|
千畳敷砲台その2 画像は千畳敷貯水池。(濾過水槽及び貯水槽) 千畳敷砲台は戦斗司令所まで連なる大所帯であるからして飲料水の確保は当然であるが、地形から鑑みると、他の貯水池より水の溜まり具合は悪かったと想像できる。当時の状況はどうだったのあろうか? また、このスペースには休憩所もあった。 残念ながら、今現在の貯水池(水槽)には水はなく、涸れ果てている。 こちらはトイレ跡。レンガ部から上部は木造の可能性もある。函館要塞跡でトイレの名残が確認できる場所は唯一ここだけである。大所帯故、順番待ちもあっただろう。 こちらは 地下砲側庫. 見学通路もしっかりしている。また掩蔽部の天井も心配はない。気軽に見学できる施設でもある。 この千畳敷砲台の主砲は二十八cm榴弾砲ではあるが、他に十五糎臼砲を四門備えていたために、千畳敷第一砲台、第二砲台と区別する場合もある。本来第二砲台側は15cm臼砲砲台である。 地下砲側庫及び15cm臼砲第二砲座。砲は各砲座に二門を備え、計四門が臼砲砲座の装備である。 即ち、この千畳敷砲台には二十八cm榴弾砲用砲座が3ケ所。15cm臼砲座が2ケ所存在する。 地下砲側庫内部 アーチ型天井の損傷はなく立ち入り禁止とはなっていない。 だが床部がごらんのとうりのありようで木の葉の層が何層にも重なっている。 ちなみにこちらは通信室内部であるが、地下砲側庫内部に比べて破損状況が酷く、瓦礫の山と化している。 最後は千畳敷砲台に戻り、二十八cm榴弾砲砲座跡、弾室及び伝声管(丸い穴)が確認できる。 以上を持ちまして、函館要塞の画像は終了致しますが、取りこぼしやボツ画像が多いため、春以降に改めて画像を載せたいと思います。また津軽要塞の一つである汐首第一砲台の内部画像もまだですので、これもまた改めて紹介致します。以後は地域の歴史等を考えていますが、なにからやってよいものか迷ってます。函館空襲、函館大火、等考えておりますが、西部地区の町並みも同時進行できるよう頑張りますのでこれからも宜しくお願い致します。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用







先日upされていた銭湯と共に、ここは函館に行ったら是非行きたい場所ですね。
また春以降にご訪問される予定があるとのこと・・・その時のリポートも楽しみにお待ちしております!
2008/2/9(土) 午後 7:14 [ Kitaro ]
普段よく行っている函館の知らない姿が色々見れるので
とてもおもしろいです!次の情報も楽しみにしています
2008/2/9(土) 午後 8:38
あつdesu様、春には函館山の裏側、秘境寒川の撮影も予定しております。どうぞ宜しくお願い致します。
2008/2/9(土) 午後 10:32
kenrokuen90様、こんばんわ。西部地区の町並みの紹介は画像だけではなく、その建物に関してのエピソード等も紹介する予定でいます。
2008/2/9(土) 午後 10:35
こんばんは、函館に住む私たちも知らない歴史・跡地など詳細に画像付きでの説明、大変勉強させていただきありがとうございました。
これからもブログアップ楽しみにしています^^
2008/2/9(土) 午後 11:09
さくらさん、ありがとう御座います。地域の歴史は自分でも知らないことばかりです。これからもよろしくお願いします。
2008/2/9(土) 午後 11:25
砲台跡もあれば、指令所、休憩所もああります・・・そもそも、そこを守りの要所と考えただけのことでしょうか?例えば、よく聞かれる
本土決戦とかいうような意図なのか・・・その背景は何だったのでしょうね。
2008/2/10(日) 午前 8:25 [ yuk**ri1432 ]
ゆっくり様、函館要塞はロシアの南下の懸念及び日露の緊張が続く明治時代(明治30)年11月 函館要塞砲兵大隊の編成。
翌年の(明治31)には起工を開始し、ロシア艦隊通すまじの考えの下の大規模要塞です。仮に函館に上陸されたら、北海道と本州は完全に遮断されます。要するに青函航路確保。及び市内防備。津軽海峡通過阻止!これが意図です。
2008/2/10(日) 午前 11:42