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要塞の名残その5 (削られた標柱) 画像は函館西部地区(南部坂)である。手前右側に見える建物は「函館山ロープウェイ」 この南部坂の角に「要塞第一地帯」の標柱が存在する。 南部坂の看板の下にその標柱が建っているが、要塞より上の文字が削られている。 削った跡は均等であり故意に削ったことには間違いない。 函館山にあって、この要塞第一地帯の標柱は数本存在するが、そのどれもが津軽要塞第一地帯となっている。そしてその標柱すべてに言えることは彫りが甘い。それは彫り直したと考えられる。 だがこの標柱だけは彫りが深く読み取りやすい。 でもなぜここだけなんだろう。なぜここだけ上部の字が削られてるのだろう? 画像をクリックすれば見やすくなります。 そこで僕なりの仮説を立てる。 本来この削られた部分には函館の文字が入る。 だが昭和2年名称を津軽要塞と変える。当然標柱の変更を余儀なくされることになる。 そこで函館の文字を削り、そのスペースに同質の石材、あるいは木材をはめ込み、彫る、あるいは書いたのではないであろうか? それしか考え付かない。 その津軽要塞も昭和18年2月5日軍令陸甲第10号により北部軍に編入され、その後昭和19年3月16日大陸命第967号により第5方面軍戦闘序列に編入され第5方面軍隷下となった。
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書庫間違いがあり、記事の書庫を要塞の名残に変更
2008/10/3(金) 午前 11:02
銀ぎつね様、先代のプログが現在のプログかでコメントしましたが、その説に私も賛同します。戦後まもなく慌てて削ったにしては、綺麗な仕上がりですもんね。
あと少し余計な話になりますが、写真にも見える白いマンションの場所に、函館市議・泉泰三氏のモダンコンクリート住宅があったそうです。
以前、泉氏の娘さんに函館要塞の事を伺ったところ『子供の頃はただひたすら怖い印象ばかりが強く、山を見上げるのも厭だった・・・』と当時の思い出話をしてくれたのを今も強烈に覚えています。
2008/10/3(金) 午後 11:48 [ ヨウタロウ ]
ヨタロウさま、この津軽要塞第一地帯の標柱は2タイプあります。
もう一つのタイプは函館山の中に数本存在しますが、それはら明らかに削り取り、その上から新たに彫った感があります。
一方こちらの標柱は彫りが深いですから、途中で諦めたと言うより
故意にこの箇所だけを削り取ったと思うほが自然だと思います。
また同じ標柱であってもこちらのほうが民間人の目に入りやすいため、あまりにも雑だと軍の笑いの種となるでしょうからね。
そのてん、上部だけ削り「津軽」の字を埋め込んだほうが
はるかに分かりやすいのではないのでしょうか?
2008/10/4(土) 午前 11:04
長方形に削ってありますね、それも銀ギツネさんの仮設の通り「津軽」二文字がぴったり入る大きさですね。
2008/10/4(土) 午後 0:17 [ バタフライ ]
バタフライさま、そうなんですよ。函館にしても津軽にしても漢字で二文字。ぴったり合います。 いずれにせよ軍と言うものは看板、とりわけ部隊名にはこだわります。 したがって削りっぱなしとは
思えないのです。 他府県の要塞地帯標柱でも必ず、上部には○○
たとえば長崎要塞第一地帯となってます。
2008/10/4(土) 午後 0:45
そうね、戦後、痕跡を消すためだったら全部消すだろうしね・・・そうか、そういう事情もあるっていう説はかなり有力かも・・ぽち!
2008/10/6(月) 午前 0:57
むにゅさま、あくまで仮説ですが、他の標柱から鑑みた結果
それが自然だと思います。
2008/10/6(月) 午後 0:07