen90さん、こんにちは。正直、水天宮は盲点でしたね。
僕がここに大砲があることを知ったのも、用事で市役所に出向いた帰りでした。そのときちょうどお祭りで、露店が3台ほどあり、懐かしさで露店の前まで行って始めて気がつきました。
2008/2/1(金) 午後 0:22